「ギャラリー酔いどれ」から転載。
こういう政治関係の本は、売るに際しては鮮度が重視されるから、鳩山友紀夫氏のような、マスコミ的にはオワコンと思われている人物の鼎談が出版されること自体が貴重である。そしてその内容は素晴らしいのだが、はたして本屋の棚に並んでいるだろうか。私は、並んでいない可能性が高いと見ている。
こうして、ネット上に、重要な情報の詰まった書物の一部を転載してくれることは、書物の宣伝にもなり、世人の啓蒙にも役立つのだから、大いにやってほしいと思う。著作権がどうこうなど、くだらない話である。
(以下引用)
読ませる特集です、
◆http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-46a8.html
zeraniumの掲示板 2016年11月14日 (月)
◎この国を没落へと後押ししているのはメディアだ ⑪
白井:私が日本の「永続敗戦レジーム(体制)」と言っているものは、
冷戦構造が崩壊したと同時にすでに耐用年数が過ぎており、
それを未だに25年以上にわたって無理やり持たせているのです。
ですがこれは柱のない家なので、私が批判しようがしまいがいつか崩れる。
問題はそれがハードランディング
(急激な変化で状態を悪化させながら移行する)、あるいは
ソフトランディング(急激な不況など招かず徐々に移行する)のか
ということです。
つまり内側から変えていかねばならないという意志が高まりを見せ、
柔軟にしかるべき形へと転換するか、それができなければ
外的強制力によって崩壊させられるということです。
それが対外戦争なのか、あるいは財政危機による
ハイパーインフレーションや預金封鎖のような類いのことなのか、
あるいはその両方かもしれず、いずれにしても
破局とともに崩壊するという形で終わるというものです。
私としては出来る限りソフトランディングしてほしいと思っており、
いろいろな分析や意見を表明してきましたが、
ですがさまざまなところで次々に破綻してきているにもかかわらず、
相変わらず安倍政権が存続する状況が続いているので、
これはもうハードランディングにならざるを得ない状況が
近づいてきています。つまり、
もう一度、落ちるところまで落ちるしかないのかもしれない。
☆福島原発事故を忘れさせるために東京オリンピックを開催する「狂気」!
たとえばその一つの表われが、2020年の東京オリンピックです。
これはもう開催できるかどうかさえ、だいぶ怪しくなって来ています。
新国立の問題もコンペのやり直しで一件落着のように見えますが、
とんでもない話で、ザハ・ハディド事務所は
知的所有権の侵害で徹底的に法廷闘争をやってくるでしょうから、
今後もこの競技場の問題を巡っては恥の上塗りをやることになるでしょう。
また海外で報じているところによると、
2020年のオリンピック開催地争いで終盤、トルコのイスタンブールと
東京がマッチレースになった時、東京が裏金を使ったと言われている。
IOCなんてしょせん、そういう組織だといえばそれまでですが、
そのような流れもあって、いよいよ東京開催は危機的だと私は思っています。
しかしこのような状況になぜ至るのかといえば、それも当たり前なのです。
もともと、なぜ東京でオリンピックをやらなければならなかったのか。
それは端的に言うと、福島原発事故を忘れるためなのです。
あんな大変な事故が起こってしまって、どうしたらいいかわからないのです。
しかも未だに終息してはおらず、根本的にはどうしたらいいかわからない状況
が今も続いており、どう対応すべきかという問いに対して出した答えが、
「東京オリンピックをやればいいのだ」という答えなのです。
この倫理変換というものは、実にもう完全に頭がおかしいとしか言いようがない
ものです。ある種、狂人の倫理です。
こういう状態に日本人の多くがいるという現実を見ると、これはもう、
行くところまで行くしかないのではないかと思います。
それはある種の「ハードランディング」
(急激な変化で状態を悪化させながらの移行)です。
私は今、その後を考える必要が、そろそろ出てきているのではないか
と思っています。これが今、私が持っているこの国に対する展望です。
鳩山:今、白井さんのお話を聞きながら思い出したことがあります。
それは私が退陣した後、菅(直人)総理が突然、
消費税増税を言い出したことがありました。
私が退陣する前から彼は何度も私のところにやって来て言うには、
普天間問題は大変だ。でも普天間を(国民に)忘れさせるためには
もっと大きな問題を言い出せばいい。それが消費税増税だと。
そうすれば(国民は)普天間を忘れられるからと。
