"経済・政治・社会"カテゴリーの記事一覧
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朝日com.より転載。橋下知事の危険性が明確に現れてきたようだ。石原慎太郎二代目とも言うべき超右翼政治家である。それをファッシズムならぬ「ハシズム」と呼ぶ向きもあるが、その程度のネーミングでは、彼の危険性は一般人には伝わらないだろう。
この「橋下手法」に対する内田樹の論評を「引用2」として転載しておく。
権力の本質が暴力であり、さらに脅迫である、ということを、ヤクザの弁護士であったとかいう橋下は熟知している。あの童顔の下にあるのは怪物である。
「俺が実権を握った後は、俺に反対した人間は皆殺しにする」と言う人間と、「私が実権を握っても、私に反対した人に危害は加えません」という人間のどちらが実権を得ることになるか、自ずと明らかだろう。橋下のやっていることは、市職員に対する脅迫である。
恐ろしいのは、こうした「橋下手法」をむしろ面白がり、「実行力のある政治家」だとして高く評価するB層が、彼を支持する可能性が非常に高いことである。
自らは無力な庶民の、それも最下層にいる人々が、思いのままに暴力をふるって世の常識や秩序を破壊する怪物に快哉を叫ぶわけである。だが、破壊されるのは自分たちの生活なのだ。ナチスに反対する人間がすべて粛清されるなら、全員がナチスを支持する社会以外にはなりえない。そんな社会を大阪府民や大阪市民は望んでいるのだろうか?
(以下「朝日コム」から引用)
橋下知事「都構想推進する大阪市幹部、リストアップを」
大阪府の橋下徹知事は12日、代表を務める「大阪維新の会」の会議で、同会の大阪市議らに「大阪都構想を推進してくれる市幹部を10月初旬までにリストアップしてほしい」と述べた。大阪市長選を控え、平松邦夫市長や市幹部らを牽制(けんせい)する狙いがあるとみられる。
橋下氏は、維新の会として都構想の具体像や工程表をまとめた「推進大綱」について、「市役所は真っ向から反対しているが、実現する組織にしないといけない」と指摘。「市長選を取ったら一気に政治で人事権を行使する。(維新市議の)皆さんが市職員を詳細に評価してほしい」と訴え、「政治に足を踏み込んできている市職員がいる。根こそぎ外しにかかってください」と力を込めた。
橋下氏は会議後、報道陣に「(選挙前の)10月10日前後に人事会議をやる。そこで市役所の新しい態勢を決めていく」と述べた。
(引用2「内田樹の研究室」より)
橋下大阪府知事は、持論である大阪都構想に賛成の市職員を抜擢し、反対する市職員を降格するためのリスト作りを維新の会所属の大阪市議に指示した。
首長選の候補者が選挙に先立って公約への賛否を自治体職員の「踏み絵」にするというのは異例の事態である。
公務員が遵守義務を負うのは、憲法と法律・条例と就業規則だけのはずである。「大阪都」構想は、その当否は措いて、今のところ一政治家の私念に過ぎない。それへ賛否が公務員の将来的な考課事由になるということは法理的にありえまい。
まだ市長になっていない人物が市職員に要求している以上、これは彼に対する「私的な忠誠」と言う他ない。彼はそれを「処罰されるリスクへの恐怖」によって手に入れようとしている。
私はこの手法に反対である。
脅迫や利益誘導によって政治的意見を操作してはならない。私はそう信じている。それは強制された政治的意見は必ず間違っていると思うからではない。暴力的に強制されたのだが「内容的には正しい政策」というものは論理的には存在しうる。
私は政策の当否について論じているのではない。
「強いられた政治的意見」は「自発的な政治的意見」より歯止めを失って暴走する傾向が強いことを案じているのである。
歴史を振り返るとわかるが、「強制された政治的意見」を人々は状況が変わるといとも簡単に捨て去る。
後になって「ほんとうは反対だったのだが、あのときは反対できる空気ではなかった」という言い訳が通ると思えば、人はどれほど過激な政策にも同調する。私が恐れるのはそのことである。
あからさまな強制は、それに屈服した人たちに「説得力のある言い訳」を用意してくれる。その「安心」が人を蝕む。PR -
2チャンネルから、現在の日本を総括する簡明な文章を転載する。
前半は文化的停滞、後半は政治経済的停滞の総括だ。
まあ、確かに現在の日本はこの通りなのだが、ではどうするか。日本をこんな風にした責任は誰にあるのか、これからどういう方向に行けばいいのか、を考えるのは無益ではないだろう。嘆き節ばかりでは何も変わらない。
何度も言うが、「思うに、希望とは道のようなものである。もともと道などない。歩く人が多くなればそこが道になるのだ」(魯迅『故郷』より)という言葉は真実だと私は思っている。
ついでに処方箋も示しておこう。それは「虚業を廃止して、生活に直結した産業を重視する社会に変えること」である。さらに言えば「社会システムを変え、金を一番必要とする底辺層に金が十分に行くようにすること」でもある。
(以下引用)
3 名前: 忍法帖【Lv=24,xxxPT】 【東電 78.2 %】 [] 投稿日:2011/09/05(月) 15:28:06.10
CDが売れない、いい曲がない
漫画の発行部数も右肩下がり
出版不況で本・雑誌が売れない
邦画・洋画ともにヒット作なし、DVDも売れない
新卒大学生が就職できない
少子化でアニメ産業もピンチ、玩具やゲームも売れない
超高齢化社会
コンサート、舞台も客が入らない
テレビも視聴率がとれない、ドラマも大コケ作品多し
死ぬほどつまらない番組ばかり
デフレ、円高、先の見えない不況
GDPも中国に抜かれ、世界の中で益々影が薄くなる
コメの消費量も減り続け、農業もピンチ
公共事業減や不況で建築業界もやばい
若者のクルマ離れ、クルマ売れない
地方経済崩壊、シャッター通りばかり
政治・外交も末期、尖閣問題も
地震・原発で日本さようなら -
「阿修羅」記事から転載。
私はこのブログで、自分が亀井静香ファンであることを何度も表明してきたが、下記記事の亀井発言を読めば、その理由もわかるだろう。今の日本で日本国民のため、という行動基準で働き、行動している政治家の中では亀井静香が筆頭である。小沢一郎は、亀井静香ほどには対米独立の意思を鮮明にはしていない。亀井静香のように、CIAに命を狙われても日本のために行動する、と大胆に発言した人間が日本の保守政治家の中に一人でもいただろうか。
下記記事に対するコメントも、なかなかいいことを言っているので、それも一緒に転載する。
(以下引用)
<いま最も勇気ある政治家><健全なナショナリズム><CIAを恐れない亀井静香><日本人なら対米自立派になれ> 本澤二郎
http://www.asyura2.com/11/senkyo119/msg/588.html
投稿者 五月晴郎 日時 2011 年 9 月 18 日 01:41:32: ulZUCBWYQe7Lk
http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/51906647.html
