"経済・政治・社会"カテゴリーの記事一覧
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「ネコでもわかる経済問題」過去記事から転載。
話の細部や結論には必ずしも同意ではないが、「技術的失業」の部分はまったく同意見である。
技術の進歩によって、近い将来に、人口の半分は失業する、というわけである。あるいは、生産に必要な労働者数が人口の半分くらいで済むようになる、と肯定的に見ることもできる。その時にはしかし、生命維持に必要な収入を持たない人数が人口の半分を占めるようになるし、また、生産品を購入することのできる人数が限定されるわけだから、生産活動も収縮することになる。ある意味では資本主義の終焉である。
そこでベーシックインカムの話になるわけだが、はたしてその導入は不可避なのか、もし導入するとすればどういう形が望ましいか、という細部に関しては、私は下の記事に何となくだが得心していない、というわけだ。人間性の本質というものを考えないままで革新的に新しい社会制度を導入するとソ連などの失敗の轍を履むことになりそうな気がする。それに、ベーシックインカムの原資をどうするか、という面の考察も足りないように思う。
そういう不満はあるが、この問題について考えることは為政者や学者や経済界の人間の急務だろうと思う。
とりあえず、それより先に、福祉費用を倍か3倍に増額するのが実は経済活性化の特効薬だと私は思っているのだが。そしてさまざまな福祉給付はいわば狭い範囲に実施されたベーシックインカムなのである。毎月1万円を孫正義に与えても何の意味も無いが、所得の低い貧困家庭に毎月5万円くらいも余裕ができたら、そのカネの半分以上は確実に消費に向かうだろう。
(以下引用)ベーシックインカムは不可避です
2016.12.18(じいちゃん)将来においてベーシックインカムは必ず導入される。ベーシックインカムについては、賛否両論があるようじゃが、いずれは導入せざるを得なくなる。いつ、どんな形で導入するか、という点が問題なだけじゃ。(ねこ)ふにゃ、ベーシックインカムは必ず導入されるのかにゃ、なんでかにゃ。(じいちゃん)技術的失業問題があるからじゃ。技術的失業とは何か?今日、テクノロジーは急速に進化を続けておる。将来的に高度なテクノロジーによって生産性が向上し続けると、やがて人間が労働しなくとも機械(人工知能や生産ロボット)によって殆んどの財(商品やサービス)が生産されるようになる。すると、企業では人手が不要となるから、やがてほとんどの従業員が解雇されてしまうようになるじゃろう。すると、世の中のほとんどの人々は失業してしまう。これが「技術的失業」と呼ばれておる。失業してしまうと、人々はどこからも所得を得ることができない。おカネがなければ人は財(商品やサービス)を購入することはできなくなる。一方で、企業では自動生産工場などから自動的に大量の商品が生産されてくるが、ほとんどの人はそれらを買うことができないため、生産された商品のほとんどは売れ残る。そうなると、企業がすばらしい商品を大量に生産している一方で、ほとんどの人がそれを買うことができずに貧困にあえぐことになる。と同時に、商品が売れないためほとんどの企業は倒産する。つまり経済が破綻してしまうのじゃ。(ねこ)バカみたいな話なのにゃ。(じいちゃん)まったく馬鹿げておる。しかし現在の市場経済の仕組みのまま何も手を打たなければ、やがて必ず経済が破綻することは明白じゃ。もちろんすぐにそうなるわけではない。それが何年後になるかは明確ではないが、科学技術が進歩して、生産性がどんどん向上すれば、いずれは必ずそうなると断言できる。このような経済の破綻を防ぐにはどうするか。それは、企業に勤めている、いないに関わらず、何らかの形で人々におカネを供給(給付)しなければならない。人々におカネを渡せば企業の生産した商品は売れるから、企業は倒産することもないし、人々が飢えることもない。市場経済は今までどおり機能できる。このおカネを政府から人々に支給すれば、それがベーシックインカム、あるいは国民配当と呼ばれる。じゃから、ベーシックインカムは必ず導入されなければならない、というわけなんじゃよ。(ねこ)ん~、でも、人工知能やロボットが進化しても、それに応じて新しい仕事が生まれてくるから心配ないと主張する人も居るのにゃ。(じいちゃん)確かに新しい仕事は今後も生まれてくるじゃろう。しかし生まれる仕事の数が問題なんじゃ。技術的失業の研究者であるオックスフォード大学の先生と野村総研の共同研究によると、今後20年間で、日本人の行っている仕事のおよそ50%が機械によって代替可能であるというのじゃ。もちろん技術的に可能という話であって、必ずしも日本の労働者の半分が失業するとは限らない。しかし、企業が本気になって人工知能やロボットの導入を進めるなら、最大で50%の労働者が職を失う可能性があるということじゃ。日本の就労人口はおよそ6500万人じゃ。じゃから3000万人以上もの人が仕事を失うかもしれない。3000万人を20年で単純に割ると年間150万人じゃ。さて、今後20年間に渡って毎年150万人分の新しい仕事を作れるのか?普通に考えると不可能だとわかるはずじゃ。しかも、仮に年間150万人分の仕事が生まれたとしても、その仕事は従来に比べてはるかに難易度の高いスキルや資格が必要となる可能性もある。なぜなら、普通の人ができるような仕事は機械がやってしまうからじゃ。そのため、機械ができない仕事といえば、難しい仕事ばかり残る可能性がある。こうした仕事に就くためには、高度で長期間の教育訓練を必要とするようになり、かなりの教育費が必要となるかも知れん。つまり、より高額な教育費を払うことができる富裕層の子供ほど就職が有利になり、逆に教育費に十分なおカネをかけることのできない貧困層の子供は就職が難しくなったり、あるいは低賃金の仕事に就かざるを得ない状況が生まれるかもしれん。現在でもこうした「教育の格差」を通じて、貧困が子供へ連鎖する問題が指摘され、給付型奨学金が検討されておるが、こうした問題はますます厳しさを増すことになるじゃろう。そして、機械の能力が高まれば高まるほど、ますます人々に求められる能力や資格要件はどんどん高くなるはずじゃ。すると、やがて普通の人が普通の能力では就職できない世界になるかも知れん。それこそ、能力万能で何時間働いても報酬は成果主義でよいという「スーパー労働者」だけが就職できる世界になるかも知れんぞ。(ねこ)ふにゃー、スーパー労働者だけが生き残る世界になるのかにゃ。(じいちゃん)そうじゃ、ねこも歌って踊って、さらにねずみが獲れるくらいじゃないと捨てられるかも知れんぞ。(ねこ)たいへんだにゃ。そんな能力はないのにゃ。普通のねこじゃ生きていけないにゃ~~。(じいちゃん)じゃから、ベーシックインカムがあるのじゃよ。ベーシックインカムがあれば、どんなに科学技術が進んで、仕事にスーパー超高度な能力が必要な時代になっても、普通の人が豊かに暮らすことができるんじゃ。(ねこ)でも、働いても、働かなくてもおカネを支給したら、世の中の人はみんな働かなくなるんじゃないかにゃ。(じいちゃん)もちろん、まったく働かなくとも生活できるほどのベーシックインカムをいきなり始めると、みんなとは言わないまでも、多くの人が働かなくなる恐れがないとは言い切れん。それは社会に大きな影響を与えてしまうかもしれない。しかし、最初から毎月10万円、15万円のおカネを支給する必要はないと思うのじゃ。機械が人間に代わって労働するといっても、すべての仕事を機械が代替するようになるにはまだ期間が必要じゃろう。