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徽宗皇帝のブログ

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資本主義は必然的に貧困層を増大させるということ
岸田秀の「嘘だらけの(ヨーロッパ製)世界史」という本を読んでいる途中だが、その中に「資本主義の原動力は貧困である」、あるいは「資本主義と貧困は不可分である」と言えそうな面白い指摘があったので、その部分を引用しておく。現在の日本、いや、世界の現状がなぜこれほど無数の貧困者を生み出しているのか、その原理を説明している。

(以下引用)


生活を営むために必要なぶんだけ働くというのであれば、強制されて労働するなんてことは思いつきもしないであろう。何日か先に喰うための喰い物を探すなんてことをするはずはない。
語義矛盾のようであるが、自発的な(すなわち権力者に物理的に強制されるのではない)強制労働が出現したのは、貨幣経済、資本主義が成立し始めてからのことであろう。貨幣が神々に奉納するためとかの、特定の目的に限定されなくなり、すべてのものと交換できる全目的貨幣となると、すなわち貨幣が物神(フェティッシュ)となり、生活するのに必要な物資を得るためには貨幣が必要だということになると、生活物資と労働とのあいだに貨幣が介在し、貨幣がないと生きられないから、まず貨幣が必要になり、貨幣を得るために働くということになり、そうなると、これ以上は働く必要がないという限界が視界から消失する。生活物資は当座の必要以上にもっていてもしかたがないが、貨幣はたくさんあればあるほどいいということになるので、人々はもっと働いて貨幣を稼げば、それだけもっと生活が豊かになるという幻想に支配されるようになる。金銭欲が発生する。その結果、貨幣をたくさん所有する者と、所有しない者ができてくる。前者が資本家、後者は労働者ということであろう。資本家も労働者も貨幣はたくさんあればあるほどいいという幻想を共有し、貨幣を増やそうとする資本家は貨幣を得るために働く労働者を使役することができるようになる。資本家は貨幣を必要とする労働者の弱味につけ込み、過剰に働かなければ生活に不安を抱かざるを得ないように仕組む。彼らはつねに貨幣不足の状態におかれ、これまで以上に貧乏になる。みんなが不安に駆られて、現実に必要かどうかにかかわりなく過剰に働くようになり、のんびりしたゆとりのある生活は失われる。産業革命が進み、大量の製品が生産されるようになると、貧困層が増大するという奇妙な現象が起こるのは、そういうことである。もちろん、長い悲惨な時代を経てのちにはいろいろ対策が講じられるようになったが(共産主義もこの対策の一つであった。共産主義は挫折したし、まだこの問題は解決されていないが)、これが資本主義が成立し始めた頃の状況である。この悲惨な状況に最初に陥ったのが近代ヨーロッパ人であった。
貨幣経済、資本主義が最初に成立したのが、自然の恵みが豊かなアフリカや東アジアや南洋諸島などではなく、ヨーロッパだったのはなぜかというと、ヨーロッパが豊かでなかったからである。本書のなかで指摘したように、ヨーロッパ大陸の気象条件や歴史的背景によって、ヨーロッパ民族はいわゆる「未開」民族が享受していたような余裕ある豊かな生活に恵まれていなかったからである。
豊かでないとなぜ貨幣が発生するかというと、土地が痩せていて生産性が低く、生活物資の供給が不安定だから、当座の必要がなくても働いて労働の成果を凝結しておく必要があるからである。貨幣が発生すると、その結果、貨幣がないと生活物資が得られない状況において貨幣をもたない者、すなわち貧乏人が出現する。その理由はさっき述べたが、ヨーロッパ人はますます貧しくなった。近代ヨーロッパで貧困が貧困を呼ぶという悪循環が起こったのである。この悪循環を断ち切るためには、貧困を外在化する、すなわち、ヨーロッパ以外の諸民族へ押しつけるしかなかった。

(徽宗注:上記の結果、近代における欧米による世界侵略と支配、つまり帝国主義が始まったというのはもはや自明だろう。)








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