「ジャーナリスト同盟通信」2011年09月17日 本澤二郎の「日本の風景」(880):
<いま最も勇気ある政治家> <健全なナショナリズム> <CIAを恐れない亀井静香> <対米従属派と自立派の決戦> <従属派・売国奴の代表は岸信介・中曽根康弘・小泉純一郎> <日本人なら対米自立派になれ>
を、下記に転載投稿します。
=転載開始=
【いま最も勇気ある政治家】
多くの日本人は北朝鮮を嫌っている。中国に対しても良い感情を抱いていない。筆者からすると、それは悲しい見方でしかない。なぜなら、かの国には外国の軍隊などいない。外国の軍事基地さえも。独立国なのである。自立しているからだ。日本は自立していない。全ての政策をワシントンに委ねている。対米従属派が東京を支配しているからだ。既に戦後66年。ようやく、おかしいと公然と従属派に対抗する動きが表面化してきた。これこそが日本再生の切り札なのである。
【健全なナショナリズム】
ワシントン支配にNOといえる政治家が現れてきた。彼らが対米従属派と対決するというのである。健全なナショナリズムの高揚といっていい。日米対等論を公約にした民主党である。松下政経塾は従属派の典型だが、反松下の中には対米自立派が多い。
小沢派や鳩山グループは自立派に違いない。自民党内のリベラル派にもいる。社民党や国民新党、共産党なども自立派だろう。だが、勝負を挑む勇気ある政治家はいない。と思っていたら、本物の自立派が名乗りを上げた。自立派と従属派の決戦が火ぶたを切ると大号令を発している。ワシントン・財閥が強要するTPPが第一ラウンドになろうか。
【CIAを恐れない亀井静香】
多くの永田町の政治家の怯えというと、それはCIAに狙い撃ちされることである。CIAに纏わりつかれると、政界からの失脚が待っている。最悪の場合、命の保証がない。ハリウッド映画の世界が、日本でも現実のものとなるかもしれないのだ。
田中角栄はロッキード事件で逮捕された。マスコミと検察が、CIAの手先だという事実を認識していなかったからである。彼は、直前まで「おれは違う。軍用機などに関係していない。中曽根だ」と思い込んでいた。当時の筆者もまるで事情をわかっていなかった。
最近は日米対等論を公約にした鳩山と小沢が、彼らの餌食にされてしまった。この様子に誰しもが震えあがっている。対抗しようという勇気のある政治家が皆無なのだ。共産党さえもCIAに楯つく勇気などない。公明党などは論外だろう。しかし、こんな日本でいいのか。いいわけがない。勇気ある政治家の登場を期待していたのだが、遂に現れた。
国民新党代表の亀井静香である。彼が最新の雑誌インタビューで対米従属派との決戦を呼び掛けたのだ。亀井は対米自立派の代表である。「CIAに殺されるまで戦う」と宣言したのである。
これはすごい。彼は本物の愛国者である。万感の思いで支持・支援したい。遂に本物の日本人・政治家が永田町に現れたことになる。亀井内閣の誕生が日本独立を約束するだろう。
【対米従属派と自立派の決戦】
ワシントンには、寛容なリベラル派も存在する。しかし、対日政策は全て産軍複合体が牛耳っている。軍事優先・緊張政策による利権外交である。その典型的な政策が沖縄に集中している。
金融など経済政策にも及ぶのだが、ひとたびワシントンから指令が発せられると、霞が関が動き、政権与党を懐柔してしまう構造になっている。日本をアメリカの属国と受け止めている日本人研究者は多いはずだが、それどころか「属領」と分析している専門家もいる。
日本人であれば、誰でも「おかしい」と思いながら、しかし、それを口に出したりする、行動に起こすことはしない。第一、久しく右翼団体も飼い猫のようにおとなしかった。そもそも右翼が対米従属派なのだから。右翼政治家ほどワシントンに忠誠を誓っている売国奴である。
ようやく賽は投げられた。亀井が大号令を発した。マスコミは彼のスキャンダル探しに躍起となるだろう。警察・検察の公安も蠢くことになろう。しかし、幸いにも彼は元警察官僚である。相手の手の内を読める。
かつて後藤田正晴という彼の先輩がいた。後藤田も事態を認識してはいたが、せいぜい中曽根の暴走外交を止めるのが精一杯だった。これまでCIAと対決する勇気ある政治家など日本に存在しなかった。
亀井の決起に賛同する政治家が出てくるとみたい。日本は、もはやどうにもならない危機的事態に追い込まれているのだから。窮鼠猫をかむ、のたとえである。亀井決起に覚醒する政治家が、次々と出てくるだろう。それは燎原之火のごとく、である。
胸に手を当てれば、売国奴政治家でいいわけがないのだから。
【従属派・売国奴の代表は岸信介・中曽根康弘・小泉純一郎】
このさい、明確にワシントンに身も心を捧げてきた売国奴政治家を列挙すると、まずはA級戦犯容疑者の岸信介が筆頭だろう。60年安保改定を強行した人物である。人は昭和の妖怪と呼んだ。中曽根康弘は超円高によるバブル経済政策を強行して、とどのつまり経済大国を破綻させた。平成の妖怪は筆者が名付け親である。小泉純一郎はワシントンの指令のまま郵政改革を強行した。さらに弱肉強食の経済に追い込んで、日本社会に格差を持ち込んでしまった。
日本属領内閣そのものだった。偏狭なナショナリストである。
【日本人なら対米自立派になれ】
対米従属派の官僚政治は完璧に破綻した。亡国の日本である。経済大国も福祉の日本も破綻している。福島原発も収束できない。何もかもが壊れてしまった。CIAのワシントンも、である。もはやアメリカ依存では生きられない。自立せよ、が唯一の選択である。亀井に続け、と叫びたい。
2011年9月17日15時55分記
=転載終了=
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コメント
01. 2011年9月18日 01:46:50: LbPgBxytTE
アメリカの軍事評論家・ロバート・ナイマン氏「週金」2011-1-21
「米軍基地の真の目的は、、、、
日本を米国の支配下に留めておいて、中国と手を結ばせないようにすることである。」
韓国民も同じ民族で油もない貧乏北朝鮮相手に
1機3500万ドルもする戦闘機F15Kスラムイーグルを
ボーイング社から40機も売り付けられている。
http://esashib.web.infoseek.co.jp/tohokuzisin03.htm
http://image.search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&p=massacre+iraq
沖縄の軍事基地を認めるということは
イラクやアフガン、朝鮮、ベトナムなどでの米軍による多くの家族虐殺の共犯者、犯罪的な傍観者になるということだ。
自分の家には「犯罪者や犯罪共犯者はいない」と思っていたら大間違いだ。
http://esashib.web.infoseek.co.jp/kenpo05.htm
沖縄の米軍基地は世界中で多くの家族を虐殺している。
自衛隊もその共犯者として同盟している。
家族殺しの血に塗れた歴史が厳然としてある。
http://www.jca.apc.org/~yyoffice/Son%20My/Part2.htm#2.