じゃから、ワシはまず毎月1万円の支給から始めるべきじゃと考えておる。子供まで含めたすべての国民に毎月1万円の支給に必要なおカネは、毎月およそ1.2兆円じゃ。一年間だとおよそ15兆円じゃ。金融緩和として、いま日銀が発行している現金は年間80兆円のペースじゃ。じゃから、80兆円のうち、15兆円をベーシックインカム、あるいは国民配当という名目で給付すればよいのじゃ。こうして政府中央銀行が現金を発行し、それを財源として人々に給付することは「ヘリコプターマネー(ヘリマネ)」と呼ばれる。最近も新聞マスコミにおいて、ヘリマネを実施すべき、すべきでない、といった議論があったが、実施には至っておらん。しかし、すでにこうした議論が起きておる段階じゃ。始めるなら、まず、ヘリコプターマネーとして始めるのは現実的なんじゃよ。もちろん、小額のヘリマネからスタートするんじゃなくて、すぐに最低生活を保障するのに十分なおカネを支給すべきだ、との考える人もおる。それは導入方法じゃから、多様な意見があって良いと思う。(ねこ)でも、いまから始める必要はあるのかにゃ。早過ぎるんじゃないかにゃ。(じいちゃん)そう思う人も多いじゃろう。人間はどうしても尻に火が付くまで本気にならないものじゃ。じゃが先ほどの研究にあったように、20年後に最大でおよそ3000万人、年間150万人の失業が発生する可能性もある。問題が深刻化してから騒いでも遅いかもしれないと考えるべきじゃ。備えあれば憂いなし。しかも、こうした技術的失業問題はすでに始まっていると考えるのが賢明じゃ。何も人工知能やロボットだけが問題なのではない。どのような原因であろうと、生産性が向上すれば生産過剰になり、失業が増え、格差が拡大する傾向にある。そして今日の世界では生産過剰、失業増加、格差拡大が生じている。これが技術的失業とまったく無関係と思うのは不自然じゃ。世界デフレ不況の原因としては循環通貨不足の問題も大きいが、技術的な失業問題もそこに関係しておるはず。じゃから、まずはヘリマネのような給付金で人々の所得を増やし、消費を引き上げることに意味がある。そして、それがシームレスに将来におけるベーシックインカム・国民配当の仕組みにつながるのが、理想的だとワシは思うのじゃ。(ねこ)そうなのにゃ、毎月1万円のヘリコプターマネーなら可能だにゃ。すぐできるなら、すぐ始めるべきだにゃ。日銀の金融緩和80兆円のうち、15兆円で給付金を始めよう!なのにゃ。PR -
下の文章は、私が2009年に書いた「新国富論」という小論の後半部分だが、社会や政治の状況は(小泉政権時代と)まだ変わっていないようなので、ここに載せておく。前半部分は今の自分には少しピンと来ない内容なので省略する。
(以下引用)6 金は貧しい者の懐から金持ちの懐に流れる
言うまでもなく、日本の庶民は貧しい。高度経済成長期には、企業が稼いだ金のうち労働者への給与となる支出、つまり労働分配率はかなり高いものだった。しかし、1980年代のバブルの頃から、それは著しく下がり始めたのである。「悪平等」がマスコミで批判され、能力主義がもてはやされた結果、同じ会社内での幹部社員と平社員の給与格差はどんどん広がっていった。幹部社員になれる数は一握りであり、国内消費のほとんどは貧しい庶民が生活の必需品を買うという「生存のための消費」であるから、給与格差の広がりと共に、消費は低迷し始めたのである。(モデル的に考えよう。100名の社員の中でもっとも優秀な人間には2倍の給料を与え、それ以外の社員は1割減俸とする。最初全員が20万円の給与ならば、一人は40万円に昇給し、その他は18万円に下がる。では、収支決算はどうなるか。会社は最初2000万円の人件費だったが、この処置で人件費はどうなったかというと、1822万円となり、178万円節約できたわけである。これが「能力主義・成果主義」の実体であろう。もちろん、全員に1割減俸を言い渡してもいいが、それだと社員が会社に反抗する。ところが、一部だけでも昇給した人間がいれば、「能力と実績の差で給与に差がついたのであり、それに文句を言うのは焼餅であり、見苦しい」ということになる。これが「能力主義」や「成果主義」の一つの側面である。そして、言うまでもなく、減俸された99人の消費活動の減退は、たった一人の昇給者の贅沢ではカバーできないのである。)そして、バブルが崩壊した後は、金持ちによる贅沢品の需要までも無くなり、日本は長期に渡るデフレ時代となった。
繰り返すが、庶民の懐に金が無いという、この一事が、現在の日本の長期不況の根本原因なのである。特に、小泉政権において、(「痛みを伴う改革」! それは、庶民にだけ痛みを強要する改革でしかなかった。)様々な福祉予算の削減と公共料金の値上げが行われ、金持ちはより金持ちになり、貧しい者はより貧しくなる政策が取られた結果、日本がアメリカ的な「格差社会」になりつつあるのは誰でも知っていることである。
金持ちは消費をしない。これは不思議な話だが、彼らは金を使わないのである。いや、使わないで済むように政治を動かし、いつでも損をせず得をするようなシステムを作った結果、金持ちは金を使わなくても済む社会ができるのである。(あらゆる法律の背後には、それで利益を得る一部の人間の姿があると見てよい。)彼らにとって金とは紙の上の数字でしかない。消費をするのは、それが生存と直結している中流から下流の人間たちだけだ。そして、資本主義の原理が、「相手に損をさせて自分が得をするゲーム」である以上、庶民は消費行為によって一層貧しくなり、資本家は一層豊かになっていくわけだ。これは、膨大な金を持った人間と、わずかな金しか持たない人間がポーカーでもする場合を考えればよい。どんなにいい手が来ても、相手がレートを吊り上げれば、資本の無い人間は勝負から下りるしかないのである。これは企業対企業でも同じであり、資本の無いライバル企業が相手なら、こちらは幾らでも安売りすればよい。そして、相手が潰れたら、今度は(ライバルはいないのだから)いくらでも商品の値段を吊り上げることができるわけだ。
要するに、法律による歯止めの無い資本主義とは、弱肉強食のジャングルなのだが、そこにいる猛獣たちは、きれいな身なりをして上品な風をする紳士淑女たちなのである。
もちろん、それで資本主義を否定するわけにはいかない。だが、金持ちという、圧倒的な力を持った存在と、無力な庶民を同じ土俵で戦わせるのは、「公平」な方法かもしれないが、「正義」にかなっているとは言えないだろう。それが、20世紀前半に労働者保護の法律が各国で次々に作られた理由であり、労働組合などができた理由なのである。ところが、日本では貧乏人までが「俺は、労働組合は嫌いだ」と公言する始末だ。あまつさえ、選挙では自分たちから徹底的に収奪し、自分たちをいじめ抜いている与党政権に投票する始末である。奴隷制度が盛んだったころ、黒人は奴隷であることが幸せなのだという発言をする連中が黒人の中にいたという。これはつまり、「内面化された制度」という奴である。奴隷自身にそう思わせることができれば、それは支配が最高水準に達したということである。
7 欲望というエンジン
