「ギャラリー酔いどれ」から転載。
これを転載するのは、もちろん、この植草教授の言が私の考えと似ているからだ。
つまり
1 日本未来の党は言葉のセンスが悪い(つまり他人の感情に鈍感な人間が中心にいる)
2 飯田哲也が代表代行であるのは問題である
という2点だ。
もちろん、植草教授が言うように、飯田氏は橋下徹と仲間であったことについて、弁明するべきだ、とも思うが、それ以前に、私は飯田氏という人間の人間性を疑っている。
自分が望むように世の中を動かすためには、力のある人間に近づき、利用するべきだ、というのは一つの考えではあるが、そういうちっぽけなマキャベリストは、最初の望みが社会全体のための改革だと自分では考えていても、やがて自分の利益のためだけに動くことになる。なぜなら、「社会のため」というのはその人間の主観でしかなく、自分自身の意志のために他人をただの道具として使おうという点では同じだからである。
飯田氏がそういうマキャベリズムから橋下に接近したのなら橋下と同類の人間であり、橋下という人間の本質を知らずに彼の仲間になったのなら、人を見る目が無さすぎる。
まあ、真の第三極(本当は、誰かも言うように「自・公・民・維新・みんな」全部が第一極なので、こちらは「第二極」と言うべきだが。ついでに言うと、飯田は「みんな」との連携に動いているようだ。彼が獅子身中の虫でないことを願いたい)である「日本未来の党中心のオリーブの木連合」が選挙で勝つことが今は大事だから、あまりそれに水をかけるような意見は言わない方がいいだろう。もう言ったけど。
とりあえずは私は「みどりの風」や社民党、新党大地などが日本未来の党と合併しないのは賢明だと思う。国会は無数の小党が乱立したまま、各イシューごとに是々非々で各党ごとに政治判断をしていけばいいのである。二大政党制がいい、などというのは幻想だと私は思っている。どうせ最後は多数決以外に決定手段は無いのだから、二大政党制だろうが、小党乱立だろうが、同じことなのである。
(以下引用)
◆http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-bdeb.html
植草一秀の『知られざる真実』
2012年11月28日 (水)
◎主権者国民連合政党名称は 「生活」 とする方が良い
より抜粋、
総選挙が近づき慌ただしくなってきた。
滋賀県知事の嘉田由紀子氏が新党「日本未来の党」を立ち上げ、
「国民の生活が第一」、「脱原発」、「みどりの風」の一部が合流することになった。
新党「生活」とするべきだった。
「脱原発」を実現するなら「脱原発」とすべきだった。
「卒原発」というのは、いかにも言葉遊びで有権者に混乱を与えるだけだ。
「脱原発」が嫌なら「原発ゼロ」とした方がはるかに分かり易い。
投票日まで時間がないのだから、津々浦々の国民にまで浸透させるには、
少しずつ浸透してきた名称を活用するべきだった。
「脱原発」を避けたのは、脱原発をやるつもりのない政党までが「脱原発」と言い始めているからだが、
これを採らないのなら新党「生活」が一番良い。
「未来」も大事だが「現在」がより大事なのだ。
そこにあるのは私たちの「生活」。
新党「生活」とすべきだ。
まだ間に合うならそうした方がよい。
飯田哲也氏が嘉田知事の記者会見に同席していたが、この夏には橋下徹氏の隣にいた人ではないか。
橋下氏の本質を見抜けなかったことについて、明確に説明をする必要がある。
新党の中核を担うのは「国民の生活が第一」だ。
早速、あせった橋下徹氏が批判を始めたが、泡沫政党の泡沫党首の声をメディアが紹介する理由は存在しない。
メディアの動揺も激しいのだろう。
マスメディアはまったく意味もなく橋下徹の名を連呼し続けた。
そのような価値のある人物ではない。
そもそも、主義主張が一貫していないではないか。
人権意識も希薄であり、他者に厳しく自分に甘い、単なる権力亡者にすぎない。
「脱原発・反消費税増税・反TPP」を主張する「主権者国民連合」がこの総選挙に大勝して、
政権を樹立しなければならない。
