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「阿修羅」から転載。
「先行き予報官」とは何じゃい、という感じだが、言っていることは、誰でも予測できることだ。しかも、この予測は英国防省が婉曲に言ったものをどぎつく言ったにすぎない。まあ、私のブログも似たようなものだが。
ソ連が崩壊するまでは、ソ連はずっと安泰だと思われていた。それ以前にソ連崩壊をはっきりと予言した人は、私の知る限りでは小室直樹しかいなかった。崩壊してからは、実は俺も、私も予言していたという自称預言者や経済学者、政治学者はたくさんでてきたが。
これは、小室直樹という人間が数学的発想をする人間だったからできたのだと思う。数学では、どんなにありえないような解でも、論理と計算手順に間違いがなければ、それが唯一の解だ。ソ連崩壊は、その唯一解だったわけである。他の人々は、「超大国ソ連」の外見に目がくらんで、それが崩壊するとは思えなかったのだ。
そして今、アメリカははっきりと崩壊の兆候を見せている。米国政府自体が、革命に備えて、自国民弾圧の準備を着々と進めているのがその証拠だ。
まもなく、「政府が自国民を射殺する最初の一弾」が発砲される。その時に、本物の革命が始まるだろう。血の日曜日事件からロシア革命が始まったように。
注)血の日曜日事件(ちのにちようびじけん)とは、1905年1月9日(ユリウス暦。グレゴリオ暦では1月22日)、ロシア帝国の当時の首都サンクトペテルブルクで行われた労働者による皇宮への平和的な請願行進に対し、政府当局に動員された軍隊が発砲し、多数の死傷者を出した事件。(ウィキペデイアより)
(以下「阿修羅」から引用)
先行き予報官・ジェラルド・セレンテは、「憎いほど的中させる未来予報官」として、全米で有名です。
セレンテは、米国経済が2011年からさらに一層悪化することにより、2012年には、アメリカで革命の火の手が上がる、と予測しています。
この予測は2008年にメディアに対して行なったものですが、状況はセレンテの予報どおり進んでいるようです。
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ジェラルド・セレンテによると、今度、アメリカに9.11のような大きなテロ攻撃が起こった場合、銀行システムの完全停止につながり「バンク・ホリディ」になることは避けられない、ということです。
セレンテが、この予測をしてから、2年少し経った今、現在の情勢とどのように符合しているか確かめてみたいと思います。
もちろん、2012年の兆候は、まだ、すっきりと目に見える形では表れていません。焦げた臭いだけは漂っていますが。
■セレンテは、アメリカで2012までに革命、食料暴動、税金不払いによる暴動などが起きると予測している
Celente Predicts Revolution, Food Riots, Tax Rebellions By 2012
(2008年11月13日の記事)
1987年の株式市場のクラッシュやソ連崩壊をピタリと当てた男は、今、アメリカで革命が起こることを予測しています。
食料暴動、税金反乱など、これらのことすべてが4年以内(この記事は2008年11月のものです)に起こり、テーブルに置く食べ物を確保することが、2012年のクリスマス・プレゼントを買うことよりも重大な関心ごとになるかもしれません。
セレンテは、アメリカが2012年までに未開発国のような状態になって、食物暴動、不法入居者の反逆、税金(不払い)反乱、および労働者の仕事を求めるデモなどによって革命がおきる、と予測しています。
この革命の見通しは、英国防省の2007年のレポートによって反映された概念です。
その概念とは、
「今後30年以内に、富裕層と中産階級との間のギャップがますます広がり、都市の労働者が社会秩序を脅かすことになるだろう。
そして、知識、リソース、スキルなどにアクセスしながら結束するようになるかも知れない。その上、中産階級は革命的階級になるだろう」というものです。
このように英国防省は、2007年に予測しているわけです。
セレンテは、最近のインタビューで、遠からずアメリカで革命が起きることを予測している。
「革命が、この国であるでしょう。
革命の兆しは、まだ見えていませんが、やがてはやってくるでしょう。
そして、サード・パーティーが現れるのを見るでしょう。それは、革命への変化をもたらす人たちのことです。
このことで、白昼、ウォール街近くのワシントンD.C.が無血のうちに接収されることになるでしょう。
この無血の一撃は、アメリカの状態が悪化を続けるにつれて、起こる確率がますます高くなります」
とセレンテは予測しています。PR -
だいぶ長い間ブログ更新が滞っていた「反戦な家づくり」が久しぶりに更新された。その一部を転載する。
記事の内容は、小泉以後の日本と世界の総括である。日本を現在の極度の格差社会にし、人々から人生への夢と希望を奪った小泉と竹中は何度死刑にしても飽き足らない人間だが、日本人の中で彼らの犯罪的行為を理解している層がどれだけいるのか心もとない。まずは彼らの罪を弾劾することが日本再生への出発点になるのではないか。
「忘れっぽさ」というのが日本人、いや人間の根本的欠陥である。その習性を利用するのが「操縦者」たちだ。政治経済の権力者と、その実行者である。
アメリカでは、戦後70年以上がたっても毎年のようにユダヤ人迫害を題材にした映画を作り、しつこくユダヤ人受難を自らの地位保全に利用する富裕層がいる一方で、わずか10年前の9.11すらもはや過去の出来事として無関心な一般大衆がいる。支配者は賢いだけではなく、粘り強いのである。彼らは物事を長期的に考えることができる。一方、一般大衆は忘れっぽい。だから支配されるのだ。
怒りの持続と、敵をどこまでも追い詰める意志が必要なのだ。
しかし、政府によって捨てられた福島や東日本の住民が怒りの声をあげることすらしない日本で何が変わろうか。国家によってすべてを奪われた人々は、なぜ立ち上がって行動しないのか。
日本国民には怒る能力すら無いのか。怒るよりも、権力の分け前に与る方が賢いと、権力の尻尾にすがりつく方を選ぶのか。そしてわずかなおこぼれを貰って満足するのか。この奴隷根性こそが、現在の国家的悲惨の根本原因ではないのか。