しかしそんなことはできないと、終始、私は承知しなかったのですが、
彼は総理になったとたんに、本当にそれをやってしまった。
結果として確かに、菅総理の時には普天間の話は消えたのですが、
消費増税という大きな問題が表面化して選挙には大敗しました。
この論理とオリンピック招致の論理は似ています。
まさに福島を忘れるために東京オリンピックを開催しよう
として進めているので、私は今、元スイス大使の村田光平さんの、
東京オリンピックを何とか今のうちに名誉ある撤退ができないだろうか、
という考え方に共鳴しています。
福島原発は未だ落ち着いたわけではなく、何が起きるかわからない状況です。
水棺方式は破綻しており、放射性物質は相変わらず
海に、空に、陸に、地下水に流され続けています。
これから甲状腺がんがもっと増える現実があるので、
こういう日本に本当にアスリートを送り出してもいいのか、
あるいは見に行けるのかという気持ちに、
あと数年で必ずなっていくと思われます。そうであれば、
どうせ最後はやめなければならないのであれば、
今のうちに名誉ある撤退をするべきではないか
という考え方に私は同意するものです。
☆この国を没落へと後押ししているのが「メディア」だ
(略)アベノミクスもうまくいかなくなってきた。
それはもう崩壊し始めている。
だが崩壊し始めているという現実を、メディアが
官邸を気にして報道していないということが、
問題をさらに深刻化させているように思います。
私が述べたいことの一つは、メディアがこの国を没落させる、
よりひどい状況に追い込む非常に大きな役割を担ってしまっている
ということです。本来ならば白井さんや木村さんのような、
この国を憂える思想をもっと国民に知らせ、
人々を啓蒙させる役割のはずなのです。
もちろん、いくつかの正しい見識を持ったメディアもあり、
たとえば東京新聞のようなところもありますが、
ほとんどのメディアは官邸の言いなりというありさまにあり、
これが日本をネガティブな方向にさらに加速させる結果となっている。
そうした現実を見る時、白井さんの言うように
落ちるところまで落ちる、
すなわちハードランディングしかないのかもしれない。
だが崖から落ちてもメディアは落ちたとは言わないのかもしれない。
そこまで追い込まれない限り、国民自身は目覚めないのかもしれない。
たとえば、もし国民のすべてが白井さんの書かれた
『「戦後」の墓碑銘』(金曜日)を読むならば、
すべての人がこれは大変だということに気づくはずです。(略)
白井:(略)小泉さんはごく単純に、
アメリカについて行けば絶対日本は栄えると、本気で信じている人で、
その意味で屈託がない。安倍さんはちょっと違い、
それは屈折したナショナリズムであり、
そこに彼自身の(コンプレックスという)屈折が重なって
非常に歪んだ政策に帰結している。
しかもそれが今の日本人の精神状態とシンクロしている。
だからある意味、安倍さんは国民から支持されているのかもしれない。
少なくともあるクラスター(集団)からの支持を受けている。
当然、あんなのはイヤだと思っている人も多いのですが、ただ、
ではその時に何か別の選択肢があるのかというと、これが難しいのです。
そのような状況に、今あるのだと思われる。
それでは今、私たちがやらなければならないことは何かと言えば、
鳩山さんが言われたとおりで、いかにそういう陣形をつくっていくか
ということに尽きるわけで、結局、では誰がやるのかという問題です。
鳩山:人材なんです。白井さん、立ち上がらないと(笑)。
いや、まさに人材だと思うのです。
木村:現職で際立った活躍をされているのは、山本太郎議員ですね。
そして私が今最も期待しているのが、
細川―鳩山ラインにつながる川内博史さんです。
川内さんには何としても国政にカムバックしてもらわないと。
鳩山:これまでこういう人材が、日本の政治では常に主流から外される
という運命にありましたが、そういう人間こそが
ど真ん中に入って行けるような政治に変えていかなければいけない。
やはり政治家を経験している人間は、すでに国民から
いろんな意味でレッテルを貼られているので、
なかなか新たな視線で見てはくれないという状況がある。
ですがどこの党とも迎合しない、きちっとしたメッセージを持った
政治の流れを作る場合は、鮮度が大事だと思う。
だから既存の政治家、レッテルを貼られてしまっている政治家が、
あまり表に出過ぎないほうがいいと思っています。(略)
木村:最後に、このまま2020年まで安倍政権が続いて、
安倍首相のもとでオリンピックを開催するというのはまさに悪夢でしかない。
今の日本は民主主義からファシズム、平和国家から戦争国家へと