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1319480.html
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マドモワゼル・愛(注:男です。むさくるしい顔のオッサンだ。)のブログから転載。占星術師であるようだが、言っていることは、占いの話ではなく、健全な常識による未来展望だ。少し、船井幸男に似ている。私も世界がこのような方向に進むのが良いと思う。
今の世界は、世界史の変わり目にあるのかもしれない。NWOの陰謀が逆に働いて、彼らの悪事に対する反動が世界的に起こる可能性もある。それは、「世界史の真実」つまり、近代の世界史は西欧文明による他文明略奪の歴史であることに多くの人が気づくようになってきたからである。「西洋文明」ではなく、「ユダヤ大富豪による世界支配」と言うのが適切かもしれないが。
もちろん、彼らの影の支配に対する戦いは容易なことではない。だから、日本が一国だけで幸福になる道は、鎖国が一番だ。これほど簡単な方法はない。アフリカや南米の国々が自由貿易の結果、どのような貧困に陥ってきたかを考えれば、自由貿易のメリットよりデメリットの方がはるかに大きいのは一目瞭然なのだから。
まあ、鎖国論についてはもっと緻密な議論をしてくれる専門家の出現を期待することにして、今は「マドモワゼル・愛」の言葉を聞いてほしい。日本への愛による愛の言葉だ。
(以下引用)
新らしい魅力的な生活スタイルを築くことができたら、
大混乱は自然終息する。
その場合は大混乱を利用して次の収奪新システムに
移行したい勢力を抑えることが可能になる。これから競争が始まる。
その競争は壊し合いの競争をならざるを得ない。
だから今回の混乱は世界的に行きつくところまで行く可能性がある。
具体的に言うと、金融異変、それに伴う経済破綻、同時に食糧危機、
などだが、政変ももちろん大きくなる。世界では大混乱になると思うが、
こうしたことがこの5年以内に進行しピークを迎えるだろう。
日本も大混乱だが上がちゃんとした日本のことを考え実行する者が
政治を行えば、混乱はかえって新たなシステムを生むチャンスにもなる。
アメリカではそれは期待できない。これまでの負のツケが大きすぎ、
悪魔に乗っ取られすぎた形。FRBの負債はいかばかりか。
それは国民につけられたツケなのだから、アメリカは奴隷化されるか
何十代にまでわたるツケを永遠に支払わされるか、
国自体を崩壊させるか、しかない。
本当なら基軸通貨を持つことは強みだから
何としてもそれを維持した政策で行くのが
本筋と思われるが、そうした方向ではなく、アメリカの打つ政策は
ことごとく自国を追いこみ、
崩壊の際の衝撃がわざと大きくなるような政策ばかりの
連続であるから、これは本気で壊したいのだな、とわかる。
目的達成のためには、第二次世界大戦まで引き起こすのが
人間のトップだ。
アメリカを壊し、資本主義を壊し、世界を大混乱にする程度のことは
当然行う。甘く見ない方がいい。日本はそこで何を行うか。
食糧危機が訪れた場合、日本はこれまでの農業政策で
非常に不利な形にされているので、かなり効く。
だから真っ先に行わねばならないことは、
食糧自給体制の確立となる。
日本の女性が率先してこれは行えると思う。
マンションの中でも屋上でも農作物は作れる。
しかも美しい農園風園芸が流行することになる。
日本はいずれ上が変わるだろうから、そうしたらとにかく鎖国し、
変な人とは付き合わないようにし、
新たな生活のシステムを作ってしまえばいい。
それはあっという間にユートピアにすらなる。
10年以上前に出した、森と平野に分化定住する時代、
だが、本当にそうした時代がやってくる。
この本は出しておいてよかったと今更ながら思う。
エネルギーもタダになる。食糧もタダになる。
教育は国まかせではなく、地域の優秀な人がいいシステムを
考え実行するようになる。
どこに行ってもそれぞれの文化や風土に根差したものが息づき、
旅行が楽しくて仕方なくなる。
移動も自転車道が全国に整備され
電動自転車が乗り捨て自由で安価で借りられる。
ホスピタリティに富んだ旅館、温泉、民宿、それがどれも安価で清潔で愉快だ。
日本人全員がやさしく親切で善意で人に接するようになる。
守るものはなくとも与えるものがたくさんあるという人々の群れ。
それでいて無限に生み出される富。上が変わり、政策が変わり、
時が変わると、こうしたことが起きてくる。何より地球が喜ぶ。
地球の富を一人占めし、地上の民を使役しつくしたところから、
世界は行き詰った。
その逆の政策は人間味にあふれた地上の楽園を作っていく。
白人に壊された無数の楽園と民の息吹はすみやかに再生される。
200年前のハワイやインドネシアや南の海洋諸国などは、
どんなに楽園であったことだろう。
500年前のアフリカにはどんなに豊かな喜びの日々が
あったことだろうか。
そうした人間の営みが今度は力を持って、
一回り豊かになってよみがえってくる。
人は上を目指さなくなる。自己の充実を完成を目指すことで、
他者との争いは不要になる。
生きる喜びの表現としての文化が花開く。
上の上の支配者も、支配者でいることに飽きてくる。
そんなことよりも素直で正直な民に囲まれ、
うそでない尊敬を集めて生きることを求めだす。 -
「増田俊男の時事直言」から転載。
予測が外れても何の責任も取らなくていい学者や経済評論家と違い、増田俊男は自分の発言への信頼性が自分の生活に直結している。いわば、予測のプロだ。まあ、だからと言って、その予測が当たるとは限らないが、その言葉は聞くに値するだろう。
その増田俊男が下記記事で言っている、いや、ほのめかしているのは、「9.11」に近い事件がアメリカで勃発する可能性が高い、ということだ。いや、米政府自体が、「9.11 10周年記念テロ」の可能性を言っているのである。もちろんそれは自作自演テロだが、別に精密な計画の必要などない、というのは9.11で証明済みだ。どんなに粗雑な自作自演でも、米政府がこうだと発表すれば、それで通るのである。おそらく50年後には、すべてが詐欺だったことが歴史的事実として認められるだろうが、その時には事件の張本人たちはすべて墓場の中である。
まあ、米国での「突発的大事件」で米国株式が大暴落する前に、関係者は米国株を売り払うことである。もちろん、そう考えている人は無数にいるだろうから、今さら遅い、ということになるかもしれないが、少しは損を減らすことはできるだろう。
(以下引用)
「今こそ生と死の選択の時」!