革命や変革の成果の分け前には与りたい。しかし自分が革命の犠牲になるのはいやだ。これが大多数の人間の下司根性だろう。誰かが動いて事態が改善されるのを待っているのだ。先頭に立って銃弾に当たるのは御免こうむる、ということである。そういう連中のためになぜ自分が先頭に立って犠牲になる必要があるだろうか? 誰でもそう思う。だから、革命は始まらないわけだ。かくして日本はどす黒い不満のマグマを下に湛えながら、表面的には平和そのものの社会が維持されている。
歴史の事実は、確かに、戦いの先頭に立つ人間の犠牲は、まったく報われない、ということである。戦いで死んだ人間の功績を、戦いで生き残った連中が分け合うわけだ。しかし、誰かが先頭に立たないと戦いはできない。
政治的な戦いなら、その先頭に立つ使命を持つのが、本当なら野党政党なのである。ところが野党自民党こそが日本没落の最大戦犯なのだから、もはや既存政治に何が期待できようか。
軍隊も警察もすべて、国民をではなく権力を守る装置でしかない。
かつての2.26は国民の疲弊を救う意図からの決起だった。今の自衛隊の中にそのような人間が一人でもいるだろうか。
一人の人間が諸悪の根源ならば、一人一殺のテロで問題を解決することもできる。しかし、社会システムによる悪は、システムを変えることでしか改善されない。それには時間がかかるだろう。しかし、その間にも福島や東日本で、いや、日本全国で、生計の手段を失って生活が窮迫し、死を目前にしている無数の人々がいるのである。
事態の改善は容易である。
すべての日本人を即座に幸福にすることは簡単だ。
そしてそれは誰にも迷惑なことではない。
政府が日銀に命令して紙幣を大増刷させ、それを必要とする貧しい人間、窮迫した人間に分配すればいいだけのことだ。それをしないと、絶望からのテロがこの従順な羊の国でも起きる可能性はある。
(以下引用)
■■こんな時代だから
6年前に、「こんな時代の家づくりは生き抜くためのたたかいだ」というサブタイトルで「家を建てる。」という本を出版した。サイドメニューでしつこく宣伝しているやつだ。
あの当時の「こんな時代」とは、象徴的にはコイズミ改革といわれた苛烈な弱者切り捨てであり、9.11を口実にしたアフガンとイラクへの戦争の始まりだった。
たしかに、あのころから日本は急展開していた。なんやかんや言って、皆が食える社会から、相当数の国民が食っていけない社会へ。不平等ながらも富を再配分する社会から、少数のものが独占する社会へ。
対外的にも、アメリカに庇護される国から、アメリカに搾取される国へ。米軍の浮沈空母から、米軍の打ち出の小槌に。
その大転換、急激な貧困と将来不安は、「国民の生活が第一」を掲げた民主党による政権交代の底流になった。圧倒的な国民の声が、生活防衛、生活再建に向かった。
まるで革命的な変革が、議会制民主主義の枠の中で成し遂げられたかに見えた。
しかし、それは一瞬の夢であり、圧倒的な反革命のパワーの前に成立と同時に崩壊を始めた。最後の逆転のチャンスと思われた昨年秋の民主党代表選で、過半数の民主党議員は反革命の勢いに恐れをなし、最初から白旗を揚げた菅直人を首相に押し上げてしまった。この時点で、議会制民主主義という枠内で「国民の生活が第一」に立ち戻る機会は、失われた。
議会制民主主義に期待できなくなったそのころから、日本人がながらく封印してきた「デモ」という方法を思い出した。既得権益・官僚機構の暴力装置として小沢氏に襲いかかった検察にたいする怒りが、千人を超えるデモとなって、東京や大阪で街頭にあふれ出した。
選挙という間接的な表現を超えて、国民が直接表現を始めた。
その事態を決定的にしたのが、3.11の震災だ。震災への対応の酷さ、なかでも原発事故へのウソの上にウソを積み重ねる政府の態度は、「国民の生活が第一」どころか、被災者は邪魔者と言わんばかりのものだった。まさに、棄民ということばがピッタリとくる。
その一方で、東電を庇護し、原発の再稼働を急ぎ、辺野古の建設に執念をもやし、八ッ場ダムは再開をうかがい、増税で国民から収奪したあげくに、豪華な国家公務員宿舎に何百億ものカネを惜しげもなく注ぎ込む。
国民の圧倒的な期待を背負った民主党政権が、自民党よりも酷いありさまになり果ててしまったことに、ついに6万人の怒りが街へ登場した。
9.19のこの大集会は、いよいよ時代が次の段階に入ったことを示している。もう、おカミに期待し、頼っていては生きいていけない。そのことを自覚して動く時代が始まったのである。
もう誤魔化しようがないほどに利害が対立し、直接に対決するしかない時代。これを、内乱の時代という。
3.11を経て9.19をもって、日本は内乱の時代に入ってしまったということだ。それが良いことなのか良くないことなのか、早計に判断はできない。
だが、そういう妥協やゴマカシではどうにもならないし、おカミは調整していくれるどころか、おとなしい者から順番になけなしの権利もカネも奪っていく。それに我慢できない者が、一定の割合を超えて直接行動を始める。そういう内乱の時代に入っていることは間違いない。
これはどうやらアメリカも同じ事情のようだ。オバマが圧倒的な期待を背負って大統領になり、しかし貧困はますます進行し、いよいよアメリカ人も堪忍袋の緒が切れて、ウォール街を占拠し始めた。それ以前からも、保険制度の問題などで、各地で市役所を占拠したり大デモが起きたりしていた。
もし、というか おそらく、日本でもアメリカでも、こうしたデモや直接行動を高圧的に押さえ込んでくるだろう。よりいっそう情報を隠し、むき出しの利権あさりに励むだろう。これが、とことん進行してしまうと、最後の最後は軍事独裁政権のようなモノも言えない圧制か、アフガンのような内戦状態になってしまう。
そこまで行き着くのかどうか。
それが、これから数年という時間に問われている。 -
「AFP BBニュース」より転載。
このニュースよりも、このニュースが日本の一般メディアやインターネット上の無数のオンラインニュース板でほとんど流されていないことに注意してもらいたい。
つまり、この手のニュースが広まらないようにメディアコントロールがされているということだ。なぜなら、それは資本主義への批判が高まっていることを多くの人に知らせてしまうからである。そして、それを知ることは資本主義を考える契機となり、現在の世界中の貧困と差別と抑圧の根源である新自由主義的資本主義への批判はさらに大きくなっていく。したがって、メディアを支配する資本家は、この情報を民衆の目から隠そうとするのである。