これを転載するのは、もちろん、この植草教授の言が私の考えと似ているからだ。
つまり
1 日本未来の党は言葉のセンスが悪い(つまり他人の感情に鈍感な人間が中心にいる)
2 飯田哲也が代表代行であるのは問題である
という2点だ。
もちろん、植草教授が言うように、飯田氏は橋下徹と仲間であったことについて、弁明するべきだ、とも思うが、それ以前に、私は飯田氏という人間の人間性を疑っている。
自分が望むように世の中を動かすためには、力のある人間に近づき、利用するべきだ、というのは一つの考えではあるが、そういうちっぽけなマキャベリストは、最初の望みが社会全体のための改革だと自分では考えていても、やがて自分の利益のためだけに動くことになる。なぜなら、「社会のため」というのはその人間の主観でしかなく、自分自身の意志のために他人をただの道具として使おうという点では同じだからである。
飯田氏がそういうマキャベリズムから橋下に接近したのなら橋下と同類の人間であり、橋下という人間の本質を知らずに彼の仲間になったのなら、人を見る目が無さすぎる。
まあ、真の第三極(本当は、誰かも言うように「自・公・民・維新・みんな」全部が第一極なので、こちらは「第二極」と言うべきだが。ついでに言うと、飯田は「みんな」との連携に動いているようだ。彼が獅子身中の虫でないことを願いたい)である「日本未来の党中心のオリーブの木連合」が選挙で勝つことが今は大事だから、あまりそれに水をかけるような意見は言わない方がいいだろう。もう言ったけど。
とりあえずは私は「みどりの風」や社民党、新党大地などが日本未来の党と合併しないのは賢明だと思う。国会は無数の小党が乱立したまま、各イシューごとに是々非々で各党ごとに政治判断をしていけばいいのである。二大政党制がいい、などというのは幻想だと私は思っている。どうせ最後は多数決以外に決定手段は無いのだから、二大政党制だろうが、小党乱立だろうが、同じことなのである。
(以下引用)
◆http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-bdeb.html
植草一秀の『知られざる真実』
2012年11月28日 (水)
◎主権者国民連合政党名称は 「生活」 とする方が良い
より抜粋、
総選挙が近づき慌ただしくなってきた。
滋賀県知事の嘉田由紀子氏が新党「日本未来の党」を立ち上げ、
「国民の生活が第一」、「脱原発」、「みどりの風」の一部が合流することになった。
新党「生活」とするべきだった。
「脱原発」を実現するなら「脱原発」とすべきだった。
「卒原発」というのは、いかにも言葉遊びで有権者に混乱を与えるだけだ。
「脱原発」が嫌なら「原発ゼロ」とした方がはるかに分かり易い。
投票日まで時間がないのだから、津々浦々の国民にまで浸透させるには、
少しずつ浸透してきた名称を活用するべきだった。
「脱原発」を避けたのは、脱原発をやるつもりのない政党までが「脱原発」と言い始めているからだが、
これを採らないのなら新党「生活」が一番良い。
「未来」も大事だが「現在」がより大事なのだ。
そこにあるのは私たちの「生活」。
新党「生活」とすべきだ。
まだ間に合うならそうした方がよい。
飯田哲也氏が嘉田知事の記者会見に同席していたが、この夏には橋下徹氏の隣にいた人ではないか。
橋下氏の本質を見抜けなかったことについて、明確に説明をする必要がある。
新党の中核を担うのは「国民の生活が第一」だ。
早速、あせった橋下徹氏が批判を始めたが、泡沫政党の泡沫党首の声をメディアが紹介する理由は存在しない。
メディアの動揺も激しいのだろう。
マスメディアはまったく意味もなく橋下徹の名を連呼し続けた。
そのような価値のある人物ではない。
そもそも、主義主張が一貫していないではないか。
人権意識も希薄であり、他者に厳しく自分に甘い、単なる権力亡者にすぎない。
「脱原発・反消費税増税・反TPP」を主張する「主権者国民連合」がこの総選挙に大勝して、
政権を樹立しなければならない。
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