「起きて半畳、寝て一畳」という言葉がある。人間が生きるにはそれだけのスペースがあればよい、ということだ。それは勿論、他の生活物資でも同じことで、人間がいくら頑張っても、一度に飯を10杯も食うのは難しいし、できてもそれは快楽ではなく拷問にしかならないだろう。いくらきれいな衣服が好きでも、一度に服を10枚も着る馬鹿はいない。高級なホテルが好きな人間でも、ベッドで寝ている間は自分がどこにいるのかという意識さえもない。つまり、一日三食喰えて、夜寝るための住居があれば、人間、本当はそれ以上の金はほとんどいらないということだ。だが、それでは資本主義は成り立たない。Aの商品よりはBの方が高級で、Cはそれよりも高級だ、という序列を消費者にマスコミと宣伝を通して「教育」し、彼らに常に消費の欲望を掻き立てる。物を得るには金がいる。金が欲しいから他人と競争して、その競争に打ち勝って出世する。そして高給を得て高級な商品を購入する。これが資本主義社会の庶民の姿である。もちろん、出世競争に敗れた人間は「下流社会」行きだし、能力があっても不運な人間も同じことだ。
「象箸」という言葉がある。ある王様が象牙の箸を作らせたのを見て、その臣下が暇を願って他国に行ったという話だ。なぜ、と聞いた知人に、その男は「象牙の箸を使いだしたら、他の器もそれにふさわしい器にしないと気が済まなくなるものだ。当然、それに入れる食物も、それにふさわしい美味珍味になるだろう。それは食事だけにはとどまるはずがない。やがて生活のすべてが贅沢品で満たされ、その費用をまかなうために国民から苛酷な税を徴収することになり、国民から恨まれて、他国のつけいる隙をつくり、この国は滅びるはずである」と答えたという。まるで、「風が吹けば桶屋が儲かる」みたいな話だが、象牙の箸一つから国が滅びるというのは面白い。だが、ここでの意図は、実はこの象箸の話の中に、資本主義社会の欲望の原理があるからだ。それは、欲望は無限連鎖であり、かつエスカレートしていくという原理である。
我々は、かつてはクーラーの無い社会に生きていた。夏は暑いのが当たり前で、時々涼しい風でも吹けば、それでよかった。だが今、我々はクーラーの安楽さに慣れて、それ無しでは生活もできないような気分である。身の回りのあらゆる品々はそうである。我々の年代では、電化製品など無いのが当たり前で、テレビも冷蔵庫も無かったのである。せいぜいがラジオくらいか。しかし、ラジオしか無かった時代の我々には、未知の世界への畏怖と憧れと夢があった。要するに、贅沢品など、無ければ無いで、実はやっていけるのである。ところが恐ろしいことに、贅沢には薬物中毒と同じ禁断症状がある。いや、薬物依存症よりもたちが悪い。なぜなら、麻薬なら、次から次へと新製品やら一段上の高級品が出てくるわけではないが、贅沢品は常に「ワンランク上」の商品を餌に我々を生存競争の渦の中に投げ込むからである。それこそ、「死して後已む」というか、「馬鹿は死ななきゃ治らない」というか、死ぬまでこのレースは続くのである。そうした下等動物の生存競争のエネルギーを利用して金持ちは一層金を稼ぎ、またこの奴隷たちが購入する商品によって一層懐を豊かにする。
いや、私は金持ちの存在自体を否定しようというわけではない。自分が彼らの立場なら、同じようにする可能性も十分にある。だが、悲しいことに、彼らは自分が稼いだ金の使い方を知らない。彼らが、世界中の文化や芸術や科学の発展のために、あるいは人間全体の幸福度を増すために金を使ったことなどない。慈善事業への寄付行為も、節税対策か、別種の金儲けの布石でしかないのである。つまりは、彼らもまた一種の依存症なのだ。金の魔物に取り付かれた精神異常者でしかないのである。私が金持ちを批判するのは、その一点においてである。そう、彼ら自身も不幸な人間なのである。本当は、彼らは不幸なのだが、自分たちを幸福だと信じている。それは、より幸福な状態を知らず、物質的な幸福こそが幸福だと信じているからである。他人の不幸の上に成り立つ幸福など、本当は幸福などではないのだが。
「起きて半畳、寝て一畳」という言葉を彼らは馬鹿にするだろう。王侯貴族の生活も知らない貧乏人が何をほざく、と。
しかし、たとえば日本なら、毎年3万人から4万人の自殺者が出るが、その死体の上に自分の豪華な生活があると知りながら、平然としていられる、そうした神経は、600万人のユダヤ人を虐殺したとされているヒトラーよりも病的だと私は思う。あるいは、平和なイラクに戦争を仕掛け、その国を破壊しつくして、国民のそれまでの生活のすべてを奪って平然としているその神経も、同じである。つまり、日本であれ米国であれ、「自分の金儲けのためなら世界中の人間が死んでも平気だ」という連中が世界を動かしているという、この事態が私には不愉快でならないのである。だから、せめてはできるだけ多くの人々が、そうした世界の裏の姿を知って欲しいと思う。
8 自由主義とは何か
さて、政府の仕事とは何だろうか。それは、放っておけば放埓な「自由」のはびこる社会に、「正義による秩序」を与えることである。言葉を変えれば、弱肉強食の世界に法的な規制を加えて人間らしい生活秩序を与えることである。放任状態での「自由」とは、「力ある者にとっての自由」でしかない。そこに「道義に基づく規律ある自由」を打ち立てるのが政府の役目だと言ってよい。
昔の西部劇でよくあったシチュエーションだが、まだ法の支配が及ばない西部の町では、地方ボスがその町を支配するという状況が生じる。そこで、町の大多数の合意で保安官を雇うことにして、その保安官によって町に秩序が確立するのである。これが「法の支配」の原型である。こうした状況で、「それは自由への干渉だ」と言う批判が成り立つだろうか。
最近は露骨な欲望肯定の発言が幅を利かせており、「正義」という言葉は偽善扱いであまり評判が良くないが、社会的な意味での「正義」とは、「公正」のことである。政府の役目は、社会を公正なものにすることだと言っていい。では、「公正」とは何か。
よく、「機会の平等」と「結果の平等」という区別が論じられる。社会主義や共産主義は「結果の平等」であり、「悪平等」だ、というのが右側の論者によくある発言だが、そのような発言は、資本主義社会あるいは自由主義社会において本当に「機会の平等」があるかどうかという部分を見てから言うべきだろう。もちろん、機会の平等など存在しないのである。機会の平等を言うなら、あらゆる青年は義務教育を終了した時点で同額の金を与えられ、そこから人生にスタートするべきだろう。その原資となるのは、もちろん、全国民に対する100%の相続税である。死ぬ時点で親が子供に金を残すまでもなく、子供には政府から均等な金が与えられるのだから、遺産はすべて国庫に納入すればよいのである。
もちろん、そんな政策など永遠に実施されることはないだろう。人間というものは、自分の「稼いだ」金を子孫に残したがるものなのである。つまり、金持ちは永遠に金持ちで、貧乏人は永遠に貧乏人であるというのが、金持ちの理想とする社会なのである。これがつまり「保守主義」という思想を経済的に見た時の実体だ。もちろん、保守主義とは文化的伝統を守ることだ、という考えもあるだろうが、現状を維持するとは、実際には身分と財産の固定化のことなのである。
そして、本題の「自由主義」だが、自由とは誰にとっての自由なのかが問題だ。貧乏人や下層階級の人間に、どのような自由があるというのか。はたして「やりたいことができる」のは誰なのか。言うまでもなく、権力を持つ者である。かくして、カール・マルクスの名言「自由とは、何よりも権力である」という言葉が妥当するわけだ。それも知らずに、下層階級の連中が、「自由主義」を擁護するという喜劇が行われているのである。その自由は、「君たちの自由」ではないよ、と誰かが言ってあげるべきだろう。
つまり、自由は確かに理想ではあるが、「(経済的)自由主義」とは実は、強者(富者)のための自由を法的・政治的に保障させるための口実なのである。言い換えれば、「俺たちがどんな悪事をやっても、政府はそれに対して口を出すな」というのが経済的自由主義の意味だ。皆さんは、そういう意味の自由をお望みだろうか?
