まあ、要するに、貧乏人が大学に行く、まして授業料の高い医学部に行くなんてのは愚の骨頂だ、というようなことを言うつもりだったような気もするが、その女性が気の毒だったので、傷口に塩を摺り込むようなことをしたくなかったのかもしれない。しかし、(貧乏人の)大学進学という問題自体は重要な現代日本の課題であって、それについて論じる意義は大きいと思う。
しかしそれについて、下の「株式日記と経済展望」の記事は、まことに理を尽くしており、私などが論じるまでもなく、下の記事にほぼ全面的に同意する。
しかし、こういう記事を読んでも、「それでも大学に行きたい」という貧乏家庭の若者は膨大にいるだろうなあ、と思う。なぜなら、大学は若者自身にとって「4年間の休暇」という面があるからだ。何をしてもいい4年間という時間は、大学進学まで束縛だらけの生活をしてきた若者にとっては喉から手が出るほどほしいものだろう。家庭が貧しいならバイトをしてでも行きたい、と思う若者は多いはずである。
べつに勉強がしたいから行くのではない。勉強など、大学の講義を受けなくても本やネットでいくらでもできる。学歴や資格が欲しい、というのもあるだろうが、その学歴がどんな利用価値があるのか、若者自身が実体験して知っているわけでもない。
ただ、何となく、大学には「自由な世界」がありそうな、そんな幻想のために、大学を目指すのではないか。つまり、高校までの奴隷的生活が、大学進学を後押ししている。言い換えれば、自由になりたいという願いが、逆に自らを奴隷的境遇に陥れる。それが資本主義社会における大学の(教育ピラミッド全体の、と言うべきか。)「資本主義的な」存在意義だろうか。
そう言えば、エジプトのピラミッドも奴隷労働の象徴である。ユダ金が、ピラミッドを自分たちの象徴としている理由が何となく分かる。ピラミッドの上端で世界を見張る目、つまり世界の支配者、ということだ。
(以下引用)
学校は学費を上げて生徒を食い物にする。金貸し業者は学費を用意
できない生徒の弱みにつけ込み、高利で金を貸し付けて食い物にする。
2017年5月9日 火曜日
◆「役に立たない学歴のために、借金を背負わせて搾取する社会」 5月7日 ダークネス
18世紀の半ばからイギリスで始まった産業革命を経て、現代社会が急速に工業化していくと、身体能力よりも知的能力の方が重視されるようになっていった。
そして、現代の高度情報化社会になると、その知能重視はますます先鋭化している。この知能重視の結果として生まれて来ているのが、学歴社会である。
学歴はその人の知的レベルを手っ取り早く計るモノサシになるので、他人に雇われて生きる人にとって学歴は何にも増して重要なものになっていく。
そのため、誰もが社会で生きて行くために学歴を必要としている。一般的に、それは高ければ高いほど良い。一流であることは望ましいが、二流三流であってもないよりはマシだと考えられている。
その歪みとして先進国では大学全入時代が生まれた。日本だけでなく多くの先進国がそうだ。
グローバル社会になるとこの流れは途上国でも広がり、今やケニアやナイジェリアと言ったアフリカ諸国でも学歴社会が到来している。
大学は学生たちの足元を見て学費を値上げして儲けるようになった。値上げしても学生が来るのだから、資本主義の論理で値上げするのは当然の動きだろう。
また、民間の金貸し業者がサメのようにやって来て学生に多額の金を貸し付けて長年に渡って暴利を貪るシステムができあがった。
つまり、今の資本主義は学歴を求める人間を食い物にするシステムになっていこうとしている。
◆ただ金を搾取されるためだけに生きる奴隷と化す
学歴が必要な社会にする。就職と賃金で差別化する。そうすると、いずれは誰もがそれを必要とする社会になる。
そうなると、学校は学費を上げて生徒を食い物にする。金貸し業者は学費を用意できない生徒の弱みにつけ込み、高利で金を貸し付けて食い物にする。
かくして、まだ社会に出ていない若者が搾取される構造ができあがっていく。そこに気付かない若者は、まったく知らない間に資本主義の奴隷と化していく。
この構図を見ると、莫大な借金を背負わされて先進国に売られた途上国の女性たちの悲劇とほとんど何も変わらないことに気付くはずだ。
経済的に豊かになるためには先進国で働くしかない。そのためにブローカーに借金をして先進国に行く。そこで借金を返すためだけに売春ビジネスを強制され搾取されていく。
「経済的に豊かになりたいだろう。そのためには先進国に行く必要がある。金がないなら貸してやろう」と言われて、彼女たちは搾取されるだけの奴隷になった。
今の若者は経済的に豊かになるために大学に行くしかない。そのためにブローカーに借金をして大学に行く。そこで借金を返すために必死で仕事をして搾取されていく。
