うろ覚えだが、寺田寅彦の俳句(じゃなくて、短歌、いや狂歌か。内容はドドイツに近い。)に
「好きなもの 苺コーヒー花美人 懐手して宇宙見物」
というものがある。苺はともかく、コーヒーと花と美人は私も好きだし(美人に関しては、整形美人の激増で、以前ほど好きではなくなったがww)、「懐手して宇宙見物」という境地には憧れる。「懐手して」というのがいい。真剣に目を凝らして観察するのではなく、「見物する」のである。学問なんて、最初はみな遊びであったではないか。それが、金儲けにつながるからやたらとギスギスしてきただけだ。
以上は前置きだが後も駄弁である。
私は、血液型のせいか、物事を大きく見るのが好きで、(本物の徽宗皇帝は細密画の名手だから私とは正反対だ。)森を見て木が見えなくなるという、現実生活にはまったく不向きな性格であある。だから、本業では無能、という意味で徽宗皇帝に親近感を持っているわけだ。
これもまた本題からはずれた。
駄弁に本題も何もあったものではないが、最初の前置きに書いた「宇宙見物」のことだ。正確には「地球の運命」についてだ。
私は、地球というものは、大きな洗濯機の浴槽の回転する渦の中の無数のゴミの一つだと考えている。その回転する渦が太陽系である。(さらに大きく見れば、銀河系全体が回転する渦かもしれない。)
で、微視的に見れば(太陽系を微視的に見る、というのもおかしいが)地球は太陽の引力に引きつけられながら、回転の遠心力とその引力が釣り合って、同じ軌道のままで回転しているように見える。だが、これはあくまで「微視的に」、つまり数百万年程度の「短い時間」で考えた場合のことであり、世の中に同じ状態であり続ける自然物や自然の運動などありえない以上、その回転の状態は永遠に同じではありえない。ただ、規模があまりに大きすぎ、時間の規模もあまりに大きいから、人間の歴史感覚では同じ回転を続けているように見えるだけだ。
これを巨視的に見れば、地球が太陽の周囲を回る運動は、やがてその回転半径を徐々に拡大し、太陽系全体もばらばらになるだろう、と予測できる。ただ、それが何百億年、何兆年後かは分からない。
で、ここから本当の本題だが、こうして地球が太陽の周囲を回りながら、その回転半径がほとんど変わらず、太陽に対する地軸の傾きもほとんど変わらない、というのは「ありえない」ことだ、というのが私の言いたいことだ。回転半径のことは措いても、地軸の傾きは、わりと短い間で変わっていく可能性があるのではないか。それを示すのが、下に引用した記事である。つまり、一人の人間が生きている間ですら分かる程度に地軸の傾きは変わりつつある、と私は思っている。そして、近年のさまざまな異常気象は、地球温暖化などという阿呆な理屈のせいではなく、地軸の傾きが変わりつつあることが根本原因だ、というのが私の考えである。誰か物理学者が、私のこの考えを検証してくれないだろうか。(笑)
いや、(笑)と書いたが、これは、エヘン、謙遜である。数十年後には、私のこの説が世界中で論議されるのではないか、と私は妄想している。
(以下「in deep」より引用)
もうずいぶん以前の記事となりますが、
・「太陽の位置がずれてきている」と語るイヌイットたち
2011年07月11日
という先住民族イヌイットたちのドキュメンタリーのインタビュー動画を翻訳してご紹介したことがありました。
イヌイットのうち、主にカナダに住む長老たちへのインタビューが収録されているものですが、インタビューを受けた全員が「太陽や星や月の位置が変化した」と言っているものでした。
太陽や星、月の位置、そして、風向きなどに頼って猟生活をしている彼らにとっては、それらの変化は生死に関わる問題です。
たとえば、下はカナダのヌナブト準州のイヌイット長老のサムエリ・アマックさんの言葉です。
・YouTube
このことについては、かなり以前からイヌイットたちの間で語られていたことのようで、たとえば、2010年11月3日のヤスの備忘録では、カナダのドキュメンタリー映画「イヌイットの知識と環境異変」の内容にふれられていて、そこに以下のような記述があります。
「好きなもの 苺コーヒー花美人 懐手して宇宙見物」
というものがある。苺はともかく、コーヒーと花と美人は私も好きだし(美人に関しては、整形美人の激増で、以前ほど好きではなくなったがww)、「懐手して宇宙見物」という境地には憧れる。「懐手して」というのがいい。真剣に目を凝らして観察するのではなく、「見物する」のである。学問なんて、最初はみな遊びであったではないか。それが、金儲けにつながるからやたらとギスギスしてきただけだ。
以上は前置きだが後も駄弁である。
