donのブログさんのサイトより
https://ameblo.jp/don1110/entry-12888422267.html
<転載開始>
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もう、正気の沙汰ではないようです
金儲けのためなら人の命なんぞは無視って状態ですね
わかりますか?どんなに恐ろしい状態になっているか?
徽宗皇帝のブログ
5 心術の3「嘘と演技」
「心術」の一つとするべきかどうか迷うところだが、私が人生を生きていく上でもっとも大事なことの一つと考えているのが「嘘」と「演技」である。この両者は本質は同じだ。どちらも、事実ではないことを事実として見せることだから。そして、嘘と演技の能力こそは、社会人として上に登るためには必須の能力にほかならない。
わざわざこうして論じることからもお分かりの通り、私は嘘と演技が大の苦手である。無精な人間にとっては、嘘も演技も面倒臭いことこの上ない。嘘にも演技にも、それを厭わない「献身性」が必要であるのは、あらゆる技術と異ならない。自分のついた嘘を覚えておくだけの記憶力もない人間が嘘つきになれるわけがない。かくして、世間には怠け者で記憶力が悪いために、やむなく正直である人間が無数に存在する。嘘と演技の能力は、一部のエリートだけに許されているのである。
その「エリート」たちが嘘や演技の技術をどのように身につけるのかは不明だが、おそらくはほとんど無意識に身につけていくのだろう。私やカントのように、「自分の行動が、人生を一貫する格率に適合するように行動しなければならない」などと考える愚かな人間に嘘がつけるはずはない。少なくとも、私がつく嘘は拙劣そのものであり、私の演技は無惨そのものである。そういう人間が、結婚などができたというのも嘘みたいな話だが。
我々の日常の会話のほとんどは、嘘に満ちたものである。社会人でありながら本音の発言をするという馬鹿者は、一日だってこの世で生きていくことはできないだろう。まあ、学生の頃くらいは、多少は本音の会話もするかもしれないが、それでも仲間の気を悪くさせないために、意識的無意識的に発言をオブラートにくるんでいるのは言うまでもない。それをわざわざ嘘というのも馬鹿馬鹿しいとも言えるが、やはり嘘には違いない。
「人と向かい合っていると、言葉は、相手がそれをどう聞くかということに縛られて、本心そのままの言葉ではなくなる」というのは、兼好法師の『徒然草』の一節だが、我々の日常の他人に向けて発する言葉とは、要するに、その九割までは嘘である。嘘というのがどぎつければ、他人がどう聞くかを考慮してアレンジされた言葉である。相手が家族だろうが、これは変わらない。そして、これはけっして悪いことではないのである。思ったことを、何の気兼ねもなしに口に出していいのは絶対権力者だけであるが、現実には絶対権力者も、不用意な一言で災いを背負い込むことを避けるため、言葉に手心を加えているものである。要するに、これは「自由」の問題なのだ。我々には完全な「行動の自由」というものがありえないのと同様に、完全な「発言の自由」など無いのである。
では、なぜあらゆる社会で「嘘」は禁じられているのか。実は、これは典型的な二重基準(ダブルスタンダード)なのである。形の上では禁止されているが、現実には嘘は許容されているのであり、その形式的な禁止によって社会秩序は維持されているのである。頭の悪い人間や幼稚な子供は、「嘘の禁止」を心から信じてしまい、現実との衝突で混乱する。頭のいい人間や精神年齢の高い子供は、現実とモラルの違いを見抜いて、「嘘をついてはいけない」という言葉自体の嘘を見抜く。
嘘抜きでは社会活動は成立しない。たとえば、お腹の大きい妊婦の姿を美しいと思う子供などいない。妊婦が美しいなら、デブも美しいはずだ。だが、社会では、妊婦が醜いなどと発言することはできない。そんなことをしたら、袋叩きに遭うだろう。もちろん美醜自体が主観なのだから、女が妊娠した自分の姿を美しいと思うのは大いに結構であるが、それを本気で信じているとすれば、ちょっと怖いものがある。
だが、こうした「正直な」発言は暗黙の社会的儀礼に反する発言となるのである。私も、こういう文章を書いたために、世の女性の敵とされるかもしれない。こういうところが私の子供っぽいところだ。ただの馬鹿か?