とは現在先行受付中の「小冊子Vol.28」第9章の副題である。
オバマ大統領の$470 billion(約36兆円)に及ぶ雇用対策を中心にした経済成長パッケージの発表後NY株価は307ドル下落の中暴落だった。
(私の指摘通り)アメリカ経済の病根に手を付けていないからだ。
このままではアメリカ経済は間違いなくリセッションに逆戻りだろう。
経済自律作用が働かない時こそ政治出動の番である。
ブッシュ政権時の2001年は、クリントン時代のバブル崩壊の最中にありアナリスト達はアメリカ経済の不況突入は避けられないと口を揃えていた。
丁度その時NYのワールド・トレード・センターに小型機が突入、ビル爆破、崩壊と同時にワシントンD.C.のペンタゴン(国防総省)にも小型機が激突、炎上の映像が世界中を駆け巡った。
この日を待っていたかのようにアメリカはテロとの戦争を世界に宣言、同盟国はもとよりロシア、中国までも巻き込みアメリカ主導の世界戦争が始まった。
以後2007年10月のNY株価が最高値をつけるまでアメリカはもとより世界は好況を満喫した。
今アメリカ経済は再びリセッションに陥ろうとしている。
ヨーロッパ、特に東欧諸国の財政危機は今や解決不能に陥りイタリアも中国の国債買いでやっと救済されるような状況である。
日本は大震災復旧公共投資と金融緩和続行で先進国中唯一成長トレンドに乗ろうとしているところへ野田機能不全内閣になった。
今回の「小冊子Vol.28」で、はたしてアメリカは「伸るか反るか」の勝負にでるかどうかを分析した。
1967年以前のパレスチナとの国境線に戻れと言うイスラエルに死を求めるオバマ大統領の真意について述べると共に今後の中東情勢を予告した。
21世紀の変化は政治、経済における価値観の変化である。
マネーの流れが逆転し、食糧、鉱物資源は枯渇する。
新しい形の植民地戦争のマグマが今噴出しようとしている。
こうした時、今までの投資の常識は通用しない。
絶対にしてはならない投資、絶対に報われる投資については最大の力を入れて書いたつもりである。
アメリカも伸るか反るか、我々も伸るか反るかになってきた。 -
「日経ビジネス」より三橋貴明の記事を転載する。(「休火山」というブログで見つけた記事だ。)
野田内閣がいよいよ国民いじめの大愚策である増税に踏み切ろうとしているようなので、災害復興時の増税がいかに馬鹿な政策かを、本職の経済記者(経済評論家か?)の筆で説明してもらおう。
この程度のことは、別に経済学の知識など無くても、素人でもわかることである。ただ、専門家の記事の方が説得力があるから代弁して貰うだけだ。
私は国債の市中銀行引き受けや日銀引き受けなどというまだるっこしい方法より、政府が日銀に命令して紙幣を大増刷させ、それを貧窮者に配れ、という考えだ。日銀がそれを拒否するなら、日銀のもつ紙幣発行権を取り上げて、政府が紙幣発行機関になればいいだけだ。どこの誰とも知れない民間グループが紙幣発行権を持っているという薄気味悪い事態より、そのほうがずっとましである。政府が紙幣発行権を持つと紙幣乱発をする、という人がいるが、政府より民間団体が信用できるという論拠がどこにあるのか。
(以下引用)*このブログでは図表はコピーできないので図は省略。
前回も解説した通り、増税とは国民の支出意欲を削ぐ政策だ。ここで言う支出とは需要のことであり、GDP(国内総生産)そのものだ。震災により、ただでさえ萎縮している国民の支出意欲を削り取り、GDPが低成長もしくはマイナス成長に落ち込むと、当然ながら政府の税収は減る。結果、被災地の復興の財源が先細りになってしまう。
さらにGDPが成長しないと、被災地が復興し、その地域から生産物などの付加価値が生み出されるようになった時、国民がその対価を支払うに充分な所得を得ることができなくなってしまう。
現在の日本は、国内の過剰貯蓄という問題を抱え、長期国債金利が世界最低という、深刻なデフレに悩んでいる。過剰貯蓄ゆえに国債の95%超は国内の金融機関などで消化され、しかも100%日本円建てだ。すなわち、日本は世界で最も復興財源を国債発行で調達しやすい国家なのである。
過剰貯蓄問題とは、要するに国内の金融機関に「運用先が見当たらないお金」があふれているという話だ。預金や生命保険料など、各金融機関が「負債」として集めたお金の貸出先が増えていないのである。結果的に、金融機関は国債購入に走り、長期金利が低迷している。
そして、なぜ金融機関に集まるお金の運用先がないのかと言えば、もちろんデフレだからだ。デフレ下では実質金利が高まり、同時に投資収益が下がるため、企業は融資を受けてまで投資を拡大しようという気にはなれない。
ともあれ、現在の日本の問題はあくまでデフレであって、マスコミなどで騒がれる「日本は国の借金で破綻する(=デフォルトする)」などという話ではない。前回も書いたが、政府が金融政策と財政政策のパッケージという「普通のデフレ対策」を行えば、日本はデフレから脱却することができる。
話を関東大震災に戻す。日露戦争の戦費などで政府に外貨建て対外負債があった当時の日本政府であっても、復興のための財源を国債発行に求めた。さらに、各種の「減税」も合わせて実施された結果、政府の財政は悪化した。
また、復興需要で輸入が拡大し、震災前まで1ドル=2.04円だった対ドル為替レートは、震災後には1ドル2.5円と急落した。2011年の東日本大震災発生後は、日本円の為替レートはむしろ「急騰」したが、それは現在の日本経済が極端な供給過剰に悩まされ、政府の対外負債もないに等しいためである。関東大震災後の日本を含め、普通の国は大震災に見舞われると、為替レートが下がる。
財政悪化や円の急落を受け、時の日本政府は復興が一段落した途端、緊縮財政に舵を切り、政府支出の削減を始めた。さらに、震災により金融システムがダメージを受けたこともあり、当時の日本は物の見事にデフレ経済へと突っ込んでしまう。いわゆる、昭和金融恐慌である。