私は、血液型のせいか、物事を大きく見るのが好きで、(本物の徽宗皇帝は細密画の名手だから私とは正反対だ。)森を見て木が見えなくなるという、現実生活にはまったく不向きな性格であある。だから、本業では無能、という意味で徽宗皇帝に親近感を持っているわけだ。
これもまた本題からはずれた。
駄弁に本題も何もあったものではないが、最初の前置きに書いた「宇宙見物」のことだ。正確には「地球の運命」についてだ。
私は、地球というものは、大きな洗濯機の浴槽の回転する渦の中の無数のゴミの一つだと考えている。その回転する渦が太陽系である。(さらに大きく見れば、銀河系全体が回転する渦かもしれない。)
で、微視的に見れば(太陽系を微視的に見る、というのもおかしいが)地球は太陽の引力に引きつけられながら、回転の遠心力とその引力が釣り合って、同じ軌道のままで回転しているように見える。だが、これはあくまで「微視的に」、つまり数百万年程度の「短い時間」で考えた場合のことであり、世の中に同じ状態であり続ける自然物や自然の運動などありえない以上、その回転の状態は永遠に同じではありえない。ただ、規模があまりに大きすぎ、時間の規模もあまりに大きいから、人間の歴史感覚では同じ回転を続けているように見えるだけだ。
これを巨視的に見れば、地球が太陽の周囲を回る運動は、やがてその回転半径を徐々に拡大し、太陽系全体もばらばらになるだろう、と予測できる。ただ、それが何百億年、何兆年後かは分からない。
で、ここから本当の本題だが、こうして地球が太陽の周囲を回りながら、その回転半径がほとんど変わらず、太陽に対する地軸の傾きもほとんど変わらない、というのは「ありえない」ことだ、というのが私の言いたいことだ。回転半径のことは措いても、地軸の傾きは、わりと短い間で変わっていく可能性があるのではないか。それを示すのが、下に引用した記事である。つまり、一人の人間が生きている間ですら分かる程度に地軸の傾きは変わりつつある、と私は思っている。そして、近年のさまざまな異常気象は、地球温暖化などという阿呆な理屈のせいではなく、地軸の傾きが変わりつつあることが根本原因だ、というのが私の考えである。誰か物理学者が、私のこの考えを検証してくれないだろうか。(笑)
いや、(笑)と書いたが、これは、エヘン、謙遜である。数十年後には、私のこの説が世界中で論議されるのではないか、と私は妄想している。
(以下「in deep」より引用)
もうずいぶん以前の記事となりますが、
・「太陽の位置がずれてきている」と語るイヌイットたち
2011年07月11日
という先住民族イヌイットたちのドキュメンタリーのインタビュー動画を翻訳してご紹介したことがありました。
イヌイットのうち、主にカナダに住む長老たちへのインタビューが収録されているものですが、インタビューを受けた全員が「太陽や星や月の位置が変化した」と言っているものでした。
太陽や星、月の位置、そして、風向きなどに頼って猟生活をしている彼らにとっては、それらの変化は生死に関わる問題です。
たとえば、下はカナダのヌナブト準州のイヌイット長老のサムエリ・アマックさんの言葉です。
・YouTube
冒頭の記事は、最近、このイヌイットの長老たちが、この「地球の軸がズレた」ということに関して、 NASA に手紙を書いたというものでした。最近、星がいつもと違って見える。
もはや星は以前の位置とは変わってしまったんだよ。
私の世界は変わってしまった。空も大地も自然も。
このことについては、かなり以前からイヌイットたちの間で語られていたことのようで、たとえば、2010年11月3日のヤスの備忘録では、カナダのドキュメンタリー映画「イヌイットの知識と環境異変」の内容にふれられていて、そこに以下のような記述があります。
地軸が傾いた?
実はこのドキュメンタリーが注目されているのは、環境異変が生々しく報告されているからだけではない。実は、イヌイットの長老の証言に注目すべき内容が含まれていたからだ。それは、地軸の傾きが変化したのではないかという証言である。
イヌイットの長老はいう。
「われわれは5歳ぐらいになると、毎日朝起きるとすぐに外に出て天気を確認するように親から言われて育った。だがいま空を見ると、太陽は本来沈むべき位置からなんキロもずれた位置に沈んでいる。さらに、夜空の星の位置も本来あるべき場所とは大きく異なっている」
映画では、北極圏に住むどのイヌイットの部族も「太陽が沈む位置が大きくずれている」と同じ証言をしていることが紹介されている。
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