「ギャラリー酔いどれ」から転載。
ピラミッドの最上部を抑えれば、全体は支配できる、というのが支配の要諦であり、西洋上級国民の得意技は、「とにかく組織を作って、その支配権をまず自分たちだけで独占する」というものだ。もちろん、一見フェアに見せるために、表の支配層の中に「非白人」「非ユダヤ」に見える人物を多用する。ほとんどの「国際機関」はそうなっていると私は見ている。
この原理はどこでも同じことであり、組織があれば、その最上層の命令に下は従う。つまり、「少数者が多数者を支配できるという不思議」は不思議でも何でもないわけだ。
その組織を必要とし、そこに生存基盤を置いている人間は、上位層の支配に服従する以外の道は無いのである。命令拒否は組織否定の行動となり、処罰対象・排除対象となる。これが組織の原理であり、「組織悪」が必然的に生まれる理由である。
組織の最上層がキチガイなら組織全体がキチガイ行動を取る、ということだ。自民党、公明党、神社本庁、etcetc
(以下引用)
◆http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20170111-00000219-sasahi-soci
dot. 1/12(木)
◎現役宮司が日本会議を批判 全体主義のこわさに警戒を〈AERA〉
2016年の新語・流行語大賞は「神ってる」。
“聖地巡礼”“パワースポット”がにぎわいを見せ、神様が身近にあふれる。
3・11から6年、一人ひとりがそれぞれの形で宗教と向き合う時代。
日本の宗教にいま、何が起きているのか。
AERA 1月16日号では「宗教と日本人」を大特集。
清洲きよす山王宮日吉神社宮司の三輪隆裕氏に、
伝統ある神社界が生む全体主義の怖さについて語っていただいた。
* * *
まず申し上げたいのは、神社本庁の包括下にある神社で、
政治活動に積極的にかかわっている神職は、
全体の1%ほどしかいないということです。
ほかは、神社本庁が改憲署名用紙を置いてほしいと言うから署名簿を置く。
選挙で誰かを応援してほしいと言うから応援する。
何となくやっているだけです。
それはなぜか。神職になるには神道学科のある皇学館大学や国学院大学、
または地方の神職専門学校で学び、神宮や有力神社で研修をするのが一般的です。
このとき、上の方針に絶対逆らうなと徹底して教育されます。
上の方針を批判したり、変更したりすることは一切してはならない。
神社本庁が考える「伝統」のみが理想であるということ。
機関紙の「神社新報」をはじめ、さまざまなルートで
そうした「伝統」を刷り込まれるのです。
いまの神社界にいる限り、そうした全体主義から抜けることはできないでしょう。
神社本庁は、明治政府がつくった「国体」を日本の「伝統」と思い込み、
天皇を頂点とした家族主義的国家の実現を目指しています。
本来、多神教である神道には、一つの価値観や規律で国民を縛る
という発想はありません。 神道の伝統をはき違えています。
これも理由があります。戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の「神道指令」で
国家神道が解体されて、神社界は生き残るために宗教法人・神社本庁になりました。
当時のリーダーたちは、明治時代に神職に就いた人々だったので、
「国家神道」こそが神道の伝統だと勘違いしてしまったのです。
その時代から、2代、3代と代替わりをして、
ゴリゴリの皇国史観を持つ神職はほとんどいなくなった。
考え方がリベラルな宮司もいますが、神社本庁の主導する「伝統」にはあらがえない。
その「伝統」を外側からプッシュして先鋭化させているのが、
民主主義を敵とする、日本会議の思想の核をつくっている人たちです。
日本会議は神社本庁の「伝統」と 1%の「真性右派」をうまく利用することで、
動員力と資金源を手にしました。
全国に8万もの拠点を持つ神社本庁を取り込むことで、
小さな組織を大きくみせることに成功したのです。
神社本庁の政治組織である「神道政治連盟」の政策委員の顔ぶれも、
神職主体から、日本会議周辺の思想家中心に変わりました。
その影響力が強くなっている証左でしょう。
いつの時代も人々が従順であれば、一部の人間の意思で
いつの間にか極端な社会になるのが、全体主義の怖さです。
気をつけねばなりません。
(構成/編集部・作田裕史) ※AERA 2017年1月16日号