何も載っていない皿が示すのは、ただそこに皿があるということだ。しかし、その少し前にはその上にケーキがあったとすれば、その空の皿が示す事実は、そのケーキを誰かが食べたか盗んだという可能性である。(そこであなたは、家族の誰が犯人かと考え出す。)
メディア上のあらゆるニュースが示すのも空の皿である。そこにケーキがあったのだ。
ニュースが流されている時には、流されない無数のニュースがある、という事実に注意しなければならない。あなたが30度の視野で物を見ている時、見えていない330度の部分がある、ということだ。我々が見るニュースなど、その程度のものだ。
そして、ネット上にこれほどにニュース板が乱立していると我々は、情報が十分に得られると安心するが、実は、それらのニュース板そのものが情報コントロールのために作られているとも考えられる。
「200マイルは遠すぎる。ましてそれが雨の中となればなおさらだ」という呟きの中に、どれだけの情報があるか。そういう趣旨の推理小説があるが、与えられた情報から事実を追及する分析力の方が、「意図的に選択して流された無数の情報」の数よりも重要なのである。
(以下引用)
【10月2日 AFP】(一部更新)
ニューヨークで2週間前から行われている反ウォール街デモで1日、デモ隊がブルックリン橋(Brooklyn Bridge)の交通を止めたことから、当局はデモ参加者約700人を拘束した。
企業救済や政治への企業の影響に抗議する反ウォール街デモは2週間前、マンハッタン(Manhattan)南部の小さな公園の占拠から始まった。
だがデモは1日に場所をブルックリン橋に移動。ニューヨーク市警(New York Police Department)の広報担当者は「数百人が道路を行進し、交通を妨害した。警告を聞き入れた者もいれば、立ち去った者もおり、拘束も行われた」と述べた。
別のニューヨーク市警広報はAFPに対し「およそ700人を拘束した」と語った。同広報によると、拘束された人びとのうちの一部は数時間で釈放された。残りの人びとの拘束は1日ほどの見通しだという。
アラブの民主化要求運動に触発されたデモ主催グループ「Occupy Wall Street(ウォール街を占拠せよ)」は、ウェブサイトで「少なくとも50人」が拘束されたと述べている。(c)AFP
【関連記事】NYで格差是正を訴える大規模抗議デモ
(引用2 同じくAFP10月1日記事より)
ニューヨーク(New York)では連日、金融界の富裕層に富が集中していることに抗議する「Occupy Wall Street(ウォール街を占拠せよ)」デモが行われている。参加者らはロウアー・マンハッタン(Lower Manhattan)周辺の道路を占拠し、銀行の救済措置や不動産の差し押さえ、高止まりの失業率のほか、警察の暴力などに抗議している(2011年9月30日撮影)。(c)AFP/Getty Images/Mario Tama -
あいば達也の「世相を斬る」より転載。
私が自分のブログでずっと述べてきた、「日本は鎖国をすべきだ」、という考えを持っていたのは私だけではない、と思うと心強い。
あいば氏も別の日の記事で述べていたが、「鎖国したら日本は生きていけない」というよくある議論を私はもちろん信じていない。
肝心の食糧自給問題にしても、現在の科学技術水準なら、簡単に自給できる水準に到達できる。それどころか、現在でも日本での廃棄食糧は、全生産の30%近くだか何だか、正確な数字は知らないが、巨大な割合であると言う。
いわゆる「比較優位説」によって、日本は農漁業よりも工業の方が割がいいから農漁業は他国に任せて、工業を推進してきた結果の食糧自給率低下なのである。つまり、最初から他国との貿易による金儲けが目的で日本の産業シフトは行われてきたのだ。
ところが、その貿易による金儲けが、今後は見込めない、というのが現在の状況だ。仮に一部企業の金儲けはできても、日本国内の産業空洞化と雇用減少、労働者の所得減少は避けられない。
海外との貿易をやめれば、日本は第一次産業重視の社会に戻らざるをえない。そして、その結果、社会全体が「生存に必要な物を作る人間が尊敬される」健全な社会になるのである。
そして、労働集約的産業である第一次産業の復活は、日本が抱える最大の問題である雇用問題の非常に簡単な解決策になる。つまり、高校大学など行かなくても、若者の誰にでも仕事がある、という社会になるのである。
まあ、下記記事にもあるように、いきなり海外貿易をすべて禁止しろ、という乱暴なことは私も言わない。海外貿易がしたい企業はすればいい。しかし、輸出企業のために政治が捻じ曲げられ一般国民がその被害を受ける(「被害を受ける」は「馬から落馬する」と同じく畳語だが、「後で後悔する」と同様、言葉の調子のために必要な畳語だ)という、現在の日本や世界の在り方は、根本的に間違っていると私は信じている。
(以下引用)
円高が大変で輸出産業は死活問題に直面している。企業の空洞化が加速するばかりだ。製造原価を圧迫する日本の雇用体系では国内での雇用は守れない。世界一高い法人税も足枷だ、減税を。もっと成長経済に繋がる政策も急務だし、財政再建と同時並行的に行われなければならない。経団連の米倉爺が口にするのは、以上のような内容だろう。マスメディアもほぼ同様の論調が主流だ。
仰ることは一々ごもっとも、その通りです。ただ、グローバル経済においては、国境を越えて「人モノ金」が移動するわけで、今さら騒ぎ出す方が間抜けなだけだ。円高で国内での製造業が不利であるなら、シコタマ溜め込んだ内部留保のマネーを積極活用、海外優良企業のM&Aに注力すべきだろう。モノ言わず、既に黙々と日本企業の海外企業買収は右肩上がりで進行している。マクロなグローバル経済と云うものは、一種“化け物”なわけで、今さら制御することは不可能なのだと思う。どのような学者や識者の話を聞いても、クリアな答えに出遭わない、各国中央銀行も財務省等々の処方箋を見出していないし、見いだせない可能性の方が高い。
グル―バル経済に組み込まれた産業の分野を、国内的に拡大しようとか、そこで生まれる雇用に期待する政策などは、効果は期待できず、役人どもの権益の拡大と族議員の増大に寄与するのが関の山である。国内立地補助金など、金をドブに捨てる政策に近いと考えるべきだ。核汚染物質再処理施設の候補地に補助金がつぎ込まれるのと同様に、その地域の自主独立の精神をスポイルする弊害しか生まない愚策である。
