"経済・政治・社会"カテゴリーの記事一覧
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「NEWS SCRUP」という、多分2ちゃんねるまとめサイトの一つから転載。
この事件は今後の日本が抱える高齢者問題に大きな影を投げかける事件だと思うが、ネットやマスコミでこの事件を大きく取り上げるべきではないだろうか。特に、裁判所の判決が妥当かどうか、そして、ではどういう認知症高齢者対策が可能なのか、議論が起こるべきだと思う。
もはや偽善的ヒューマニズムではこの問題には対処できない、と私は見ている。
何よりも、家族の負担が大き過ぎるはずだ。徘徊ボケ老人を四六時中監視していれば自分の生活など不可能だろう。かと言って、部屋に閉じ込め、ベッドに縛り付ければ老人虐待で逮捕、である。ボケ老人が事故を起こせば賠償、そして何とボケ老人自身が死んでも、この事件のように殺した鉄道に賠償、である。もはやこの狂った社会では介護する側がキチガイになるしか救われる道は無いだろう。
解決の方法? 私には考えがあるが、書かない。
たぶん、以前に書いてあると思う。非常に、アンチ・ヒューマニズムの方法である。
言うまでもなく、私は悪意を持って「ボケ老人」と書いている。ボケてしまったら人間としては終わりであり、「認知症」などと、まるで治療可能な病気のように扱うこと自体が医療産業による犯罪行為だ、というのが私の意見だ。そこにこの問題のすべての錯誤や不幸の原因がある。
(以下引用)
【認知症事故と損害賠償】認知症老人が列車にはねられ死亡→地裁が遺族に720万円支払い命令=無慈悲なJR東海と判決、介護関係者からも怒りの声
社会 その他
【認知症事故と損害賠償】地裁が遺族に720万円支払い命令認知症事故と損害賠償/上 介護現場に衝撃の判決
「ある判決」が介護の現場に衝撃を広げている。91歳(当時)の認知症の男性が線路内に入り、列車にはねられて死亡した事故。裁判所は遺族に対し「注意義務を怠った」として、鉄道会社に720万円を支払うよう命じた。認知症の老人は閉じ込めておけというのか−−介護関係者からはそんな怒りの声すら聞こえてくる。【浦松丈二】
JR東海から遺族が突然、手紙を受け取ったのは事故から半年後だった。<平成19年(2007年)12月7日に東海道線共和駅内(愛知県大府市)に人が入り、快速列車に衝撃し列車が遅れるという事故が発生しました。本件により弊社に別紙の通り損害が発生しております>。列車遅延による損害賠償の協議申し入れだった。
別紙には「損害額一覧表」として、事故に対応した職員の人件費、他社に振り替えた運賃、払戻金など720万円の内訳21項目が列挙されていた。受け取った横浜市在住の長男(63)は「正直、驚きました」と振り返る。
事故当時、男性は要介護4。介護なしでは日常生活が困難だったため、85歳(当時)の妻と、介護のために横浜市から近所に移り住んだ長男の妻が世話していた。男性が自宅を出たのは長男の妻が玄関を片付けに行き、そばにいた妻がまどろんだ一瞬のことだった。
「手紙が届いた後、JRの要請で、かかりつけ医師の診断書と『認知症があり線路上に出たと考えられる』と認定した警察の死体検案書を送りました。重い認知症だった父に責任能力がないことはJRも分かってくれると思っていた。ところが、専門医の診断書ではないから疑いがあるなどと言ってきた」と長男。事故 から1年後、JRから内容証明郵便で正式な賠償請求が届き、その後、裁判所を通じて不動産の仮差し押さえを申し立ててきた。こうした対応に「父の墓前に線 香の一本でも上げてくれていたら……父をはねて殺しておいて」と怒りがこみ上げてきた。
(中略)
認知症の人と家族の会(本部・京都市)の高見国生代表理事は「こんな判決を出されたら家族はたまったものではない。認知症の人はどこかに行きたい、ここを出たいと思い立ったら必死に出て行く。家族がどれほど注意していても徘徊(はいかい)は起きてしまう。家族の責任を問うべきではない。何らかの公的補償制度を検討すべきです」と訴える。
そもそも事故は防げなかったのか。現場の共和駅。駅員は日中2人、早朝と深夜は1人だ。高さ1・1メートルのホームの先端から線路に下りる階段があった。判決後、階段の柵は施錠されているが、事故当時は施錠されておらず、簡単に線路に下りられた。
(中略)
判決は男性がどのように事故現場の線路に入ったかは「不明」として判断を避ける。JR東海広報部は事故後の原因調査について「名古屋高裁に係属中であり、コメントは差し控えさせていただきます」としている。原因不明では再発防止策もおぼつかない。事故から9カ月後には、大府駅の隣の逢妻駅(愛知県刈谷市)でも認知症の女性(当時83歳)が列車にはねられて死亡した。
(中略)
認知症はひとごとではない。厚生労働省研究班(代表者・朝田隆筑波大教授)の調査によると、65歳以上の高齢者のうち認知症の人は推計15%で、昨年時点で約462万人に上る。認知症になる可能性がある軽度認知障害(MCI)の高齢者も推計400万人。65歳以上の4人に1人が認知症とその予備軍なのだ。社会全体が自らの将来として認知症とその介護を考える時期を迎えている。(抜粋につき全文は下記にて)
上記事の著作権は[ 毎日.jp ]に帰属します。
http://mainichi.jp/feature/news/20131016dde012040026000c.html
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55: 名無しさん@13周年 2013/10/17(木) 00:37:33.51 ID:I+UzFJIS0
>>1
>認知症の老人は閉じ込めておけというのか--介護関係者からは
>そんな怒りの声すら聞こえてくる。
言っておくが、閉じ込めたら虐待で逮捕だからね
104: 名無しさん@13周年 2013/10/17(木) 00:48:33.69 ID:Eg60DtQG0
安楽死法を制定して、65歳以上の人には「認知症になったら安楽死」って署名をしてもらう
冷たいと思う?でもこれから団塊の世代が大量にボケるよ
しかも今の老人は健康番組見て健康で体力あってボケてるよ
>>1じゃ線路に入っただけだが、バット振り回す徘徊老人とか増えるかもよw
124: 名無しさん@13周年 2013/10/17(木) 00:51:52.13 ID:nCyEYffd0
>>104
冷たいと思わない。つーか、俺自身署名捺印したいw
ふと思ったんだが役所の無料健康診断で、何故認知症検査をやらないのか不思議
253: 名無しさん@13周年 2013/10/17(木) 01:30:23.58 ID:x9bBSrB70
>>1
>何らかの公的補償制度を検討すべきです」と訴える。
公的補償制度ってようは税金でしょ?
何でもかんでも税金に頼るな。
308: 名無しさん@13周年 2013/10/17(木) 01:54:37.79 ID:Y7l+2q4z0
>>1
> 認知症の老人は閉じ込めておけというのか
アホすぎ、だれもそんなこといってねぇ
認知症ならきちんと介護者が責任を持ってその者の行動を監視監督しろって話だろ
334: 名無しさん@13周年 2013/10/17(木) 02:05:30.22 ID:nbB+sppF0
>>308
健康なボケ老人の見張りは、健康な大人が3人ついてないと無理だよ。
340: 名無しさん@13周年 2013/10/17(木) 02:09:02.53 ID:4y8agASh0
>>308
それムリ。
亡くなった父親が認知症になったが周りの人間の人生はほぼ崩壊する。
ちょっと目を離すと何でも無くすし隠すし、
暑いの寒いので側にいるだけでこっちのほうが体調を崩す。
離れていても電話をガンガンかけてくるし、自殺するだの救急車を呼ぶだのやりたい放題。
老人ホームなども動ける認知症の男は引き取らない。
最期は精神病院に閉じ込めておくしか方法はなかった。
444: 名無しさん@13周年 2013/10/17(木) 03:13:55.32 ID:WCqjoVziO
>>1
「じゃあ鉄道会社は泣き寝入りしろ」っていうのもおかしな話じゃね?