図2-2の通り、政府の緊縮財政により、もともとデフレ傾向にあった当時の日本は、関東大震災後に再び東京小売物価指数がマイナスに落ち込んだ。1926年の東京小売物価指数は、対前年比で8%超も下落したわけであるから、まさしく「デフレ」だ。
復興後のデフレ深刻化を受け、日銀は「印刷機をフル回転させ」日本円の紙幣を刷り、マネタリーベースを拡大させた。時の蔵相、高橋是清も、一部の銀行に対しモラトリアム(支払猶予措置)を行うなどの手を打ち、何とか恐慌を沈静化させたわけである。
東日本大震災は「特別な事由」でないのか
昭和金融恐慌が収束し、物価はプラス方向に向かい始めたのだが、1929年10月のウォール街株式大暴落に端を発した世界大恐慌が始まり、日本経済は再びデフレの谷底へと落ち込んでしまう。しかも、時の濱口内閣が金本位制復帰を目指し、またもや緊縮財政や産業合理化に突き進んでいたことが、日本のデフレ深刻化に拍車をかけた。すなわち「昭和恐慌」の始まりだ。
1930年の東京小売物価指数は、対前年比で何と14.6%ものマイナスである。深刻なデフレを受け、高橋是清が再登板し、日銀の国債引き受けや政府支出拡大などのリフレーション政策を実施した。結果、日本は世界が羨むほどの速さで恐慌から脱することができたのである。
さて、話を「今」に戻す。東日本大震災の復興の財源確保のために、日銀による国債引き受けを主張する人がいる。筆者は別に日銀に国債を引き受けさせずとも、国内に過剰貯蓄があるわけであるから、普通に建設国債を発行すれば良いのではないかという意見だ。とはいえ、本当に日銀の国債引き受けが実現できるのであれば、もちろん筆者も賛成する。
問題なのは、復興増税を主張する政治家や評論家などが、
「日銀の国債引き受けは法的に禁止されている」
「日銀が国債を引き受けると『歴史的に』インフレを制御できなくなる」
などの虚偽情報を流していることだ。
日銀の国債引き受けが「法的に」禁じられているという話は、前回も解説した通り、明確なうそである。財政法第5条は「特別な事由」がある場合の日銀引き受けについて、国会の決議の枠内において認めている。東日本大震災のような大規模災害が、「特別な事由」でないはずがない。
円の供給量が増えれば円高も一服
また、現在の日本は消費者物価指数(CPI)上昇率がマイナスで推移し、国債金利も世界最低だ。日銀が国債引き受けでマネタリーベースを増やしたところで、インフレ率が制御不能な状態に陥るような事態は発生しない。
しかも、リーマンショック以降にアメリカが極端な量的緩和政策を採っており、日本円の流通量が足りないこともあり(何しろデフレだ)、円の為替レートは高めに推移している。日本政府は、震災後3月16日の1ドル76円台という極端な円高を受け、「円売り、外貨買い」の為替介入を行った。とはいえ、日本円の流通量が「相対的に」少ないという大元の問題は解決されていないため、円の為替レートはすぐに上昇に転じてしまった。
ちなみに、日本政府(財務省)の為替介入は、銀行などに「政府短期証券」という債券を発行し、調達した円でドルを購入するというスタイルだ。購入したドルを現金のまま保有していても仕方がないため、日本政府は米国債を購入することになる。すなわち、日本政府の為替介入は、政府の借金を増やし(=政府短期証券発行)、アメリカ政府に貸し付ける(=米国債購入)というプロセスになるのだ。
大震災で復興のための「日本円」が必要な時に、何が哀しくて政府が借金を増やし、アメリカ政府に貸し付けなければならないのだろうか。日本政府が日銀に国債を引き受けさせるなりしてマネタリーベースを増やせば、復興の原資が確保できるのはもちろん、円の供給量が相対的に増えることで、円高も一服することになる。
さて、日銀の国債引き受けに反対する人々が言う「日銀が国債を引き受けると『歴史的に』インフレを制御できなくなる」について考えてみたい。1929年の世界大恐慌のあおりを受け、デフレ状態に落ち込んだ日本において、実際に高橋是清が日銀の国債引き受けという対策を打った。果たして、「インフレが制御できなくなる」状況になっただろうか。
高橋是清存命の時代、東京小売物価指数の上昇率は、ピークの1933年であっても6.5%に過ぎなかった。小売物価指数上昇率6.5%を「凄まじいインフレ」と評価するかどうかは、個人の価値観の問題だが、少なくとも「インフレが制御できなくなった」という言い回しは使えない。
制御不能のインフレは、軍事費が原因だった
ところで、金融政策と財政政策のパッケージという「普通のデフレ対策」により、昭和恐慌から脱した日本だが、その後の東京小売物価指数の上昇率は確かに高まっている。なぜだろうか。
実は、「普通のデフレ対策」により日本が恐慌状態を脱したことを確認した高橋是清は、政策目標を達したとして、政府支出の削減に乗り出したのである。政府支出削減とは総需要抑制策であるため、インフレ対策の一種だ。
「デフレの時には、デフレ対策を打つ」
「インフレの時には、インフレ対策を打つ」
高橋是清は、まさしく現代の政治家が忘れてしまった「当たり前のこと」を実施しようとしたわけであるが、削減される政府支出は軍事費がメインになっていた。すなわち、高橋是清は総需要抑制策として、拡大した軍事費を切り詰めることでインフレを沈静化させようとしたのである。
これに腹を立てた(これだけが理由ではないが)一部の軍人がクーデーターに走り、高橋是清は暗殺されることになる。すなわち、二・二六事件である。
二・二六事件以降、日本は軍事費の削減が不可能になり、1937年以降、日中戦争に邁進し、国内のインフレ率は高まっていく。今も昔も、戦争こそがインフレを暴走させる。日本国内で生産される武器弾薬は、次々に軍隊により消費されるが、その費用はもちろん政府支出により賄われる。政府支出にしても、GDPの需要項目の一部である。国内のリソースの多くが軍に割かれ、供給能力が高まりにくい環境の中において、需要が拡大する一方になるため、物価は上昇傾向に向かうのだ。
