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徽宗皇帝のブログ

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グローバリズムの終わりと日本の取るべき道
「ダイヤモンドオンライン」の中野剛志インタビュー記事の末尾である。長いインタビュー記事
で全十二回くらいあり、まだ深くは読んでいないが、非常に面白く、直観的に見て、日本を救うのは、この思想だな、と思わせる。元経済官僚だがTPPに反対し、MMTを主張しているということから、その思想の健全さははっきりと分かるだろう。

(以下引用)

「ナショナリズム」とは「国民主義」である


――ところで、中野さんは、現代の世界において最も強固な制度は「国家」だと考えていらっしゃるわけですか? MMTは、貨幣の価値を下支えしているのは、国家による徴税権としていますし、契約や私有財産権も国家が制定した法律によって担保されているわけですから……。



中野 そうですね。国家主権とは、各国がその国の政治的な意思決定の最高権力を有していることを意味します。国内的には、貨幣が徴税権に裏付けられることによって流通するように、権力を背景に国民に一定の行動を強制することによって各種制度を担保しているわけです。



 一方、国際政治は、基本的に国家単位で行われています。世界政府は存在しないわけですから、国家主権を超える最高権力も存在しません。ですから、主権をもつ各国がパワーをバランスさせながら世界秩序を維持しているのが、現代の世界なわけです。



 前に説明した「覇権安定理論」によれば、アメリカがグローバル覇権国家であったころは、アメリカが世界の最高権力として機能していたのかもしれませんが、その時代は過ぎ去りました。つまり、いまは各国の国家主権の重要性が増している時代だということです。



――そのご指摘はよく理解できます。しかし、中野さんはナショナリストを自認されていますが、ナショナリズムには危険なイメージが付き纏います。



中野 たしかに、ナショナリズムが危険思想、過激思想に走ったことはあります。しかし、言葉本来の意味はそうではありません。ネイション(Nation)とは「国民」です。よく「国家」と訳されますが、「国家」はステイト(State)です。だから、ネイションは「国民」と訳すべきなんです。そして、ナショナリズムは「ネイション(国民)」の「イズム(主義)」ですから、「国民主義」という意味です。「国家主義」とはまったく異なるんです。



 私は「経済ナショナリズム」を専門に研究していますが、これは「国民経済」を研究しているという意味なんです。経済とは「経世済民」ですから、「世の中をよく治めて人々を苦しみから救うこと」です。つまり、「国家をよく治めて国民を苦しみから救う」ために、どうすればいいのかを研究しているわけです。



 そして、現代の日本は「民主主義国家」であり、憲法で「国民主権」が保証されています。民主国家における「国家主権」とは「国民主権」のことなんです。



――なるほど。



中野 そもそも、国家公務員はナショナリストであるはずだと思うんですけどね。



――たしかに……。



中野 むしろ、いま心配すべきなのは、「国家主権=国民主権」の制限なんです。



――どういうことですか?



中野 いまだにグローバリゼーションの名のもとに、TPPや日米FTAが進められていますが、あれは、要するに「国家主権=国民主権」を制限するということなんです。TPPや日米FTAなどの国際条約は、国内法より上位のものだからです。



 たとえば、あるとき国民の大多数が食糧自給率を高めるために農業を保護すべきだと考えるようになったとしても、国際条約によって農業関税率が決まっていれば、どうしようもありません。国際条約によって「国家主権」が制限されているために、民主主義が機能しなくなるんです。はっきり言って、グローバリゼーションとは、民主主義を制限することなんです。



――そうなりますね。



中野 その典型がEUであり、特に、ユーロという共通通貨制度です。EUは、その根拠法であるマーストリヒト条約によって、欧州中央銀行が単一通貨ユーロを発行して金融政策を実施することになりました。一方、加盟各国はその結果、金融政策や為替政策の主権を失ったわけです。ギリシャ国民がいくら自国通貨を発行したいと望んでも、それはもうできないわけです。つまり、「国家主権=国民主権」を放棄したために、ギリシャは財政破綻をして、国民は極度に高い失業率に苦しむことになったと言えるわけです。



――恐ろしいですね……。

残酷な世界を生き抜く「日本の戦略」とは?


