今日は寝ざめが悪く、気力が無いので、「独りファシズム」からの引用で私の考えの代用とさせてもらう。
私が他人の文章を引用するのは、その8割は私の考えを私より上手に書いているからだが、残り2割は資料的保存のためと、反対意見を参考にするためである。人格的には嫌いな人間のブログでも、有益な情報の多いブログには、私はよく訪れるし、参考にさせてもらっている。その点、現実社会の人間関係とは違って、相手に合わせて会話をするというストレスはない。私のブログが最初からコメントやトラックバックを無視した作りになっているのも、そういうストレスを避けるためである。私は自分の知りたいことを知ればそれでいいし、他人が私のブログを読んで興味を持ってくれるなら、それは嬉しいが、反論などべつに聞きたくはない。褒め言葉は好きだがけなされるのは嫌いなのである。(笑)まあ、誰でもそうだろうが、世の中にはいちいち自分の文章へのコメントを読んでストレスを溜め込む人も多いようだ。べつに社会的重要人物でもない自分の言葉にいちいち責任を感じる必要などないと私などは思うのだが、世の中には真面目すぎる人が多いようである。
で、上に書いた「批判されるのが嫌い」と矛盾することを以下に書く。(最後の段落だ)自分で矛盾だとわかっていればそれでいいのである。
「自分で納得してやったことはすべて正しい」(オスカー・ワイルド)[追記:どうでもいいようなことだが、こんな引用など私がおぼつかない記憶で確かめもせずに書いているのだから、信用して孫引きしてはいけない。これはよく考えたら「意識してなされたことはすべて正しい」という文だったように思う。たぶん『ドリアン・グレイの肖像』にあったかと思うが、それも定かではない。下の引用文も「後になって我々が~」というのが最初の部分だった気がする。4.19]
「それが行われた後で我々がけっして後悔しないのは、我々の為した愚行のみである」(同)というわけで、矛盾など気にすることはない。
下記記事にある日本人の洗脳されやすい国民性は、日本の庶民生活における「社会的議論の欠如」「政治的議論の欠如」から来るものだと私は思っている。
ずっと前に書いた、『小公子』の中に出てくる、雑貨屋の無学な親爺と10歳くらいの子供が政治について大真面目で議論する、そういう社会が私の理想とする社会なのである。
(以下引用)
アドルフ・ヒットラーの回顧録「わが闘争」には、以下の文言が綴られています。
「大衆の圧倒的多数は冷静な熟慮でなく、むしろ感情的な感覚で考えや行動を決めるという女性的な素質と態度の持ち主である。だが、この感情は複雑なものではなく、非常に単純で閉鎖的である。大衆の受容能力はきわめて狭量であり、理解力は小さい代わりに忘却力は大きい。この事実からすれば全ての効果的な宣伝は、要点をできるだけしぼり、それをスローガンのように継続しなければならない。偉大な理論家が偉大な指導者であることは稀で、むしろ扇動者の方が指導者に向いているだろう。指導者であるということは大衆を動かしうるということだからである。」
イデオロギーにかかわらずプロパガンダをスキームとする国家の統治理論は、結局このような悪魔的啓蒙思想の近代解釈にすぎません。日本史上最悪のデマゴーグ・小泉純一郎政権下において電通が提言したB層をセグメント化する扇動政策も、ナチズムそのものに由来するわけです。しかしながらこれら一切を勘案しても、日本人ほど個々の自律思考と国家のペルソナを喪失した民族というのは世界的にも極めて稀有です。
原発が膨大な放射性物質を吐き散らかす地域に妊婦や子供を放置し今なお被爆させ、またこれに対しなんらの抗議行動も起こすことなく粛々と日常に勤しみ、破滅的状態にありながら低俗なバラエティやスポーツ番組に興じる様、その過度な従順性と思考性の欠如は海外からみればあまりにも異様であり、どうにも理解し難く、‘わけのわからない連中’なわけです。これがEU諸国ならとっくに数十万人が中央庁舎を取り囲み、暴徒化した市民が焼討騒ぎをおこす擾乱になっているでしょ。つまり我々の国是とは衆愚政治に他ならず、国家の本質とは畜群道徳が貫徹した究極の洗脳社会であるということです。
チェルノブイリと同レベルの事故との公式見解が出ましたが、これの意味するところは今後1000万人以上が被爆し100万人以上が癌や白血病で死に、奇形児や先天性異常児の出産が確実に激増するということです。ましてや福島原発は10倍以上の核燃料が装填され、半径300キロ地域には4000万人以上が居住しているわけですから、緩慢ながらもこのペースで放射性物質が放出し、さらにMOXが飛散すれば被害は甚大すぎ予測すらできません。惨劇はまだ始まりにも至っておらず、阿鼻叫喚が巷に溢れかえるのは4、5年先からのことでしょ。知的怠惰と集団思考に慣れ親しんだ民族の末路であり、国家とはこのように崩壊し、文明とはこのように終焉していくものかもしれません。