図2-2を見ると、日本の物価上昇は1941年以降に本格化している。もちろん、太平洋戦争勃発が原因だ。いずれにせよ、日中戦争以降のインフレ率上昇は軍事費の拡大が主原因であり、昭和恐慌時の日銀引き受けのためではない。日銀引き受けで『歴史的に』インフレが制御できなくなるわけではない。軍事費拡大による需給バランスの崩壊こそが、『歴史的に』インフレ率を高騰させたのだ。
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ
1996年の橋本政権も同様だが、震災復興のために財政支出が拡大すると、政府は「復興後に」緊縮財政に走ってしまう。結果、日本経済にデフレ深刻化という病をもたらすことになったわけだ。関東大震災、阪神・淡路大震災(95年)と、日本政府は2度も「間違い」を起こし、震災復興後にデフレ不況を到来させてしまった。
しかも、今回の東日本大震災に至っては、政府はなんと復興前の時点から「増税」というデフレ促進策を採ろうとしているのである。先にも書いたが、関東大震災後の日本政府は、震災被災者の生活を支援するために「減税」を実施した。
今回、日本政府が本当に復興目的で消費税をアップしてしまうと、被災者までもが負担を強いられることになる。さらに、前回も書いたように大震災後に増税を実施したようなおかしな政府は、人類の歴史に存在していない。
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶという。それでは、歴史からも経験からも学ぼうとしない人は、果たして何と呼ばれるべきなのだろうか。 -
「山科恭介のブログ」に、恐るべき記事があったので、転載する。
恐るべき、と言ったのは、諸外国が日本からの食品輸入を禁止しているという事実ではない。その食品が日本国内では平然と流通しているという事実なのである。同記事にある農水省のレポートは、国民全員が知るべき事実であるが、さらに恐ろしいことに、こうした重大事実をマスコミは、おそらく意図的に隠している。そして日本国民は放射能汚染された食品を毎日体の中に取り込んでいるのである。
うちの娘の学校の理科の教師など、関東の放射能は問題ない、などと何の根拠もないことを生徒に言い、生徒はそれを、教師が言ったことだからと信じたりしているようだ。その教師は、その発言に対してどのような責任が取れるのか。まあ、国が問題ないと言っていたのだから、自分が同じことを言っても罪には問われない、と思っているのかもしれないが、道義的な罪はどうなのだ、と言いたい。これは風評被害などというレベルの話ではなく、人命に関わる問題なのである。
(以下引用)
尚、日本の農作物はもうすでに世界中の国から忌み嫌われていることは、ご承知だと思うが、それがどの程度なのかを知っている人間が日本にどれだけ居るだろうか?
9月6日付で、国民に知られないようにひっそりと出した農水省の資料を是非、ご覧いただきたい。
そこに驚愕の事実が記されているので、眼を皿のようにして見なさい。
要するにだ、日本にはもう真っ当な食べ物など、無いってことだよ。(笑)
農林水産省 「諸外国・地域の規制措置」
http://www.maff.go.jp/j/export/e_info/pdf/kensa_0906.pdf -
「ちきゅう座」の記事を転載。
昨日に続いて鉢呂辞任(馘首)問題の話だが、下記記事に書いてあるのは全く正論であり、一つも付け加えることはない。マスコミもこれからは自分の発言を自分で縛ることになったわけだ。だが、マスコミを批判する記事はマスコミには載らないから安心、と思っているのだろう。
日本では「空気」がすべてを決定している、というのは山本七平の鋭い考察であり、批判だったが、今ではそれがむしろ当然視され、「KY」の人間(空気を読めない人間)の方が逆に批判される有様だ。
社会が空気を読んで行動することの弊害は、言うまでもなくすべてが空気を作る側の思い通りになることだ。論理には論理で対抗できるが、空気には抵抗する手段がない。その結果、昭和初期の日本は太平洋戦争に突入していったわけである。
そして今も、空気は日本社会を支配している。
(以下引用)
あまりにひどい鉢呂「失言」報道
2011年 9月 12日時代をみる メディア報道の在り方を検証する藤田博司
<藤田博司(ふじたひろし):共同通信社社友>
発足からわずか1週間の野田内閣で、鉢呂経済産業相が辞任した。辞任に追い込んだのは、鉢呂氏の「失言」を追求したメディアの報道だった。しかし一連の報道の中身はあまりにひどかった。これが日本のジャーナリズムのありようだとすると、暗澹とした気分にならざるを得ない。
8日に野田首相とともに福島県の原発事故被災地を視察した鉢呂氏は、9日の閣議後の記者会見で視察の印象を語った。そのなかで、人っ子一人いない市街地の様子を「まさに死の町のようなかたちだった」と表現したことが、被災地の人たちの感情を逆なでするものだとして「不適切だ」と批判された。批判を受けて鉢呂氏はその日のうちに発言を撤回し、謝罪した。
ところが10日の朝刊各紙は鉢呂氏の「もう一つの失言」を問題にした。8日の深夜、夜回りに来た10人ほどの記者と議員会館の前で囲み取材を受けた際、毎日新聞の記者に防災服の袖をすりつける仕草をして「『放射能をつけたぞ』という趣旨の発言をした」(毎日)というのである。他の新聞はどうやら毎日を後追いしたものと思われる。毎日は1面トップのほか、2面、社会面トップにも関連記事を載せて、大きく扱った。他の各紙も1面で扱うなど、大きなニュースに仕立てていた。
各紙ともこれで鉢呂氏に対する「批判が出るのは必至」「進退問題に発展する」などの見通しをそろって報じていた。そしてその見通し通り、その日の夜には鉢呂氏が辞任を発表する展開になった。翌11日の読売、日経、産経各紙は「経産相の辞任は当然、首相の任命責任も重大」と早々に辞任を支持する社説を掲げた。