中野 そもそも、国家の力が及ばない動きをグローバリゼーションといいます。ということは、グローバリゼーションには国家ですら対抗するのが難しいわけで、国家というプロテクターを外した「個人」はもっと対抗できないと考えるべきでしょう。実際、グローバルに活躍できる「個人」は、非常に限られるのが現実ではないですか?



 例えば、パンデミックは、ウイルスのグローバリゼーションですが、それを防ぐ「水際対策」とは、国家権力が国境を管理して個人を守ることでしょう。国家は古いとか、国境なんかいらないと言っていた人たちは、この現実を見て、どう思うのでしょうかね。



 グローバリゼーションから個人や地域を守ろうとしたら、ありうるのは国家しかないわけです。国家は古いんだ、これからは個人だ、これからは地域だと言うけれど、国家でも勝てるかどうかわからない相手に、なぜ個人や地域で戦おうとするのかがよくわかりません。



――そうですね。しかも、アメリカのグローバル覇権が終わるとともに、世界経済が停滞・縮小へと向かうなか、国家間の緊張が日増しに高まっているのが現状です。しかも、中国は軍事的な覇権を強めているわけで……。



中野 ええ。日本が非常に困難な時代を迎えていることは間違いありません。もしこのまま世界経済が縮小するならば、市場競争がもたらす摩擦や緊張は、貿易・投資が以前より自由化されているがゆえに、かえって深刻なものとなるはずです。TPPなどの自由貿易・経済連携は、安全保障に資するどころか、逆に覇権戦争の種を播いているようなものなんです。



 ただし、世界経済が縮小していても、各国が内需拡大に努めるのであれば、海外市場の争奪戦による緊張を緩和することは可能です。自由放任の市場ではなく、政府の介入による国内総需要の創出こそが、国際平和に貢献するんです。



 それこそ、ケインズが『雇用、利子、貨幣の一般理論』において述べたことだし、E・H・カーもまた、『危機の二十年』の結論において、政府が国内の総需要を刺激して雇用を創出するという可能性に希望を見出しています。
 
 ところが、中国は外需依存度が高く、内需を拡大しにくい経済社会構造になっています。そのため、不況に陥った中国は、これまで以上に攻撃的な海外進出を推し進めようとするかもしれない。日本を除くアジア諸国も、外需依存度が高い国が多く、内需拡大による衝突回避という手段をとることはできません。



 これに対して、日本は、世界第3位の経済規模をもち、内需依存度が高いため、ケインズ主義的な積極財政によって雇用を創出し、内需を拡大できる国家なんです。デフレを放置したために外需依存度はやや高まりましたが、本来、正常な状態では、外需依存度は一割程度です。それに外需依存・インバウンド頼みの危険性は、パンデミックによってはっきりしたでしょう。ですから、まずは内需主導の景気回復・経済成長を目指すべきです。



 そして、国内の景気がよくなれば、中国やアジア諸国からの輸入を増やすことによって、グローバルな市場争奪戦を緩和することができる可能性があるんです。



――なるほど。大規模な財政出動によってデフレから脱却することは、国民生活を向上させるのみならず、安全保障的な意味までも持つわけですね?



中野 ええ。そして、前にも説明したように、デフレの日本では財政支出の制約は一切ありませんから、大震災・風水害に備えた防災、インフラ整備、教育、科学技術、感染症対策、国防などに思い切った公共投資をするチャンスでもあるんです。どの分野にどれだけの投資をするかは、国民的議論をしたうえで政治的に決定すればいい。自国通貨発行権という「国家主権」は、私たち国民の「特権」なんです。いまこそ、「国民主権」を行使すべきときなのではないでしょうか?



(終わり)




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