「経済的に豊かになりたいだろう。そのためには大学に行く必要がある。金がないなら貸してやろう」と言われて、学生たちは搾取されるだけの奴隷になっていく。
どちらも、経済的に豊かになりたいとささやかに望んでいただけなのに、知らない間に社会の闇に取り込まれて莫大な借金を背負わされ、ただ金を搾取されるためだけに生きる資本主義社会の奴隷になる。
高学歴になって絶対に成功するのであればまだしも、今や高学歴などありふれて希少価値すらもなくなり、それは武器にならない。それなのに莫大な借金を背負うのである。
経済的に豊かになりたいという「望み」につけ入れられて、社会の食い物にされる。
それが、弱肉強食の資本主義のやり方だ。現代社会の搾取構造を甘く見てはいけない。それはいつでも人々を搾取の中に放り込む。その恐るべき社会の搾取構造に、あなたは気付いているだろうか。
(私のコメント)
大学というところは学問の墓場であり、やる気のない学生とやる気のない教授のたまり場だ。私が大学に在籍していた頃に感じたことですが、大学の5月のGW明け頃になると教室に来る学生の数はぐっと少なくなり、多くがアルバイトかクラブ活動に行ってしまう。
何しに大学に入ったのかわかりませんが、私が大学に行った頃は学費も年に三十数万円程度であり、アルバイトしながらでも学費は払えた。今は百万円以上はかかるから卒業するまでには500万円はかかる。多くの学生が500万円もの借金を抱えて社会人をスタートさせなければならない。
運良く給料のいい企業に就職できればいいが、できなければ自己破産一直線だ。大学という所は金持ちのドラ息子やドラ娘の行くところであり、勉強したければ大学などに行かずとも毎日図書館に通ってすればいい。私なども大学で講義を聞くのも退屈なので図書館で本を読んでいた。
大学の講義も形ばかりのものであり、試験に出そうなところは講義に出ていれば教えてくれるので、講義に出ていない学生も友達に聞けば試験に出るところがわかる。大学のいいところはゼミなどに参加することで、議論などをして学問への関心を深めるところにある。私なども近代日本政治史のゼミに参加した。
今の若者は、二人に一人は全く本を読まないそうですが、学生時代に読書の習慣がつかなければ一生本を読まないようになるだろう。本を読まなければ底の浅い人間になり、一般常識が身に付かない。社会に出れば一般常識が身についていない人間が多いことに気がつきます。
その多くが本を読まない人間であり、本を読まないから周りの人間に左右されてしまって、一般常識が身に付かない。一般常識があるかどうかは、多くの人と同じ事を言うのではなく、自分の意見が言える人間であり、決して他人と同調する人間ではない。同調する人間は付和雷同という。しかしサラリーマン社会では付和雷同人間が常識的人間とみなされる。
間違っていることは周りがどうであれ間違っていると言える人間が一般常識をわきまえた人間であり、しかしサラリーマン社会では上司が間違っていてもそれに同調するのが常識人間とされる。私は上司にそれは間違っていると言う事があったので、変人扱いされたが、本に書かれていることのほうが正しいと判断したからだ。
大学生になる大きな理由が、みんな行っているから私もということで大学に進学するという人が多いのでしょうが、借金までして行くところかといえば疑問だ。一流大学でない限りは一流企業に就職ができないということもありますが、一流企業なら一生安泰かといえばそうではなくなってきている。
Fラン大学でも学費が安いということはなく、かかる学費は同じくらいであり、それだけ借金のリスクは大きくなる。18歳から22歳ころは一番体力もあり物覚えもいい頃であり、社会人になるには一番いい年頃ですが、大学で遊んでしまって22歳で卒業しては企業社会に馴染めないといった人も出てくる。
昔は、住宅ローンがひとつの罠であり、住宅ローンを借りてしまうと返済し終わるまでは働き続けなければならない。現代では大学奨学金がひとつの罠になって、奨学金を返し終わるまでは嫌でも働き続けなければならない。これは戦前の従軍慰安婦と同じであり、ブローカーから借金をして身を売るのと同じだ。
大学と金貸し業者がつるんで、若者に借金をさせて甘い言葉で罠にかける。そして返せなくなれば自己破産してカードも持てなくなる。これはまさに現代の奴隷制であり、社会の右も左もわからない若者に借金をさせるのは間違いだ。最近では大学の無償化の話も出てきていますが、誰が学費を負担するのだろうか。
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