向かいつつあるので、アジア、朝鮮半島あるいは沖縄が戦場になる
ような地獄絵図を再び繰り返してはならないと強く思います。
そうした中で、先ほど鳩山さんが言われたように、
日本のこの状況を深刻化させている原因の一つとして、
メディアの劣化という問題がある。
そして司法の暴走という問題も重要です。
この二つによって、不当な弾圧が行なわれているという問題の深刻性を、
多くの国民に一刻も早く気づいてもらいたいところです。
『誰がこの国を動かしているのか』
木村 朗・白井 聡・鳩山友紀夫 詩想社 新書12
抜粋
◆http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-0109.html
zeraniumの掲示板 2016年11月16日 (水)
◎敗戦の原因と結果を 未だ理解せず直視できていない日本国民 ⑫
白井:私が『永続敗戦論』を書き、戦後日本とは何であったのかについて、
自分なりに本質を衝いたと思われる見解に到達した最初のきっかけは、
2010年の鳩山退陣劇であり、そこで起きたことの本質をよく考えることだった。
(略)「何かがおかしい。歯車が狂っている」と感じながら、
何がおかしいのかつかめず、靄(もや)の中にいるような気持ちが
していた当時の状況を思い出す。
その後の菅政権の財務省へのすり寄り、
民主党政権のマニフェストの実質的放棄、などの過程を目の当たりにし、
その上であの退陣劇の本質を考察することで、
私は「永続敗戦」の概念へと近づくことになった。
要するに政権交代など、この国ではできないと
端から決まっているのではないか。
だとすれば、戦後民主主義とは何なのか。
民主主義はどこにあるというのか。
いったい何が戦後民主主義に対する決定的な制約になっているのか
をよく考えたとき、鳩山退陣劇の本質が見えてきた。
その制約とは、つまるところアメリカであり、
日本の政官財学メディア(政治・官僚・財界・学会・放送)の中枢を
占拠する勢力の対米従属である。
「(沖縄普天間基地の移設先を)最低でも県外にする」
という日本国民との約束を果たすために、
「辺野古に新基地をつくる」という日米間の合意を無効にしようとした
日本の首相は、アメリカの手によって間接的にクビにされたに等しい、
と私は『永続敗戦論』(金曜日)に書いておいた。
そしてこのように、日本が主権を制約されていることが
認識されているならば、まだ状況はマシである。
あの退陣劇が異様だったのは、大メディアのうち、
そうした主権の制約の事実、言い換えれば「われわれは負けた」
(つまり戦争でアメリカに負けたので基地ができてこうなっている)
という事実に触れるものは一つもなく、
すべてのメディアが鳩山由紀夫という政治家個人の資質に対する批判を
喚き立てたことである。
これはいったい何だったのか。
「最低でも県外」の方針の挫折が、よく考えれば、
鳩山氏本人の政治的手法云々という次元にとどまらない問題である
ことに気づき、そしてそのことを誰も言わずに、
ただメディアが総がかりで個人攻撃に血道をあげている
ことの異常さに気づいたとき、私のなかで、
退陣のニュースを聞いたときにあった靄(もや)が晴れたのであった。
☆敗者の隷従意識を個人攻撃にすり替えて「憂さ晴らし」する日本国民とマスコミ
要するに「個人攻撃のおしゃべり」に耽(ふけ)ることは、
「負けた」という憂鬱な事実を見ないで済ませるための
(すり替えの)手段だったのだ。
さらにそれがよく表れているのが、1945年8月15日を日本国民が、
(敗戦記念日ではなく)「終戦の日」と呼んでいることであり、
その精神的習性と全く同じものである。
そこには「敗北の否認」が共通して横たわっている。
だが、『永続敗戦論』の刊行後明らかになったのは、
あの退陣劇の過程は、「アメリカが間接的に日本の首相をクビにした」
というものですらなかった、という事実である。
本書109~111ページで詳細に語られているように、
鳩山氏を引きずり降ろしたのは、実はアメリカではなく、
アメリカの意を忖度(そんたく・押しはかり)、
同時にアメリカの意を「虎の威を借る狐」式に振りかざす
「日本の」官僚と政治家であった。
彼らは「敗北の否認」を、考え得る限り最も洗練された形でやって見せた。
なぜなら「最低でも県外」という日本国民の主権的意思と
アメリカの国家意思が明白に衝突することを(最初から)避け、
敗北する前に、そもそも衝突しなければ敗北もあり得ない、
という状況を作り出すことによって、
敗北をあらかじめ消去して見せたのである。
しかし、もちろんこれは誤魔化しているに過ぎない。
それはたとえれば彼らのやっていることは、
