「播州武侯祠遍照院」から転載。
実に素晴らしい記事で、ギリシャなどを初め、IMFやECBに金融支配されている国々はこのアイスランドの成功例をじっくりと考察し、参照すべきだろう。
EU諸国に限らない。金融による社会支配(経済だけではなく、政治全体の支配に及んでいる)に苦しんでいるのは、世界のほとんどの国がそうである。
金融は、もともと何も生み出さない。金利を取られる分、生産者も消費者も次第に困窮する。つまり、一部の金融業者の富裕と引き換えに、社会全体が困窮する。巨視的に見れば、そういうことなのである。
だが、金の無い人間は金を借りて商売を始めるしかないので、金融には常に需要がある。その中には無数の失敗者と、僅かな成功者が出てきて、その僅かな成功者が富のほとんどを独占する。(一つの商売では、少数の成功者のみが淘汰的に生き残るのが原則である。)商売と金融は資本主義ではセットになっているから、金融は「絶対不可欠な存在」と見られている。
これも「合成の誤謬」である。一部の富裕と引き換えに、社会全体の貧困化が起こるのだ。
アイスランドの成功は、「金融の支配を拒否する」ことによって実現したのではないか。下記記事だけでは詳しくは分からないが、大統領の言葉からはそれが伺える。これは未来の世界像を暗示する、好記事である。
(以下引用)
実に素晴らしい記事で、ギリシャなどを初め、IMFやECBに金融支配されている国々はこのアイスランドの成功例をじっくりと考察し、参照すべきだろう。
EU諸国に限らない。金融による社会支配(経済だけではなく、政治全体の支配に及んでいる)に苦しんでいるのは、世界のほとんどの国がそうである。
金融は、もともと何も生み出さない。金利を取られる分、生産者も消費者も次第に困窮する。つまり、一部の金融業者の富裕と引き換えに、社会全体が困窮する。巨視的に見れば、そういうことなのである。
だが、金の無い人間は金を借りて商売を始めるしかないので、金融には常に需要がある。その中には無数の失敗者と、僅かな成功者が出てきて、その僅かな成功者が富のほとんどを独占する。(一つの商売では、少数の成功者のみが淘汰的に生き残るのが原則である。)商売と金融は資本主義ではセットになっているから、金融は「絶対不可欠な存在」と見られている。
これも「合成の誤謬」である。一部の富裕と引き換えに、社会全体の貧困化が起こるのだ。
アイスランドの成功は、「金融の支配を拒否する」ことによって実現したのではないか。下記記事だけでは詳しくは分からないが、大統領の言葉からはそれが伺える。これは未来の世界像を暗示する、好記事である。
(以下引用)
アイスランドの英雄的勝利の軌跡。欧米という強盗とどう戦うのか。 渾沌堂
https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=93598
上記文抜粋
・・・・・・・・・・
画像の出典:
[グリムソン大統領]アイスランドはいかにしてマフィア銀行を打ち負かしたのか 前半
2008年の金融危機でアイスランドは、世界のお手本となるような道を歩み、現在も“地球の変革を助けるためにこのタイミングで地球人として転生に入った”グンラウグソン首相の指示のもと、“政府が民間銀行から通貨発行権を取り戻し国有の中央銀行(最終的には国会)に発行権を移す”という改革が進行中のようです。
今回の記事では、革命前の1996年から現在も大統領であり続けているグリムソン氏が、“アイスランドはいかにしてマフィア銀行を打ち負かしたのか”をテーマに語った貴重なインタビューを2回に分けて掲載します。
アイスランドにおいて大統領は“政治的な実権はなく、象徴的な地位を占めるに留まる”とありますが、銀行ではなく国民を救うというアイスランドの選択の背後には、“法案通過のためのサインを拒否して国民投票を行うように仕向けた”グリムソン大統領の功績も大きいのではないでしょうか。
ギリシャや現在の世界情勢を踏まえ、今一度アイスランドに学ぶ事は意義のあることだと思います。
(編集長)
転載元より抜粋) ブーゲンビリアのティータイム
1996年8月以来再選を重ねる、アイスランドの現職大統領
オラフル・ラグナル・グリムソン/Ólafur Ragnar Grímsson氏。
2011年12月11日、カナダのCBC放送が、グリムソン大統領に電話インタビューをした音声情報の翻訳を開始しました。
■アイスランドはいかにしてマフィア銀行を打ち負かしたのか
How Iceland defeated the Anglo-American Bankster Mafia
Bankster とは banker(銀行家)と gangster(ギャング)を組み合わせて作った比較的新しい造語。
顧客をだまして利益を挙げる強欲な銀行家を意味します。
アイスランド無血革命の本質は銀行改革。革命の前にも後にも大統領であり続けているグリムソン氏の肉声。超超超・貴重情報です!