どうせ鉄道会社だって保険かけてるだろうから、結局保険会社が払う羽目になるんだろ。
つか責任持って管理しとけよ。
できないなら閉鎖病棟に保護入院でいいじゃん。
451: 名無しさん@13周年 2013/10/17(木) 03:21:03.04 ID:isHKdXakO
>>444
それがね、保険って意外と掛けられてないもんなのよ。
人身事故に対する保険を考えた場合、路線長や運行頻度にもよるけど、
大手民鉄の場合、保険代だけで1日あたり1億円前後という計算を聞いたけどね。
駅や工場などの施設くらいしか掛けてなかった筈。
452: 名無しさん@13周年 2013/10/17(木) 03:26:09.28 ID:HH+kF3fR0
>>451
鉄道の人身事故の保険なんて引き受ける会社もなさそうだしな。
あってもすごい保険料になりそう。
62: 名無しさん@13周年 2013/10/17(木) 00:39:17.22 ID:sK/D072r0
3 :名無しさん@13周年:2013/10/16(水) 22:01:05.51 ID:fxVIs6no0
誰でも簡単に線路に入れるほうがおかしい
JRの安全管理責任を棚上げにしてるほうがおかしい
電車という危険なものを使って儲けてる会社はそれによって生じる危険を当然負担すべき
300 :名無しさん@13周年:2013/10/16(水) 22:43:51.48 ID:jfV0OUdc0
要求道理の満額判決か
血も涙もない脳みそもない裁判官だな
これじゃ自動販売機と同じレベルじゃないか
>>3の人の意見の観点からの減額考慮はあって当然じゃないか
344 :名無しさん@13周年:2013/10/16(水) 22:51:55.72 ID:0Q3LBGAl0
>>3
子供が柵がついてない工場の排水溝に落ちて死んだ事故で、
子供がいるような町で柵をつけてない会社はおかしいって、工場に賠償を命じた判例があったな
248: 名無しさん@13周年 2013/10/17(木) 01:29:14.16 ID:GujU+lR60
>>62
情けに左右されるようなら法律なんていらないよ
467: 名無しさん@13周年 2013/10/17(木) 03:43:56.62 ID:HH+kF3fR0
ああでもこの判決だとちょっとややこしいことにもなりそうだな。
JRは爺さんに責任能力があって自分の意志で線路に入ったから、
爺さんに賠償しろと訴えた。
しかし裁判所は爺さんに責任能力はなく、監督責任を怠った家族が賠償せよという判決を出した。
これが成り立つと、親が目を離した隙にに子供が電車にはねられた場合も、
鉄道会社は遺族から賠償金取れることになるんだな。
まあ、当たり前と言えばそうなんだが、感情的な反発はこのケースより大きいかもな。PR -
「暗黒夜考」から転載。
記事が長いので、「特定秘密保護法案」の性格を一言で言い尽くした秀抜なフレーズを「afternoon cafe」から拝借して解説に代える。
そ~れは秘密、秘~密、秘密、秘密のアッコちゃん♪
RT @ikez2: アニメが全て黒塗りの「特定秘密のアッコちゃん♪」
11-04 15:46
(以下引用)
【特定秘密保護法】 政府見解「TPPも原発も”特定秘密”に」 ~「暗黒社会」が現実に~
2013年11月03日 | Weblog
案の定、「アレも秘密、コレも秘密」で、「TPP」も「原発」も政府の恣意的な見解ひとつで”特定秘密”に指定される可能性があるとの政府見解が明らかとなった。
まずは手始めに40万件もの国家機密が”特定秘密”に指定されるとの話であるが、「何が秘密になるか自体が秘密」とされているゆえ、40万件と言われる”特定秘密”が今後右肩上がり的に増大していくことは自明であろう。
また、手始めに”特定秘密”とされる40万件にのぼる内容に、これまで政府・官僚が積み重ねてきた”売国行為”が赤裸々に綴られた外交文書や議事録の類などが含まれることは疑うまでもないであろう。
同法案成立の暁には、あの「西山事件」にて行なわれたのと同様、時の総理や外務官僚連中が「不都合な真実」の書かれた機密文書を”合法的”に、かつ”永久”に日の目をみないように隠蔽可能となるのである。
さて、以下のNHK記事がその典型例であるが、大手マスコミ報道にて「”特定秘密”はその定義が曖昧」との指摘が散見される点については、一見すると「正論」であるように聞こえるやも知れないが、その実は全くの”的外れ”な指摘である。
何故なら、そもそも「特定秘密保護法案」を成立させる目的が、国家運営上、都合の悪い内容を”曖昧化”することであり、国民の目から「不都合な真実」の存在そのものを覆い隠さんとするものだからである。
即ち、「特定秘密保護法案」に関する議論としては、国会審議を深めればどうにかなるという類のものではなく、「同法案を成立させるか否か」の1点がその論点だということである。
換言するならば、中身が極めてグレーな内容だけに、シロかクロかをはっきりさせるしかない代物だということである。
(勿論、導かれるべき結論が同法案の廃案であることは言わずもがなであろう)
同法案については、国会にて色々と審議がなされ、表向きは広く、かつ慎重に議論がなされているかのように”演出”されているが、その実はほとんどの議員がこれに賛成票を投じる腹であり、同法案が可決された暁には、これに賛成票を投じた”売国”議員全員の氏名と顔写真を世間に晒す必要があるであろう。
「いよいよ特定秘密保護法案が国会審議に入り、時代は暴力的転換点に立ち、自由言論は終焉を迎えようとしている」
この言葉は、個人的にも懇意にさせていただいているブログ『独りファシズム』を主催するYukino氏が同ブログ内にて綴られたコメントであるが、「まさにその通り」という言葉である。
同法案が可決されれば、「何が特定秘密か?」が”曖昧化”された中で多くの言論人が疑心暗鬼に陥り、当局の目を気にして、自ずと言論活動にブレーキを掛けざるを得ない世の中になるのである。
そのことを如実に表しているのが、先のコメントに続く「残された時間の中で可能な限りを綴り、そのいくばくかを皆様に共有して頂きつつ、自分という現象の残響をキャッシュに留めておきたい」との氏の言葉である。
即ち、国家権力にとって都合の悪いことを暴こうとする”反乱分子”は、同法案によって如何様にもあぶり出しにして捕捉可能な「ディストピア」(暗黒社会)が現実のものになるのであり、そう考えると、”無防備”なまま、国家体制批判を行なうブログなどの言論は差し控えざるを得ないということである。
端的に言えば、『独りファシズム』他、国家体制を批判する内容のブログは早晩、更新停止・閉鎖に追い込まれるということであり、本ブログも同様、このまま”無防備”な状態で継続することはできないというのが率直な思いである。
今後のことは追々お話をさせていただくとして、今はただ、「残された時間」の中で可能な限りを綴ることに集中したいと思う次第である。
(転載開始)
◆TPP「特定秘密指定も」 内閣府副大臣 政府見解を修正
2013年11月2日 東京新聞 朝刊
岡田広内閣府副大臣は一日の衆院国家安全保障特別委員会で、環太平洋連携協定(TPP)など通商交渉の情報について、特定秘密保護法案に規定された安全保障に関する「重要事項」に該当する可能性に言及し、国民に公表しない「特定秘密」に指定することもありうるとの考えを示した。TPPは特定秘密に該当しないとする政府見解を修正した。政府が恣意(しい)的に指定し、秘密の範囲を広げる懸念が強まった。
(城島建治、大杉はるか)
岡田氏は「(公務員らが漏らすと、処罰の対象になる)特定秘密は、安全保障に関する重要なものと法案で規定している。(TPPなどの)交渉方針や内容が特定秘密保護法案の規定に該当するかは、個別具体的に検討する必要がある」と述べた。
岡田氏は三十日の特別委では「TPPは特定秘密を定める法案の規定に該当しない。特定秘密にはならない」と明言していたが、発言を修正した。
これを受けて、共産党の赤嶺政賢氏が「TPPが安全保障の根幹に関わるのは、具体的にどういうケースか」と質問。
菅義偉(すがよしひで)官房長官は「安全保障の言葉の意味は時代によって変わってくる。個別具体的なテーマは、時々の情勢を勘案しながら、国家安全保障との関連性で審議する」と答弁し、「安全保障」の定義は政権が判断するとの考えを示した。
TPPは日本、米国、カナダなどの十二カ国が現在、関税撤廃を協議する「市場アクセス」、医薬品の特許などを取り扱う「知的財産」の二十一分野で交渉中。
TPPに詳しい東京大の醍醐聡名誉教授はTPP交渉が安全保障の「重要事項」に該当する可能性はないと明言。
「政府は意図的に安全保障の概念を広げて、情報を隠そうとしている」と指摘し「安倍政権はTPPを通商交渉だけでなく、日米安保の枠組みで重視している。交渉内容を特定秘密に指定するというなら、特定秘密は際限なく広がりかねない」と述べた。
◆原発の警備「特定秘密指定あり得る」 森担当相
2013年11月1日19時07分 朝日新聞
森雅子・秘密保護法案担当相は1日午前の記者会見で、原発テロをめぐる情報について、「警察の警備状況は特定秘密に指定されるものもあり得る」と述べた。一方、すでに発生した原発事故の情報や原発の設計図は「特定秘密にはならない」と説明した。
特定秘密保護法案では、「テロ活動の防止」は行政機関の長が特定秘密に指定できる4分野の一つとして明記されている。
また森氏は「今は国家機密の線引きが明らかでないため、とりあえず秘密にして出さない事象も起きた」と指摘。
「(特定秘密にあたる情報を列挙した)法案の別表や有識者が定める基準にあたらないものは、公開しないことができなくなる」と述べ、法案成立後は情報公開度が高まると主張した。