国内で集中的に国家予算を注ぎ込むべき産業は、グローバル経済に馴染まない土着な産業の方が将来的な投資に繋がるだろう。つまり、国内故に成立する産業の育成に集中投資すべきである。その意味で「地産地消」と云う概念が広義に重要な意味を持つ。「地産地消」は食物に限らず、エネルギーであり、サービスであり、農漁業林業であり、医療介護等である。基本的に、日本国土において成立し得る産業で、尚且つ日本国民を対象とする産業である。
意味のない努力に国富を投ずるは愚かだ。日本固有の産業の育成は、最終的にグローバル経済の中で、バラバラな意志で動く大企業を別扱いするだけの社会構造、産業構造の構築は、実は先進文明国家の共通の悩みである、経済成長の先細りに、僅かな光明を与えることにもなるだろう。たしかに内向きな論理だと云う批難はあるだろうが、グローバル経済はボーダレス経済であり、国家のリアリティを失わせる。つまり、国家の為、日本人の為に何かをするアイデンティティが失われるのだ。国家主義に陥る危険はあるが、現在の日本人に、そのような気風があまりにも失われているわけで、多少は良薬として作用するだろう。丁度、デフレ不況の中で、僅かなインフレ・ターゲット(2%)が容認されるのに似ている。国家主義と云うより、筆者は民族の自立に重きを置いているので、国家の自尊より、国民の自尊に多くを期待したい。
野田政権は、野田佳彦がどれ程気色ばんで否定しても、勝財務事務次官に洗脳された政策にひた走っているのは自明だ。他からみて、そのようにしか映らないことが判らないこと自体、勝次官信者と云う事だ。まぁ実力がないのだから、何かにすがる気持ちも判る、特に責める気にはなれない。適当にやっておきなさい。間違ってもTPPだけは絶対に参加してはイカン!日本の為にも、米国の為にも、まったくならない。
金儲けが至上命題の大企業はグローバル経済の中で、強かに生きていけば良いのだ。特に個別の国家レベルで、何処の誰に塩を送るか判別のつかない経団連参加の乞食根性大企業に、血税を注ぐべきではない。広義の「地産地消」産業の育成こそ、少子高齢化してしまった国家体制を維持する道はない。少子化対策が有効に機能したとして、30年ほどは少子高齢化人口構成が変わるわけではない。
筆者の思考の根幹には、自立出来る国家、最低限「地産地消」で生きられる国家像がある。素朴な言葉で表現すれば、鎖国的国家だ。勿論、個別の企業の貿易にケチをつけることはないが、支援はしない。あくまで市場原理で、売れるなら海外に売り、売れるなら海外から買えば良いだけだ。個別の企業が個別の国家と取引する為に、橋渡しが必要なら、最低限の協力をすれば良いだけだ。勿論、個人の海外旅行禁止などと云う規制もない、緩やかな鎖国マインドだ。 -
ハイチのコレラについて、「私の闇の奥」の藤永教授の言葉を紹介しておく。
引用冒頭の発言はハーバード大学のメカラノス(?)教授という人物の言葉で、例によって「ワクチンが必要だ」という、製薬会社スポークスマンとしての御用学者発言である。しかし、コレラの蔓延を防ぐには、きれいな飲料水と清潔な下水という衛生環境を整えることが最優先であるはずだ。おそらく、ワクチンは金儲けになるが、衛生環境を整えることは金にはならないから、ワクチン接種を強調しているのだろう。もちろん、アメリカや日本でキャンペーン販売している「子宮頸がんワクチン」のような愚劣極まるワクチンに比べれば、コレラワクチンにはある程度の効果が見込めるだろうから、それもやってもいい。しかし、国連には、本気でハイチを救う気はない。国連というのは、白人(白人国家および富裕者集団)のための詐欺組織なのだから、ハイチで黒人が何万人死のうが、本当は気にもしていないのである。その国連の偽善的発言を(引用2)として転載しておく。国連に集まった金で、ハイチの衛生環境はすでに改善されていなければならないはずだ。「目標額に届かない」というが、その目標額にどのような根拠があるか、知りたいものである。すでに集まった金の多くが正体不明のNGOに流れていることは、藤永博士の以前のブログにあったはずだ。
しかし、今、コレラや不自由な生活で苦しんでいる人々を救うには、義援金を送るしかない。その財布の元締めが信用できない連中であるからといって、救援そのものをやめるわけにはいかないのである。このジレンマをどうしたらいいのだろうか。
(引用1)
「見積もりとしては、現在、20万人分ほどの(コレラの)ワクチンがあるのじゃないかな。だから(人口一千万の)ハイチをワクチン免疫するという考えは、今のところ、問題外です。しかし、それは一大震災の前になぜ問題にならなかったのか? なぜコレラワクチンが備蓄されなかったのか? このワクチンはいくつかの世界の保健機関が有意義だと言わないかぎり、決して備蓄されることはないでしょう。そして問題の焦点に位置するのは,誰が見たって、WHO(世界保健機関)です。ワクチン備蓄の必要ありと言明してその立場を貫くのは勇気を要します。
何も隠す気はないから言いますが、私はこれまでコレラワクチンの開発にたずさわって来ましたから、お前には公私利害の衝突があると言う人があるかもしれないが、コレラワクチンを作って来た人間は他にもいます。問題は、安全で良く効くワクチンを作るかどうかよりも、政府機関に、公共政策の一環としてワクチンを使用しようと言わせることにあるのです。そうなれば、グローバルな備蓄を達成する方法を考え出すことは必ずると出来ると、私は考えます。
しかし、WHO が、ワクチンは必要だし、ぜひ欲しいし、製造されたら使用すると言ってくれなければ,免疫プログラムの成功のために誰かに出費させることは極めてむつかしいでしょう。WHO の人々は世界中が頼りにしているエキスパートだが、コレラの脅威に立ち向かうのに、基本的に反ワクチンの政策を採用することで大変な誤りを犯しつつあると、私は考えます。もちろん、水もクリーンにすべきだが、ワクチン免疫政策をるのは、上下水道衛生政策に反対することではありません。二つの政策は両立するもので、両方とも採用すべきなのです。」■
これは何とはなしに胡散臭い語り口、英語で言えば, It smells とか Something’s fishy といったところでしょうか。Mekalanos 教授の説明するワクチン開発製造とWHO との関係を聞いていると、2010年から2011年にかけての新型インフルエンザと「タミフル」や「ワクチン」をめぐる大騒ぎを思い出しませんか?