0:00
2008年から2011年は北ヨーロッパの小さな国にとっては非常に苦しい3年間でしたが、アイスランドは劇的に復活しつつあります。
こんなに好転させることができるものでしょうか。失業率は他のヨーロッパ諸国がうらやむほどに下がり、投資も戻ってきており、今年度の経済成長率は3%になるだろうと推定されています。
このような劇的改善に用いられた処方箋とはいったいどのようなものだったのでしょうか。経済危機に瀕したときには、緊縮財政が敷かれて借金返済に追われるのが常ですが、アイスランドは真逆の方法を採用しました。
オラフル・グリムソン大統領に、アイスランド経済復活の秘密をおうかがいしましょう。レイキャビクの大統領執務室におられるグリムゾン大統領と電話がつながっています。
※以下、イ:インタビュアー 大:グリムソン大統領
イ:アイスランドを襲った経済危機は民主主義制度や社会システムさえをも破壊していきましたね。
大:まったく驚くべき経験でした。銀行倒産と経済危機はアイスランドの伝統的なシステムや社会的結束をことごとく破壊していきました。
寒さの厳しい真冬になってもデモは途切れることがなく議会や首相官邸前では暴動が起きていました。
特に2009年頃は、我々の経済システムがもたらした結果に対処する方法がないということよりも今までの政治システム・社会システム・民主主義システムのすべてが瓦解して元通りにはならないのではないかということが怖くてたまりませんでした。
イ:経済崩壊がそれまでの社会的結束をも崩壊させていったわけですね。実際、アイスランドでは何が起きていたのですか?
大:一言で説明するのは非常に困難ではありますが、そうですね、たとえばある夜、首相官邸を取り囲んだ群集は、首相官邸を警護している警察官たちに向けて投石を始めました。
ところがその群集の中から小さなグループが出てきて警察官たちをかばったのです。投げつけられた石は群集に向けて投げ返されました。デモに参加している市民同士で傷つけあうような結果になることを誰も予想だにしていませんでした。
3:50
イ:アイスランドでは、こんなこと(大規模デモや暴動)は起きたことがなかったのですね。
大:もちろんです。アイスランドの大統領として、他国の政界・財界のリーダーたちに何度も伝えているのですが、銀行など金融機関を国内外で営業している会社にはそれは大きな政治的、民主的、社会的責任が伴うということです。
金融機関の営業活動そのものが民主的な政治システムを破壊しうるのです。1980年代に主流だった考え方は、いわゆる市場原理主義、市場原理にまかせておけば政治的にも社会的にも全てがうまくいくというものでした。
しかしながら、アイスランドで我々が実際に経験したのは市場原理主義の考え方を否定するようなことばかりでした。
市場の崩壊によって、アイスランドの民主的政治システムまでもがことごとく破壊されてしまったのです。これには勉強させられました。アイスランドが行き着いた結果を省みることなしに市場の力を優先させるなんていうのは危険なことです。
経済だけでなく政治的にも民主主義的も危機に瀕していたアイスランドでは、この苦難を単なる経済問題として片付けるようなことはありませんでした。
それは賢明だったといえるでしょう。人々は、あらゆるものの本質的な問題に目を向けていくようになっていったのです。経済制度、政治制度、民主主義制度への異議申し立てでもありました。
これはアイスランドに限ったことではなく、ヨーロッパやアメリカ、イギリスにおいてさえも、現行システムへの異議申し立ては絶え間なくあるわけで、ごく最近になって、各国の首脳陣も、そうした異議申し立てが政治的にも民主主義的にも核心をついたものであることに気づき、正面から向き合うようになってきていると思います。
(続きはここから)
6:07
イ:大統領、アイスランドが経済危機から脱した方法についてお話いただけますか?経済危機に陥った国への処方箋としては、緊縮財政を敷き、国際的金融機関からの援助とりつけというのが王道なわけですが、それらはすべて拒否されたのでしょうか?実際のところ、アイスランドではどのような救済策がとられたのですか?