投げ飛ばされて負けないために、土俵に上がるのをやめて
不戦敗になる力士と何も変わらないからだ。
私の「敗北の否認」という概念に基づく分析は、
当たっていたと同時に、現実はさらに輪をかけて酷いものであった。
あの退陣劇以来、鳩山首相は主流派メディアからさんざんに叩かれてきた。
その理由は明らかだ。なぜなら鳩山氏こそがあの退陣劇を通じて
「永続敗戦」状態を表面化させた張本人であるからだ。
しかも、永続敗戦レジーム(体制)を恒久化させることによって
自己の地位を確保している人々、言い換えれば
「敗北の否認」を生業(なりわい)としている人々にとって
不愉快なことには、現在の鳩山氏は
自らが喫した敗北と失敗を直視している。
つまり、この姿勢によって、鳩山氏の存在そのものが、
対米従属利権共同体(大メディアはその一角)に巣くう人々の
欺瞞性が明らかとなり、それに対する静かな、
しかし痛烈な批判となっているからだ。
本書に見られる通り、この未だに続く(戦争)敗北と失敗を
詳細に分析するところからしか、
(戦後以来の)永続敗戦レジーム(体制)が未だに維持され続けている理由と、
それを消滅させる手立ては決して見つからない。
鳩山氏の経験に学ぶことは、まさに
(未だに戦争敗北の否認という精神的習性の中にある)国民の課題である。
木村:本書には今の日本が置かれている現状と、日本を取り巻く国際環境、
タブー視されがちな話題やテーマも、臆せず取り上げて語られた内容が
そのまま盛り込まれています。(略)
なぜマスコミが鳩山氏の言動を取り上げては、
あれほど揶揄する必要があったかという理由も、
本書の通読で理解できると思われます。
ここでいま言えることは、鳩山氏の存在と勇気ある言動が、
日米のある既得権益層にとっては極めて不都合なものであり、
それを恐れているのでマスコミを使ってバッシングの対象となっている
ということです。
それは劣化した日本のマスコミの実情を示しているだけでなく、
権力とメディアが一体化して行なう情報操作に、
容易に騙されてしまう多くの情報弱者の存在の姿を
浮き彫りにしていると思います。(略)
現在の日本は、民主主義からファシズムへの移行、
平和国家から戦争国家への転換という大きな岐路に立たされています。
それはまさに戦後最大の危機のただなかにあると言えるものです。
2012年末に再登場した安倍政権は、
明らかに前回の第一次安倍政権以上に強権的であり
(教育基本法の改悪、防衛省の設置)、
日本を戦前回帰のファシズム国家に向かわせようとしていることが明らかです。
そのことは憲法違反の秘密保護法制・安保法制や
沖縄の民意を無視した辺野古新基地建設強行、
秘密だらけのTPP交渉、
安全を無視した原発の再稼働・輸出、
一般国民を苦しめる消費税増税などの姿勢を見ればよくわかります。
特に深刻なのは、政府・官邸による恐るべき言論統制と情報操作であり、
その結果、マスコミの自主規制と世論の萎縮、
集団同調圧力の高まりと、
一般市民の沈黙・無関心・思考停止が急速に広がっていることです。
「国境なき記者団」の世界報道自由度ランキングでは、
民主党政権時の11位(2010年)からその後22位、53位、59位、61位(2015年)、
72位(2016年)と毎年下がり続けているのもその反映です。
2016年4月に訪日した「表現の自由」に関する国連特別報告者である
デービッド・ケイ氏(米国)は、日本の報道の独立性は重大な脅威に直面している」、
「特定秘密保護法や『中立性』『公平性』を求める政府の圧力が、
メディアの自己検閲を生み出している」と発言しています。
「戦争は秘密から始まる」ともいわれるように、
いまの日本は戦前の日本に逆行するかのような安倍政権下でまぎれもなく、
いつか来た道を再び歩もうとしています。
東アジア地域、とりわけ朝鮮半島や沖縄を
再び戦火にさらすような地獄絵図・悪夢を招来するようなことは
あってはならないことです。
☆日本人は属国意識・奴隷根性を克服しなければならない
いまの沖縄は、辺野古新基地建設を目指す日米両政府による、
あまりにも理不尽な巨大な権力行使に直面しています。
もしこのまま新基地建設が強行されるならば、
沖縄の独立の動きが本格化する可能性は大きい。
その時に東アジア共同体構想は、そうした沖縄と日本本土との
緊張関係を打開する鍵となるかもしれない。
この沖縄問題を本当に解決するには、日米安保体制の本質である
「自発的な従属同盟」から脱却して、
日本人の中に深く浸透している属国意識・奴隷根性を克服する必要があります。
『誰がこの国を動かしているのか』
木村 朗・白井 聡・鳩山友紀夫 詩想社 新書12