◆特定秘密 約40万件指定で調整
11月2日 4時29分 NHKニュース
政府は、今の国会に提出している「特定秘密保護法案」が成立した場合、防衛に関する機密や外交などに関わる情報の中から、およそ40万件の情報を「特定秘密」として指定する方向で調整を進めています。
政府は、特に秘匿が必要な安全保障に関する情報を「特定秘密」に指定し、漏えいした公務員らに最高で10年の懲役刑を科すなどとした「特定秘密保護法案」を今の国会で成立させることを目指しています。
こうしたなか、政府は、法案が成立した場合、暗号や防衛装備品といった防衛に関する機密や外交などに関わる外務省や警察庁の情報の中から、およそ40万件の情報を「特定秘密」として指定する方向で調整を進めています。
大臣など行政機関の長が指定する「特定秘密」を巡っては、定義があいまいだという批判や、指定の判断が妥当かどうかをチェックする機関が必要だという指摘があり「特定秘密」の数を巡っても国会審議の論点になりそうです。
(転載終了) -
「マスコミに載らない海外記事」から転載。
マララ・ユスフザイが西洋支配層の広告塔だ、という指摘をした人間は少ない。私はその数少ない一人であることが実は自慢だが(笑)、これはこの20年ほどの間に培われた、物事を斜めに見る習慣の賜物で、人間があまりまともでないことの証明でもある。世界に起こる不可解な出来事に理屈が通るように考えたら、どうしてもそこに西洋支配層による操作の実態が浮かび上がってくるはずである。人々がそれに気がつかないとしたら、不可解なことを「自分の頭で」考える習慣が無い、ということだ。
「自分の頭で考える」ということを売り物にしている某ちきりんとやらが市場原理主義者であることを自ら標榜しており、すなわち新自由主義の宣伝塔であるのがまた忌々しいところである。こうしてマスコミやネットはすべて支配層に操作され、人々の頭は混乱させられていく。
西洋支配層、つまり「西側」がいかに政治的宣伝に力を入れているかは、マララ・ユスフザイを見れば一目瞭然であり、それが人道とはまったく無関係であることは、下記記事を見ればこれも明瞭だろう。
アメリカで反中国宣伝行為に従事している盲目の人権活動家とやらも、西側の広告塔である。だが、中国に関しては西側との経済的な結び付きが密接になっているため、彼はいざと言う時に商売相手の足を引っ張るための手ゴマとして持っているにとどまっているわけだ。こういうやり方がユダヤ式の商売方法であり、クラウゼヴィッツの言葉をもじれば、「政治とは商売の延長である」わけだ。かくして、世界は彼らの手の上で踊ってきたわけだが、彼らのやり方に気付いた人間の数は世界的にどんどん増えているはずだ。この先どうなるか、楽しみである。
(以下引用)
2013年11月 5日 (火)
マララとナビラ: 天地の差
マララ・ユスフザイと違い、ナビラ・レマンは、ワシントンDCで大歓迎されなかった。
2013年11月1日 11:15
ムルタザ・フセイン
"印象的な薄茶色の目をした9歳のほっそりした少女ナビラは、証言として、素朴な質問をした。"私のおばあさんが一体どんな悪いことをしたのですか?"とムルタザ・フセインと書いている[ロイター]
2012年10月24日、8歳のナビラ・レマン、兄弟達、そして祖母が家の側の畑で働いていると、北ワジリスタン上空を飛行するプレデター無人機が出現した。来るべきイードの祝日に一家が準備をする為、祖母のモミナ・ビビは、子供達にオクラの摘み方を教えていた。ところが、この日、一家の暮らしの行方を永遠に変えてしまう恐ろしい出来事が起きた。子供達は、空でCIAが運用する無人機が発する独特のブーンという音を聞いた。24時間それにつきまとわれているパキスタンの田舎の村人には聞き慣れた音だが、その後、二度大きなカチッという音がした。無人飛行機は、致命的な爆弾をレマン一家に向けて発射し、この子供達の人生は、瞬時にして、苦痛の悪夢、混乱と恐怖へと変えられてしまった。子供7人が負傷し、ナビラの祖母は彼女の目の前で殺害されたが、この行為に対しては何の謝罪も、説明も、正当化も行われていない。
先週、ナビラと、教師をしている父親と、12歳の兄が、自分達の話を語り、あの日の出来事についての答えを求める為、ワシントンDCにまで旅してきた。しかしながら、遥か彼方の村からアメリカ合州国まで、信じがたいほどの障害を乗り越えてやって来たにもかかわらず、ナビラと家族は露骨に無視された。議会聴聞会での彼らの証言に、出席したのは、430人の議員のうち、わずか5人だった。ナビラの父親は、わずかな出席者達にこう語った。"娘はテロリストの顔をしていませんし、母親も同じです。私には全くわけがわかりません、一体なぜこういうことが起きたのか… 教師として、アメリカ人に、私の子供達がどのようにして負傷したのかを教え、知らしめたいのです。"
通訳は彼らの話を訳しながら感情を抑えきれず泣いたが、政府はこの一家を、あえて鼻であしらい、政府が彼等にもたらした悲劇を無視した。印象的な薄茶色の目をした9歳のほっそりした少女ナビラは、証言として、素朴な質問をした。"私のおばあさんが一体どんな悪いことをしたのですか?" この問いに答えるものは誰もおらず、聞きに行く人々すらまれだった。無視解放してやっているのだと主張する人々を、政府が全く無視している象徴は、レマン一家がその窮状を語っている間、バラク・オバマは同じ頃合いに兵器製造企業ロッキード・マーチン社CEOと会見していたことだ。
都合の良いことだけの記憶
ナビラ・レマンへのアメリカの対応を、パキスタン・タリバンにすんでのところで暗殺されかけた少女、マララ・ユスフザイへの対応と比較するのは有意義だ。マララはその勇敢な行動に、欧米マスコミ有名人、政治家、市民運動指導者から敬意を表されているが、ナビラは、過去十年間のアメリカによる戦争によって、その人生を破壊された何百万人もの無名の顔の見えない人々のもう一人となったに過ぎない。この非常に顕著な違いの理由は明らかだ。マララはタリバンの犠牲者なので、その抗議の内容にもかかわらず、彼女は、主戦論者が利用できる有効な政治宣伝手段として見なされているのだ。彼女を、自分たちの取り組みに対する人間の顔、彼らの大義の良識なるものの象徴、彼女のような幼い少女の為にこそ、アメリカ合州国と、その同盟国が、そのような信じ難い虐殺を行っている典型として利用できるのだ。イスラム世界におけるアメリカ軍事行動の正しさの象徴として、彼女の名前や写真を取り上げる連中の多くが、彼女自身のこの話題に関する言葉に耳を傾けたり、感じ方を気にしたりはしていないことが、多くを物語っている。
ワシントン・ポストのマックス・フィッシャーの描写はこうだ。
マララに対する欧米の称賛は、パキスタンの少女達の状態を良くしようという彼女の努力や、パキスタンの何百万人もの少女達の苦闘に関するものというよりも、有名人や心地良い言葉で、暖かく穏やかな気分になりたいという、我々自身の欲求と化している。これは自らを許す一法で、これは善玉と悪玉という簡単な話で、我々は正義の側にあり、全てすべて順調なのだ、と自分を納得させるものなのだ。
しかし、ナビラは一体この構図のどこにあてはまるだろう? もし、裁判なしの殺害や、無人機攻撃や拷問が、全て実際に、パキスタンやアフガニスタンや他国民の解放にまつわる正当な理由の一環なのであれば、この戦争が彼女の様な無数の幼い少女達にもたらした荒廃に対する同情や、せめてもの認知は、一体どこにあるだろう? 答えは明らかだ。この紛争で苦しんでいるとを認められる人々は、敵の犠牲になった人々だけなのだ。マララは、必要とあらば、彼女自身の意思に反してでも、彼女の戦いを、アメリカによる戦争遂行の取り組みの宣伝役に使えるが、ナビラの様な無数の幼い少女達は、この果てしない戦争の一環として、恐怖に陥れられ、殺害され続けるのだ。ナビラには、決して有名人が登場したり、式典があったりはしない。彼女の証言には誰も出席しようとさえしなかった。
しかし、もし彼らが出席していたとしても、9歳の少女が、過去十年、人生を混沌の中に投げ込まれた何百万人もの無辜の人々が問うてきた質問をするのを聞く耳を、連中は持ってはいるまい。"連中は、アメリカに対して悪事を働いた連中を追いかけていると聞いたが、それなら私は連中に一体どのような悪事を働いたのだろう? 祖父が連中に一体どのような悪事を働いたのだろう? 私は何も悪いことなどしていない。"
ムルタザ・フセインは、トロントを本拠とするライターで、中東の政治に関する問題を専門とするアナリスト。
Twitterで彼の書き込みを読むには: @MazMHussain
この記事の意見は、筆者自身のものであり、必ずしもアル・ジャジーラの編集方針を反映したものではない。
記事原文のurl:www.aljazeera.com/indepth/opinion/2013/11/malala-nabila-worlds-apart-201311193857549913.html -
「晴耕雨読」から、内田樹の文章を転載。
まさに、私が「酔生夢人のブログ」で書いた、「日本という揺れる国の天皇という動かぬ重心」と同趣旨だと思う。(追記:「同趣旨」は言いすぎだが、心情は近いと思う。)天皇は国民に対する誠実極まりない姿勢と、政治的に軽挙妄動しないことによって、絶対の安心感を国民に与え続け、国家の重石となってきたと思う。すなわち、下記記事に言うとおり
誰も気づかないうちに天皇陛下の「政治的実力」は非政治的な行動を通じて蓄積されていったのです。
今日本でいちばん信頼されている「公人」は間違いなく天皇陛下ですから。