大:アイスランドでは、3年間にわたって異なる方向性を持つ救済策が試みられました。経済的救済策が施されたのはもちろんですが、政治的にも社会的にも色々な方法が推進されたほか、民主主義的なアプローチもありました。
改革のファーストステップは、既存の社会システムと政治システムを徹底的に見直すところから始まりました。
国として(経済恐慌を引き起こした)銀行や企業の失敗原因を追究する組織を立ち上げたり、あらゆる組織から独立した特別検察官を任命し、さらには憲法改正にも乗り出すなど、金融崩壊を受けて、あらゆる分野の既存システムの見直しが行われ、法制度改革が進められていきました。
改革のセカンドステップとして、金融経済改革が行われました。それは従来的なセオリーとは間逆の方法でした。
例えば民間銀行の倒産を防ぐために公的資金を注入したりはしませんでした。銀行といえども経営責任は民間銀行自身にあると判断しその存続は自由主義経済の成り行きにまかせました。
アイスランド通貨のクローナはプラチナ購買力では高水準を維持し(注:プラチナ購買力では高水準を維持 については精査必要)国家予算は最貧困層や、社会的困難に直面している人たちの保護にあてられました。
数年の間に様々な政策が実行されましたがそれらは、国家として輸出産業をバックアップするといったような従来的な経済改革の処方箋とはまったく異なるものでした。
アイスランドは経済回復に成功したためIMFは計画を打ち切り出国していくことになりました。
レイキャビクで執り行われたIMFとの送別会議ではIMFの指導者が次のように述べました。アイスランドとのやりとりはIMFにとっても関心のある本質的なことを学ぶプロセスであったと。
9:11
イ いやしかし、IMFはアイスランドを恫喝していましたよね。銀行を救済しないならば金輪際、融資を受けられなくなると。ヨーロッパの政治家も同じことを言っていたし、格付け会社も政府が銀行の不良債権を引き受けて首尾よく取り計らうことを要求していました。
大 確かにその通りですが、格付け会社についていえば、彼らには答えてもらわなければならないことが沢山あります。
2006年から2008年初頭にかけて我々が無策のままであったのは、一部の専門家が銀行制度について警鐘を鳴らしてはいたものの格付け会社スタンダード&プアーズやムーディーズ、フィッチらは皆そろってアイスランドの銀行は健全であると評価していたからです。優良だと格付けていたのです。
銀行が破綻する前の数年間、格付け会社の評価は間違いだらけだったというのに、そこを省みずに我々に要求だけはしてくるなんてその理由をきいてみたいものです。
経済回復に必要とされてきた伝統的手法は、アイスランドでは採用しなかったけれども今でもヨーロッパ諸国においては推奨されています。
改革のサードステップこそが、この国難に対するアイスランドならではの解決方法となりました。イギリスなどヨーロッパ諸国との間には大変な物議をかもし出しましたけれどもね。
アイスランドの民間銀行の海外支店があったイギリスなどの国では、アイスランド国民が民間銀行が抱えている負債を引き受けるべきだと主張していました。
私は、この問題はアイスランドの国民投票にかけるべきだという世論の高まりを受けて、国民投票を行うことを決断しました。民意は経済本位の市場原理よりも優先されるべきと思ったからです。
2010年の初めころは、国会においても国民投票に賛成する議員は少数派でした。ヨーロッパ各国の首脳陣も皆、国民投票なんて間違っている、実行するべきではないと申し入れてきました。市場原理は民意よりも優先されるべきだと皆が思っていました。
国民投票など行えば、アイスランド経済は更に悪化し、世界から完全に孤立するだろう、アイスランド発の玉突き事故になるだろうなどと予測されてもいました。
しかし実際のところ、アイスランドでは2度の国民投票を通して民意を確認しました。そしてわが国は経済危機を脱し、他のヨーロッパ諸国よりも早く、そして実質的な経済回復を遂げつつあります。
11:58
イ 2つの重要な要素があるようですね。その1つ、法案通過のためのサインを拒否して国民投票を行うように仕向けたのは大統領ご自身ですよね。
大 そうです。
イ イギリスのブラウン首相(2007-2010年)でさえ、国民投票など執り行ったら、イギリス国内にあるアイスランドの資産を凍結するぞと脅してきましたよね。ブラウン首相はレイキャビクを訪問しても歓迎されないでしょうねえ。
大 ははは、ゴードン・ブラウンはアイスランドの政治に色々と介入してきましたから、イギリスで忘れ去られた後でも、アイスランドでは忘れられることはないでしょうね。私たちがカナダとの数千年に及ぶ長い歴史を忘れてはいないように。