報道のひどさが際立ったのは「放射能」発言をめぐる記事だった。まず、鉢呂氏の発言が実際にどうであったかがはっきりしない。各紙が引用した鉢呂氏の言葉がまちまちだ。朝日は「放射能つけちゃうぞ」、読売は「ほら放射能」、東京、産経は「放射能をうつしてやる」。わずか10文字にも満たない言葉なのに、一致しない。毎日に至っては、鉢呂氏に声をかけられたのが自社の記者だったというのに、「『放射能つけたぞ』という趣旨の発言」と、わざわざ「趣旨」とことわる不自然な書き方をしている。当の鉢呂氏も記憶にないと言っているから、真相はやぶの中だ。要するに、新聞が問題としている発言そのものがはっきりしない。この程度の事実をもとに閣僚の責任など、どうして問えるのか。
仮に毎日の報道した通りの発言があったとしても、どのような文脈でその言葉が語られたのか、記事を読む限りではわからない。「防災服をこすりつけるような仕草をして」というだけでは、鉢呂氏がどういう意図でその言葉を発したのか、推し量ることもできない。しかし新聞報道も、それを受けた与野党の政治家諸侯も、まるで鬼の首をとったかのように「閣僚としてあるまじき発言」などと息巻いている。夜回りの記者に対して鉢呂氏が見せた言動のごく一部を垣間見せられただけで、発言の状況や文脈を確かめもせず「閣僚としてだけでなく、人間として不適格」(石破自民党政調会長)などという、それこそ軽はずみな批判がどうしてできるのだろう。
政治家のお粗末な対応はさておき、問題はメディアの報道にある。前述のように各社の報道した鉢呂氏の発言内容が不確かな上に、その後、記者の側が当事者に発言の中身や真意を再確認する努力をした形跡がない。非公式な夜回り取材の場で(朝日によれば)「冗談まじりで」鉢呂氏が見せたという言動を、その進退を問うほどの問題として取り上げるなら、事実関係を十分確認し、本人の言い分も聞いたうえで報道するのがジャーナリズムの基本だろう。その基本を踏んだ取材をした様子が(少なくとも)紙面に載った記事からは読み取れない。この点は、先頭を走った毎日だけのことではない。後追いしたと思われるほかの各社も、確認や検証をしているようには見えない。
毎日は10日の朝刊社会面で、この失言に対する被災地福島の声を伝えている。「ふざけるな/あきれ、怒りあらわ」という見出しで、福島県民の怒りを紹介している。しかし福島で取材した記者は取材対象に鉢呂発言の内容や状況、文脈をどのように伝えて、声を聞いたのだろうか。鉢呂氏を取材した当事者の記者さえ「趣旨」を理解するのが精いっぱいだった発言の「不適切さ」を、福島の記者はどのように伝えたのだろうか。おそらく「怒り」の声を引き出すのに必要な材料だけを提供して、聞きたい声を聞いたということだろう。その結果、紙面は鉢呂氏の責任を追及する空気をあおるだけのものになる。(朝日も10日夕刊社会面で、同じような記事を掲げていた)。これが公正な報道といえるだろうか。
もう一つの「死の町」発言についての報道にも問題がなくはない。これは9日の記者会見で語られたことばだから、当然その内容については責任を負わねばならない。被災地の印象を「死の町」のようだと表現したことを、被災地住民の心情を理解しないもの、と批判することはできる。しかしこの「死の町」という表現が、どのような文脈で語られたのかは、新聞報道だけではわからない。
常識的に言って、住民が避難した後の、人の姿がまったく見えない市街地を見て「死の町」と感じるのはごく自然だろうし、それをそのままことばで表現することがそれほどひどく間違ったこととは思えない。(被災者に直接語りかけるような場ではむろん控えねばならないだろうが、一般論として被災地の印象を語る際に、その種の表現を使うことが非常識なこととは言えないだろう)。
しかしメディアの取り上げ方は鉢呂経産相の「死の町」発言を「不適切」と一方的に決めつけて揺らぐところがなかった。被災地や被災者への配慮、思いやりを錦の御旗に掲げると、まったくそれに逆らえないような空気が、この問題を伝えるメディアには漂っている。「死の町」発言を問題にするのも、冗談まじりの「放射能」発言を問題にするのも、この空気ではあるまいか。
3・11以降、メディアは「被災者に寄り添う報道」を半ば震災報道のスローガンにしてきた。それ自体、悪いことではないが、今回、鉢呂氏を辞任に追いやったメディアや政治の動きの背景にこうした空気があるとすれば、メディアとしては自分たちの振る舞いによほど用心しなければならないだろう。この空気は、うっかりするとメディア自身の手足を縛ることにもなりかねないからだ。
経産相に対して「死の町」という表現を「不適切」と批判したメディアは、今後、被災地を取材した時の記事で「死の町」に類する表現を使えるのかどうか。政治家は選挙民の神経を逆なでするようなことばはなかなか発せられない。選挙民が耳にしたくない事実を口にするのははばかることになる。しかしメディアは、真実を伝えるためには、読者、視聴者の嫌がることでも伝えねばならない。被災地の人々に不快なことでも、必要な事実は提示しなければならない。それができないとジャーナリズムの役割が果たせない。
鉢呂氏を辞任に追い込んだメディアが、その区別をしっかり自覚しているのかどうか。はなはだ心もとない。被災地に寄り添うために、無意識のうちに自分たちの手足を縛っているようなことはないか。今回の鉢呂「失言」報道を見ていると、正直なところ、危うさを感じてしまうのだ。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔eye1605:110912〕 -
「産経ニュース」から転載。
下記記事から分かるように、鉢呂経産省大臣は農水族議員であり、そうである以上TPPに対しては慎重派であるはずだ。そういう人間が経産省大臣であることはマズイと思う人間が、例の「放射能つけたぞ」をわざわざ大々的にニュースにして首にもっていったのだろう。そもそも、あんなのは冗談でしかない。まあ、幼児的冗談だが、それを記事にするほうがよっぽど悪質だ。これでは政治家は記者との接触などまったく不可能になる。おそらく、これからは公式記者会見以外でのインタビューは完全拒否するしか、政治家が身を守ることはできないのではないか。
あの松本龍と宮城県知事との会見での「これはオフレコだぞ」発言が完全に無視されて公表されて以来、政治家をめぐる状況は変わっている。もはや政治家の権威も権力もマスコミ以下なのである。