「では、お前は、自由の束縛を望むのか?」とお尋ねになる向きもあるだろう。その通り、私は束縛を望む。ただし、それは私への束縛ではなく、「経済的犯罪者」への束縛なのである。つまりは、自由の束縛の中にしか、社会正義は存在しないと私は考えているわけだ。法律にせよ道徳にせよ、束縛以外の何だろうか。束縛を拒否する人間とは、つまりあらゆる法律と道徳を自分に適用することの拒否を主張しているのである。もちろん、だいたいの「自由主義者」は、そこまでも考えず、ただ幼児的な欲望のままに自由をくれ、自由をくれと叫んでいるだけなのだが。
もちろん、ここでは経済論としての自由を論じているのであり、たとえば冤罪で投獄された人間や独裁国家で自由の束縛に苦しむ人々の場合は、話がまったく別である。
要するに、「経済的自由主義」とは資本家や大実業家が、自らの犯罪的収奪の隠れ蓑としている思想だという、私にとっては常識にすぎないことを改めて主張しているだけである。
9 国富とは何か。
ある中国の古典の中に、「政府がいくら金があっても、国民が貧しいなら、それは豊かな国ではない」という趣旨の言葉があったが、私がここまで論じてきたのも、結局はそれに近いことだ。ただし、それに加えて、「国民のわずかな一部だけがいくら金を持っていても、国民が全体として貧しいなら、それは豊かな国ではない」という言葉も入れよう。
たとえばアメリカは世界一の貧乏国とは言えないまでも、相当な貧乏国なのである。かつてのアメリカの繁栄を知る者は、なぜアメリカが今のような状態になったのか、信じられない思いがするだろう。だが、1960年代の繁栄の前に、1930年代の大不況と貧困の時代がアメリカにもあったのである。その大不況の反省から、アメリカは投資銀行と貯蓄銀行の分離を行い、金持ちのマネーゲームが庶民生活に影響を及ぼさないようにした。その結果、金持ちは他の金持ちから奪う以外に資産を増やす手段がなくなり、金融が庶民生活を破壊することはなくなったのである。そして、高い累進課税と高い労働分配率によって、庶民の資産はどんどん上昇した。これが1960年代までのアメリカの繁栄の原因である。だが、レーガン以降の(民主党大統領も含め)ほぼ全大統領による金持ち優遇政策により、労働分配率はどんどん低下し、庶民の税金は上昇し、その一方で金持ちの資産は数倍に膨れ上がった。これが現在のアメリカの貧困の姿である。
要するに、国富の総量は決まっているのである。したがって、政治と経済の課題は、その分配をいかにすれば、国民が全体として幸福になるかということなのである。これはべつに共産主義の勧めではない。ほとんどの企業人は強欲という病に犯されている。それが政府や法律まで味方につけたなら、国民の大半が貧困のどん底に陥るのは当然だということなのである。
幸いなことに、世の中には金持ちより貧乏人が圧倒的に多い。これは何を意味するかと言えば、彼らが選挙での投票の権利を正しく使えば、今の状態を変えることは簡単にできるということなのである。口先だけではなく、実効性のある庶民のための政策を主張する政治家に投票することで、今の状態は変えられるのだ。
そういう、投票の威力を前回の衆議院選挙で国民はやっと分かったはずだ。後は、現在の世の中の不合理や不平等、不公平がどこに起因しているかについての理解を国民一人一人がすることである。
この一文も、そのための一助になれば幸いだ。
2010年1月9日
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(以下引用)「高度プロ」の陰に隠れた「本当のリスク」 年収制限なし、労基署も手が出せない、「裁量労働制」の拡大
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「高プロ」より恐ろしい、「裁量労働制の拡大」
「高度プロフェッショナル制度」をめぐる議論が過熱している。労基法改正案として、残業時間の上限規制などの「働き方改革」と抱き合わせで、一部の労働者に対して残業規制の適用を除外する高度プロフェッショナル制度を導入するという。
「残業代ゼロ」「定額働かせ放題」と批判される高度プロフェッショナル制度。過労死対策や働き方改革の動きに逆行し、過労死や長時間労働を促す制度であることは疑いようがない。だが、今回の労基法改正案で新設が目論まれている「残業代ゼロ」「定額働かせ放題」の制度は、高度プロフェッショナル制度だけではない。高度プロフェッショナル制度の陰で、「裁量労働制の適用拡大」が盛り込まれているのである。
実は、高度プロフェッショナル制度よりも、この裁量労働制の拡大の方が、はるかに多くの労働者に適用され、長時間労働を促進することが予想されている。労基法改正案の最大の争点が高度プロフェッショナル制度であるかのようなマスコミ報道は、ミスリードであると言っても良いだろう。
裁量労働制には、高度プロフェッショナルと異なり、そもそも年収要件がない。今回拡大が検討されている企画業務型裁量労働制に至っては、対象となる業務も非常にあいまいだ。このため、会社がいくらでも都合よく拡大解釈して、労働者に「適用」することが実質的に可能である。
そして、その被害はすでに現実のものとなっている。私たちに寄せられる労働相談にも、裁量などないに等しいのに「うちは裁量労働制だから」と言われ、長時間労働と残業代不払いに悩まされているという事例が相次いでいる。
さらに深刻なのは、裁量労働制は不適切な「適用」をされていても、制度設計上、労働基準監督署が会社を取り締まることが非常に難しい制度であるということだ。加えて、裁判所の判例も極めて少ない。それも、「裁判での権利主張は難しい」と多くの弁護士が思っているからだ(「弁護士に見放された」という相談も多数ある)。
本記事では、先駆的に導入された「残業代ゼロ」「定額働かせ放題」制度である裁量労働制の悪用の実態を紹介しつつ、今回の労基法改正案が労働現場にもたらす被害について、警鐘を鳴らしたい。
すでにある、残業代をゼロにする方法
現行法でも、労基法の時間外労働規制の例外として、労働者を「残業代ゼロ」にする「合法的」な方法はいくつかある。ここでは代表的な3つを紹介しよう。
まずは、(1)「管理職監督者制度」。労働条件の決定などの労務管理について「経営者と一体的な立場」にある場合に適用される。とは言っても、「あなたは店長だから」「管理職になったから」と会社から言われただけで、残業代不払いが合法になるわけではない。この制度の適用対象者かどうかは、自分の労働時間や、部下の労働条件を自由に決めることができるなど、業務内容や権限、待遇などによって判断される。
次に、(2)「事業場外みなし労働時間制」。出張や外回りの営業職など、事業場(店舗)外でなされる業務について、会社の管理が及ばず、実際の労働時間の算定が難しい場合に適用され、実際の労働時間にかかわらず、一定の労働時間を働いたものと「みなす」制度である。詳細は以下を参照してほしい。
そして、(3)裁量労働制だ。業務の遂行方法が大幅に労働者の裁量に委ねられる労働者について、業務を限定して適用される制度である。これも、実際の労働時間ではなく、あらかじめ決めた「みなし労働時間」を働いたものと扱われる。たとえば、1日13時間働いても、みなし労働時間を7時間にしていれば、残業代は全く払われなくなる。
労働弁護士や労働組合の長年にわたる取り組みのおかげで、(1)の管理監督者や(2)の事業場外みなし労働制については、判例が積み重なり、裁判所や労基署で適用が厳格に判断されるようになってきた。
大して権限がなかったり、会社が出勤時間を命令していたりすれば、いずれもアウトだ。制度の適用が無効であるとされ、過去2年分の残業代を払わせることになった事件は多い。このように、「合法的」に残業代を払わずに長時間労働をさせたい企業は、法的に追い詰められてきたと言える。
残された「フロンティア」としての裁量労働制
ところが、裁量労働制については、そうとは言えない。確かに裁量労働制も、仕事の遂行方法に裁量がないのに適用してはいけないことになっており、争う余地は多く残されている。実際に無効と判断され、残業代が支払われることになったケースもある。
しかし、現時点では、裁量労働制について裁判所の判例は非常に少ない。いわば裁量労働制は、労基法の規制にとらわれず、残業代を払わずに労働者を働かせ放題にすることが事実上可能な、最後の「フロンティア」なのである。
実際、裁量のない労働者に対する悪用はかなり蔓延している。
「新卒入社と同時に裁量労働制を適用され、多大なノルマを課された上、みなし時間を大幅に超える不払い残業を強いられて精神疾患を患う」といった相談もある。
そうした相談を詳しく調べてみると、裁量労働制が適用できる法的要件を満たしていないことがほとんどだ。
そもそも裁量労働制には2種類あり、対象となる労働者は二種類に限定されている。専門的な19の限定的な職種の労働者を対象とした「専門業務型」と、経営の中枢部門で企画・立案・調査・分析業務に従事する労働者を対象とした「企画業務型」である。
ただ、専門職種ではない労働者に「専門業務型」の裁量労働制を適用している企業の相談は後を絶たないし、企画業務型については、労基法上の定義自体が非常にあいまいで、かなり「適当に」運用されているのが実態だ。
今年春には、損保ジャパン日本興亜が、企画業務型裁量労働制を支社・支店の一般営業職に適用していたことが国会で問題となった。さすがに一般営業を「経営の中枢部門で企画・立案・調査・分析業務に従事」というのには無理がある。しかし、これほどの大企業ですら平然と不適切に裁量労働制を「適用」していたことは、違法な裁量労働制が野放しになっている現状をわかりやすく示している。
ところが、現役の労働基準監督官に聞いてみると、企画業務型について、運用の実態を見て無効性を判断した経験はないという。定義が曖昧であるために、厳密さが求められる監督官には手が出しにくい制度だというのだ。
労基署がダメなら、裁判所はどうか。結論から言うと、企画業務型裁量労働制を無効とした判例はまだ一つもない。裁量労働制の判例に詳しい労働弁護士に聞いてみたが、過去に一つも見つけられなかったという。それほどに抽象的で、争いづらい制度設計なのだ。
このように、不適法な適用が横行しているため、裁量労働制を適用された労働者は、「労働時間に裁量がある」はずなのに、概して一般の労働者よりも労働時間が長いという調査結果も示されている。
裁量労働制の拡大で、管理職と営業職も残業代ゼロに
今回の労基法改正では、この企画業務型裁量労働制を大幅に拡大するという。具体的な拡大対象にされる業務は、「事業の運営に関する事項の実施管理評価業務」(「実施管理評価業務」)と「法人提案型営業」である。
「実施管理表化業務」の定義は
「事業の運営に関する事項について繰り返し、企画、立案、調査及び分析を行い、かつ、これらの成果を活用し、当該事項の実施を管理するとともにその実施状況の評価を行う業務」、
「法人営業業務」の定義は
「法人である顧客の事業の運営に関する事項についての企画、立案、調査及び分析を行い、かつ、これらの成果を活用した商品の販売又は役務の提供にかかる当該顧客との契約の締結の勧誘又は締結を行う業務」とされている。
すでにかなり抽象的だが、簡単に言えば、前者は管理職の業務である。後者は、法人に関係する提案型の営業であり、単純な店頭販売や飛び込みの顧客訪問販売など以外の、営業職のほとんどが対象になりえる。
要するに、管理職と営業職のかなりの部分で「残業代ゼロ」「定額働かせ放題」が事実上容認されようとしている。
しかも、この対象拡大は、計画的なものだ。日本労働弁護団の棗一郎弁護士によれば、前者は(2)「事業場外みなし労働時間制」に、後者は(1)「管理監督者」に対応しているという。
つまり、判例が厳格化して利用しづらくなった二つの制度の「受け皿」として、争いづらい裁量労働制が選ばれ、追い詰められた企業がそこに逃げ込もうとしているというわけだ。
「高プロ」の要件は現場で守られるのか?