抜粋
こういう政治関係の本は、売るに際しては鮮度が重視されるから、鳩山友紀夫氏のような、マスコミ的にはオワコンと思われている人物の鼎談が出版されること自体が貴重である。そしてその内容は素晴らしいのだが、はたして本屋の棚に並んでいるだろうか。私は、並んでいない可能性が高いと見ている。
こうして、ネット上に、重要な情報の詰まった書物の一部を転載してくれることは、書物の宣伝にもなり、世人の啓蒙にも役立つのだから、大いにやってほしいと思う。著作権がどうこうなど、くだらない話である。
(以下引用)
読ませる特集です、
◆http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-46a8.html
zeraniumの掲示板 2016年11月14日 (月)
◎この国を没落へと後押ししているのはメディアだ ⑪
白井:私が日本の「永続敗戦レジーム(体制)」と言っているものは、
冷戦構造が崩壊したと同時にすでに耐用年数が過ぎており、
それを未だに25年以上にわたって無理やり持たせているのです。
ですがこれは柱のない家なので、私が批判しようがしまいがいつか崩れる。
問題はそれがハードランディング
(急激な変化で状態を悪化させながら移行する)、あるいは
ソフトランディング(急激な不況など招かず徐々に移行する)のか
ということです。
つまり内側から変えていかねばならないという意志が高まりを見せ、
柔軟にしかるべき形へと転換するか、それができなければ
外的強制力によって崩壊させられるということです。
それが対外戦争なのか、あるいは財政危機による
ハイパーインフレーションや預金封鎖のような類いのことなのか、
あるいはその両方かもしれず、いずれにしても
破局とともに崩壊するという形で終わるというものです。
私としては出来る限りソフトランディングしてほしいと思っており、
いろいろな分析や意見を表明してきましたが、
ですがさまざまなところで次々に破綻してきているにもかかわらず、
相変わらず安倍政権が存続する状況が続いているので、
これはもうハードランディングにならざるを得ない状況が
近づいてきています。つまり、
もう一度、落ちるところまで落ちるしかないのかもしれない。
☆福島原発事故を忘れさせるために東京オリンピックを開催する「狂気」!
たとえばその一つの表われが、2020年の東京オリンピックです。
これはもう開催できるかどうかさえ、だいぶ怪しくなって来ています。
新国立の問題もコンペのやり直しで一件落着のように見えますが、
とんでもない話で、ザハ・ハディド事務所は
知的所有権の侵害で徹底的に法廷闘争をやってくるでしょうから、
今後もこの競技場の問題を巡っては恥の上塗りをやることになるでしょう。
また海外で報じているところによると、
2020年のオリンピック開催地争いで終盤、トルコのイスタンブールと
東京がマッチレースになった時、東京が裏金を使ったと言われている。
IOCなんてしょせん、そういう組織だといえばそれまでですが、
そのような流れもあって、いよいよ東京開催は危機的だと私は思っています。
しかしこのような状況になぜ至るのかといえば、それも当たり前なのです。
もともと、なぜ東京でオリンピックをやらなければならなかったのか。
それは端的に言うと、福島原発事故を忘れるためなのです。
あんな大変な事故が起こってしまって、どうしたらいいかわからないのです。
しかも未だに終息してはおらず、根本的にはどうしたらいいかわからない状況
が今も続いており、どう対応すべきかという問いに対して出した答えが、
「東京オリンピックをやればいいのだ」という答えなのです。
この倫理変換というものは、実にもう完全に頭がおかしいとしか言いようがない
ものです。ある種、狂人の倫理です。
こういう状態に日本人の多くがいるという現実を見ると、これはもう、
行くところまで行くしかないのではないかと思います。
それはある種の「ハードランディング」
(急激な変化で状態を悪化させながらの移行)です。
私は今、その後を考える必要が、そろそろ出てきているのではないか
と思っています。これが今、私が持っているこの国に対する展望です。
鳩山:今、白井さんのお話を聞きながら思い出したことがあります。
それは私が退陣した後、菅(直人)総理が突然、
消費税増税を言い出したことがありました。
私が退陣する前から彼は何度も私のところにやって来て言うには、
普天間問題は大変だ。でも普天間を(国民に)忘れさせるためには
もっと大きな問題を言い出せばいい。それが消費税増税だと。
そうすれば(国民は)普天間を忘れられるからと。