だと私も思う。これは、政治的な力ではなく、人格的な力であり、人格の力でこれほどの影響を国家に与える存在を私は「権威」と言っている。通常、権威と言えば宗教指導者に属することが多いが、日本という非宗教的国家でこれほどの権威を持ちうるものは天皇しかないだろう。それが日本の特異性であり、世界でも稀な素晴らしいシステムとして機能する可能性があり、現に機能していると思う。山本太郎の「直訴」は、その可能性にすべての人の目を開かせたのではないだろうか。
安倍総理を人格的に尊敬している人間はほぼゼロだろう。すなわち、身分や地位によって得られる儀礼的敬意と本当の尊敬とはまったく別である。
天皇を、「天皇制度反対」の立場によって批判し、存在を否定する人は多いと思うが、天皇を人格的に批判できる人はゼロだろう。日本人の大半は、今の日本で、現(今上)天皇皇后ほど神々しい人格の持ち主はいない、と心のどこかで感じていると思う。それは明治以降に官僚が造り上げた「現人神」という欺瞞ではなく、真に人格から来る神々しさである。私は、こういう人格が作られる天皇家というものを不思議で、かつ貴重なものだと思っている。
(以下引用)
今回は少し前にしゃべった改憲の話。
最終的に国民投票のときに多くの国民は「陛下のご意向」を気に掛けることになります。
そのとき「どうも陛下は憲法を尊重し擁護するお立場のようである」という情報が流れてくる(当然ですよね99条にそう規定してあるんですから)。
最終的に改憲運動がつまずくのはアメリカ政府が改憲に反対であることと、天皇陛下が護憲の立場をあきらかにすることによってでありましょう。
安倍自民党にアメリカ政府と天皇制を同時に相手にできるだけの力量はありません。
自民党改憲案に抗して日本国憲法を守る最終ラインがホワイトハウスと天皇制であるとは・・・、なんだか複雑な気分ですね。
山本太郎議員が園遊会で天皇陛下に「直訴」したことが問題になっていますが、「天皇に直訴すればなんとかしてもらえるんじゃないか」という依存の感覚を一般市民が天皇制に対して持つようになったというのは、じつはものすごくひさしぶりのことなのであります。
それに驚くべきでしょう。
誰も気づかないうちに天皇陛下の「政治的実力」は非政治的な行動を通じて蓄積されていったのです。
今日本でいちばん信頼されている「公人」は間違いなく天皇陛下ですから。
政治家と官僚の質があまりに劣化したために天皇陛下の「公正さ」が際立ってきている。 -
「阿修羅」から転載。「ANNニュース」の書き起こしのようだ。
これで結論は出た。
すなわち、宮内庁によれば、「一般市民が陛下に手紙を渡すことは時折ある」ということだから、山本太郎の行為は、まったく問題無し、である。問題があれば、これまで陛下に手紙を渡した一般市民は法的に処罰されたのか、と問われるだろう。
それでもなお、「参議院議員として品位に欠ける」(引用2参照)とかいった理由で処罰を受けるとすれば、あらゆる人間は法の下に平等である、という法の大原則に反するだろうし、そもそも「品位」があるとか無いとかいう理由で処罰ができるなら、国会議員の大半は失職するだろう。
過去に人殺しやレイプをしていながら総理大臣までやった与党国会議員もいるという噂だが、たいそうな品位である。(笑)そもそも、今の参議院議員は、ほぼ全員が「不正選挙」で議員になった連中ではないか。そういう連中が品位を口にするなどちゃんちゃらおかしいわい。
(以下引用)
20131031 園遊会で陛下に手紙渡す(山本議員が会... 投稿者 Yurusan
秋の園遊会で、天皇陛下に直接、手紙を渡した山本太郎参議院議員が会見です。
山本太郎参議院議員:「(手紙を)書いたのは前日ですね。園遊会という場において、手紙を渡すことがどうなのかということもあるかと思うが。今の現状をお伝えするという内容、例えば子どもたちの被ばく。この先、進んでいくと健康被害がたくさん出てしまうと」
山本議員は、天皇皇后両陛下主催の秋の園遊会の会場で、陛下に直接、手紙を手渡しました。手紙はそのまま、すぐ後ろにいた侍従長が受け取りました。
山本太郎参議院議員:「(原発作業員が)命を張りながら、命を削りながらやっているのにもかかわらず、健康管理であるとか放射線管理がずさんなままでされている実情を手紙の中にしたためさせて頂いた」
宮内庁によりますと、一般市民が陛下に手紙を渡すことは時折あるものの、国会議員が渡すことは極めてまれだということです。園遊会での振る舞いについて規則などはありませんが、ある宮内庁幹部は「異例なことで、あってはならないこと」と話しています
(引用2「日テレNEWS24」より転載。)
こんな騒ぎになるとは…山本太郎議員が釈明
< 2013年11月1日 16:01 >
先月31日、山本太郎参議院議員が園遊会の場で天皇陛下に手紙を手渡したことをめぐり、山本氏は参議院の議院運営委員長らに対し、「こんな騒ぎになるとは思わなかった」などと釈明した。
参議院の議院運営委員会の理事会では、山本氏の行為について共産党の理事から「常識を欠いて不適切だが、懲罰までにはあたらない」という意見が出たものの、「国会議員としてあるまじき行為で、参議院議員としての品位に欠ける」という点では与野党とも一致し、山本氏本人から事情を聞くこととなった。
岩城委員長らによる聴取に対し、山本氏は「こんな騒ぎになるとは思わなかった」などと釈明した。
山本氏「園遊会で手紙を渡すということがルールに反しているということは、自分の中で意識がなかった」
理事会は、来週、あらためてこの問題の対応について協議することにしている。
(追記)「播州武侯祠遍照院」さんに、この問題についての非常に優れた論考が引用されていたので、追記しておく。無知で粗雑な頭の私が大雑把に言っていることを論理的に明晰に言っている。まあ、私は「中学生頭脳」だが、大局観はわりとある方(つまり、「木は見えないが、森は見える」)だと自負しているので、私のような大雑把ブログにも存在価値はあると思ってはいるのだが。
なお、下記記事の中で、「象徴天皇制のもつ本質的な危険性」という言葉には、私はまったく反対意見である。天皇に政治の実権力を持たせ、それを政治利用しようとしているのが今の右翼的政治家たちであり、天皇は今のまま、国家・国民の統合的象徴でいいと私は思っている。繰り返すが、「権力」と「権威」がまったく別個であることから来る絶妙の政治バランスは、世界にも稀なシステムであり、また、実際、天皇の存在が国民の精神の安定にも役立っていると私は思っている。その原因は、天皇家の倫理性にある。これがイギリス王室のようなスキャンダルまみれの王室ならば、天皇制など廃止してもかまわないと私は思っている。(秘められた「天皇家のスキャンダル」など、私には関心は無い。また「万世一系の虚偽」にも関心は無い。私はひたすら、今上天皇と皇后の精神的な高貴さを尊敬し、そういう天皇が我々の時代の天皇であったことは幸運だと思っている。ヴォルテールではないが、「神が存在しなければ作り出す必要がある」。ここで「神」と言うのは、民衆の精神的統合のための「旗」であり、「権力」ではなく、「権威」なのである。私なら、誰にどう頼まれても、その「旗」には絶対になりたくない。その苦労を淡々と引き受けている天皇家には、感謝の気持ちしかない。)
(以下引用)色字は再引用者(徽宗)による強調。
澤藤統一郎の憲法日記 より
上記文抜粋
・・・・・・・・・・
敢えて山本太郎を擁護する
天皇に文書を手渡した山本太郎議員に対するバッシングは、はからずも現代における天皇制の実像を可視化するものとなった。天皇の神聖性を傷つける山本の行為をタブーに触れたとする攻撃は凄まじく、法とは乖離した象徴天皇制の体制維持圧力の危険を露わにしている。改めて、象徴天皇制のもつ本質的な危険性を指摘せざるを得ない。その文脈で、私は敢えて山本太郎を擁護する。
本日(11月1日)自民党の脇雅史参院幹事長は党役員連絡会で「憲法違反は明確だ。二度とこういう事が起こらないように本人が責任をとるべきだ」と要求したと報道されている。ほかにも、下村博文文部科学相は「議員辞職ものだ。これを認めれば、いろんな行事で天皇陛下に手紙を渡すことを認めることになる。政治利用そのもので、田中正造に匹敵する」と批判。公明党の井上義久幹事長は「極めて配慮にかけた行為ではないかと思う」、同党の太田昭宏国土交通相も「国会議員が踏まえるべき良識、常識がある。不適切な行動だ」。古屋圭司国家公安委員長は「国会議員として常軌を逸した行動だ。国民の多くが怒りを込めて思っているのではないか」。新藤義孝総務相は「皇室へのマナーとして極めて違和感を覚える。国会議員ならば、新人とはいえ自覚を持って振る舞ってほしい」。田村憲久厚生労働相は「適切かどうかは常識に照らせばわかる」、稲田朋美行政改革相は「陛下に対しては、常識的な態度で臨むべきだ」と不快感を示した。民主党の松原仁・国会対策委員長までが、「政治利用を意図したもので、許されない」と批判。興味深いのは、日本維新の橋下徹大阪市長。他人のこととなれば、「日本国民であれば、法律に書いていなくても、やってはいけないことは分かる。陛下に対してそういう態度振る舞いはあってはならない。しかも政治家なんだから。信じられない」と遠慮がない。安倍晋三首相も周囲に「あれはないよな」と不快感を示したという。自民党の石破茂幹事長は記者会見で「見過ごしてはならないことだ」と言明。谷垣法相も「天皇陛下を国政に引きずり込むようなことにもなりかねない」と懸念を示した。不快、批判、懸念のオンパレードだ。