最後の所でワクチン免疫政策と上下水道衛生政策は互いに排除する関係にあるのではなく、両方とも採用すべしという意見は確かに正論です。しかし、物の判断は目の前の現実をよく見て下さなければなりません。Mekalanos教授自らが認めるように、今入手できそうなコレラワクチンの量は絶対的に不足しているのですから、免疫政策は、全く問題にならないとすれば、毎日コレラで数人が死亡している現実を前にしての唯一喫緊の対策は、コレラ菌による汚染をハイチ国民の、とりわけ、いまだに少なくとも二十万を数える震災難民のキャンプや貧困地域の生活水から出来るだけ排除することでなければなりません。ところが、この上下水道衛生政策には、実質的に植民地宗主国であるアメリカ(とその手先と化した国連と多くの大型NGOs)は全く熱心ではないのです。私はここでもアメリカというシステムの本質的な残忍さを再確認せざるを得ません。アメリカは国外にしろ、国内にしろ、名も無い人間たちの命を大切にする気など全くありません。ハイチについてこの事を激しく告発し続けている二人のハイチ女性がいます。そうした話はまた次回で致します。
(引用2「ロイター」より)
国連高官「ハイチを忘れないで」、60万人が劣悪環境下で生活
2011年 09月 30日 17:28 JST
[ポルトープランス 29日 ロイター] 国連のバレリー・アモス人道問題担当事務次長は29日、昨年1月に30万人以上が死亡する大地震に見舞われたハイチについて、依然として60万人が厳しい状況下での生活を強いられており、国際社会は同国への支援を続けるべきだと訴えた。
復興途上にあるハイチを訪問したアモス氏は、先進国が自国の経済問題への対応に追われ、ハイチへの人道支援が軽視されている可能性があると懸念を表明。「私の仕事の一部は、ハイチを忘れさせないこと。キャンプで暮らす住民の状況は、まだ危機を脱していない」と強調した。
国連人道問題調整事務所(OCHA)の統計によると、今年に入って国連が呼び掛けた支援3億8200万ドル(約290億円)のうち、約半分の1億9900万ドルしか集まっていないという。
脆弱(ぜいじゃく)なテントなどでの生活を余儀なくされている住民は現在約60万人で、昨年に比べると半数以上減少。しかし、アモス氏は「60万人へのサポートが不可欠だ。資金不足が原因で、いくつかのNGOが撤退した。そのため、施設は以前より劣悪になっている」と説明した。
また、アモス氏は昨年10月以降6300人以上の死者を出したコレラの危険性にも言及し、「水の衛生状態を改善しなければ、コレラの再流行を招く」と警告した。 -
ニューズウィーク電子版(日本語版)からの転載である。
ギリシヤ危機の本質、というより、あらゆる国家財政の危機の本質への批判が、下記記事の中にある「債務なんて知ったことか。私たちが作った借金じゃない。資本主義の大企業と銀行が作った借金じゃないか」という言葉だろう。
アルゼンチンの例を見ても分かるように、政府がデフォルトしようが、しばらくたてば表面的なバブルが消えて、本来の実体経済に戻るだけのことである。
要するに、政府の借金は国民の借金ではないし、大企業や銀行の赤字も国民の大半とは無関係な、無責任な放漫経営のツケにしかすぎない。それを国民への増税や公共料金値上げや年金支給額引き下げなどで国民に支払わせるのが、あらゆる資本主義国家の常である。つまり、資本主義国家とは、企業が政府を駆使する国家のことだ。
(以下引用)
2010年5月に決定された1500億ドルの救済を継続して受け取るために、ギリシャ政府は緊縮政策の強化を迫られている。今年の予算目標の不足分28億ドルを穴埋めするために、新たな固定資産税の導入も発表された。この固定資産税は電気料金を通じて徴収し、未払いの場合は電気を止められる。今週にも議会採決が行われる予定だ。
そんななか、ギリシャ市民の不安や不満は高まる一方。先週は労働組合のストで電車やバス、タクシーが運行を中止し、今週も大規模な交通ストが予定されている。
国営電力会社の労働組合は以前から、電気料金を通じての固定資産税の徴収を拒否すると、声高に叫んできた。それでもエバンゲロス・ベニゼロス財務相は先週、当初は2年間の暫定措置としていた固定資産税がもっと延長される可能性があると発言。さらに、財政改革を行わなければギリシャは2000年に経済破綻したアルゼンチンのような危機に陥ると警告した。
「大企業と銀行が作った借金だ」
しかし公立病院の小児科医クリストス・アルギリス(32)は、政府の要求は行き過ぎだと言う。「私たちは金持ちじゃない」とアルギリス。彼は「週100時間」働いているのに、年収は約3万2000ドルだという。「公立の病院には医者がほとんどいない。政府は銀行にカネを回すために私たちの月給を300〜400ユーロも減らしている」とアルギリスは言う。「だから私たちの答えはノーだ。債務なんて知ったことか。私たちが作った借金じゃない。資本主義の大企業と銀行が作った借金じゃないか」
首都アテネ郊外のガラッシの市場で花売りをするテオという名の男性は、ストがもっと起きればいいと言う。「首根っこをつかまれたような状態で、一体どうしろっていうんだ。ただ座ったまま、死ぬのを待てって? そんなわけにはいかないさ」と、彼は言う。
テオの妻は1年前、ビジネスコンサルタントの職を失った。所有していた車2台のうち1台を売って狭いアパートに引越し、2人の子供が通っていた私立幼稚園も辞めさせた。
「ギリシャはとっくに破産していて、政府がそれを公にしていないだけじゃないかと、みんなびくびくしている」と、テオは語る。「でも、政府が言うほど悲惨な事態になるとは思わない。恐怖を煽るのは、人々をコントロールする効果的なやり方さ」