しかしそんなことはできないと、終始、私は承知しなかったのですが、
彼は総理になったとたんに、本当にそれをやってしまった。
結果として確かに、菅総理の時には普天間の話は消えたのですが、
消費増税という大きな問題が表面化して選挙には大敗しました。
この論理とオリンピック招致の論理は似ています。
まさに福島を忘れるために東京オリンピックを開催しよう
として進めているので、私は今、元スイス大使の村田光平さんの、
東京オリンピックを何とか今のうちに名誉ある撤退ができないだろうか、
という考え方に共鳴しています。
福島原発は未だ落ち着いたわけではなく、何が起きるかわからない状況です。
水棺方式は破綻しており、放射性物質は相変わらず
海に、空に、陸に、地下水に流され続けています。
これから甲状腺がんがもっと増える現実があるので、
こういう日本に本当にアスリートを送り出してもいいのか、
あるいは見に行けるのかという気持ちに、
あと数年で必ずなっていくと思われます。そうであれば、
どうせ最後はやめなければならないのであれば、
今のうちに名誉ある撤退をするべきではないか
という考え方に私は同意するものです。
☆この国を没落へと後押ししているのが「メディア」だ
(略)アベノミクスもうまくいかなくなってきた。
それはもう崩壊し始めている。
だが崩壊し始めているという現実を、メディアが
官邸を気にして報道していないということが、
問題をさらに深刻化させているように思います。
私が述べたいことの一つは、メディアがこの国を没落させる、
よりひどい状況に追い込む非常に大きな役割を担ってしまっている
ということです。本来ならば白井さんや木村さんのような、
この国を憂える思想をもっと国民に知らせ、
人々を啓蒙させる役割のはずなのです。
もちろん、いくつかの正しい見識を持ったメディアもあり、
たとえば東京新聞のようなところもありますが、
ほとんどのメディアは官邸の言いなりというありさまにあり、
これが日本をネガティブな方向にさらに加速させる結果となっている。
そうした現実を見る時、白井さんの言うように
落ちるところまで落ちる、
すなわちハードランディングしかないのかもしれない。
だが崖から落ちてもメディアは落ちたとは言わないのかもしれない。
そこまで追い込まれない限り、国民自身は目覚めないのかもしれない。
たとえば、もし国民のすべてが白井さんの書かれた
『「戦後」の墓碑銘』(金曜日)を読むならば、
すべての人がこれは大変だということに気づくはずです。(略)
白井:(略)小泉さんはごく単純に、
アメリカについて行けば絶対日本は栄えると、本気で信じている人で、
その意味で屈託がない。安倍さんはちょっと違い、
それは屈折したナショナリズムであり、
そこに彼自身の(コンプレックスという)屈折が重なって
非常に歪んだ政策に帰結している。
しかもそれが今の日本人の精神状態とシンクロしている。
だからある意味、安倍さんは国民から支持されているのかもしれない。
少なくともあるクラスター(集団)からの支持を受けている。
当然、あんなのはイヤだと思っている人も多いのですが、ただ、
ではその時に何か別の選択肢があるのかというと、これが難しいのです。
そのような状況に、今あるのだと思われる。
それでは今、私たちがやらなければならないことは何かと言えば、
鳩山さんが言われたとおりで、いかにそういう陣形をつくっていくか
ということに尽きるわけで、結局、では誰がやるのかという問題です。
鳩山:人材なんです。白井さん、立ち上がらないと(笑)。
いや、まさに人材だと思うのです。
木村:現職で際立った活躍をされているのは、山本太郎議員ですね。
そして私が今最も期待しているのが、
細川―鳩山ラインにつながる川内博史さんです。
川内さんには何としても国政にカムバックしてもらわないと。
鳩山:これまでこういう人材が、日本の政治では常に主流から外される
という運命にありましたが、そういう人間こそが
ど真ん中に入って行けるような政治に変えていかなければいけない。
やはり政治家を経験している人間は、すでに国民から
いろんな意味でレッテルを貼られているので、
なかなか新たな視線で見てはくれないという状況がある。
ですがどこの党とも迎合しない、きちっとしたメッセージを持った
政治の流れを作る場合は、鮮度が大事だと思う。
だから既存の政治家、レッテルを貼られてしまっている政治家が、
あまり表に出過ぎないほうがいいと思っています。(略)
木村:最後に、このまま2020年まで安倍政権が続いて、
安倍首相のもとでオリンピックを開催するというのはまさに悪夢でしかない。
今の日本は民主主義からファシズム、平和国家から戦争国家へと
