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現在の社会で一人勝ち状態の作品は、その作品の本質的価値のためではなく、マスコミや売り出し元のマーケティング戦略のためでもなく、ただB層における「他人が見ているから自分も見てみよう」、「他人と違う意見を言ったらハブにされるから同じようにほめておこう」という行動パターンのために生じた勝利である。
そのために、転がり始めた雪が多くの雪を巻き込んで巨大な雪崩になるように、たいしたことの無い作品がメガヒットとなることがある。これを「情報社会の雪崩現象」と名づけよう。
例「ワンピース」「ハリーポッター」
それ以下のレベルの雪崩現象は無数にある。
上記の作品のファンの心を傷つける気はないが、売れ方や流行り方と作品の本質的価値は別物だというのは厳然たる事実だろう。
もっとも、価値とはすべて主観にすぎないものだと言えば、この手の議論は終わりではある。PR -
#286 植民地独立とハイパーインフレ
アフリカのジンバブエで今、ハイパーインフレが起こっているが、その原因を単純化すれば、欧米国家の策謀によるものだろう。ムガビ大統領の独裁と失政が原因であるというのが、例によって欧米に支配されたマスコミその他の論調だが、必ずしもそうではあるまい。そもそも白人の手から政権を奪取したことが「失政」であるという印象を与えるための情報操作なのだから、人々がそういう印象を受けるのは当然である。だが、これは例によって、国際間のマネーゲームの結果生じたインフレなのである。というのは、他国との通貨交換を行う限り、手持ち資金の豊富な側はいくらでも相手との交換レートを変えていくことができる。その結果生じるのがハイパーインフレなのである。すなわち、外国との貿易や通貨交換を停止すれば、いくら商品不足でインフレが進んでも、それは常識的レベルのインフレにとどまる。なぜなら、売る側も、いつかは売らない限り、自らの生活が成り立たないからである。鎖国政策における商品不足は、単なる生産政策の失敗や不運によるものだが、世界貿易時代のインフレは外国との関係で生じるものなのである。ジンバブエで起こったことは、これからも他のアフリカ諸国で起こるだろう。その教訓は何かと言えば、「無能な黒人の手に政治を任すとこうなるのだ」ということを世界に示したい欧米国家と国際金融家たちがその背後にいるということである。 (2009年1月2日) -
#285 共和党と民主党
共和主義とは、君主制に対立する語で、国家元首が直接または間接に選ばれるものだが、共和党は英語のリパブリカンの訳語で、これはもともと南北戦争時の北部同盟、フェデラリストが改名した政党である。フェデラリストとは、南部がアメリカから独立することを許さないという、「国家主義」のことだ。南北戦争とは自由貿易主義者を中心とした北部と、保護貿易主義者を中心とした南部の政治的闘争、およびそこから来る南部独立の動きを封じ込めようとした〈独立弾圧の戦争〉であり、けっして奴隷解放のための戦争ではない。すなわち、イギリスからの独立を果たしたアメリカが、その数十年後に、今度は自らの内部に独立の契機を抱え込み、それを弾圧して、今度は自らがイギリスと同じ立場に立ったのが南北戦争であったわけだ。
したがって、共和党は北部の利益、すなわち自由主義資本家の利益を守る政党であるが、民主党は南部の利益を守るというよりは、デモクラティック・パーティの名の通り、民主主義の政党である。ということは、資本家の利益を追求すれば、それが民衆の利益を損なうことになるのが、この民主党の誕生自体に示されており、その事実は、現在でも共和党が資本家の利益保護の政党で、民主党が大衆の利益保護の政党であることにも現れている。もちろん、民主党の内部が現在では腐っていることは別の話としてだが。 -
#282 文化大革命
毛沢東の文化大革命は、現在では単なる権力闘争だったと見られているようだが、本当は彼の「永久革命宣言」だったのだろう。つまり、革命によって旧来の社会体制は崩壊し、新たな社会主義国家としてスタートした中国だったが、やがて革命の指導者の多くは、権力と利権漁りに明け暮れるようになった。その成り行きに業を煮やした毛沢東が、革命はまだ終わっていない! と打ち出したのが文化大革命だったわけだ。その基本理念は、「生産者こそが最高の地位にあるべきだ」ということであり、生産者以外の仕事の人々は批判され、農村に追放された。中には、「ブルジョワ思想」のために悲惨な処罰を受けた人々もいた。