ここまで、裁量労働制が非常に曖昧な制度であり、容易に逸脱が可能で、残業代不払い・長時間労働を促進する制度であることを説明してきた。ただし、これは高度プロフェッショナル制度にも言えることだろう。
現時点で高度プロフェッショナル制度は、「年収1075万円」「高度な専門職」などに限定するとされているが、その限定自体が法的に緩和される可能性に加えて、そもそも現場でルールが守られないケースが大いに予想される。要件を厳格に満たしていなくても、「うちは高プロだから」と会社に言われてしまえば、声をあげられない人は多いだろう。
裁量労働制は、それ自体が危険な制度であるとともに、「高プロ」が何をもたらすのかを教えてくれる、現在進行形の「実験結果」でもあるのだ。
ぜひ報道関係者は、現在の裁量労働制の実態に目を向けてほしい。
(尚、現在不法な裁量労働制で働いている方には、下記の無料相談窓口の利用をお勧めする)
=無料労働相談窓口=
NPO法人POSSE
03-6699-9359
soudan@npoposse.jp
http://www.npoposse.jp/
総合サポートユニオン
03-6804-7650
info@sougou-u.jp
http://sougou-u.jp/
残業代請求サポートセンター(NPO法人POSSE)
03-6600-9359
soudan@npoposse.jp
http://www.npoposse.jp/zangyoudai/index.html
ブラック企業被害対策弁護団
03-3288-0112
http://black-taisaku-bengodan.jp/
日本労働弁護団
03-3251-5363
http://roudou-bengodan.org/
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孔徳秋水氏のブログの一節である。
他の部分は私の賛同できないことも書かれているので、自分の思想にとって都合のいい部分だけ引用するわけだwww まあ、文章が行開けで書かれているためネット的な意味で字数が多いということもある。
「国破れて山河あり」というが、実は、国は戦争に負けても、人民は大半が生き残る。戦争で死ぬのは兵士たちと、地元が戦場になった人たちだけだ。戦地から遠くに住む人々(銃後の人々)は、生活は苦しくはなるだろうが生命は無事である。戦後の貧困は免れないとしても、生き延びることはできる。
下の記事に書かれているのは「戦争は政治家と上級国民の利害で行うものだ」ということであり、戦争が一般国民の利益になることはまったく無いが、同時に、たとえ戦争で負けても、国民が皆殺しになるわけでも奴隷扱いされるわけでもない、ということだ。まあ、「奴隷扱い」を精神的な意味に取れば、戦後の日本国民は米国の奴隷だったかもしれないが、「満足すべき待遇の奴隷」だったのではないか。
繰り返すが、戦争は上級国民の生活向上あるいは生活や身分の防衛のためにやるものであるし、それは歴史上ほとんどすべての戦争においてそうだった、と考えるべきだろう。そして、戦争で負けることは、一般国民が皆殺しになることではない。「戦争において」、国民は死ぬのであり、「負けることによって」死ぬのではない。むしろ、負けることによって命が助かるとすら言える。日本国民は戦争を継続していた間大量に死に続けていたが、日本が敗戦を受け入れることによって、死ぬことが止んだのだ。
つまり、あの時、国民にとって敗戦(きれいごと的に言えば終戦)は慶賀すべきことだったのだ。
であるならば、最初からすべての戦争を放棄する、という日本国憲法9条こそが最高の憲法規定である、というのが一般国民にとっての「正解」ではないか。そうでないという理屈を「戦争肯定論者」は出せるだろうか。
一般国民を「戦争は国民にとって利益である」という飴で動かし、「この戦争に負けたらとんでもなく悲惨な目に遭うぞ」という鞭で動かすのが上級国民の手口であり、それに協力するのが、現代では教育とマスコミだ。
(以下引用)『三国志」の赤壁の戦いで、呉の国は賛否両論に分かれたが、周瑜が断乎開戦の意を表して決戦と決まった件がある。
周瑜が何を考えたかといえば、曹操の魏に下れば孫権一族は無事ではいられないか、相当に落ちぶれてしまうことが必定ということである。国中の家臣が講和を唱えるのは、自分たちに「再就職」の目があるからだと見抜いたからである。
ひとたび決戦となれば家臣たちも「再就職」など覚束ない。覚悟を決めて戦うしかないわけなのだ。
中国だろうと、日本だろうと、国が滅びても「家畜」に等しい人民は殺されない。むしろ、大事にされることすら珍しくなかった。
また、人民を味方にできなければ戦争にも勝てない。
マッカーサーがフィリピンなどを取り戻せたのも、人民が必ずしも日本に服従していなかったからである。
これが沖縄となると、制空権も制海権も取っているにも関わらず米軍の損害が増大した。
これが日本本土に近づくほど、ますます戦力も尽きている相手に損害を増やしたのだった。
中国共産党も、べトコンも、人民を味方にしてゲリラ戦で戦った。
中国共産党は大陸を支配し、ベトコンは米軍を斥けた。
「国」が、ほとんど滅びているに等しい状態で、なぜ彼らが勝ち、アメリカなどが負けたのか。
それゆえ、蒙古が中国を支配して、蒙古方式を強要したものの、だんだん中国の文化に蒙古の方が順応するようになってしまった。
つまり、「国」というのは、その地域の徴税権と徴兵権を握っている特権階級のことにすぎず、人民は選挙で新しい支配者を受け入れるがごとくに戦争で勝った新しい支配層にしたがったのである。
したがって、「国」など守ろうが守るまいが、人民にとってはどうでもよい。
そこに独占的権益を得て”甘い汁”を吸おうという薄汚い連中が”国のかたち”などと言うのである。
人民は、騙されてはならぬ。
「金融ユダヤ」と結託したとされ、国を盗んだ薩長は、「国作り」と称して人民を扇動したが、支配が固まると賊軍扱いして、真っ先に切り捨てた。
だいたい先の大戦でも、国土がボロボロになっているのに、薩長財閥は空前のぼろ儲け。
こいつらが「愛国」であるなら、財産を使い果たして自分たちもボロボロになっていたはず。
自分の儲けのために国土を焼け野原にして平気だった連中を「保守本流」などとしてもちあげ、引き続き政治家や大臣にしている日本国民は、バカ以外のなにものでもあるまい。
彼らの薄汚い根性が、戦後70年を経てもまるきし変わっていないことは、ずっとだれの目にも明らかなことであろう?