(GlobalPost.com特約) -
「ダイヤモンドオンライン」の野口悠紀雄の記事からの引用である。
私は、野口悠紀雄という人物はそれほど評価していないが、ここではただデータをまとめた彼の言葉を使いたいだけである。要するに、「大企業の2011年度の設備投資が計画通りになれば、自動車産業では国内設備投資の2倍の投資が海外になされることになる。製造業全体で見ても、国内投資の4分の3にあたる規模の投資が海外に向けてなされる。」という彼の言葉は、日本の産業空洞化が加速度的に進行していることを示しており、また政府は産業空洞化に伴う雇用減少に対して有効な対策をほとんどやっていない、ということだ。
企業活動はべつに日本という国家に貢献するのが目的ではないし、従業員の幸福のためにやるわけでもない。(稀に、そういう企業理念の会社もあるが)従って、少しでも利益になる方向へ進んでいくのは当然である。その結果が企業設備投資の海外シフトであり、国内の雇用減少だ。政府がリヴァイアサンであるのと同様に、企業もまたリヴァイアサンなのである。注意深くコントロールしないと、「新自由主義」や「グローバリズム」のように、社会全体に破壊的な結果をもたらすものだ。もちろん、だからといってお役所の許認可権限や行政指導を強化しろというのではない。
要するに、国民個々の意識の問題なのである。政府という怪物を制御するために国民による政府の監視が必要であるのと同様に、企業という怪物を監視する目が必要なのだ。それは政府監視よりも容易である。なぜなら、企業は営利活動が第一義であるから、その利益を損なうものがあれば、それを回避する。たとえば「不買運動」など、企業がもっとも恐れるものである。
国内雇用の減少に対しては、日本社会全体としての産業構造の転換を考えていく必要がある。何度も言っているように、「これまでは儲からない仕事だったが、社会的に絶対必要な仕事が儲かるようにすること」が、その基本的な考えだ。第一次産業がその代表だが、そのほかに、たとえば、教育や看護なども挙げられる。現在ならば、東日本の環境整備なども一つの産業になりうる。言い方を変えれば、「社会システムの不備や偏りのために無意味に不幸な目に遭っている人々を幸福にすること」が大事なのである。農漁業への補助金に対し悪罵を投げつけるよりも、補助金に代わる新しいシステムを作ることだ。ベッドに縛りつけられ、痴呆症になっていく老人に同情するよりも、老人が精神的に健康で幸福になれる社会の在り方を考えることだ。子供のいじめを嘆くよりも、いじめをしたくなるようなストレスフルな教育制度を改善することだ。
世の中には頭のいい人はたくさんいるが、社会システムそのものを変えようという、「大きな頭」の人間が少ない。すべては思想から始まるのである。思考の足かせとなるつまらない現実主義や個人的利益への欲望を捨て、まずは理想や可能な選択肢を考えてみようではないか。
(以下引用)
以上で見たように、設備投資の海外シフトは、きわめて顕著に進行している。企業規模で言えば大企業、業種別で言えば自動車産業において、とりわけ顕著だ。大企業の2011年度の設備投資が計画通りになれば、自動車産業では国内設備投資の2倍の投資が海外になされることになる。製造業全体で見ても、国内投資の4分の3にあたる規模の投資が海外に向けてなされる。
このように、日本企業の行動は、すでに大きく変化している。そして、それに対して、経済政策が追いつかないのが現状だ。
経済政策の基本的な考えは、海外移転を「空洞化」だとして、それを阻止しようとするものだ。そして、前回見たように、国内立地促進のために、補助金を給付しようとしている。
しかし、こうした政策に効果が期待できないことは明らかだ。そして、現実には、海外移転が進み、国内の雇用が失われることになる。
このような政策は、「何もしていないわけではない」という言い訳だけのために行われているとしか考えられない。本来必要なのは、現在進行している現状を冷静に見つめ、雇用創出のための有効な手立てを講じることである。そのために残された時間的余裕は、急速になくなりつつある。 -
「つむじ風」ブログから転載。
小沢秘書裁判については、下記のつむじ風氏の言葉以上のことは言えないから、彼の言葉を引用することで代弁してもらう。
日本という国は、法治国家ではないし、民主主義国家でもない。旧ソ連並の、官僚支配の暗黒国家である。ただの「期ズレ」記載によって三人の人間、しかも国会議員が懲役刑になるのである。「(小沢は)政治的影響力を持っていた」ことが有罪の論拠となるなら、あらゆる高級官僚と政治家は、その存在だけで死刑にしてよいはずだ。
こういう国家に我々は生きているのである。
日本が「収容所列島」になるのも近いかもしれない。
補足しておけば、下記引用中の「転載」はつむじ風氏による植草ブログからの転載である。その中の
「しかし、政治的な背景を持つ事案について、政治権力が裁判を支配しようと考える場合には、権力は担当判事に権力の意向に従順な人物をあてがえばよいのだ。極めて簡単なことである。
何よりも重要なことは、この意味で、裁判所の判断にはほとんど意味がないということだ。この最重要の事実をしっかりと認識することがもっとも重要なのだ。
政治的背景を持つ事案で裁判所が示す判断は、公正な判断ではない。政治的な判断なのだ。この基本を踏まえることが何よりも重要なのだ。」
という言葉は、国民全体が常識として覚えるべき言葉である。
(以下引用)
ふざけた判決!!
状況証拠という、陥れ判決
最後の牙城、裁判所の人格攻撃総仕上げ判決だ!!
もう、この国には正義という寄る辺を喪った!!