確かに、これは行き過ぎた「革命」であっただろうが、しかし、必ずしも間違っていたとは私は思わない。毛沢東は「精神の革命」を目指したのである。資本主義経済が発展してくると、働かない人間こそが儲ける風潮が出てくる。彼はそれを警戒したのだろう。
文化大革命の過ちは、「狂気の自己増殖」にあった。戦前や戦時中の日本では過度の天皇崇拝が様々な悲劇と喜劇を生んだが、文化大革命も、紅衛兵という愚かな子供たちが革命の中心になったために『蝿の王』的な狂気へとエスカレートしていったのである。
理念が正しくても、方法が間違えば、悲惨な結果を生むということの、これは一例である。 -
#279 神の創造と利用
旧約聖書の中の様々な矛盾は、「人間が神を創造し、利用した」と考えれば簡単に理解できる。たとえば、モーゼがシナイ山で神から十戒を受けたというのは、その直前にユダヤの民がエジプトを出てきたことへの不満を募らせていたことを考えれば、モーゼがシナイ山に籠もって、十戒その他の律法を「創作した」のだと推測できる。また、創世記の中で父親による祝福や呪いが、神と同じ力を持っていることや、ユダヤの律法の中で親への服従と畏敬が絶対的なものとされていることなどは、家族内での父親の権威付けに神が利用されたことを示している。前にも書いた「顕教と密教」の話のとおり、組織や集団の上に立つ人間は、神が人間を創ったのではなく、人間が神を作ったことを秘伝として知っていたのである。だから、ローマ帝国がキリスト教を公認し、やがては国教化したのも、それが人民支配に有効だったからである。
旧約聖書を読めば、人間が神をいかに利用してきたかがはっきりとわかる。つまり、集団の指導者の指示が成功した時は、それが神の意志にかなっていたからだということになり、失敗した時には、集団内部に不信仰な人間がいたとか、不信仰なふるまいがあったからだと言えば、集団指導者の責任は問われなくなるのである。これは、何かに似ていないか? そう、日本の旧社会での天皇の利用の仕方にそっくりである。上の人間の出す命令は天皇の意思とされ、その失敗の責任は、天皇の意思が正しく伝わっていないせいだ、ということになる。いつの時代にも、神的存在を利用することは政治の基本だったのだ。 -
#267 医療費問題について
政府というものの存在意義は、国民の生活を守り、豊かにしていくことである。すなわち、福利厚生が政府の活動の中核でなければならない。しかし、福利厚生ほど軽視されている部門はない。とりあえず、諸外国には、日本のように資源の無い国を奪う理由は無いから、国防問題はそれほど重要ではない。(その証拠に日本は、「元寇」を除いては、自ら他国を侵略しない限り、他国から攻められたことはない。)国防問題は、兵器購入への支出に伴うリベートを狙う、一部の人間にとってのみ重要なのである。
では、日本政府が国民の福祉に役立っているかというと、その反対であり、政府など存在しないほうが国民は幸せになれるのではないかとさえ思われる。たとえば医療崩壊の問題にしても、政府が一切口出ししなければ、問題はすぐに解決するのではないだろうか。
医療費を高騰させている高額医療は、保険制度を廃止すれば、すべて自己負担になり、誰も受けなくなる。そうすれば医療機器メーカーに踊らされて購入していた高額医療機器を買う病院は無くなる。無意味な延命治療も無くなるだろう。つまり、全額自己負担となれば、高額医療は常識の範囲に収まり、医療費は健全なレベルに収まるのである。優れた治療には金がかかるというのは錯覚だろう。本当にいい医者は、不要な治療はしない。ならば、金がそれほどかかるはずはないのである。医療に金がかかるのは、国家的システムの結果にすぎない、というのが私の推測である。(1月2日)
注:この稿もその前の稿も、今後の稿も、書かれた日付と掲載日付は一致しない。 -
#266 お祭り騒ぎの若者たち
「長いナイフの夜」事件でヒトラーが逮捕・殺害した一人が突撃隊長レームであるが、この突撃隊はいわばヒトラーの私兵集団である。つまり、ナチスに反対し、批判する人々をテロで脅し、押しつぶすのが彼らの役割であった。ヒトラーがただの浮浪者から権力の頂点に上るまでは、彼らの働きが絶大だった。