-
「ギャラリー酔いどれ」から転載。
重要な記事だと思う。
(以下引用)
偽ユダ謀略企業=Google、
◆http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2017/07/post-755b.html
マスコミに載らない海外記事 2017年7月29日 (土)
◎グーグルの新アルゴリズム、
左翼、進歩派ウェブ・サイトへのアクセスを制限
☆http://www.wsws.org/en/articles/2017/07/27/goog-j27.html
Andre Damon and Niles Niemuth 2017年7月27日
インターネット独占企業グーグルが、
ユーザーが“偽ニュース”にアクセスできないようにする計画を発表して、三カ月で、
様々な左翼、進歩派、反戦・民主的権利擁護団体の
世界的なトラフィック順位は大幅に下落した。
2017年4月25日、グーグルは“陰謀論”や“偽ニュース”などの
グーグルが“質の低い”情報と呼ぶものに、
ユーザーがアクセスしにくくするために、検索サービスに変更を行ったと発表した。
同社はブログ投稿で、同社の検索アルゴリズム変更の主目的は、
ガイドラインにより好ましくないとされる記事を識別する上で、
巨大検索企業が支配力を強化することだ。
同社は“より信頼できる記事を表示させる”ため“評価方法を改良し、
アルゴリズムを更新した”と主張している。
グーグルはこう続けている。
“先月、評価者が適切にフラグをつけられるよう、質の低いウェブ・ページの
より詳細な例を提供するよう、検索品質評価者ガイドラインを更新した。”
これら管理担当者は、“ユーザーが、一般とは違った視点のものを探していることを、
検索要求が明らかに示して”いない限り、
“陰謀論”ページを含め“ユーザーを不快にさせる”ものと
フラグをつけるよう指示される。
グーグルは“陰謀論”という言葉が一体何を意味しているか詳細には説明していない。
偽ニュースという幅の広い曖昧模糊な範疇を利用した
グーグル検索システム変更の狙いは、
出来事の内容や解釈が、ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストなどの
既成支配体制マスコミのものと相容れない
代替ウェブ・サイトへのアクセスを制限することだ。
検索結果の最初のページや、二ページ目に出なくなるような形で、
特定の内容にフラグをつけることにより、
グーグルは効果的に、ユーザーのアクセスを阻止できる。
膨大な量のウェブ・トラフィックが検索結果に影響される事実を考えれば、
グーグルは、検索ランキングを操作することで、
グーグルが反対する記事を、事実上、隠したり、埋めたりすることが可能になる。
先月、欧州委員会は、検索結果を操作し、ユーザーを
自社の比較購入サービス、グーグル・ショッピングに不適切に向かわせたかどで、
同社に27億ドルの罰金を科した。
今、グーグルは、同社が好ましくないと見なす政治的見解に、
ユーザーがアクセスするのを阻止するのに
こうした犯罪的手法を利用しているように見える。
World Socialist Web Siteは、グーグルの新“評価手法”の標的にされている。
2017年4月には、WSWSへの422,460ビジットは、グーグル検索からのものだったのに、
今月の推計で、120,000に落ちた。70パーセント以上の下落だ。
“社会主義者”や“社会主義”のような検索用語を使った場合でさえ、
グーグル検索で、World Socialist Web Siteを見つけるのが益々困難になりつつある
と読者は報告している。
グーグル検索でのWSWSへの参照は、約70パーセント減った。
グーグルのウェブマスター・トゥールズ・サービスによれば、検索で、
ユーザーが、World Socialist Webサイトの記事を読む件数は
(つまり、グーグル検索で現れるWSWS記事)過去三カ月で、
一日467,890から、138,275に減った。
一方、検索での記事の平均順位は、同時期に、15.9から37.2に落ちた。
WSWS国際版編集委員会委員長デイヴィド・ノースは、
グーグルは政治検閲を行っていると述べている。
彼は言う“World Socialist Web Siteはほぼ20年続いています”
“多くの外国読者を獲得しています。
今年春、毎月WSWSを訪れる人々は900,000人を超えていました。
“かなりの数の読者は、直接WSWSにアクセスしますが、
多くのウェブ・ユーザーは検索エンジン経由でアクセスすることが多く、
中でもグーグルが最も良く使われています。
文字通り一夜にしての、グーグル検索でやってくる読者数の
途方もなく急激な減少に対する正直な説明はありません。
“読者を‘偽ニュース’から守っているというグーグルの主張は
政治的な動機のウソです。
巨大独占企業のグーグルは、国家機関や、諜報機関と
極めて密接なつながりを持っており、検索を誤魔化すシステムによって、
WSWSや他の左翼や進歩派のウェブサイトを阻止しているのです。”
グーグルが検索エンジン変更を実施して以来三カ月で、
左翼や反戦ニュース・サイトにアクセスする人々は減っている。
Alexa analyticsにある情報によれば、
ランキングで急激な低下をしている他のサイトには、WikiLeaks、Alternet、
Counterpunch、Global Research、Consortium NewsやTruthoutなどがある。
アメリカ自由人権協会やアムネスティー・インターナショナルのように
著名な民主的権利擁護団体までもが影響を受けている。
様々な左翼、進歩派や反戦サイトが、ここ数カ月、
トラフィック・ランキングは落ちている。
グーグル・トレンズによれば 、アメリカ選挙の頃、
民主党、既成支配体制マスコミや諜報機関が、ドナルド・トランプが
ヒラリー・クリントンに対して選挙勝利させた“偽情報”を非難して、
“偽ニュース”という言葉の普及度は、11月初めに四倍になった。
11月14日、グーグルとフェースブックが“彼らのサイト上の偽ニュースが大統領選挙結果”
に影響した可能性があるという増大する批判に直面し、
“偽ニュース”と戦うため対策を講じるつもりだとニューヨーク・タイムズが報じた。
十日後、ワシントン・ポストは“ロシア・ロパガンダの取り組みが選挙中
‘偽ニュース’蔓延を支援と専門家は主張”という記事を載せ
“ロシア・プロパガンダ”をまき散らす“偽ニュース”サイト・リストを作成した
PropOrNotとして知られる匿名集団を引用した。
リストには“左翼”に分類されるいくつかのサイトがあった。
重大な事に、World Socialist Web Siteの記事を転載することが良くある
globalresearch.caも標的にしていた。
反戦、反体制サイトのブラック・リストに過ぎないという広範な批判を受けて、
ワシントン・ポストは、こう宣言して撤回を余儀なくされた。
“ボストはどのサイトの名もあげておらず、
PropOrNotの所見の正当性を保証するものではない。”
4月7日、ブルームバーグ・ニュースが、グーグルは、記事を“事実確認”し、
“偽ニュース”を削除するために、
直接ワシントン・ポストやニューヨーク・タイムズと作業していると報じた。
この後に、グーグルの新検索手法が続いたのだ。
三カ月後、ワシントン・ポストの信用を失ったブラックリストで、
“偽ニュース”とされた17サイト中、14が世界的ランキングが下落した。
これらサイトの世界的読者数の減少は、平均25パーセント、
サイトの中には世界的読者数が60パーセントも減少した。
“グーグルの行為は政治的検閲であり、言論の自由に対するあからさまな攻撃です”
とノースは語っている。
“既成体制派マスコミに対する大衆の不信が広まっている時に、
この巨大企業は 広範なニュースや批判的分析に、大衆がアクセスするのを制限するのに、
独占的地位を利用しているのです。”
↑
以前にも書きましたが、手前のブログ「ギャラリー酔いどれ」を画像検索、
Googleで通常に検索すれば、相も変わらず「田中伸男」をふっつけてくる、
こいつは経産のシロアリで原発村の古狸=ユダの犬コロです。
誰が見るんですかね? こんな売国奴を。
画像の元URLは不快なのでとっくに消去しています、
いくら、不適・不快画像だからふっつけるなと言ってもやり続けるw
異様、異常、その姑息さには呆れます。
「site:goo.ne.jp ギャラリー酔いどれ」で検索すれば出てきません。
Googleは胡乱です、信用しないことですな。
同じ画像検索でも量は少ないが Bing はお勧め、出てくる画像が違いますし、
あなたを追跡しない検索エンジン= https://duckduckgo.com/ も悪く無い。 -
共同通信「47NEWS」より転載。