向かいつつあるので、アジア、朝鮮半島あるいは沖縄が戦場になる
ような地獄絵図を再び繰り返してはならないと強く思います。
そうした中で、先ほど鳩山さんが言われたように、
日本のこの状況を深刻化させている原因の一つとして、
メディアの劣化という問題がある。
そして司法の暴走という問題も重要です。
この二つによって、不当な弾圧が行なわれているという問題の深刻性を、
多くの国民に一刻も早く気づいてもらいたいところです。
『誰がこの国を動かしているのか』
木村 朗・白井 聡・鳩山友紀夫 詩想社 新書12
抜粋
◆http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-0109.html
zeraniumの掲示板 2016年11月16日 (水)
◎敗戦の原因と結果を 未だ理解せず直視できていない日本国民 ⑫
白井:私が『永続敗戦論』を書き、戦後日本とは何であったのかについて、
自分なりに本質を衝いたと思われる見解に到達した最初のきっかけは、
2010年の鳩山退陣劇であり、そこで起きたことの本質をよく考えることだった。
(略)「何かがおかしい。歯車が狂っている」と感じながら、
何がおかしいのかつかめず、靄(もや)の中にいるような気持ちが
していた当時の状況を思い出す。
その後の菅政権の財務省へのすり寄り、
民主党政権のマニフェストの実質的放棄、などの過程を目の当たりにし、
その上であの退陣劇の本質を考察することで、
私は「永続敗戦」の概念へと近づくことになった。
要するに政権交代など、この国ではできないと
端から決まっているのではないか。
だとすれば、戦後民主主義とは何なのか。
民主主義はどこにあるというのか。
いったい何が戦後民主主義に対する決定的な制約になっているのか
をよく考えたとき、鳩山退陣劇の本質が見えてきた。
その制約とは、つまるところアメリカであり、
日本の政官財学メディア(政治・官僚・財界・学会・放送)の中枢を
占拠する勢力の対米従属である。
「(沖縄普天間基地の移設先を)最低でも県外にする」
という日本国民との約束を果たすために、
「辺野古に新基地をつくる」という日米間の合意を無効にしようとした
日本の首相は、アメリカの手によって間接的にクビにされたに等しい、
と私は『永続敗戦論』(金曜日)に書いておいた。
そしてこのように、日本が主権を制約されていることが
認識されているならば、まだ状況はマシである。
あの退陣劇が異様だったのは、大メディアのうち、
そうした主権の制約の事実、言い換えれば「われわれは負けた」
(つまり戦争でアメリカに負けたので基地ができてこうなっている)
という事実に触れるものは一つもなく、
すべてのメディアが鳩山由紀夫という政治家個人の資質に対する批判を
喚き立てたことである。
これはいったい何だったのか。
「最低でも県外」の方針の挫折が、よく考えれば、
鳩山氏本人の政治的手法云々という次元にとどまらない問題である
ことに気づき、そしてそのことを誰も言わずに、
ただメディアが総がかりで個人攻撃に血道をあげている
ことの異常さに気づいたとき、私のなかで、
退陣のニュースを聞いたときにあった靄(もや)が晴れたのであった。
☆敗者の隷従意識を個人攻撃にすり替えて「憂さ晴らし」する日本国民とマスコミ
要するに「個人攻撃のおしゃべり」に耽(ふけ)ることは、
「負けた」という憂鬱な事実を見ないで済ませるための
(すり替えの)手段だったのだ。
さらにそれがよく表れているのが、1945年8月15日を日本国民が、
(敗戦記念日ではなく)「終戦の日」と呼んでいることであり、
その精神的習性と全く同じものである。
そこには「敗北の否認」が共通して横たわっている。
だが、『永続敗戦論』の刊行後明らかになったのは、
あの退陣劇の過程は、「アメリカが間接的に日本の首相をクビにした」
というものですらなかった、という事実である。
本書109~111ページで詳細に語られているように、
鳩山氏を引きずり降ろしたのは、実はアメリカではなく、
アメリカの意を忖度(そんたく・押しはかり)、
同時にアメリカの意を「虎の威を借る狐」式に振りかざす
「日本の」官僚と政治家であった。
彼らは「敗北の否認」を、考え得る限り最も洗練された形でやって見せた。
なぜなら「最低でも県外」という日本国民の主権的意思と
アメリカの国家意思が明白に衝突することを(最初から)避け、
敗北する前に、そもそも衝突しなければ敗北もあり得ない、
という状況を作り出すことによって、
敗北をあらかじめ消去して見せたのである。
しかし、もちろんこれは誤魔化しているに過ぎない。
それはたとえれば彼らのやっていることは、