ピラミッドの最上部を抑えれば、全体は支配できる、というのが支配の要諦であり、西洋上級国民の得意技は、「とにかく組織を作って、その支配権をまず自分たちだけで独占する」というものだ。もちろん、一見フェアに見せるために、表の支配層の中に「非白人」「非ユダヤ」に見える人物を多用する。ほとんどの「国際機関」はそうなっていると私は見ている。
この原理はどこでも同じことであり、組織があれば、その最上層の命令に下は従う。つまり、「少数者が多数者を支配できるという不思議」は不思議でも何でもないわけだ。
その組織を必要とし、そこに生存基盤を置いている人間は、上位層の支配に服従する以外の道は無いのである。命令拒否は組織否定の行動となり、処罰対象・排除対象となる。これが組織の原理であり、「組織悪」が必然的に生まれる理由である。
組織の最上層がキチガイなら組織全体がキチガイ行動を取る、ということだ。自民党、公明党、神社本庁、etcetc
(以下引用)
◆http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20170111-00000219-sasahi-soci
dot. 1/12(木)
◎現役宮司が日本会議を批判 全体主義のこわさに警戒を〈AERA〉
2016年の新語・流行語大賞は「神ってる」。
“聖地巡礼”“パワースポット”がにぎわいを見せ、神様が身近にあふれる。
3・11から6年、一人ひとりがそれぞれの形で宗教と向き合う時代。
日本の宗教にいま、何が起きているのか。
AERA 1月16日号では「宗教と日本人」を大特集。
清洲きよす山王宮日吉神社宮司の三輪隆裕氏に、
伝統ある神社界が生む全体主義の怖さについて語っていただいた。
* * *
まず申し上げたいのは、神社本庁の包括下にある神社で、
政治活動に積極的にかかわっている神職は、
全体の1%ほどしかいないということです。
ほかは、神社本庁が改憲署名用紙を置いてほしいと言うから署名簿を置く。
選挙で誰かを応援してほしいと言うから応援する。
何となくやっているだけです。
それはなぜか。神職になるには神道学科のある皇学館大学や国学院大学、
または地方の神職専門学校で学び、神宮や有力神社で研修をするのが一般的です。
このとき、上の方針に絶対逆らうなと徹底して教育されます。
上の方針を批判したり、変更したりすることは一切してはならない。
神社本庁が考える「伝統」のみが理想であるということ。
機関紙の「神社新報」をはじめ、さまざまなルートで
そうした「伝統」を刷り込まれるのです。
いまの神社界にいる限り、そうした全体主義から抜けることはできないでしょう。
神社本庁は、明治政府がつくった「国体」を日本の「伝統」と思い込み、
天皇を頂点とした家族主義的国家の実現を目指しています。
本来、多神教である神道には、一つの価値観や規律で国民を縛る
という発想はありません。 神道の伝統をはき違えています。
これも理由があります。戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の「神道指令」で
国家神道が解体されて、神社界は生き残るために宗教法人・神社本庁になりました。
当時のリーダーたちは、明治時代に神職に就いた人々だったので、
「国家神道」こそが神道の伝統だと勘違いしてしまったのです。
その時代から、2代、3代と代替わりをして、
ゴリゴリの皇国史観を持つ神職はほとんどいなくなった。
考え方がリベラルな宮司もいますが、神社本庁の主導する「伝統」にはあらがえない。
その「伝統」を外側からプッシュして先鋭化させているのが、
民主主義を敵とする、日本会議の思想の核をつくっている人たちです。
日本会議は神社本庁の「伝統」と 1%の「真性右派」をうまく利用することで、
動員力と資金源を手にしました。
全国に8万もの拠点を持つ神社本庁を取り込むことで、
小さな組織を大きくみせることに成功したのです。
神社本庁の政治組織である「神道政治連盟」の政策委員の顔ぶれも、
神職主体から、日本会議周辺の思想家中心に変わりました。
その影響力が強くなっている証左でしょう。
いつの時代も人々が従順であれば、一部の人間の意思で
いつの間にか極端な社会になるのが、全体主義の怖さです。
気をつけねばなりません。
(構成/編集部・作田裕史) ※AERA 2017年1月16日号
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