各政治家の口から出ているのは、良識・常識・マナー・配慮、不適切などの曖昧模糊とした感情的語彙のみ。論理を語る者がいない。比較的正直なコメントが、「陛下に対してそういう態度振る舞いはあってはならない」という、「天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ」感覚のホンネ。そして、「天皇の政治利用」あるいは、「天皇を国政に引きずり込むようなことにもなりかねない」とさすがに断定を避けた歯切れの悪い物言い。これも、なぜそうなるのかに切り込んでいない。
ハッキリしておこう。マナーとルールとは、まったくの別物だ。山本の行動をマナー違反と誹るのは、表現の自由に属する。山本も国会議員である以上、批判の言論に曝されることは覚悟しなければならない。しかし、山本の行為をルール違反として制裁を科することには慎重でなくてはならない。「憲法違反は明確だ」という批判には、批判者の責任が生じることを覚悟しなければならない。
山本の行為は、明仁という個人に話しかけ文書を手渡した私的行為であるか、天皇という官署に請願をしたかのどちらかである。どちらであるかは、園遊会という行事の憲法上の位置づけと関わる。
園遊会が私的な行事だとすれば、客として呼ばれた山本が、ホストと会話を交わし私的な文書を手渡したというだけのことに過ぎない。ルール違反の問題は起きようもない。
園遊会が公的な行事だとすれば、山本が会話し文書を手渡した相手は官署としての天皇だったことになる。天皇宛に手渡した文書の内容に、「損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項」に関する要請が含まれているとすれば、天皇に対する請願権の行使となる。憲法16条は、「何人も平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。」と明記する。ちなみに、大日本帝国憲法ですら、こう定めていた。「第30条 日本臣民ハ相当ノ敬礼ヲ守リ別ニ定ムル所ノ規程ニ従ヒ請願ヲ為スコトヲ得」。
請願権の行使先に天皇が含まれることは自明であって、請願法はこの旨を明記している。また、山本が平穏に請願権を行使したことに疑問の余地はない。ならば、「何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない」というのがルールである。まさしく、憲法は請願権の行使に対するバッシングがあり得ることを危惧し、請願を封殺することがないよう配慮して差別待遇を禁じているのである。
もっとも、現行請願法3条は、「天皇に対する請願書は、内閣にこれを提出しなければならない」とする。本来は内閣に提出することが筋ではある。しかし、同法第4条は、「請願書が誤つて前条に規定する官公署以外の官公署に提出されたときは、その官公署は、請願者に正当な官公署を指示し、又は正当な官公署にその請願書を送付しなければならない。」と救済規定を置く。あくまで、請願を実効あらしめようという配慮なのだ。
そして、同法第5条は「この法律に適合する請願は、官公署において、これを受理し誠実に処理しなければならない。」と定める。天皇は、請願書を内閣に送付し、内閣においてこれを受理し誠実に処理しなければならない」のである。
要約して言えば、園遊会が私的行事なら私人間における言論の授受に何のルール違反もなく、園遊会が公的行事なら山本の天皇宛の請願権の行使は内閣において誠実に受理し処理しなければならない。請願は平穏になされなければならないが、「畏れ多い」だの、「陛下にたいしてやってはいけない」などと言う情緒的理由による制約は憲法上あり得ない。請願法は、憲法と重複する規定として「第六条 何人も、請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。」と定めている。これに反して、参議院が、憲法と請願法を無視して、山本議員に対する制裁を科すようなことがあってはならない。
再度確認しておきたい。マナーは曖昧なものである。批判者が勝手に「これがマナーだ」と決めつけて、その基準でマナー違反を批判することが可能である。しかし、当然のことながらマナー違反に違反者の権利や資格を剥奪する効果はない。たいして、ルール違反には、何らかの実効的な制裁がともなう。したがって、ルールは一義的に明確なものでなくてはならない。
今のところ、山本に対するルール違反の明確な指摘はない。ただただ、曖昧な感情的批判が積み上げられているだけ。その非理性的な情緒的批判の集積が巨大な社会的圧力となり、マナーとルールの壁をも突き破りかねない。ここに危険な天皇制の本質を見る思いである。山本に対するバッシングの付和雷同を看過してはならない。
(2013年11月1日) -
山本太郎の「直訴」については、多くの人が喧々囂々とやかましい。(本当は「けんけんごうごう」ではなく、「かんかんがくがく」と書きたかったが、ワードでは出ない。)私はへそ曲がりだから、こういう時には書く気も起らない。だが、「これは天皇の政治利用だから山本太郎の議員資格を剝脱せよ」、などという大馬鹿議員どもこそ議員資格を剝脱すべきだ、くらいは言っておこう。そういうご本人たちこそ、自分たちの利益になるように天皇の政治利用を企んできた連中、かつ、国民のためになることはまったくしてこなかった、議員不適格者ではないか。
もっとも、私は「天皇を有効に(国民のためになるように)政治利用せよ」という考えの持ち主である。ただし、それはすべての天皇に関して言えるものではない。今上天皇のような聡明で誠実、かつ国民を思う心に溢れた理想的天皇についてのみ言えることだ。
もしかしたら、そういう天皇が存在する今こそが日本を変える最大の機会なのかもしれない。
民主党革命が内部から潰され、日本人全体を覚醒させるかと思われた東日本大地震と福島原発事故も「泰山鳴動して鼠一匹」どころか、責任者はまったく処罰されず、という有様である。鼠一匹も逮捕できないのだ。今の日本はそういう国なのである。「酔生夢人ブログ」で使った言葉を繰り返せば、真っ黒な大ミミズたちに支配された国である。
下の記事とは無関係な話になったが、この国の滅茶苦茶さを示す事例としては、下の記事も無関係ではない、とも言える。
(以下引用)
【裁判】NHK受信料訴訟「受信者の承諾なしでも契約成立」…東京高裁、相模原市の男性に即時支払い命令★4
1:(ヽ´ん`) ◆ChahooS3X2 @ちゃふーφ ★2013/10/31(木) 04:28:31.62 ???0
NHKが個人を相手に受信契約締結と受信料支払いを求めた訴訟の控訴審判決で、
東京高裁の難波孝一裁判長は30日、「NHKが契約を申し込めば、
受信者が承諾の意思表示をしない場合でも、長くても2週間が経過すれば契約が成立する」との
判断を示した。NHKによると、初めての司法判断という。
今年6月の一審横浜地裁相模原支部判決は「契約締結を命じる判決が
確定した段階で契約が成立し、受信料の支払い義務が発生する」と判断したが、
高裁はさらに踏み込み、契約は既に締結されていると判断した。
難波裁判長は、放送法は受信者に契約締結の義務と受信料を支払う債務を課しており、
判決で強制的に承諾させる手続きは遠回りで不必要だと指摘し、
「判決確定まで契約が成立しないのは受信料を支払っている人との間で不公平だ」と述べた。
一審判決は被告の相模原市の男性に対し、
契約を承諾して判決確定後に受信料約10万9千円を支払うよう命じたが、
高裁はこれを取り消し、同額を即時に支払うよう命じた。
ソース: http://www.sponichi.co.jp/society/news/2013/10/30/kiji/K20131030006912720.html
前スレ: http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1383137235/
★1 2013/10/30(水) 17:56
o 22. 常識的に考えた名無しさん
o 2013年10月31日 13:25
o ID:Can0svQo0
o 地デジに移行するという時期に 70代後半の男性、視力も落ちたしアナログTVが壊れたし、新しいTVを買う余裕もないしということで、NHK窓口に受信料解約を申し込みに行ったそうです。
そうしたら 受付の方「携帯電話をお持ちですか?」と尋ね「少々拝見いたします。ああ、これワンセグが受信できる機種ですね。携帯電話でワンセグチューナーが搭載されているものはNHK受信料の支払い対象になるんですよ」
男性「ちょっと待ってください。私はワンセグなんてついてるなんて知らなかったし、こんな小さな画面でTVなんて見られません」
受付「申し訳ございません。解約の対象にはなりませんので」
結局は解約に応じなかったとのこと。
年金暮らしで生活も苦しいのに なんで見ないTVのために受信料なんて払わないといけないんですか。
と嘆く男性がラジオに投稿していました。
おいたわしい。 -
「マスコミに載らない海外記事」のポール・クレイグ・ロバーツの記事の一部を転載。
私はかなり前から、日本は鎖国すべきだ、と主張してきた。もちろん、完全鎖国などではない。経済的鎖国である。言い換えれば、グローバリズムという大波から国を守れ、という主張だ。その具体的方法については、私より頭のいい人、現実的知識のある人が考えてほしい。
なぜグローバリズムが日本に害悪をなすかという基本原理が下の記事から読み取れる。それはアメリカにとっても同じだからだ。大筋だけ言えば
1)グローバリズムは先進国の企業雇用を海外移転させる。
2)先進国の雇用減少はその国の労働者の給与を減少させる。
3)しかし、労働者の生活費用(物価)や税金は通常、高いまま維持される。
4)こうして先進国の国民の生活水準は低下し、貧困化していく。
ということである。
