江川達也という漫画家は、あまり好きではないが、頭はいいと思う。基本的にクリエイターはすべて頭はいいが、専門分野だけに特化した頭の良さだけしか持たない人もいる。政治にはまったく関心が無い、とか。
それはそれで利点もあり、政治的な関心を持ち、政治的発言をすると、小林よしのりのように時流に乗って(と言うよりマスコミの後押しを受けて)流行ることもあるが、たいていは反発されて人気を失う。特に左側に与する意見を述べると、右翼政権(日本の政権は基本的にこれ。)や右翼マスコミ、右翼工作員から袋叩きに遭って、或ること無いこと言われ、一般のファンまで離れていくことが多いかと思う。それでもあえて発言する人(たとえば坂本龍一)は偉い、と私は思う。
江川達也の場合は、どちらかと言えば小林よしのりに似た右翼側だと思うが、下に書かれていることは、堂々たる「少年ジャンプ」批判、あるいは「少年ジャンプ的なるもの」批判であり、私には、あの超ベストセラー「ワンピース」批判でもあるように思える。
まあ、売れない漫画家だからこそ、こうした思い切った批判ができるのだ、と思うが、「(人を殺すヒーローの)正義とは殺人快楽者の言い訳」ということは、まさにその通りだろう。
しかし、それ(殺人の快楽)は読者もまた共有する感覚なのである。ドラマ的なフィクションから(映画や小説や漫画などから)殺人を除いたら、ほとんど何も無くなるだろう。殺人の無い「ハムレット」「マクベス」は考えられないわけだ。「ロミオとジュリエット」だって、登場人物の大半は自殺したり殺されたりするのである。(笑)前にも書いたが、「赤毛のアン」の「小説クラブ」の一節で、小説をどう書いていいか悩んだダイアナ(アンの親友)は、登場人物を殺しまくって人物を減らすことにするのだが、私はこの場面が大好きだ。小説(フィクション一般)はそれでいいと思う。
「月光仮面」を書いた川内康範は「正義」というものに疑いを持っており、だから主人公には「自分は正義そのものだ」ではなく、「正義の味方」だ、と言わせたのだと言う。自分で自分を正義だと言う人間や組織には、眉に唾をつけて見るべきだろう。欧米政府(私から見れば白人はだいたいそうだが。)は常にそれである。
(以下引用)
[江川達也]<「少年ジャンプ」の構造>ヒーローの正義は暴力を使って殺人する「言い訳」
江川達也[漫画家]
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幼稚園の頃から、正義のヒーローを漫画や映画で見ると、
「これを作っている人は頭が相当悪いんだなぁ。」
と思っていた。
「正義は、暴力を使って殺人をしたがっている人の『言い訳』でしかない」
と思っていた。暴力的な欲求を満たす為に「正義」は使われる。そうじゃないものを殆ど見ない。
基本的にヒーローものの主人公はジャイアンなのだ。まわりの知能の低い「仲間」がその下衆な欲望を支持してくれるというおまけ付きの。
「少年ジャンプ」の人気漫画は、下衆な欲求を主人公が満たす為に、たくさんの言い訳を用意して描かれている。その構造に読者が気がつかないほどよく売れる漫画だ。
「少年ジャンプ」だけではない。すべてのエンターテイメントはそういう構造になっている。そういう構造を読者に自覚させるととたんに人気は落ち、連載は終了する。
現実社会を生きるにあたって、「醜悪なる正義の構造」の客観度をあげて、他のいろんな視点から見ることができるような人じゃないと世の中は読めない。
自分の主張を熱くなって語る人は、基本的に馬鹿だと思っていい。
・・・と、幼稚園の頃に思った。漫画家として生きにくい世の中だ。
(本記事は、著者のFecebookエントリを元にした編集・転載記事です)
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