投げ飛ばされて負けないために、土俵に上がるのをやめて
不戦敗になる力士と何も変わらないからだ。
私の「敗北の否認」という概念に基づく分析は、
当たっていたと同時に、現実はさらに輪をかけて酷いものであった。
あの退陣劇以来、鳩山首相は主流派メディアからさんざんに叩かれてきた。
その理由は明らかだ。なぜなら鳩山氏こそがあの退陣劇を通じて
「永続敗戦」状態を表面化させた張本人であるからだ。
しかも、永続敗戦レジーム(体制)を恒久化させることによって
自己の地位を確保している人々、言い換えれば
「敗北の否認」を生業(なりわい)としている人々にとって
不愉快なことには、現在の鳩山氏は
自らが喫した敗北と失敗を直視している。
つまり、この姿勢によって、鳩山氏の存在そのものが、
対米従属利権共同体(大メディアはその一角)に巣くう人々の
欺瞞性が明らかとなり、それに対する静かな、
しかし痛烈な批判となっているからだ。
本書に見られる通り、この未だに続く(戦争)敗北と失敗を
詳細に分析するところからしか、
(戦後以来の)永続敗戦レジーム(体制)が未だに維持され続けている理由と、
それを消滅させる手立ては決して見つからない。
鳩山氏の経験に学ぶことは、まさに
(未だに戦争敗北の否認という精神的習性の中にある)国民の課題である。
木村:本書には今の日本が置かれている現状と、日本を取り巻く国際環境、
タブー視されがちな話題やテーマも、臆せず取り上げて語られた内容が
そのまま盛り込まれています。(略)
なぜマスコミが鳩山氏の言動を取り上げては、
あれほど揶揄する必要があったかという理由も、
本書の通読で理解できると思われます。
ここでいま言えることは、鳩山氏の存在と勇気ある言動が、
日米のある既得権益層にとっては極めて不都合なものであり、
それを恐れているのでマスコミを使ってバッシングの対象となっている
ということです。
それは劣化した日本のマスコミの実情を示しているだけでなく、
権力とメディアが一体化して行なう情報操作に、
容易に騙されてしまう多くの情報弱者の存在の姿を
浮き彫りにしていると思います。(略)
現在の日本は、民主主義からファシズムへの移行、
平和国家から戦争国家への転換という大きな岐路に立たされています。
それはまさに戦後最大の危機のただなかにあると言えるものです。
2012年末に再登場した安倍政権は、
明らかに前回の第一次安倍政権以上に強権的であり
(教育基本法の改悪、防衛省の設置)、
日本を戦前回帰のファシズム国家に向かわせようとしていることが明らかです。
そのことは憲法違反の秘密保護法制・安保法制や
沖縄の民意を無視した辺野古新基地建設強行、
秘密だらけのTPP交渉、
安全を無視した原発の再稼働・輸出、
一般国民を苦しめる消費税増税などの姿勢を見ればよくわかります。
特に深刻なのは、政府・官邸による恐るべき言論統制と情報操作であり、
その結果、マスコミの自主規制と世論の萎縮、
集団同調圧力の高まりと、
一般市民の沈黙・無関心・思考停止が急速に広がっていることです。
「国境なき記者団」の世界報道自由度ランキングでは、
民主党政権時の11位(2010年)からその後22位、53位、59位、61位(2015年)、
72位(2016年)と毎年下がり続けているのもその反映です。
2016年4月に訪日した「表現の自由」に関する国連特別報告者である
デービッド・ケイ氏(米国)は、日本の報道の独立性は重大な脅威に直面している」、
「特定秘密保護法や『中立性』『公平性』を求める政府の圧力が、
メディアの自己検閲を生み出している」と発言しています。
「戦争は秘密から始まる」ともいわれるように、
いまの日本は戦前の日本に逆行するかのような安倍政権下でまぎれもなく、
いつか来た道を再び歩もうとしています。
東アジア地域、とりわけ朝鮮半島や沖縄を
再び戦火にさらすような地獄絵図・悪夢を招来するようなことは
あってはならないことです。
☆日本人は属国意識・奴隷根性を克服しなければならない
いまの沖縄は、辺野古新基地建設を目指す日米両政府による、
あまりにも理不尽な巨大な権力行使に直面しています。
もしこのまま新基地建設が強行されるならば、
沖縄の独立の動きが本格化する可能性は大きい。
その時に東アジア共同体構想は、そうした沖縄と日本本土との
緊張関係を打開する鍵となるかもしれない。
この沖縄問題を本当に解決するには、日米安保体制の本質である
「自発的な従属同盟」から脱却して、
日本人の中に深く浸透している属国意識・奴隷根性を克服する必要があります。
『誰がこの国を動かしているのか』
木村 朗・白井 聡・鳩山友紀夫 詩想社 新書12
抜粋
PR
コメント