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徽宗皇帝のブログ

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マルキシズム批判(4)
4)5)6)を検討する。4)が長いが、その分、5)と6)の検討は簡単に済むだろう。


4)プロレタリアートがブルジョワジーから政治権力を奪取し、生産手段などの資本を社会全体の財産に変えることによって、社会の発展がすすむにつれて、階級対立も、諸階級の存在も、階級支配のための政治権力も消滅し、一人一人の自由な発展がすべての人の自由な発展の条件となるような協同社会がおとずれる

ここがマルキシズムの最大の問題で、資本家や為政者がマルキシズムを敵視しマルキストをテロリストと同一視する所以である。そして、私もこの部分にはまったく共感できない。つまり、ここでマルクスは「資本家とプロレタリアートは不倶戴天の敵であり、共存はできない」と言っているのであり、そうであるならば、マルキシズムは永遠に人民のほんのわずかな一部の賛同しか得られないだろう。
細かく検討してみる。

ア)プロレタリアートがブルジョワジーから政治権力を奪取

これは、階級が消滅することではなく、階級が入れ替わることであり、それを「プロレタリアート独裁」と5)6)で言っている。当然、現体制からは「社会の敵」と見做される。

イ)生産手段などの資本を社会全体の財産に変える

これは、「個人の所有権」が消滅することである。この「個人の所有権の否定」が生産手段だけにとどまると思う人は少ないだろう。そして、「社会全体の財産」とは言っても、誰がその生産手段を指揮管理するのか。その指揮管理権を持つ者が、その「所有者」に等しいことは自明だろう。

ウ)社会の発展がすすむにつれて、階級対立も、諸階級の存在も、階級支配のための政治権力も消滅し、一人一人の自由な発展がすべての人の自由な発展の条件となるような協同社会がおとずれる

これこそまさに「御伽噺」の最たるもので、シンデレラが王子様と結婚してその後幸福に暮らしました、という子供だましである。実際、「社会の発展」が進むにつれて、階級対立は激化し、一人ひとりの自由な発展は、かつての「自称共産主義」国家ソ連では弾圧され、「協同社会」は国民のほぼ全員が「やる気のない労働者」になったのではないか。

以下の5)と6)はパリ・コミューンへの「単なる感想」であるから論評するまでもないだろう。かりにそれが「ついに発見された(理想的な?)政治形態」であり、「プロレタリアート独裁の実例」ならば、それがあれほどあっけなく崩壊したことは、マルキシズムの敗北しか意味しない。

5)(マルクスは)パリ・コミューンを「本質的に労働者階級の政府であり、横領者階級に対する生産者階級の闘争の所産であり、労働の経済的解放をなしとげるための、ついに発見された政治形態であった」と称賛した
6)(エンゲルスは)パリ・コミューンをプロレタリアート独裁の実例とした

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