また、たとえば官僚の仕事の大半は、自分たちの権益を拡大し、守ることだということを、ほとんどの大人は知っている。だが、公務員の前でそういうことを言う人間はいない。
一般に、専門家の仕事の半分は「専門家としてのポーズを取る」ことなのである。社会に出て必要な本当の能力は、仕事の能力ではない。「仕事をしたことをアピールする能力」つまり、嘘と演技の能力なのだ。いや、これはもちろん、話を面白くするために言っているのであり、仕事の実力で出世する人間も数パーセントはいる。とは言っても、実力による出世にしても、何が実力なのか、誰がどう判断するのかという問題もある。要するに、実力と地位とは必ずしも一致はしないし、偉そうな顔をしている人間の中のかなりな割合が、親の七光りやコネでその地位についただけの、仕事の能力などない人間だということを若い人間は覚えておけばいい。つまり、そういう連中に形式的には頭は下げても、心の中では馬鹿にしていればいいのである。素朴な(「ナイーブ」とは、英語では悪口なのだそうだ。)人間は、他人を見かけや地位だけで判断するから、世の中では詐欺師たちがあれほど活躍できるのである。
ここまで書けば、次には「嘘と演技の能力を身につける方法」を書く義理があるが、自分に無いものを他人に教えるほどの無責任、あるいは嘘つきでは私はない。であるから、この項目は、「出世したければ、嘘と演技の力を磨きなさい」とアドバイスするだけにとどめよう。もっとも、「正直は最善の政策」というのも、真理である。つまり、嘘や演技の能力が無いくせに、嘘をつくのはおやめなさいということだ。下手な嘘を他人はだいたい見抜いているものだが、相手に恥をかかせたくないという優しい気持ちから、それをすっぱ抜かないだけなのである。それをいいことに、嘘に嘘を重ねて出世する見苦しい「エリート」もよくいるのだから、他人にどう思われようと、実質的利益を得さえすればよいというなら、それでも良い。どう生きようが個人個人の勝手である。
以下、エド・ダウドさんの投稿です。
Grok は、暴落前の狂騒の20年代の株式プール運営者について以下のように説明する。1929年以降の証券法を覆す新しい株式プール運営者が現在存在しているのだろうか。
「狂騒の 1920年代の株式プール取引は、1929年の大恐慌前の 10年間を特徴づけた金融の荒波の中でも、魅力的でやや怪しい部分でした」
「本質的には、株式プール取引は、裕福な投資家のグループ(しばしば「プール業者」と呼ばれます)が、特定の株式の価格を人為的につり上げ、利益を得て現金化し、一般投資家に損失を残すために使用した操作的な戦術でした」
「典型的な仕組みは次の通りです。大物投資家、ブローカー、企業幹部などのインサイダー集団が密かに結束し、多くの場合は彼らが何らかの支配権を持っているか内部情報を持っている株を選びます。彼らは協調して株を買い集め、自分たちの需要で株価をつり上げます」
「さらに勢いをつけるために、彼らは噂を広め、マスコミに好意的な記事を流し込み(時にはジャーナリストに賄賂を贈り)、株式を大衆に宣伝するためにタレコミを利用します。これが狂乱を引き起こし、1920年代の投機熱に巻き込まれた一般の人々が群がり、株価をさらに押し上げます」
「株価がピークに達すると、プールの運営者は、高騰した価格で、熱狂的な大衆にひそかに株式を売り払います。彼らが売り払った後、株価は必然的に暴落し、後から来た人、通常は小口投資家には価値のない株式が残されます」
「これは典型的なパンプ・アンド・ダンプの手法(※ 短時間で価値のない資産の価格をつり上げた後で売りたたく策略)で、暴落後に 1933年の証券法と SEC (証券取引委員会)が施行されるまで、株式市場はほとんど規制されていなかったため、当時は完全に合法でした」
「有名な例としては、ジョセフ・P・ケネディ(そう、JFK の父です)が挙げられます。彼は政治家になる前は、巧みなプール運営者だったと噂されていました」
「プールは、ラジオ株(RCA など)や自動車会社など、当時の人気産業をターゲットにし、テクノロジーへの楽観主義の波に乗っていました。この慣行は、緩い規則、横行する投機、そして一攫千金を熱望する大衆のおかげで、1920年代に盛んに行われました」