それはさておき、あなたのおっしゃるとおり、イギリスはとんでもない要求をアイスランドに突きつけてきました。NATOの創設メンバーでもあるアイスランドをアルカイダやタリバンと同列のテロリストだといわんばかりの扱いですよ。そしてアイスランドが破滅するような法律を制定させようと働きかけてきたのです。
私たちに何の断りもなく銀行に拠出したかと思えば、拠出した金額をアイスランドに請求してくるし、我々が支払い拒否をすると、今度はIMF理事会での地位を利用して、IMFの救済プログラムを妨害し始めるといった具合でね。
2009年を通してイギリスが債権国であることを盾にして我々に行った嫌がらせというのは本当に酷いものでした。
つづく
・・・・・・・
・・・・・・・
抜粋終わり
借金取りが「てめえの腎臓売れ!」と債務者にいうのは非道である。
アイスランドは敢然と拒否した。
市場の意思など、今の世の中では民意同様にねつ造も可能である。
ともわれ、日本の再生に大きなヒントになるアイスランドの事例。
お読みくださりありがとうございます。
上記文抜粋
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画像の出典:
[グリムソン大統領]アイスランドはいかにしてマフィア銀行を打ち負かしたのか 前半
2008年の金融危機でアイスランドは、世界のお手本となるような道を歩み、現在も“地球の変革を助けるためにこのタイミングで地球人として転生に入った”グンラウグソン首相の指示のもと、“政府が民間銀行から通貨発行権を取り戻し国有の中央銀行(最終的には国会)に発行権を移す”という改革が進行中のようです。
今回の記事では、革命前の1996年から現在も大統領であり続けているグリムソン氏が、“アイスランドはいかにしてマフィア銀行を打ち負かしたのか”をテーマに語った貴重なインタビューを2回に分けて掲載します。
アイスランドにおいて大統領は“政治的な実権はなく、象徴的な地位を占めるに留まる”とありますが、銀行ではなく国民を救うというアイスランドの選択の背後には、“法案通過のためのサインを拒否して国民投票を行うように仕向けた”グリムソン大統領の功績も大きいのではないでしょうか。
ギリシャや現在の世界情勢を踏まえ、今一度アイスランドに学ぶ事は意義のあることだと思います。
(編集長)
転載元より抜粋) ブーゲンビリアのティータイム
1996年8月以来再選を重ねる、アイスランドの現職大統領
オラフル・ラグナル・グリムソン/Ólafur Ragnar Grímsson氏。
2011年12月11日、カナダのCBC放送が、グリムソン大統領に電話インタビューをした音声情報の翻訳を開始しました。
■アイスランドはいかにしてマフィア銀行を打ち負かしたのか
How Iceland defeated the Anglo-American Bankster Mafia
Bankster とは banker(銀行家)と gangster(ギャング)を組み合わせて作った比較的新しい造語。
顧客をだまして利益を挙げる強欲な銀行家を意味します。
アイスランド無血革命の本質は銀行改革。革命の前にも後にも大統領であり続けているグリムソン氏の肉声。超超超・貴重情報です!
0:00
2008年から2011年は北ヨーロッパの小さな国にとっては非常に苦しい3年間でしたが、アイスランドは劇的に復活しつつあります。
こんなに好転させることができるものでしょうか。失業率は他のヨーロッパ諸国がうらやむほどに下がり、投資も戻ってきており、今年度の経済成長率は3%になるだろうと推定されています。
このような劇的改善に用いられた処方箋とはいったいどのようなものだったのでしょうか。経済危機に瀕したときには、緊縮財政が敷かれて借金返済に追われるのが常ですが、アイスランドは真逆の方法を採用しました。
オラフル・グリムソン大統領に、アイスランド経済復活の秘密をおうかがいしましょう。レイキャビクの大統領執務室におられるグリムゾン大統領と電話がつながっています。
※以下、イ:インタビュアー 大:グリムソン大統領
イ:アイスランドを襲った経済危機は民主主義制度や社会システムさえをも破壊していきましたね。
大:まったく驚くべき経験でした。銀行倒産と経済危機はアイスランドの伝統的なシステムや社会的結束をことごとく破壊していきました。
寒さの厳しい真冬になってもデモは途切れることがなく議会や首相官邸前では暴動が起きていました。
特に2009年頃は、我々の経済システムがもたらした結果に対処する方法がないということよりも今までの政治システム・社会システム・民主主義システムのすべてが瓦解して元通りにはならないのではないかということが怖くてたまりませんでした。
イ:経済崩壊がそれまでの社会的結束をも崩壊させていったわけですね。実際、アイスランドでは何が起きていたのですか?