さすがに連合内部でも批判の声が強かったのだろう。実際、この法案を容認することは労働組合連合としての自殺なのだから。
一般の労働者も、現政府がこのような法案の実現を目論んでいることに危機意識を持たねばならないはずなのだが、ネットですらあまり声を聞かない。
「小さく生んで大きく育てる」というのは、政治に関しては、法案段階では法律の適用範囲を小さくし、それで法案が通ったら、適用範囲を無制限に拡大していくということだ。
国民の権利の制限や弾圧に関わる法案は、ほとんどが「小さく生んで大きく育てる」ものだった。しかも、政権内部の人間が「残業代ゼロ法案」について、この言葉を使っているのである。
(以下引用)連合「残業代ゼロ」容認撤回へ
労基法改正案、政労使合意見送り
一部専門職を残業代支払いなど労働時間に関する規制から外す「高度プロフェッショナル制度」を含む労働基準法改正案の修正を巡り、連合が政労使での合意を見送る方針を固めたことが25日、関係者への取材で分かった。修正は連合から政府に要請、今月中に政労使トップ会談で合意する見通しだった。
連合は事実上の新制度容認を撤回、従来の反対姿勢を明確にする。27日に中央執行委員会を開き方針を確認する。
労基法改正案は2015年に国会に提出されたが「残業代ゼロ」と新制度への批判が強く、2年以上審議が先送りされている。
-
「ネコでもわかる経済問題」というサイトから転載。
文体が読みにくいが、内容は高度で、読む価値はあります。
「脱時間給制度」とは、要するに「残業代ゼロ法案」のことなのである。
なお、「連合が『脱時間給制度』に合意したから法案成立への障害がなくなった」というのもおかしな話であり、連合はべつにすべての労働者や法学者の代表ではない。
(以下引用)ネコでもわかる経済の話 > 「脱時間給」の欺瞞 その対策
<生産性という意味がめちゃくちゃになっている>Q.労働時間ではなく、成果に応じて賃金を支払う「脱時間給」(別名:残業ゼロ制度)が新聞に取り上げられていたのにゃ。残業が減れば生産性が高まり、企業の競争力が高まって経済成長するような事をにおわせているにゃ。本当なのかにゃ?A.以前にも指摘したのじゃが、マスコミも識者も、残業と生産性の話がめちゃくちゃじゃ。生産性と言っても意味がいろいろある。①「カネつまり「コスト」としての生産性」という考えと、②「時間当たりに生み出す付加価値の量としての生産性」という考えを分けて考えねばならん。カネとモノを分けて考えるのじゃ。Q.ふ~ん、カネの仕組みと、財の生産と分配は別問題にゃ。ごちゃまぜにしてはいけないのにゃ。A.左様じゃ。まず「①コストとしての生産性」の場合を考えてみよう。従来の時間給制度であれば、労働者の労働時間が長ければ長いほど、企業が労働者に支払う賃金の総額は増える。企業の売り上げ金額が同じであれば、社員が長時間労働しておるほど、人件費コストあたりの売上金額が低くなる。これを「生産性が低い」というのじゃ。この場合に生産性を高めるには、残業代を払わず、ただ働きさせることで時間当たりの人件費コストを下げればよい。ちなみに、ブラック企業の生産性は非常に高い。なぜなら、低賃金で長時間労働じゃからな。これは、コストという意味での生産性じゃ。会社の経理では、コストが重んじられる。そして、労働組合が問題としておるのは、この部分じゃ。「脱時間給」制度を悪用してブラックな企業がやると予測されるのは、残業代をゼロにして、なおかつ、制度導入前と同じだけの労働時間を「事実上強制」することじゃ。給料を下げて働く時間は同じ。すると、企業としては大幅な賃金カットをしたうえに、生み出される商品やサービスの量は同じままだから、商品のコスト単価が大きく下がる。つまり、賃金カットで商品の競争力が高まるわけじゃ。賃金カットで競争力を高めて市場シェアを広げる。これがブラック企業の成功の秘訣じゃ。本来、これは生産性の向上にもとづく競争力の強化ではない。しかし、マスコミや識者はこれを「生産性の向上」と結びつけて正当化したがる気配がある。むしろ意図的に混同させようとしている記事が多い。こんなものはあるべき「生産性の向上」ではない。Q.ブラック企業は、とんでもないにゃ。残業代を払わない事は、本来は生産性の向上じゃないのにゃ。A.そうじゃな。次に②「時間当たりに生み出す付加価値(商品やサービス)の量」としての生産性の場合を考えてみるのじゃ。社員が時間当たりに生み出す付加価値の量を増やせば、同じ量の仕事でも、所定労働時間内(8時間)で作業を終わらせる事ができるようになる。すると残業する必要がなくなる、という意味である。確かにこの意味での生産性の向上は必要じゃろう。生産性が高まると、マクロ的には国内の生産力の総量が増加し、国がより豊かになると思われるからじゃ。そこで、どうやって生産性を高めるか?脱時間給の制度として提言されている内容によれば、社員の残業に対して賃金を支払わないようにすれば、社員が無駄な残業を減らそうと努力するようになり、生産性が向上するという。しかしこの考えは無理がある。単に残業代をゼロにしたからと言って、生産性が必ずしも向上するわけでは無い。生産性があまりにも低い企業であれば効果は出るかも知れんが、もともと生産性が高い業種であれば、残業代をゼロにしたところで、それ以上に生産性を高める事は難しいじゃろう。つまり「時間当たりに生み出す付加価値の量」つまり生産性を高める、という事は、悪い事ではない。しかし、残業代をゼロにしたからと言って、生産性が高まるとは限らず、いわゆるサービス残業が増えるだけになりかねないのじゃ。<脱時間給により、生産性とは無関係な「社員のサービス残業合戦」が始まる>Q.そうなのにゃ。それに労働時間の長さは、社員の生産性という観点とは別に、そもそも会社が社員に課す仕事の量によっても左右されるのにゃ。山のように仕事を指示しておいて、それを所定時間内にできないから生産性が低い、とかいう経営者が出て来ないとも限らないのにゃ。所定時間内で出来ないのは、社員の能力が足りないことが原因だから、サービス残業するのは当然とか言い出しかねないのにゃ。A.そうじゃな、そうした問題を未然に防ぐためにも、脱時間給の適用される職種というのは非常に限られるということじゃ。会社が社員に具体的な作業を課す、というタイプの職種には絶対に適用してはならない。それだと労働時間とは無関係に会社都合でいくらでも仕事を課すことができてしまうからじゃ。脱時間給が可能な仕事のスタイルとは「会社が社員に達成目標と報酬内容を明確に示し、具体的な作業内容は会社の指示ではなく社員が自ら決める(裁量)」場合に限られるのじゃ。そのような職種として例えば完全歩合制の営業職などは、すでに脱時間給になっておる。じゃから本来の意味から言えば、管理職に対して「脱時間給制度」を導入する場合も、会社は社員に具体的な作業内容を課すのではなく、あくまでも達成目標を課さねばならない。そして達成目標を与える場合も、達成目標の難易度に応じた報酬が提示されなければならないし、報酬に対する交渉も行われる必要がある。つまり、難易度によっては、目標ごとに報酬を増額・減額する必要もあるじゃろう。そうした部分まで制度をしっかり整えてこそ、脱時間給は有効となるのじゃ。Q.他にも脱時間給の弊害はあるのかにゃ。A.そうじゃな、脱時間給制度になると、社員のサービス残業合戦が始まるじゃろう。生産性を高めると言っても、口で言うほど簡単ではない。結局のところ、生産性を高めるよりも、より多くサービス残業して長時間労働した方が高い成果を出すことが出来る。そして、企業は「高い成果」を出した社員を厚遇し、昇進させる。つまりサービス残業した方が会社からの評価が高まるのじゃ。となれば、社員はこぞってサービス残業するようになり、過労死などの問題はますます激化するじゃろう。しかも労災は認定されない。会社は残業を強要しておらず、あくまでも社員の自発性による長時間労働だからである。<脱時間給なら、残業も禁止しなければならない>Q.そうなのにゃ、でも政府が言い出したら強行される可能性があるのにゃ。単に反対というだけでは押し切られるだけにゃ。どのように対抗すべきなのかにゃ?A.「脱時間給」を実施する場合には、労働組合として条件を付けるべきじゃ。それは、「脱時間給を導入するならば、同時に残業を禁止する(一日8時間労働厳守)」という条件じゃな。自宅やホテルでの残業も禁止じゃ。社員に対しては、あくまでも8時間の労働時間内で成果を出すことを求める。これが本当の「生産性の向上」というものじゃ。このように、残業する事そのものを禁じれば(長時間労働の禁止)、社員の「サービス残業競争」を防止することが出来る。とはいえ、いままで残業を山のようにやって成果を上げていたのが実態じゃろうから、企業としては、いきなり残業を禁じるのはむずかしい。残業禁止を導入すれば、確かに時間当たりの生産性は高まるかも知れんが、総労働時間が減ることにより、生産力の総量そのものが低下して大変な事になるじゃろう。