「これは貪欲と狡猾さを描いた荒唐無稽な物語であり、1929年の大暴落が大きな打撃を与えた理由の 1つです。人々がゲームがいかに不正に操作されているかに気づいたとき、市場への信頼は完全に失われたのです」
確実に現在の老人に加えてロスジェネがお荷物になる10年後20年後の重税はわかりきったこと、今後確実に起こることなんだから、その生活は子供作って家庭作った人間が耐えられるものじゃないこともまた自明、実家が太くないやつは生き残りのために金儲けやスキルアップに全振りすべきなのに呑気に子供作って散財してる場合じゃない。
まともな頭があれば子供作らないよね
どう考えても無理でしょ
今ですら生活厳しいのに
こういう思考の人って生まれてから今までに主体的に日々の喜びや楽しみについて思い巡らしたことも深く考えたこともないんだろうと思うと可哀想になる
自ら進んで社会の奴隷になりに行ってるのに本人は一生気付かないんだろうね
同紙は社説欄に大幅な変更を加えており、この動きはすでに読者やスタッフの間で論争を巻き起こしている。
RT
27 Feb, 2025 09:01
ワシントン・ポストは、同紙のオーナーであるジェフ・ベゾス氏が水曜日にスタッフに宛てた電子メールで発表したところによると、同紙のオピニオン欄を刷新し、アメリカの価値観に焦点を当て、「個人の自由」と「自由市場」を強調する方針である。この方針転換により、オピニオン編集者のデビッド・シップリー氏が辞任し、ジャーナリストや読者の間で議論が巻き起こっている。
改革の一環として、同紙はベゾスが提示した2つの柱を支持する社説を毎日掲載するが、それらに反対する意見は「他者に委ねる」と述べた。
「私は、自由市場と個人の自由がアメリカにとって正しいものであると確信している。また、これらの見解は、現在の思想やニュースの意見市場では十分に扱われていないと信じている」とベゾス氏は記した。さらに、従来の意見欄は時代遅れとなり、デジタルプラットフォームに読者を奪われていると付け加えた。
また、今後はアメリカ的な原則である「自由」を基盤としたコンテンツになると付け加え、その内容を「倫理的」で「強制を最小限に抑える」ものだと説明した。
ベゾスはシップリーに「この新たな章を率いる」機会を提供したが、同編集長は辞退した。CNNが入手した社内メールで、シップリーは辞任の理由を「自分が愛する職業で最善の道を進むにはどうすべきか熟考した結果」と説明している。
この変更について、多数の社員が公然と批判している。その中には、経済担当主任記者であるジェフ・スタイン氏も含まれており、同氏はこの変更を「大規模な侵害行為」と呼んだうえで、ベゾスが「ニュース部門に干渉」しようとした場合は辞職すると警告した。コラムニストのフィリップ・バンプ氏は、ブルースカイ上で反応し、次のように書いた。「一体全体どうなってるんだ!」
億万長者でスペースXのオーナーであり、ドナルド・トランプ米大統領の側近でもあるイーロン・マスク氏は、Xの投稿でこの動きを称賛した。「ブラボー、@ジェフ・ベゾス!」
マスク氏の支持はオンライン上で議論を巻き起こし、ベゾス氏が「自由」を強調しているのは、これまで同紙が「倫理に反する」存在であったことを認めるものだという意見もあった。また、この方針転換は、編集方針をトランプ大統領の「アメリカ第一主義」に歩調を合わせるための試みではないかという意見もあった。
ワシントン・ポストの経営陣は政治的偏向に関する懸念を軽視している。CNNが入手したスタッフ向けメモで、CEOのウィル・ルイス氏は、この変更は「どの政党にも肩入れするものではない」とし、むしろ「新聞社として何を支持するのかを明確にするものだ」と主張した。
編集主幹のマット・マレー氏も、同紙の独立したニュースルームは「これまで通り」であり、ベゾスの方針転換はオピニオン欄にのみ影響する、と述べ、スタッフを安心させようとした。
ベゾスの決断は、内部の課題や読者からの反発に直面しているワシントン・ポストにとって、波乱の時期に下された。同紙は最近、米国大統領選挙で候補者を推薦するという長年の伝統を破棄し、10人いる編集委員のうち3人が辞任した。また、この方針転換により、有料購読者の10%以上にあたる25万人以上のデジタル購読者が購読をキャンセルしたと報じられている。