ナチスとは「国家社会主義」という全体主義思想の集団であるが、ナチスという怪物を作り上げた原動力である突撃隊に、なぜ多くの若者が参加したかというと、ナチスが彼らにパンと遊び(生きがい)を与えたからである。第一次大戦での敗戦で困難な生活を強いられた若者たちにとって、突撃隊は一つの職場であり、しかも敵との戦いという生きがいを与えてくれる楽しい職場であった。仲間との集団生活も、スポーツの合宿のようなものであり、「アカ」や「ユダ公」をやっつけるのは楽しいスポーツであったのである。レームは、チームスポーツの監督のような存在であり、いわば彼らの「親父」であった。
正しい歴史的認識も無く、社会の病因を正しく認識する力も無い若者は、邪悪な人間に容易に利用される。彼らは「資本主義は自分たちに何も提供してくれないと確信しながら、しかもマルクス主義を不倶戴天の敵と見なす、階級のはざまに陥った人々」(ノルベルト・フライ)である。これは、現在の日本における右翼あるいはネット右翼の若者とそっくりではないか。資本主義の悪に痛めつけられながら、その根源の敵に立ち向かおうとせず、共産主義という架空の敵のみを敵とするという、「突撃隊」の若者たち!(1月2日) -
#265 6月30日事件
6月30日事件とは、ヒトラーが自らの野心の障害となる党内右派と左派を同時除去(テロで殺害)した事件であるが、この事件は権力掌握を狙う人間のお手本となる事件で、慧眼な三島由紀夫は、この事件に魅せられ、「我が友ヒトラー」という戯曲にこの事件を描いている。(この事件は「長いナイフの夜」事件という魅力的な名前も持っている。)なぜこれが権力掌握のお手本であるのかというと、権力掌握には二つの段階があり、大抵の人間はその第一段階から第二段階へのジャンプができずに滅びていくからである。権力掌握の第一段階とは、社会(もしくは過去の権力)との闘争である。この段階は困難そのものだが、宣伝活動と暴力手段を有効に利用すれば、不可能ではない。ヒトラーの場合は、ユダヤ人と共産主義者を国家の敵として、ベルサイユ体制下の苦境にあえぐドイツ国民を味方にしたのが前者で、その暴力的側面で利用したのが突撃隊である。しかし、過去の権力との闘争が一段落つくと、今度は自らのグループの内部矛盾が噴出し、危機が訪れる。つまり、党内右派と左派の両者が邪魔な存在となるのである。この時に、この両者を同時除去したのがヒトラーの天才であったとは、三島由紀夫が指摘する通りである。これを一つ一つ実行していたら、残った一方に反撃の時間を与えただろうが、同時に撃滅されたために反撃ができなかったのである。その後はヒトラーへの批判はまったく存在しなくなり、(これは体制批判が不可能になったということだが)ヒトラーへの支持を問う国民投票で彼は89.9パーセントの支持を得るのである。(1月2日) -
#262 歴史に学ぶ
学校で学ぶ歴史のつまらなさにくらべ、さまざまな歴史の古典がいかに面白いものかを知らないまま、一生を過ごす人が多いのは可哀想なことである。そう言ったからといって、この私が歴史の古典をそれほど読んでいるわけではないが、少し齧った程度でも、それは十分に分かるのである。
歴史を読むことは、また有益でもある。いわゆる歴史に学ぶという奴だが、それがなぜ可能かというと、文化がいかに進もうが、時代が変わろうが、人間性そのものは変わらないからである。たとえば、ツキジデス(トゥキュディデス)の『戦史』の中で、アテネのデロス同盟支配について、あるアテネ人が、「強者が弱者を従えるのは世の常である。力によって獲得できるものが現れた時、正義を考えて控える者があるはずがない」と言ったというが、これこそ、政治における永遠の真理だろう。また、同じ『戦史』の中の有名なメロス島会談では、強者と弱者の間には、対等な交渉などありえない、という事実が、「民主主義の原点」であるアテネ側使者の口からはっきり述べられる。ついでながら、このメロス会談は、政治的交渉、および弁論術の教科書となるべき見事な文章である。たとえば、その冒頭、アテネ側使者はこう言う。「立て続けに話されると、巧みな口辞に欺かれ、事の理非を糺す間も無いままに、一度限りの我等の言辞に騙される恐れがあるだろうから、一つの論には一つの弁で答える。また、口上に不都合な点があれば、ただちに遮って、理非を糺してよい」これは、あらゆる議論の土台とするべき手続きだろう。(12月24日)
