ビリー・プレストンの「ナッシング・フロム・ナッシング」は私の好きな歌の一つ。
「ゼロ・マイナス・ゼロ・イコール・ゼロ」というような歌。しかし、ゼロからプラスを引くとマイナスになるわけで、社会の集合的意識をマイナス方向に変える操作は、より悪質だ。
(以下引用)
「永遠の0」に首をかしげる人いませんか?
「永遠の0」に首をかしげる人いませんか?
「永遠の0」は、ネットの感想を見ても絶賛があまりにも多くて、批判的な意見を書くと袋叩きに遭うような感じさえしますが、私は、この小説、「まがい物」だと思い、読み終えた直後、BOOK OFFに売りました。
知り合いが「一生、自分の本棚に置いておきたい本だよ」と言って勧めてくれたのですが、とてもとても…。
若い人達がこの本を読んで、戦争や特攻について関心を持つ“入門書”となった事については評価するのですが、この本の作者は、「作家として、この姿勢はどうなのだろう???」と、首をかしげました。
主人公宮部久蔵の回想話を長々とする元戦友たちの「経歴」の部分は、「創作」が許されない(=ある程度史実に沿うべき)部分なので、何かの資料の引用や合成だと思われますし、元戦友たちが話す宮部久蔵のエピソードは、ほとんど「大空のサムライ」坂井三郎さんの実話からヒントを得た話(というより、明らかなパクリ)だし、つまり、この小説の80%gが資料からの引用、転用、合成、翻案であり、残りの20%(宮部久蔵の孫の姉妹とか特攻をテロ扱いする記者など)が作者の「創作」ですが、それがあまりに浅薄でステレオタイプな感じがします。
坂井三郎さんがこの小説を読んだら、まあ怒りはしないでしょうけど、「うーん…」という感じじゃないでしょうか。
膨大な資料をまとめあげ、こういう物語を紡いだ整理能力は評価しますが、一歩間違えば「贋作」と紙一重であり、「何か違う」「これをやっちゃいけない!」という感じが抜けません。
しかも、この作者が「真似」ているのは、過去の名作(作品)でなく、「史実」なのです!
うまく説明できないのですが、まだ特攻の生き残りやご遺族がご存命な時代なのに、もう「特攻」を「感動もののエンターテイメント」にしているような……不謹慎な?感じがします。
ある意味、「戦争の記憶が風化したからこそ生まれた小説」ではないでしょうか。
当方、作者の百田さんと同年代のノンフィクション好きのおっさんです。
この小説に疑問を持っていますが、ネットにあまりに絶賛の意見が多すぎて、「自分の感覚の方がおかしいんだろうか?」と考え込んでいます。
どなたか、私と同じような感じを持った方はいませんか?
ベストアンサーに選ばれた回答
特攻という日本の長くて華麗な歴史に泥をぬるものを考案し認可し実行した軍上層部、司令官、部隊指揮官たちは、「お前たちだけを行かせはしない。最後の一機でオレも、、、」と言いながら、最後の一機どころか生き残って戦後の平和で豊かな生活を楽しみました。そして特攻を美化し、特攻隊員を神格化した本を書いてカネをもうけ、軍人としての自分たちの無能・無責任を隠そうとした。この「永遠のゼロ」もそんな路線の継承の様に感じられます。そして質問者さんのおっしゃる様に、いろんな戦記ものをかき集め、そのカッコいいところをつなぎ合わせたもの、、、そして著者自身の考えで書いた部分は、おっしゃる様に突然レベルがぐっと落ちる。そんな感じがします。
この本がものすごく人気を呼んだのは理解出来ます。世界のどこの国でもそうですが、国民が自信を失ってくると右傾化します。日本は東北大災害や中国、韓国、北鮮問題などを抱え、60年以上の平和ボケの日本人はどうしていいのか分からなくなっている。そういう時にこんな本が出てきたら飛びつきますよ。日本はすごい、日本は大したものだ、、、。別に日本の悪口を言いたいのではありませんが、過去の栄光にすがるのはどうかと思います。零戦自体はすばらしい飛行機で日本国民が誇りに思うのは当然ですが、あの戦争自体は日本の侵略戦争であり、国民はその侵略戦争を実に惨めに戦わされて地獄を見ました。それを美化してはいけませんね。
戦争の記憶が風化、、、そんなものはとっくに風化していますよ。戦後、国民がやっとメシを食えるようになった途端に忘れ去られました。そして今の平和ボケ。まあボケてもいいから平和がいいのか、少々厳しくてもビシッとした方がいいのか、難しいところですがね。「黒い雨」は本も読んだし映画も見ましたが「永遠のゼロ」とは次元が違いますね。作者の動機がまったく違うような気がします。
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