「大摩邇」所載の「donのブログ」記事の一節である。
もう20年以上も前に、電子投票がいずれ用いられることになれば民主主義は終わりだ、と私はどこかに書いたのだが、当時私が考えていた形の電子投票は、投票自体が電子機器を操作して行う形式のものだった。たとえば、投票所の(あるいは家庭の)パソコン画面に立候補者氏名があって、その誰かのところをタッチするか、キーを押すかすれば、そこに1票が入る、というものだ。そうなれば、パソコン内部での操作など外部から改変できる(しかもブラックボックスである)のだから、Aという候補者に入れたつもりが、実はBに入る、ということは容易だろう、と考えたわけである。
現実は、もう少し原始的な部分、つまり「集計段階での電子化」で不正操作が行われていると推測されるのだが、どのような形であれ、電子選挙は簡単に不正ができることに間違いはない。だからこそ、手書き投票用紙を再検証することができない、という異常なことが堂々とまかり通っているのである。このこと自体が、不正選挙の実在を明白に示しているではないか。
下の記事も、なかなか有益なことを書いてある。
さて、参院選までに何か不正選挙防止の対策が取られるかどうか。まあ、望み薄ではあるが、議員たちや立候補予定者の中から、不正選挙について声を上げる人が出てきてほしいものだ。たしか三宅洋平氏などは不正選挙の問題も取り上げていたのではなかったか。
少なくとも、「投票用紙の数え直し」は立候補者の当然の権利として要求でき、選管は(立候補者陣営の人間立ち会いの下で)それに従うことを義務付ける、と政府に確約させるまで行けば、大成功だろう。
(以下引用)
もう20年以上も前に、電子投票がいずれ用いられることになれば民主主義は終わりだ、と私はどこかに書いたのだが、当時私が考えていた形の電子投票は、投票自体が電子機器を操作して行う形式のものだった。たとえば、投票所の(あるいは家庭の)パソコン画面に立候補者氏名があって、その誰かのところをタッチするか、キーを押すかすれば、そこに1票が入る、というものだ。そうなれば、パソコン内部での操作など外部から改変できる(しかもブラックボックスである)のだから、Aという候補者に入れたつもりが、実はBに入る、ということは容易だろう、と考えたわけである。
現実は、もう少し原始的な部分、つまり「集計段階での電子化」で不正操作が行われていると推測されるのだが、どのような形であれ、電子選挙は簡単に不正ができることに間違いはない。だからこそ、手書き投票用紙を再検証することができない、という異常なことが堂々とまかり通っているのである。このこと自体が、不正選挙の実在を明白に示しているではないか。
下の記事も、なかなか有益なことを書いてある。
さて、参院選までに何か不正選挙防止の対策が取られるかどうか。まあ、望み薄ではあるが、議員たちや立候補予定者の中から、不正選挙について声を上げる人が出てきてほしいものだ。たしか三宅洋平氏などは不正選挙の問題も取り上げていたのではなかったか。
少なくとも、「投票用紙の数え直し」は立候補者の当然の権利として要求でき、選管は(立候補者陣営の人間立ち会いの下で)それに従うことを義務付ける、と政府に確約させるまで行けば、大成功だろう。
(以下引用)
<だれも知らない保守点検>
そして選挙の2週間前には、
保守委託点検契約を選管と結んでいる
選挙メーカーが、全国の選挙機器、
500票バーコード票とPC選挙ソフトの
不具合がないかどうかチェックしますよ
といって、全国を回るのだ。このときに
PC選挙ソフトに、参院候補者名やいろいろな仕様のソフトを
インストールさせているはずである。
しかしながら、この修正ソフトは、
コピーがとられていない。何がインストールされているのか
誰も知らないのである。
ちなみに米国の不正選挙の例では、
こういったときに(選挙直前の保守点検時に)
なぞのパッチインストール(修正ソフトのインストール)
を行っている。
不正選挙 亜紀書房に書かれている。
それでは日本ではどうかというと
まったく選挙メーカー側が何の保守点検をおこなっているのか
まったく選管職員は立ち会っていない。
それに仮に「修正ソフトのインストール」があった場合、
それは、無料で行われるため、まったく
請求書には項目掲載がされない。
その「パッチインストールのソースコードも提出せよ」とやらないといけない。
つまり、選挙機会の直前点検を選挙メーカーが行ったら、さらに
それを選管か市民団体がチェックしないといけないわけだ。
ソースコードも提出させないといけない。
なぜなら米国では不正選挙ではその手法がとられているからである。
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