大:一言で説明するのは非常に困難ではありますが、そうですね、たとえばある夜、首相官邸を取り囲んだ群集は、首相官邸を警護している警察官たちに向けて投石を始めました。
ところがその群集の中から小さなグループが出てきて警察官たちをかばったのです。投げつけられた石は群集に向けて投げ返されました。デモに参加している市民同士で傷つけあうような結果になることを誰も予想だにしていませんでした。
3:50
イ:アイスランドでは、こんなこと(大規模デモや暴動)は起きたことがなかったのですね。
大:もちろんです。アイスランドの大統領として、他国の政界・財界のリーダーたちに何度も伝えているのですが、銀行など金融機関を国内外で営業している会社にはそれは大きな政治的、民主的、社会的責任が伴うということです。
金融機関の営業活動そのものが民主的な政治システムを破壊しうるのです。1980年代に主流だった考え方は、いわゆる市場原理主義、市場原理にまかせておけば政治的にも社会的にも全てがうまくいくというものでした。
しかしながら、アイスランドで我々が実際に経験したのは市場原理主義の考え方を否定するようなことばかりでした。
市場の崩壊によって、アイスランドの民主的政治システムまでもがことごとく破壊されてしまったのです。これには勉強させられました。アイスランドが行き着いた結果を省みることなしに市場の力を優先させるなんていうのは危険なことです。
経済だけでなく政治的にも民主主義的も危機に瀕していたアイスランドでは、この苦難を単なる経済問題として片付けるようなことはありませんでした。
それは賢明だったといえるでしょう。人々は、あらゆるものの本質的な問題に目を向けていくようになっていったのです。経済制度、政治制度、民主主義制度への異議申し立てでもありました。
これはアイスランドに限ったことではなく、ヨーロッパやアメリカ、イギリスにおいてさえも、現行システムへの異議申し立ては絶え間なくあるわけで、ごく最近になって、各国の首脳陣も、そうした異議申し立てが政治的にも民主主義的にも核心をついたものであることに気づき、正面から向き合うようになってきていると思います。
(続きはここから)
6:07
イ:大統領、アイスランドが経済危機から脱した方法についてお話いただけますか?経済危機に陥った国への処方箋としては、緊縮財政を敷き、国際的金融機関からの援助とりつけというのが王道なわけですが、それらはすべて拒否されたのでしょうか?実際のところ、アイスランドではどのような救済策がとられたのですか?
大:アイスランドでは、3年間にわたって異なる方向性を持つ救済策が試みられました。経済的救済策が施されたのはもちろんですが、政治的にも社会的にも色々な方法が推進されたほか、民主主義的なアプローチもありました。
改革のファーストステップは、既存の社会システムと政治システムを徹底的に見直すところから始まりました。
国として(経済恐慌を引き起こした)銀行や企業の失敗原因を追究する組織を立ち上げたり、あらゆる組織から独立した特別検察官を任命し、さらには憲法改正にも乗り出すなど、金融崩壊を受けて、あらゆる分野の既存システムの見直しが行われ、法制度改革が進められていきました。
改革のセカンドステップとして、金融経済改革が行われました。それは従来的なセオリーとは間逆の方法でした。
例えば民間銀行の倒産を防ぐために公的資金を注入したりはしませんでした。銀行といえども経営責任は民間銀行自身にあると判断しその存続は自由主義経済の成り行きにまかせました。
アイスランド通貨のクローナはプラチナ購買力では高水準を維持し(注:プラチナ購買力では高水準を維持 については精査必要)国家予算は最貧困層や、社会的困難に直面している人たちの保護にあてられました。
数年の間に様々な政策が実行されましたがそれらは、国家として輸出産業をバックアップするといったような従来的な経済改革の処方箋とはまったく異なるものでした。
アイスランドは経済回復に成功したためIMFは計画を打ち切り出国していくことになりました。
レイキャビクで執り行われたIMFとの送別会議ではIMFの指導者が次のように述べました。アイスランドとのやりとりはIMFにとっても関心のある本質的なことを学ぶプロセスであったと。
9:11