もちろん、労働者内部の戦いに勝ち抜いた少数者は高い給与で雇用され、「勝ち組」として安泰な(本当は決して安泰ではないが)地位を得るだろう。高学歴の家庭から高学歴の子供(勝ち組候補である)が再生産され、ピラミッド状の格差社会がこうしてできていく。もちろん、資産家の子弟は最初から競争の外にいて、安泰である。だが、大半の国民は過酷な競争社会の中で、お互いに食いあって生き残るしか道は無い。その道を拒否すれば貧困生活しか残らない。
これがグローバリズムが進む社会における先進国国民の運命である。
私は資本主義(自由競争社会)を完全に否定する者ではない。しかし、野放しの資本主義(新自由主義)は、一切の社会主義的福祉政策の欠如した「残酷な資本主義」になるしかないはずだ。そして、実際、ほとんどの先進国(資本主義が進展した国)ではそうなっているではないか。グローバリズムと新自由主義の先には「残酷な資本主義」しかない、ということだ。
ただし、公平を期すために言えば、後進国においては給与水準が上昇し、国民の生活水準も上がるだろう。だが、それよって、先進国における悲惨や不幸を捨てておくわけにはいかない。そこに、社会主義的福祉政策の必要性もあり、また企業の恣意的行動を抑止する政治的規制の必要性もあるのだが、政治の企業支配(訂正する。「企業による政治支配」である。もともと、そういう意図で書いたのだが、明らかに「政治による企業支配」と読まれてしまう。)が進む社会では、そうした政策や規制はなし崩しに取り払われていくのである。それが米国で、そして日本で起こっていることだ。
なお、雇用減少はIT化によっても起こっているが、それについてはここでは述べない。
(以下引用)
熟練雇用が外国に移転された場合、国内の熟練技能は消滅する。サプライ・チェーンも、熟練技術にまつわる仕事もそうなる。企業は閉鎖し、技能は失われる。海外移転されている職業を、大学で専攻しようとするだろうか。文化が消滅する。
だが雇用を取り戻すことを始めるのは可能ではあるまいか? おそらくそうは行くまい。先進国が、より安い労賃を享受したくて、技術とノウハウを海外の第三世界の国に移転してしまった後、先進国は一体どうやって雇用を取り戻せるだろう? 第三世界諸国の生活水準と生活のコストは、先進諸国より遥かに低い。第三世界諸国並みの賃金では、先進諸国の国民は、住宅ローンや、自動車ローン、学生ローン、医療費や食費を払えない。
先進国の賃金が低下しても、住宅ローンや、自動車、クレジット・カードや、学生ローン支払いが減るわけではない。アメリカ人は中国やインドやインドネシアの賃金では生きられない。技術とノウハウが外国に移転されてしまえば、関税保護が欠如している低賃金の国の方が有利だ。
アメリカが再生するには、アメリカ経済を高関税の壁で守らねばならず、アメリカ産業と製造業を再生させるには助成金を支給せねばなるまい。しかし多数の大企業が現在外国で製造しており、アメリカは無一文だ。過去5年間にわたって、政府は毎年1兆ドルをドブに捨てている。
雇用の海外移転で、アメリカの課税基盤が消滅した。雇用が外国に渡されてしまえば、その雇用のアメリカGDPへの貢献も、課税基盤もそうなるのだ。何百万もの雇用が海外に移転されてしまえば、アメリカのGDPも課税基盤も、政府の歳出水準を維持できなくなる。ある程度は、代替の雇用はあっても、ウエイトレスや、バーテンダー、小売り店員や病院用務員等、低賃金の国内サービス業だ。こうした雇用は、製造業の雇用や、ソフトウエア技術や情報技術の様に移転可能な専門サービスに匹敵する課税基盤や、消費者の購買力をもたらすわけではない。
*11月5日、一部誤表記訂正。 -
「マスコミに載らない海外記事」から転載。
クリス・ヘッジスは、ポール・クレイグ・ロバーツと並ぶ、私のお気に入りの書き手である。
飯山一郎翁のブログで、「独りファシズム」氏が、近づく「1984年」状況を前にしてブロガーたちに沈黙を勧めていることを知ったが、確かに自己保身は大事だ。しかし、自己保身をせずに、社会の向上のために戦い、血を流した人々がいたからこの世界はより良い世界になってきたのである。その戦いとは、国家対国家の戦いではなく、権力の弾圧に対する戦いである。革命もその一つ、労働運動や、著作による啓蒙などもその一つである。小林多喜二の虐殺など、著名人の死もあるが、首切りや減給などの形で流される無名人の血もある。しかし、そうした先人たちの戦いによって労働者の権利は向上し、庶民の生活は豊かなものになってきたのである。
だが、今や連合などこそが経済界のお先棒を担ぐ有様だ。そして、多くの人々は「物言えば唇寒し」とばかり沈黙の世界に入ろうとしている。
何度か引用した言葉だが、「我々が恐怖すべきは恐怖そのものである」という言葉は大事な教えだと私は思っている。もちろん、自己保身は大事だし、自分はどうあれ、家族の無事は誰しも最大の願いだろう。しかし、誰もが物を言えない社会、「1984年」状況の社会の中で生きたいと誰が思うだろうか。
問題は、この戦いは勝ち目のある戦いとは思えない、と多くの人々が思い始めていることではないだろうか。それが「独りファシズム」氏の発言に表れている。
下の記事はその逆である。今や警察国家、見えざるファシズム社会となった米国での発言だからこそ、この発言に私は勇気づけられる。
なお、海外の書き手は日本の書き手と異なり、「共産主義」と「社会主義」を明確に区別しており、「社会主義」は「民主主義」の一つの形態、あるいはその進化形だと考えているように、私には思われる。もちろん、私の考えも同じである。私は民主主義制度下における「漸進的社会主義」を好ましく思う者であり、下記記事の言葉を借りれば、
機能する民主主義の段階的で漸進的な改革を好ましく思っている。その社会制度が、庶民が、権力者を、非暴力的に解任するのを許容するような体制を好ましく思う。様々な機関が、大企業権力から独立していて、言いなりにならない体制を好ましく思うものだ。
(以下引用)赤字部分は引用者(徽宗)による強調。
2013年10月31日 (木)
我々の見えざる革命
Chris Hedges
2013年10月28日
"Truthdig"
“世界中であらゆる悪や問題を引き起こしているにもかかわらず、一体なぜ政府と資本主義が存在し続けているのか、皆様は自問されたことがおありだろうか?”無政府主義者アレクサンダー・バークマンは、エッセイ“思想こそ大事”で書いている。“もしそうであれば、皆様の答えは、人々がこうした様々な機関を支持しているからであり、彼等が支持しているのは、そうしたものを信じているからだ、ということに違いない。”
バークマンは正しかった。大半の国民が、グローバル資本主義を正当化する思想を信じている限りは、大企業のご主人達に仕える民間と政府の諸機関は難攻不落だ。こうした思想が粉砕されれば、支配階級を支えてきた様々な機関は意気消沈し、崩壊する。思想の戦いは水面下で浸透しつつある。これは、大企業国家が絶えず敗北し続ける戦いだ。益々多くのアメリカ国民が、それを理解しつつある。多くの国民は、政治権力を奪われていることを知っている。彼等は、我々は最も基本的で大切な市民的自由を剥奪され、人類史上最も差し出がましい治安・監視装置の目に曝されて暮らしていることを理解している。国民の半数が貧困生活をしている。そうではない我々の様な人々の多くも、もし大企業国家が打倒されなければ、彼等の一員になるだろう。こうした真実はもはや隠されてはいない。
アメリカ合州国においては、政治的騒乱は休眠状態のように見える。これは正しくない。大企業国家を維持する思想は、あらゆる政治勢力に対して、効力を急速に失いつつある。しかしながら、それにとって代わるべく勃興しつつある思想は未完成だ。右派は、キリスト教ファシズムと銃砲文化の慶賀に引きこもっている。左派は、反共産主義の名による、何十年間もにわたる国家による猛烈な抑圧によって体勢を崩され、再建と再定義に苦闘している。とはいえ支配層エリートに対する大衆の嫌悪感は、ほとんど至る所に存在している。どの思想が大衆の想像力を把握するかの問題なのだ。
普通、革命というものは、通常の状態なら、国家による、意味が無いやら、ささいな不法行為と見なされるものを巡って突発するものだ。しかし、アメリカ合州国でのように、革命の火口が積み重なりさえすれば、僅かな火花で、大衆暴動に容易に火をつけることが可能だ。個人や運動では、この火口に火をつけることはできない。どこで、いつ突発するのか、誰も知らない。それが一体どのような形なのか、誰も知らない。しかし民衆暴動が起きるのは確実だ。大企業国家が、庶民のささやかな不満にさえも対処することを拒み、更には、国家による弾圧の高まりや、慢性的失業や不完全就業、アメリカ国民の半数以上を不自由にしている、借金を払い終えるまで、債権者のために働かせる慣習や、希望の喪失や、まん延する絶望を改善することに惨めにも失敗したことからして、報復は不可避だ。
“革命というものは、沸点における漸進的変化なのだから(徽宗注:ここは「漸進的変化における沸点」とすべきではないだろうか。)、やかんの沸騰を早くさせることができないと同様、人は本当の革命を‘起こす’ことはできない”とバークマンは書いている。“やかんを沸かすのは、その下にある火だ。やかんがどれほど早く沸点に至るかは、火の強さに依存する。”