私が他人の文章を引用するのは、その8割は私の考えを私より上手に書いているからだが、残り2割は資料的保存のためと、反対意見を参考にするためである。人格的には嫌いな人間のブログでも、有益な情報の多いブログには、私はよく訪れるし、参考にさせてもらっている。その点、現実社会の人間関係とは違って、相手に合わせて会話をするというストレスはない。私のブログが最初からコメントやトラックバックを無視した作りになっているのも、そういうストレスを避けるためである。私は自分の知りたいことを知ればそれでいいし、他人が私のブログを読んで興味を持ってくれるなら、それは嬉しいが、反論などべつに聞きたくはない。褒め言葉は好きだがけなされるのは嫌いなのである。(笑)まあ、誰でもそうだろうが、世の中にはいちいち自分の文章へのコメントを読んでストレスを溜め込む人も多いようだ。べつに社会的重要人物でもない自分の言葉にいちいち責任を感じる必要などないと私などは思うのだが、世の中には真面目すぎる人が多いようである。
で、上に書いた「批判されるのが嫌い」と矛盾することを以下に書く。(最後の段落だ)自分で矛盾だとわかっていればそれでいいのである。
「自分で納得してやったことはすべて正しい」(オスカー・ワイルド)[追記:どうでもいいようなことだが、こんな引用など私がおぼつかない記憶で確かめもせずに書いているのだから、信用して孫引きしてはいけない。これはよく考えたら「意識してなされたことはすべて正しい」という文だったように思う。たぶん『ドリアン・グレイの肖像』にあったかと思うが、それも定かではない。下の引用文も「後になって我々が~」というのが最初の部分だった気がする。4.19]
「それが行われた後で我々がけっして後悔しないのは、我々の為した愚行のみである」(同)というわけで、矛盾など気にすることはない。
下記記事にある日本人の洗脳されやすい国民性は、日本の庶民生活における「社会的議論の欠如」「政治的議論の欠如」から来るものだと私は思っている。
ずっと前に書いた、『小公子』の中に出てくる、雑貨屋の無学な親爺と10歳くらいの子供が政治について大真面目で議論する、そういう社会が私の理想とする社会なのである。
(以下引用)
アドルフ・ヒットラーの回顧録「わが闘争」には、以下の文言が綴られています。
「大衆の圧倒的多数は冷静な熟慮でなく、むしろ感情的な感覚で考えや行動を決めるという女性的な素質と態度の持ち主である。だが、この感情は複雑なものではなく、非常に単純で閉鎖的である。大衆の受容能力はきわめて狭量であり、理解力は小さい代わりに忘却力は大きい。この事実からすれば全ての効果的な宣伝は、要点をできるだけしぼり、それをスローガンのように継続しなければならない。偉大な理論家が偉大な指導者であることは稀で、むしろ扇動者の方が指導者に向いているだろう。指導者であるということは大衆を動かしうるということだからである。」
イデオロギーにかかわらずプロパガンダをスキームとする国家の統治理論は、結局このような悪魔的啓蒙思想の近代解釈にすぎません。日本史上最悪のデマゴーグ・小泉純一郎政権下において電通が提言したB層をセグメント化する扇動政策も、ナチズムそのものに由来するわけです。しかしながらこれら一切を勘案しても、日本人ほど個々の自律思考と国家のペルソナを喪失した民族というのは世界的にも極めて稀有です。
原発が膨大な放射性物質を吐き散らかす地域に妊婦や子供を放置し今なお被爆させ、またこれに対しなんらの抗議行動も起こすことなく粛々と日常に勤しみ、破滅的状態にありながら低俗なバラエティやスポーツ番組に興じる様、その過度な従順性と思考性の欠如は海外からみればあまりにも異様であり、どうにも理解し難く、‘わけのわからない連中’なわけです。これがEU諸国ならとっくに数十万人が中央庁舎を取り囲み、暴徒化した市民が焼討騒ぎをおこす擾乱になっているでしょ。つまり我々の国是とは衆愚政治に他ならず、国家の本質とは畜群道徳が貫徹した究極の洗脳社会であるということです。
チェルノブイリと同レベルの事故との公式見解が出ましたが、これの意味するところは今後1000万人以上が被爆し100万人以上が癌や白血病で死に、奇形児や先天性異常児の出産が確実に激増するということです。ましてや福島原発は10倍以上の核燃料が装填され、半径300キロ地域には4000万人以上が居住しているわけですから、緩慢ながらもこのペースで放射性物質が放出し、さらにMOXが飛散すれば被害は甚大すぎ予測すらできません。惨劇はまだ始まりにも至っておらず、阿鼻叫喚が巷に溢れかえるのは4、5年先からのことでしょ。知的怠惰と集団思考に慣れ親しんだ民族の末路であり、国家とはこのように崩壊し、文明とはこのように終焉していくものかもしれません。
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