我ながら、かなり的を射ている考察だと思う。
まあ、付け加えれば、鳥の雛が最初に見た動物を自分の親と思い込むというのと同様に、資本主義国家で生まれたら、基本的に「資本主義=善」「共産主義=悪」と思うわけだ。私もまったく政治的な知識が無く、政治的考察をしていなかった青年時代にはそうだったし、多くの資本主義国家の人間は死ぬまでそう(「共産主義=悪」思想)だろう。「自分の属する集団」とは「自分に等しい存在」であるからだ。冷静で客観的な視点などなかなか持てるものではない。(これを沖縄のことわざで「我がサミ(かさぶた、おでき)や香(か)ぎサミ」と言う。)
別に左翼思想が正しいとはまったく思わないが、左翼運動が吹き荒れた第二次大戦直後の時代より、今の人間の政治的思考力はかなり低下していると思う。共産主義への「(それが理想社会の実現につながるという)美しい誤解」に基づくとはいえ、あれだけ多くの人間が左翼思想に共感したのは人間性が基本的に善であることを示していると思う。今の、(社会経済の悪化によって心の余裕を無くしたためとはいえ)政治的に斜めに構えた若者たちよりマシである。
(以下自己引用)
なぜアゾフ大隊は「反共テロ組織」なのか
先に、その言葉を赤字太字にして引用し、その後で考察する。
この点は、日本の極右を見れば分かりやすい。同じであるようで同じでない。日本の極右において、靖国神社や皇室へのコミットは、象徴的というかタテマエの問題になっている。昔はそうではなかった。強烈に内面的に同一化していた。欧州のネオナチも、日本の極右も、現在の真の思想的中身は反共親米。
(考察)
頭の中に浮かぶ考えがいろいろあってまとめられそうにないが、適当に書いていく。
最初に、比較的重要性が高いように思う、ネオナチの政治思想から書いていく。特に、その末端の「兵士」たちの「思想」だ。それが「思想」というほどのものかどうかが問題なのである。単純に「資本主義は正義、共産主義は悪」「あいつは敵だ。敵は殺せ」というのが彼らの「思想」なのではないか、というのが私の推定だ。つまり、なぜ資本主義が正義で共産主義が悪なのか、それが相手を殺すほどの「悪」なのか、という思考が彼らの中にあるとは思えないのである。
またしても「仁義なき戦い」の話になるが、暴力団の下部組織員は、敵組織の人間を殺すのが手柄だと考えて、殺人を行う。自分たちに道理や正義があると思っているわけではないだろう。単に相手を「敵」だと思うから殺すだけのことだ。
アゾフ大隊の兵士たちも同じことなのではないか。「共産主義は敵(悪)である」「敵は殺せ」というだけだろう。これは、脳筋的な人間の普通の行動だと思う。中には主に上部層に賢い人もいるだろうが、そういう連中は「それが自分の利益になる」からテロ組織にいるわけだ。
肝心な話を書いておく。
アゾフ大隊が「敵」だと見做すロシアは「共産主義国家」なのか?
ソ連解体によってソ連構成国家群はほとんどすべてが資本主義に転向したと私は思うが、ロシアも同じであるはずだ。その初期にギャング経済が国家を破産させそうになったが、その中心的な資本家たちをプーチンが国外に追い出した。これは「国家を守る行為」ではあっても、共産主義とは別の話である。
だが、世界中の資本家たちはこの行為が許せなかった。そこで、プーチンのロシアは彼らの絶対的敵となったのである。
だが、もう一度言うが、これは「共産主義」による行為ではない。プーチンの頭の中にかつての社会主義国家ソ連への高い評価があったとしても、その思想は外からは分かりはしない。
アゾフ大隊の兵士たちが裕福な家庭の出だとは思えない。おそらく資本主義社会の下層階級の出自だろう。彼らの生活が苦しいから兵士になったのではないか。あるいは、「暴力団」に入るしか、彼らの「受け入れ先」は無かったのではないか。「思想」的に言うなら、彼らが本来「敵」とすべきは、資本主義社会であり、その収奪者である資本家階級であるはずだ。それがなぜ「共産主義」を敵として戦うのか。単純な話である。「そう教え込まれてきたから」だ。
まだ、いろいろ書くべきことはありそうだが、とりあえず、「暴力団の鉄砲玉=アゾフ大隊」という等式だけ結論としておく。
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