革命は、それが勃発した際は、エリートや体制側にとっては、突然の意外なものの様に見える。これは革命の騒乱や意識の本当の動きは、社会の本流の人々には見えず、それがほとんど終わった後になってようやく気がつくためだ。歴史を通して、急進的な変革を求めた人々は、常に、まず支配層エリートを支えるのに用いられた思想の信用を落とし、社会の為の代案を作り上げざるを得なかったが、こうした思想は、ユートピア革命神話の中で具現化されている。書籍“イマジン: 社会主義アメリカ合衆国で暮らす”や、ウェブサイトPopular Resitanceで試みられている、大企業専制に対する代案としての実行可能な社会主義の明確な表現は、卓絶したものだと私は思う。そういう思想が国民の多数に移ってしまえば、新たな社会構想が大衆の想像力を掌握してしまえば、旧体制は終わりだ。
思想や構想を欠いた蜂起は、支配層エリートにとって、決して脅威ではない。明確な定義と方向性の無い、それを支える思想のない社会動乱は、虚無主義、成り行き任せの暴力と混沌状態に陥る。騒乱は自滅する。この核心こそ、ブラック・ブロックの無政府主義者達の一部に、私が同意しない理由だ。私は細心な計画を信じている。バークマンや、エマ・ゴールドマン、ピョートル・クロポトキンやミハイル・バクーニン等を含む多くの無政府主義者達もそうだった。
支配層エリート達があからさまに反抗される頃には、思想への信頼、我々の場合は、支配層エリート構造を維持している、自由市場資本主義とグローバリゼーションへの信頼は既にほぼ完全に喪失している。そして一度、十分な人数の人々がそれを理解してしまえば、何年もかかる“緩慢で、静かで、平和な、社会進化の過程は、迅速で、戦闘的で、暴力的になる”とバークマンが書いている。“進化は革命と化す。”
我々はそういう方向に向かっている。私が革命を支持するがゆえに、そう言っているわけではない。私はそうではない。機能する民主主義の段階的で漸進的な改革を好ましく思っている。その社会制度が、庶民が、権力者を、非暴力的に解任するのを許容するような体制を好ましく思う。様々な機関が、大企業権力から独立していて、言いなりにならない体制を好ましく思うものだ。しかし、我々はそういう体制の中で生きてはいない。反乱が唯一残された選択肢なのだ。支配層エリートは、彼らの存在を正当化する思想が死んでしまえば武力行使に踏み切る。それが彼等にとって、権力への最後の頼みの綱だ。もし非暴力大衆運動が、官僚や公務員や警官を、イデオロギー的に武装解除し、彼等を離脱させることが出来れば、本質的に、非暴力革命は可能だ。しかし、もし国家が、反政府派に対して、効果的で長期的な暴力行為を組織できれば、反作用として、革命側の暴力、あるいは国家がテロと呼ぶものを引き起こす。暴力革命は、革命家を、敵対者達と同様に冷酷にさせてしまうのが普通だ。“怪物達と戦う人々は誰であれ、その過程で、自分が怪物にならぬよう注意すべきだ”フリードリッヒ・ニーチェは書いている。“もし深淵をずっと注視し続けていると、深淵は人を見返すものだ。”
暴力革命は常に悲劇的だ。私や他の多くの活動家達は、我々の反乱を非暴力なものにするようつとめている。国内の残虐行為、国家と、それに反対する人々双方により暴力が行使されないようつとめている。とりわけ大企業国家が巨大国内治安機関や武装警察勢力支配しているからには、我々が成功する保証はない。だが我々は試みなければならない。
あらゆる法律、政府規制や内的拘束から自由な大企業は、没落過程の中で、出来るだけ多く、出来るだけ早く、盗みを働こうとしているのだ。大企業経営者連中はもはや自分達の強奪の影響など気にしていない。彼らの多くは、自分達が略奪している体制は崩壊するだろうと思っている。彼等は私利私欲と傲慢さに目がくらんでいるのだ。連中は、自分達の非道な富で、治安と保護を買えると信じている。彼等はビジネス・スクールで経営学を学ぶ時間を減らし、人間性や人間の歴史の研究にもう少し時間を使うべきだった。彼等は自分達の墓を掘っているのだ。
我々の大企業全体主義への移行は、あらゆる姿の全体主義への移行と同様、段階的だ。全体主義体制は、民主的な自由主義をむしばみながら、潮の干満の様に、時によって、二歩前進する前に一歩後退する。この過程もは今や完了した。“被統治者の同意”というのはきつい冗談だ。ジョージ・W・ブッシュや、ビル・クリントン同様、バラク・オバマとて、大企業権力に逆らうことはできない。直前の二人の前任者達と違い、知的にも、おそらく感情的にも、障害のあったブッシュは、大統領が全体主義の過程を幇助していることを理解していなかった。クリントンとオバマと民主党は、自分達が演じた、そして演じつつある破壊的役割を理解していたのだから、彼等は遥かに冷笑的で、遥かに国の破壊に加担していたと見なすべきなのだ。民主党の政治家連中は、リベラル階級の“皆さんの苦しみはよく分かります”という聞き慣れた言辞を語るが、大企業が我々の個人的な富と権力を奪い去るままにしている。彼等は大企業権力にとって便利な仮面だ。
大企業国家は、政治的・経済的過程において、人々の個人的影響力があるという虚構を維持しようとしている。我々は政治参加者なのだと信じ込んでいる限り、膨大な宣伝攻勢や、無限の無意味な選挙の周期や、空虚な政治芝居という見世物によって、嘘が維持され、大企業を支配する一握りの連中は、自家用ジェット機や、役員室や屋上の高級住宅やマンションでのんびりしていられる。大企業資本主義とグローバリゼーションの破綻が暴露された為に、支配層エリートは益々神経質になっている。彼等は、もし彼等の権力を正当化している思想が死ねば、彼等は終わりであることを知っているのだ。それが一体なぜ、占拠運動等の自発的な反乱も含め、体制と異なる意見は、大企業国家によって無慈悲に押しつぶされるかという理由だ。
“...多くの思想、かつては真実だと信じられていたものが、間違いで、悪いものだと見なされるようになる”バークマンはエッセイで書いている。“王や、奴隷所有や農奴制は神から授かった権力だという思想。全世界が、そうした制度が正しく、公正で、不易だと信じる時代がかつてあった。そうした迷信や誤った考えに、進歩的な思想家が戦いをしかけ、そうした思想は信用を失い、国民に対する支配力を失い、最終的に、そうした思想を具現化した機関は廃絶された。知識人は、そうしたものは、その‘有用性’より‘長生きしすぎ’、それゆえに‘死んだ’のだと語るだろう。しかし、一体なぜ彼等は‘有用性’を失って‘長生きしすぎた’のだろう? 一体誰にとって、そうしたものは役立ち、いかにして‘死んだ’のだろう? 我々は既に、そうしたものは支配階級にとってのみ有用だったこと、大衆蜂起と革命によって廃止されたことを知っている。”
Chris Hedgesのコラム記事は、Truthdigに毎月曜日に掲載されるが、彼は20年間、中米、中東、アフリカとバルカン半島で海外特派員を経験してき た。彼は50ヶ国以上から報道し、クリスチャン・サイエンス・モニター、ナショナル・パブリック・ラジオ、ダラス・モーニング・ニューズ、ニューヨーク・ タイムズで働いたが、ニューヨーク・タイムズでは15年間、海外特派員をつとめた。
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記事原文のurl:www.truthdig.com/report/item/our_invisible_revolution_20131028
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「阿修羅」から拾った記事だが、元記事は「天下乱世を生きる」というブログらしい。
実は、今朝のテレビニュース番組で安倍政府(自民党と言うべきか)が農業への補助金を大規模農家だけに限定する計画だ、というニュースを見て、これは大問題だな、と思ったのだが、うろ覚えで書くと、ほとんどの中小農家はその補助金の対象から外れるようだ。つまり、日本の農業は壊滅状態になる、と見ていいだろう。
もちろん、農地法改正などを行って、株式会社(外資による傀儡企業が主か)による農業経営が本格化することが予定された路線なのだろうが、農業までもコーポレートクラシー、コーポラティズム独裁が始まるわけである。その背後には悪徳企業モンサントなどの姿も見える。
TPPばかりでなく、安倍政府は日本破壊をどんどん進行させつつあるわけだ。しかも、なぜか安倍総理は実に精力的なのである。今日はあちら、明日はあちらと世界や日本各地を飛び回り、各種会合にも自ら出席することが多い。まさに、精力的な馬鹿ほど困りものはない、という実例だ。
(以下引用)
悪政競い合う自民党 農業潰しがヒートアップ
http://www.asyura2.com/13/senkyo155/msg/592.html
投稿者 良寛 日時 2013 年 10 月 29 日 13:13:49: Vgi3QvtUnz6pE
自民党は、減反政策を見直し、各種補助金を廃止すると言い出しました。
反面、大規模農家は「育成」し競争力をつけるだそうです。
一見、もっともらしいようにも聞こえますが、とんでもない政策です。
日本の農業を潰してしまって、何故、将来の日本があるというのでしょうか。
補助金制度が、農家の活力を削いでいるとか、やる気のない農家をつくり出している、甘やかしているなどという主張がありますが、とんでもないことです。農家が置かれている現状をみて、どうして、これで農家が楽をしているなどという発想になるのか不思議でなりません。
後継者不足で今後、引き継いでくれるあてもないまま日々、生活をしている農家に対する補助金がそこまで敵視されなければならない社会に異様さを感じざるを得ません。少なくない若者が農家の跡を継ぎたがらないことをみても、決して恵まれた状態ではないことは一目瞭然ではないですか。
もともと食料は誰もが食べるもので代替などありえようはずもありません。
それぞれが責任を持たなければならないのです。
外国から安い食料を買えばいい?