イ いやしかし、IMFはアイスランドを恫喝していましたよね。銀行を救済しないならば金輪際、融資を受けられなくなると。ヨーロッパの政治家も同じことを言っていたし、格付け会社も政府が銀行の不良債権を引き受けて首尾よく取り計らうことを要求していました。
大 確かにその通りですが、格付け会社についていえば、彼らには答えてもらわなければならないことが沢山あります。
2006年から2008年初頭にかけて我々が無策のままであったのは、一部の専門家が銀行制度について警鐘を鳴らしてはいたものの格付け会社スタンダード&プアーズやムーディーズ、フィッチらは皆そろってアイスランドの銀行は健全であると評価していたからです。優良だと格付けていたのです。
銀行が破綻する前の数年間、格付け会社の評価は間違いだらけだったというのに、そこを省みずに我々に要求だけはしてくるなんてその理由をきいてみたいものです。
経済回復に必要とされてきた伝統的手法は、アイスランドでは採用しなかったけれども今でもヨーロッパ諸国においては推奨されています。
改革のサードステップこそが、この国難に対するアイスランドならではの解決方法となりました。イギリスなどヨーロッパ諸国との間には大変な物議をかもし出しましたけれどもね。
アイスランドの民間銀行の海外支店があったイギリスなどの国では、アイスランド国民が民間銀行が抱えている負債を引き受けるべきだと主張していました。
私は、この問題はアイスランドの国民投票にかけるべきだという世論の高まりを受けて、国民投票を行うことを決断しました。民意は経済本位の市場原理よりも優先されるべきと思ったからです。
2010年の初めころは、国会においても国民投票に賛成する議員は少数派でした。ヨーロッパ各国の首脳陣も皆、国民投票なんて間違っている、実行するべきではないと申し入れてきました。市場原理は民意よりも優先されるべきだと皆が思っていました。
国民投票など行えば、アイスランド経済は更に悪化し、世界から完全に孤立するだろう、アイスランド発の玉突き事故になるだろうなどと予測されてもいました。
しかし実際のところ、アイスランドでは2度の国民投票を通して民意を確認しました。そしてわが国は経済危機を脱し、他のヨーロッパ諸国よりも早く、そして実質的な経済回復を遂げつつあります。
11:58
イ 2つの重要な要素があるようですね。その1つ、法案通過のためのサインを拒否して国民投票を行うように仕向けたのは大統領ご自身ですよね。
大 そうです。
イ イギリスのブラウン首相(2007-2010年)でさえ、国民投票など執り行ったら、イギリス国内にあるアイスランドの資産を凍結するぞと脅してきましたよね。ブラウン首相はレイキャビクを訪問しても歓迎されないでしょうねえ。
大 ははは、ゴードン・ブラウンはアイスランドの政治に色々と介入してきましたから、イギリスで忘れ去られた後でも、アイスランドでは忘れられることはないでしょうね。私たちがカナダとの数千年に及ぶ長い歴史を忘れてはいないように。
それはさておき、あなたのおっしゃるとおり、イギリスはとんでもない要求をアイスランドに突きつけてきました。NATOの創設メンバーでもあるアイスランドをアルカイダやタリバンと同列のテロリストだといわんばかりの扱いですよ。そしてアイスランドが破滅するような法律を制定させようと働きかけてきたのです。
私たちに何の断りもなく銀行に拠出したかと思えば、拠出した金額をアイスランドに請求してくるし、我々が支払い拒否をすると、今度はIMF理事会での地位を利用して、IMFの救済プログラムを妨害し始めるといった具合でね。
2009年を通してイギリスが債権国であることを盾にして我々に行った嫌がらせというのは本当に酷いものでした。
つづく
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抜粋終わり
借金取りが「てめえの腎臓売れ!」と債務者にいうのは非道である。
アイスランドは敢然と拒否した。
市場の意思など、今の世の中では民意同様にねつ造も可能である。
ともわれ、日本の再生に大きなヒントになるアイスランドの事例。
お読みくださりありがとうございます。
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