大方予想された結果である。裁判所こそは真理の寄る辺、正義の寄る辺という幻想は、とうに喪っている。
何せ、状況証拠という妄想で、人間を簡単に在任に仕立て上げられるのだ。『疑わしきは罰せず』は、既に喪われて久しい。これで幾人もの人間が冤罪で、人格を貶められた。
すでに裁判所は、真理を審理する場ではない。人格攻撃の最後の牙城と化した。警察・検察によって絵を描かれた人格攻撃をそれに沿って追認する場となった。裁判官は単なるロボットだ。魂の抜けた抜け殻だ。
出世と栄達の虚栄を固める一里塚に過ぎない。裁判官という聖なる衣はとうに脱ぎ捨てられた。単なる官僚裁判官が良心も正義もかなぐり捨てて、シナリオに沿って役割を果たす場となった。
シナリオは誰が書いたか? 官僚裁判官の思弁を利用しようとする利権支配組織である。上は官僚組織、下は似非右翼まで繋がっている。勿論、警察・検察もその中位に属するものだ。その最終仕上げは裁判官と言うことになる。
しかし、よく考えて観よ。
その刃は、それらの内部にも向いている。内部で告発すれば、たちどころにその告発者に向かう。仙波元巡査長、大河原元警部補・・・・はその刃に傷ついた。古賀参事官は、その為に早期退職を余儀なくされた。勿論、植草先生はその最初の犠牲者だ。
利権支配組織は、それ自身戦々恐々としている恐怖と不安の集合体だ。その恐怖と不安をエネルギーに統合しているのだ。彼の東京地裁の判決裁判官は、そうしなければ、立ち所に出世も閉ざされたことであろう。それはおろか、地方転出左遷は間違いなかろう。それを恐れて、不当判決に終始したのである。
真理と正義のないところに平安はない。
平安を捨て、只不安と恐怖に苛まれつつ、栄達に走る。それが利権支配組織である。であるから、この不当判決は容易に予想された。
今や、ほとんど戦争状態にある。あるいは革命前夜にある。低強度戦争、低強度革命の最中にある。
国民主権派と利権支配組織派との格闘の最中にある。今は国民主権派は少ないが、次第にその数を増してきている。だからこそ、利権支配組織派は強硬且つ支離滅裂の暴挙を敢えて強行するのだ。
政治家といえども、その手先に終始しているに過ぎない。今は小沢元秘書かも、あるいは小沢元代表かも知れないが、明日は我が身となる。政治家は利権支配組織派である内はこうした攻撃には免れるかも知れないが、国民主権派に立てば、立ち所にその刃は向かう。
利権支配組織は、別名悪徳ペンタゴンとも呼ばれるし、大蛇とも呼ばれる。八岐大蛇である。その派に属して居れば安泰だと考える政治家は多い。しかし、それも時間の問題だ。
国民主権派が、歩みは遅いかも知れないが確実に勢力を強めている。その拡大を図りながら、革命は成就されるだろう。それまで忍従、臥薪嘗胆の時節にあると言うことを自覚したい。
裁判所という最後の牙城をも巻き込んで、無理矢理判決を生みだしたことは、平成の最大の(迷)判決として語り継がれていくことになる。その汚名を被るのは他でもなく、とうの判決裁判官達である。
【転載開始】2011年9月27日 (火)
私たちは恐ろしい国に住んでいることを認識するべきである。
警察・検察・裁判所の公正、中立性は市民が尊厳を保ち、安心して生きて行けるための最低条件である。
「法の下の平等」が厳格に守られているのか、法令が適正に運用されているのか、裁判官が良心に従い憲法と法律にのみ拘束されて職権を行っているのか。
答えは否である。
裁判の結果を左右するのは法廷における立証の巧拙ではない。事実と証拠の積み上げでもない。
最大の要因は裁判官の属性である。
裁判官の人事処遇を支配しているのは最高裁事務総局である。最高裁事務総局は少数の組織でありながら、裁判所組織全体を支配下に置く組織である。
最高裁事務総局は法務省と一体化して、基本的に政治権力の側を向いて職務を執行している機関であると考えられている。日本の政治権力の最大の特徴は、その中心に宗主国米国が君臨していることである。
検察組織が米国の監視下に置かれていることは、GHQ時代からの歴史的経緯を背負ったものである。法務省は行政組織であり、内閣総理大臣を頂点とする行政権力の一部であり、政治の顔色を見て行動する組織である。
これと一体化して行動する裁判所も、当然のことながら、時の政治権力、そして、その裏側に君臨する米国の顔色を窺いながら行動する組織なのである。
裁判をコントロールすることは極めて容易である。コントロールしたい事案を担当する裁判官に、権力の意向に従順な人物をあてがえばよいのである。
裁判官のなかには、最高裁事務総局の指導に従わない、自分の良心に従って行動する気骨のある人物も存在する。人事評価での不利を承知の上で、良心に従い憲法と法律にのみ拘束されて職権を行う、本来の正しい姿勢を持つ裁判官が、適正な判決を示すのである。
しかし、政治的な背景を持つ事案について、政治権力が裁判を支配しようと考える場合には、権力は担当判事に権力の意向に従順な人物をあてがえばよいのだ。極めて簡単なことである。
何よりも重要なことは、この意味で、裁判所の判断にはほとんど意味がないということだ。この最重要の事実をしっかりと認識することがもっとも重要なのだ。
政治的背景を持つ事案で裁判所が示す判断は、公正な判断ではない。政治的な判断なのだ。この基本を踏まえることが何よりも重要なのだ。
石川知裕衆議院議員、大久保隆規氏、池田光智氏に有罪判決が示された。不当判決以外の何者でもない。三名は、秘密警察国家の冤罪被害者である。小沢一郎氏も同じであるし、私も同様に秘密警察組織の冤罪被害者である。
事案の詳細については、これまでに詳しく記述してきたから、改めて記述はしないが、極めて微細な、事務上の解釈の相違に基づく紛争である。西松建設関連の政治団体からの献金の取り扱いについては、小沢氏の資金管理団体とまったく同じ事務処理を行った政治家の資金管理団体が多数存在する。
これらのなかで、小沢氏の資金管理団体だけが摘発された。
水谷建設から渡されたとされる裏金疑惑も、検察は立証対象とできず、その刑事責任も追及しない、根拠に乏しいものである。それにもかかわらず、法廷では、小沢氏のイメージを悪化させるために証人尋問が行われたが、水谷建設社長車の運転記録とも矛盾する証言であった。その信憑性は極めて低いものである。