国際競争力が何故、農業分野で必要なのか、単に消費者は安い食料さえ食べられればいいんだという発想は、食の安全に対する視点がまるでありません。あるいは、食料を生産する国々からカネで買えばいいんだという発想は、札束で生産国の農業従事者の横っ面を張って食料を買い漁るようなものです。
安いからには安いだけの理由があるのであって、単純な「競争」でないことくらいわからないのでしょうか。もともと財界などは食料品が安くなることを「歓迎」し、他方で農家への補償制度を敵視していました。
理由は、
①食料品がやすくなれば賃金を引き上げない、むしろ切り下げることを可能にする。
②補助金を削減することによって法人税現在の財源となる。
ということです。
「悪政競い合う民自公 国民を切り捨てる財界は
自分たちの利益のために、日本の農業を潰し、日本全体をタコ部屋化しようとしているのです。
今後、食料事情が世界規模で悪化していく中で、何故、時代に逆行するかのような農業潰しをしようとするのか、犯罪的ですらあります。誰もが敬遠する農業従事者に相応の所得を保障するのは当然のことです。もちろん減反政策自体は、生産する方向で転換されなければなりません。
さて、ここまで自民党が露骨に農業潰しを始めましたが、農業従事者の方々は、まだ自民党についていくつもりですか。自民党についていって未来がありますか。次の選挙で自民党を下野させる覚悟ができないものでしょうか。これでは自民党に見下されて当然ではないでしょうか。
http://hellow42.blog.fc2.com/blog-entry-226.html -
「つむじ風」ブログから転載。
今日は「酔生夢人ブログ」の方にエネルギーを使ってしまったので、こちらは問題提起だけにし、後日じっくりと考えてみたい。(などと言って、そのままに放置している課題ばかりだが)
この「つむじ風」ブログ自体が、その問題提起なのだが、まさに現在の世界の諸悪の根本にあるものをえぐり出している。(本当は「テッケツ」していると書きたかったが、字を知らない。ワードでも出ない。)
もちろん、こんなことは誰でも考えていることだ、と言われそうだが、では、それを誰が問題提起したか。ほとんどいないのである。誰もが、この資本主義社会の悪に苦しみ、不満を持ちながら、その根本を考えることを恐れている。
資本主義はいやだが共産主義はもっといやだ。云々。そもそも、共産主義など実現された国は存在しない、と私は何度も言っている。あるのは全体主義国家だけである。しかも、全体主義国家というのが国民を恐怖支配している国家なら、米国も日本も実質的には全体主義国家だろう。日本の場合は、「空気」だけで恐怖支配がなされているわけだが。
経済を土台とした国家システムとしては「資本主義」と「社会主義」と「共産主義」しか無い、と見ていい。「資本主義」とは資本家の天国として「経済的自由主義=放任主義=経済的アナーキズム=強者の絶対的支配」を理想とするものであり、今の世界はすでにそうなりつつある。資本家の天国、すなわち労働者の地獄、というわけだ。
こうした状況は資本主義の勃興期にすでに出現していた。そこで労働運動が起こり、労働者の権利が確立されていったわけだが、今や労働者の権利はどんどん剥奪されていきつつある。
そうした状況で、搾取される側が一気にその権利を回復するために国家権力そのものを奪取したのがソ連などでの革命だったのだが、現在ではソ連の革命は資本家側の策謀によるもので、共産主義とはすなわち資本家の陰謀だ、などというワケワカメの説が横行している。
しかし、そういう歴史の話はさておき、問題は現在の世界だ。国際金融資本が国家より上位の支配層である以上、国家権力を奪取する「革命」では、事態は変えられない、という下記記事の指摘は鋭い。
では、それを変える手段はあるか。「つむじ風」氏(飃平氏)には何か考えがありそうなので、次回に期待したい。
(以下引用)
現在は、金融資本家というものが、国家を超えた最大の権力者である。これを国際金融資本と呼ばれている。これが諸悪の根源である。
現在の金融資本主義というものが、特定の金融資本家(複数)によって握られており、全ての経済支配を行っているという事である。経済支配は、政治支配に繋がるし、当然、最も資本を必要とする軍事支配も行われる。
これが世界の現実である。
資本により支配された企業は、その運営をする従業者を支配する。従業者は生活のために企業に身を売るのである。心まで売る必要がある。
企業は、有形無形の価値を受益者に提供する事で、成り立っている。その実務を取り持つのは従業者である。従業者は、一面では受益者も兼ねている。大多数の従業者が、受益者を兼ねているから、経済は回るのであるが、最近の経済は少し、おかしくなっている。
企業が競争という名の下、従業者を切り捨て、多くを日雇い労務者のごとく、非正規雇用に邁進しているのである。その原因は、企業の最大利益を求めるエゴから発している。それが国際競争力という大義名分の名の下、行われている。
諸悪の根源は、ここにある。さらにそのもとを辿れば、通貨を支配する金融資本家の利益の最大化である事は容易に推察出来る。その金融資本家は、実体経済の利益率に飽きたらず、金融詐欺にまで手を染めているから、いわゆる国際競争力というものが、実体経済をはるかに凌ぐ苛烈さを示しているのである。
そこには、生活という人間本来の欲求を超えた、飽く事なき利益の最大化の追求にある。
生活ではなく、単なる儲けが目当てであって、それに邁進するものは大いに儲けるが、それにあぶれたものは、大いに貧窮するのである。それが勝ち組と負け組である。
勝ち組は、少数で、負け組は大多数である。
これを是正するとしたら、昔は、革命であろう。今、何を持って革命とするかは、定かではない。相手が見えないからである。
普通、革命とは国家権力を転覆させる事を目的であった。しかし、今は、国家権力を転覆させたところで、状況は変わらない。国家が、金融資本家に支配されているからである。国家権力は国民にあると言うが、実体は金融資本家の代理人に依って、行使されている。
政治家も官僚もその支配人であるから、選挙は単なるセレモニーである。その状況を革命によって覆しても何も変わらない。代理人をすげ替えるだけである。本当の相手は、別のところにあるからである。
不正選挙等というものが、問題になっている。代理人として、相応しくない者が、不正選挙によって除かれるのである。これは常態化していると観て良い。
その追求は、しぶとく大に小に進められなくてはならないが、実体権力が国家に属していない以上、正義はなかなか実現しないのも実情だ。しかし、これを繰り返せば、あぶり出す事が出来るのである。
この原因は、国民自身の目から覆い隠され、洗脳の内にあるからだ。先ず、洗脳が解かれ、真実を知る事から始められなくてはならない。
これには勇気ある行動が必要である。
一つ一つの事件について、真実を明らかにする事である。今般の不正選挙等は、到底、その真実を国家に糾弾させようとする試み(不正選挙に関する行政訴訟)があるが、容易では無かろう。容易ではないだろうが、あぶり出しにはなっていると観測する一人である。
騒ぐ事は出来る。
今回の東京高裁の裁判所争乱事件などはその典型である。大いに騒ごうと思っている。洗脳し、覆い隠そうとする権力からすれば、喩え、代理人であっても、騒がれる事が一番の脅威であり、いやな事なのである。
やがて、隠しきれない事態が訪れれば、代理人の放逐が始まるかも知れないからだ。これが、今流の革命かも知れない。しかし、その道は、長く、険しい。
大まかに観ると、諸悪の根源は、この金融資本主義の金融資本支配にあるのは間違いない話である。が、細かに観ると、複雑多岐に亘る利権構造が、大木の主根から分かれた子根、細根のように張り巡らされている。
その中で、弱い人間の生活基盤が築かれているのであるから、容易な話ではないのである。
大きくは、政治利権であり、さらに経済利権がある。産業利権は、大企業から零細企業まで繋がるであろう。小さくは、生活利権がある。従業者間でも、その利権の中で生活圏を保っているのである。
現実は厳しい。
政治経済全般が、網の目のように人脈・金脈で繋がっているからだ。諸悪の根源は理解出来ても、それから離れる手段はというと、皆目分からないと言う人々は、圧倒的に多数なのである。
ではどうすれば良いだろうか? それは長くなるので、続きを書く。