そもそも、「脱時間給」はマスコミの大好きな美辞麗句じゃが、実態は残業しなければ仕事にならんのじゃよ。8時間で仕事が終わらないのが実体じゃ。にもかかわらず、残業代を払わないなどという話はおかしい。じゃから、無駄な残業時間を減らして(生産性の向上により)人件費を押さえたいと希望するのであれば、「脱時間給制度」などではなく、月間に可能な残業時間を法的にもっと厳しく制限して、その残業時間を徐々に減らしてゆくべきなのじゃ。たとえば、月間残業時間をまずは40時間に法令で制限する、1年後には38時間に制限する、2年後には36時間に制限する、そういう形で、残業そのものを減らす事こそ、正しい「生産性の向上」じゃと思うがのう。労働組合も、そういう主張をなぜせんのか、理解に苦しむ。<残業代が減ると生活が苦しくなるという「異常な社会」>Q.なぜ残業を減らすように労働組合が圧力をかけないのかにゃ?それは、サラリーマンの収入に占める残業代のウエイトが高くて、残業しないと生活が苦しくなる、という実態があるからじゃないかにゃ。A.ほっほっほ、それは一理あるのう。残業代を減らされると困る、と考える人もおるじゃろう。残業代がもらえなくなると生活が苦しくなる。だから残業代をゼロにする事に反対する、そして今後も残業して稼ぎたいという人じゃ。しかし、残業を前提として生活を設計することは、そもそも企業の支払っている給与水準が低すぎる事を意味する。生活のために残業する、これが実体だとしたら、生産性の向上など関係ない。それ以前の問題じゃ。それでは世の中から残業が減るはずはない。つまり「低すぎる給与水準」が、残業代ゼロという考え方を拒否する国民感情を生んでいる一つの要因ではないかと思うのじゃ。もちろん、すべてではないがの。本来は残業などすべきではない。脱時間給を検討するのであれば、残業代が無くとも十分に生活できる給与水準についても検討されるべきじゃろう。<生産性の向上により、ますますデフレになる危険性>A.生産性が向上して残業が減り、社員に支払われる賃金が低下すれば、確かに企業の収益性は向上する。しかし個々の社員の給料が減るという事は、社会全体としてみた場合、国民に支給される給与の合算総額も減少することになる。つまり国民にゆきわたるおカネの総量が減ることになり、国民の総購買力が低下し、内需は減少することになる。つまり、国民所得が減ってしまい、モノが売れず、デフレ不況圧力が高まるじゃろう。<脱時間給とともに、給付金を支給すべき>A.個々の企業にそんな意図は無くとも、社会全体としては、生産性の向上によりデフレ不況圧力が高まる。これを防ぐためには、国民に支給される所得の合計、つまり国民総所得を維持あるいは増やす必要がある。ということは、企業から国民に支払われる給与が減る以上、別の方法で国民におカネを給付しなければ、国民総所得が増える可能性は無いだろう。この問題に対しては、以前からワシが主張しておる「国民への給付金」を実現することで対処可能じゃ。景気対策として支給するのが給付金の目的じゃが、景気対策と同時に生産性の向上によるデフレ圧力も解決できると思うのじゃ。そして、給付金により国民総所得を底上げしてやれば、国民の購買力が向上して企業の売上そのものは増加することになる。それが企業利益の増加を生み、「賃金ベースアップ」という形で、賃金上昇の流れを定着させ、デフレを脱却する事ができると思う。つまり、脱時間給による生産性の向上は企業の純利益(株主資本)の増大には寄与するかも知れないが、それだけでは生産性向上の恩恵を国民に行き渡らせる事は難しいと思うのじゃ。そこで、脱時間給と同時に、国民への給付金の支給を行う事により、生産性の向上を実質経済成長(見かけの経済成長ではない)に結びつけることができるのじゃ。これが生産性の向上による実質GDPの成長となる。それが実現してこそ本当の「脱時間給による経済成長」じゃろう。そうしなければ、脱時間給は労働者の一人負けじゃ。2015.6.1 修正 -
森友加計学園事件の何が問題なのか、ということについて「酔生夢人」ブログに書いた文章の一部をこちらに自己引用しておく。
「公共事業などの行政案件において、為政者や官僚の友人や知人が案件を受託して(当然利益を得て)何が悪いのか。そもそも、企業幹部と官界や政界の人間は知人でないほうが少ないのだ」
と考える人も多いかと思うし、私自身この問題を深く考えていなかったのだが、前記の「酔生夢人」ブログ記事を書くことで問題の本質が明確になったように思うわけである。私は何しろ、「書くことでしかまとまった思考が機能しない」人間なのだ。(当然、日常会話では中学生との議論にも負けるだろうwww)
で、国会証人喚問で前川氏が「行政が歪められたとは何か」という質問に対して答えた言葉がまさに私の考えを裏付けているように思うので、下に両者を掲載しておく。
(引用1「酔生夢人」ブログ記事の一部)
この事件は総理が自分の友人に利便を図って巨額なカネと行政が不正に動いたというのが問題なのである。いや、便宜を図った相手が自分の友人であったことも事件の本質ではないかもしれない。総理が、適切な手続きを取らずに行政を恣意的に動かしたというだけで、すでに大問題であり、そこに「忖度」が働くことで行政が不正を行ってしまうという、政治上のモラルの根幹が問題だと思う。つまり、「法治主義」からの根本的な逸脱が真の問題点なのだろう。法治主義は「デュー・プロセス(正当な手続き)」を踏まないと、法が独裁的権力の単なる武器になるのであり、市民生活を守るどころか抑圧するものになる。
(引用2「ギャラリー酔いどれ」所載の「日刊ゲンダイ」記事の一部)
これまでの会見と同様、国会の場でも堂々とした様子でこう訴えた前川氏。
あらためて獣医学部新設をめぐり、
「(選定の)プロセスが不透明で不公正だと思っている。
初めから加計学園と決まっていた」と強調した。
「行政が歪められたとは何か。隠蔽された事実とは」。
共産党の宮本岳志議員がこう尋ねると、前川氏は
国家戦略特区の規制改革に触れつつ、
「(岩盤規制に)穴を開けるかどうかではなく、穴の開け方、穴を通って
どの主体がやるのか。規制緩和の恩恵を受けるのか。
その結論に至るまでのプロセスに問題がある。
不公平、不透明な部分がある」と答えた。 -
これは日本政治の浄化のために一番大事なこと。
とにかく、言葉や対話や論理が機能しない状態では政治がまともに機能するはずはない。
言葉の使い手であるマスコミが菅話法などに翻弄されていたのが情けない。
菅が「それは当たらない」と言ったら、「なぜ当たらないのですか」と、「なぜ、なぜ」と根拠と論理を追及していけばいいだけの話である。
(以下引用)カマヤン1192(昔漫画家だった人) Retweeted記者が食い下がるのが本当に大事。なんか当然すぎるけど、、、今まで「菅話法」を放置しすぎ。東京新聞望月記者さんに感謝。全記者さん、答えになってなかったら「答になってませんが、理由は言えないということですか?」て食い下がってほしいなあ https://twitter.com/Medicis1917/status/881865531992678400 …
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「混沌堂主人雑記」に載っていた記事の一部で、この指摘は非常に鋭いと思う。
皆、甘く見ているけど日本で革命を起こすとか、変化を起こすとなるとマジで日本人の半分を殺戮する事になるよ どれだけ、権力者と一般人が縁故で固まっているのか
これが、日本で暴力革命が起こらない根本的理由だろう。つまり、大半の人間は「上級国民の縁故者」なのである。自分自身は貧しくても、自分の兄弟や従兄弟などは上級国民だったりするわけだ。上級国民とまでは言わなくても、末端公務員を家族や親族に持たない人間は少ないだろう。そして公務員とは「現体制の構成員」、大枠で言えば革命の敵なのである。
「よし、あなたが我が国の現状に非常に不満を持っていることは分かった。では、この国を根本から変える革命を実現させてやろう。ただし、その場合、あなたの家族、親族の全員が死ぬことになるが、それでもいいか」と言われて、「それでも良い。私は自分の家族や親族全員の命よりもこの国の未来のほうが大事だ」と答えきれる人間だけが「革命の前衛」になれる人間だろう。そして、私はそういう人間が大嫌いである。
抽象的存在のために他人の命を犠牲にできる人間を私は嫌悪する。かつての学生運動の中の「暴力革命派」、いわゆる「連合赤軍」などがそれだ。
(以下引用)
魔法おっさん(30代住所不定無職童貞) @douteimaturi 2016年11月26日
皆、甘く見ているけど日本で革命を起こすとか、変化を起こすとなるとマジで日本人の半分を殺戮する事になるよ どれだけ、権力者と一般人が縁故で固まっているのかがわかっているのであれば、どれだけ殺戮したってミントの様に根を張っているから駆逐なんて、現実無理だけど覚悟あるなら正しい判断だよ