疑わしきを罰してはならないのが刑事裁判の基本の基本である。ところが、現実には、このような微小な事務上の解釈の相違で、現職衆議院議員を含めて3名もの市民の尊厳が奪われた。許されざる暴挙と言わざるを得ない。
この不当極まりない判決が示すものは、日本の既得権益、日本政治の支配者がいかに小沢一郎氏を恐れているのかという事実である。
大久保隆規氏の無罪は動かせぬものであったはずだが、裁判所は無理を押し通して有罪判決を示した。
小沢一郎氏の元秘書3名に対する有罪判決は、当然のことながら、これから始まる小沢一郎氏の裁判にも影響を与える。
この状況のなかで、日本の既得権益、日本政治の支配者たちは本性を現し、獰猛な牙をむき出しにした。この刃は小沢氏だけに向けられたものではない。主権者である国民に向けられたものであることを私たちははっきりと認識しなければならない。【転載終了】 -
2チャンネルから、日本の公務員の問題点や解決案について簡潔にまとめたコメントを転載する。
若者の中には、このように問題意識があり、知識もある人間も案外多いのかもしれない。私はいつも、教育とマスコミで日本の若者は白痴化されてきた、と言っているが、現在のようにインターネットが普及すると、社会の裏情報を知る人間も増えてきて、若者の方が精神的には大人で、年寄りの方が社会の現実については無知だというようになりつつあるのかもしれない。
まあ、ネットだけでは「物事を深く考える」という姿勢は身につかないと思うし、若い頃にはもっと思想書などを読んで頭を鍛えるべきだとも思うが、既成思想書や政治関係書物は「洗脳書物」でもあるから、一概には勧められない。
下記アンケートに私が答えるなら、ア「民営化」以外はすべて実現すること、である。民営化されたら、それは公務員ではない。しかし、アメリカにおいては、地方自治体そのものが民間企業に売却されるという恐ろしい事態が進行中なのである。つまり、民主主義そのものが消滅しつつあるのだ。
(以下引用)
89 名前:【次は公務員制度の改革】 [2005/12/04(日) 18:00:06 ID:CxfHCEte]
【問題】あなたは公務員制度改革の中身として、何を望みますか。
次から一つ以上選び、記号で答えてください。(複数回答可)
ア.民営化(非公務員化を含む)
イ.契約職員化(期限が切れたら契約を見直す。よく働く人だけ再契約。)
ウ.国民が公務員の給与を毎年決定する。
エ.機械化(ATM化、自動化)
オ.手数料制の拡大(税金の強制徴収は大幅縮小⇒自分で稼げ)
カ.公共業務への民間企業の新規参入(市場化テスト含む)
キ.公共業務への人材派遣の解禁
ク.天下りの禁止(税金から退職金を2重取り3重取りするな)
ケ.自分の天下り先確保のために、不要な特殊法人・関連団体を作らない
コ.本給より多いと言われる特別手当は廃止
サ.安い官舎の家賃を相場にあわせる
シ.人事院の給与水準参考データに
国民の9割を占める中小企業・零細企業も入れる(今は大企業だけ)
ス.スト権を与えてもいいから、身分保障を廃止する
セ.カラ残業代、カラ出張代を請求しない
ソ.裏金をプールしない
タ.処分を民間並に厳しくする(ニュースで聞くけど甘すぎる) -
今日の井口和基博士のブログに、恐ろしい動画が掲載されていたので、ぜひ多くの人に見てもらいたい。下記引用にもあるように、「経済破綻した地方自治体を企業や企業グループに売却してもよい」という法案がアメリカで可決されたというものだが、これはどういうことかというと、その地方自治体の住民はそこでの政治にまったく口を出す権利がなくなる、ということである。つまり、その土地は一種の企業の「荘園」となり、荘園領主の恣意によって経営が行われることになる。住民は荘園領主の奴隷か農奴のような存在になるわけだ。
これが、21世紀のアメリカで起こっている現実である。
あまりに馬鹿馬鹿しすぎて本当とも思えないことが、現実に起こっているわけだ。
私も、資本主義についてはこれまで散々批判してきたが、その究極の形態が民主主義の追放だとまでは気がつかなかった。
この「民主主義で選ばれた政治家による民主主義の否定」は近いうちに必ず日本でも起こるだろう。
井口博士の記事は長いので、その一部だけを転載する。ぜひ、その記事と動画を見てほしい。
(以下引用)
さて、上の動画で問題になっているのは、アメリカ合衆国の経済破綻した地方自治体を「企業や企業グループ」に売り渡してよいという法案が可決した、というものである。もしこれが日本に出来れば、国(といっても一部の人間が投票した結果結果当選した、一部の人間の代表でしかない議員たち)が東日本を海外企業に売り払ってもよろしいということになるわけである。そのための「TPP」である。
そうなると、イスラエルの企業がやってくるかもしれないし、おそらくそうなるだろうが、日本全国がユダヤ人富豪たちの所有物になるというわけである。日本に先行してアメリカ合衆国がまずはそうなるらしい。アメリカがそうなれば、「外圧」により、日本もそうなるということである。「アメリカが風邪を引けば日本がくしゃみする」とかつてよく言われたが、今や「アメリカがエイズになると、日本もエイズになる」というわけである。いずれにせよ、今世界の大富豪や大企業といっても、一番お金を持っているのは、お金を刷って、お金を保存保管し、法律を握っている人々、すなわちユダヤ人たち(正確には偽ユダヤ人)しかいないのである。
そんな時代が、「自由の国アメリカだ」と思っていた日本人夫婦でも、「どうも違うな、今のアメリカは」とやっと分かって来たというものなのだが、しかしながらそんなことはもう4年以上も前、コールマン博士の本「300人委員会」は1994年出版だから、17年前には分かっていたことなのである。これが着実に実行されて来たというわけなのである。
私ですら、遅くとも4年前には、実際には、コールマン博士やアイクの話が本当かどうかを検証するまで数年観察していたから、7、8年前には知っていたことなのである。