そういう状況がどれほど怖いものか、この国の国民は理解していないようだ。
下記記事は例によってTPP推進の内容である。これを転載したのは、鉢呂馘首(辞任ではなく、マスコミ主導の馘首だ)の深層にあるものを推理するネタとしての意味であり、記事内容はお笑いでしかない。
なお、山科恭介のブログも、鉢呂辞任事件では、私とほぼ同じ考えで書いている。彼も日本の政治状況・マスコミ状況にはつくづくうんざりしているようだ。
(以下引用)
原発再稼働 TPP…経済政策迷走へ
2011.9.10 23:45
鉢呂吉雄経済産業相の辞任により、日本の経済政策が迷走することは避けられない。鉢呂氏の発言は民主党の政権担当能力への疑問を抱かせ、原子力発電所の再稼働や環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)交渉への参加など意見の対立が根深い問題について、野田佳彦政権が議論をリードすることが難しくなる。政府にとっては信頼回復という新たなハードルが加わった。
「どうして首相はわざわざこんな人を大臣に選んだのか。混乱は必至だ」。経産省幹部は鉢呂氏の辞任の知らせに天を仰いだ。
元農協職員、旧社会党出身の農水族という鉢呂氏は経産相としては異色の経歴の持ち主。「農水族だからこそ、TPP問題で産業界と農業関係者の仲介役となれる」「原発がある北海道選出の政治家として原発の地元を説得できる」と期待されての就任だったが、政策以前の「政治家としての資質」が引き金となって辞任に追い込まれた。
鉢呂氏は10日、辞任後の会見で「重い責任をもつ大臣として、期待があったと思っている。きちんと貫き通せなかったのは無念」と述べた。しかし鉢呂氏の言動は、野田政権全体への不信感を招いており、次の経産相が誰であれ、信頼回復から始めなければならない状況に陥った。
TPP交渉参加9カ国は11月のアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議での大枠合意を目指し、協議を継続中。交渉参加が遅れれば、それだけ日本の要望を盛り込むことは難しくなる。
また、電力不足問題では、原発のストレステスト(耐性検査)の1次評価の結果が出る年内にも地元への説明を始めなければならない。山積する課題を前に、政権の信頼回復は一刻を争う。 -
「現代ネット」から転載。
値上げをする前に、東電幹部社員の給料を半額カットし、退職金は没収しろ、と言いたくなるが、まあ、本当のところ私は東電の電気料金はもっと上げてもいいと思っている。福島県民への補償は、東電の電気料金値上げで支払うことにすれば、東京の人間が福島の犠牲の上で享受してきた電力メリットへの罪滅ぼしになる。それに、自腹を切らないと他人の痛みは分からないものである。
これが、税金への上乗せで賄うことにすると、東京都の負担すべき分を全国民で負担することになる。まあ、よく東京の人間は、地方交付税交付金の配分に文句を言うが、あれはまた別の議論だ。
とにかく、「受益者負担の原則」は大事である。受益者負担の原則を捻じ曲げると、配分者(役人)の汚職の源泉になり、利用者(国民)のいい加減な無駄遣いが生じることになる。
高齢者医療費の膨大さも、根本原因は受益者負担の原則が弱いために無駄な医療費が膨れ上がったためだと私は見ている。いや、健康保険制度そのものがそうであり、ちょっとした風邪で病院に行く人間があまりにも多すぎる。まあ、それは市販の売薬が高すぎる、というせいでもあるが。
(以下引用)
値上げなんてフザケるな!東電 電気料金15%安くなる
【政治・経済】 2011年9月8日 掲載
高額報酬の9億円、ムダな宣伝費269億円、料金踏み倒し補填21億円まで原価に計上
どの面下げて「値上げ」ができるのか。東電が電気料金を15%程度引き上げようとして大ヒンシュクだ。停止中の原発の代わりに火力発電を増やすため、「火力の燃料費負担が収益を圧迫する」というのが値上げの理由だが、冗談じゃない。東電には燃料費“水増し”疑惑が浮上している。
東電の経営状況を調査する政府の「経営・財務調査委員会」によると、98年以降の料金コストのうち、燃料費などの予測値が実績値を恒常的に上回っていたのだ。
「原油相場や為替レートの変動で燃料調達費が左右することをいいことに、常に予測値を水増し。過剰に料金をつり上げてきた疑いがあります」(政府関係者)
こんなインチキが許されるのも、東電が奇怪な料金システムに守られているからだ。日本の電気料金は「総括原価方式」といって、必要なコストを積み上げ、そこに「適正な事業報酬」として3%を自動的に上乗せして決まる。
「普通の会社は売り上げからコストを差し引いた後に利益が確定します。利益を出すにはコストを削らなくてはいけない。電力会社は真逆の発想で、コストを増やせば増やすほど高い電気代を徴収できる。巨額な原発が乱立したのも、そのためです」(経産省関係者)
経営原理を無視した“ぼったくりシステム”がまかり通った結果、日本の家庭は米国の2.5倍、世界一高い電気料金を払わされているのだ。
しかもコストには何でもかんでも計上できる。経営・財務調査委員長の下河辺和彦弁護士(元産業再生機構顧問)が「こんなものまで原価に計上すべきか」と驚愕(きょうがく)したほどだ。
東電の電気料金の算出基準となる「電気事業営業費用明細表」(10年度)を見ると、年収7200万円と高額批判を浴びた勝俣恒久会長はもちろん、「全役員の報酬」8億6500万円のほか、全社員の「給料手当」約3000億円を計上。原発安全神話の宣伝やPR施設の運営に消えた「普及開発関係費」は269億円といった具合だ。
「こんなデタラメ料金、二度と払うか!」と言いたくなるが、コストには「電気料貸倒損」といって、不払い分の電気料金の補填費用が21億円も計上されている。
総額約1兆5000億円と、コスト全体の3割に上る燃料費の水増し分をキチッと精査し、高額給与やムダな宣伝費をカットすれば、値上げどころか、アッという間に15%の値下げだって可能である。 .
