記事後半の「日本語と軍隊語」の比較の話が非常に面白い。
(以下引用)
英語を第二公用語に、だと?
冒頭の海外の報道の「ソース」は、実は、外務大臣本人のウェブサイトに掲載されているもので、そこには以下のように書かれています。
読者からの意見メールに答えたページで、その中にあります。改行はこちらでしています。
茂木 敏充 オフィシャルウェブサイトより
「いつも官僚任せで、ビジョンや決断力はあるのか」というメールに対する回答
私は政務次官時代の政策決定や国会答弁も決して官僚任せではありませんでした。もちろん自分なりの国家ビジョンも持っています。限られたスペースですが、以下具体的に申し上げます。 一言で言えば21世紀の日本を「多様性のある多民族社会」に変えるということです。
有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。このための具体的な政策課題として
(1)英語を第2公用語にする
(2)定住外国人に地方参政権を与える
(3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする
(4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直すの4点を提案したいと思います。 (motegi.gr.jp)
これは 3月のものらしく、ずいぶん以前のものなのですが、今となって、海外で報じられているということになっていますが、「英語を第二公用語にする」とか、「定住外国人に参政権を与える」などの話が出ていることは私も始めて知りました。
冒頭の英語メディアの内容もご紹介します。
記事の中に出て来るジェイク・エーデルスタインという人は、アメリカ出身のジャーナリストで、元読売新聞社会部の記者だった人です。
日本の外務大臣が「日本を多様な多民族社会に変える」計画を発表
彼は在日外国人に投票権を与えたいと述べている
Japanese Foreign Minister Announces Plan to “Transform Japan Into a Diverse Multiethnic Society”
summit.news 2020/11/25
日本の外務大臣が、日本への大量移民を奨励し、外国人住民に投票権を与えることにより「日本を多様な多民族社会に変える」計画を発表した。
茂木氏は自民党の政治家であり、2019年9月から国の外務大臣を務めている。
茂木氏は質疑応答の中で、自らの「国家ビジョン」は「 21世紀の日本を、世界中からの大量移民によって多様化した多民族社会に変えること」を意味すると述べた。
彼によれば、これは、「英語を日本の第二言語」として成文化し、「居住外国人に参政権」を与えることによっても達成されるという。
日本は民族的には、日本人が 98.1%であり、次に人口の多い民族はわずか 0.5%の中国人だ。
この国の犯罪率は非常に低く、テロは非常に稀な国でもある。2017年の難民危機の真っ只中に、日本は難民の 99%を拒否し、2016年には 28人しか受け入れなかったことが明らかとなっている。
2018年に、ハイチ系アメリカ人の父親を持つ半日本人テニスプレーヤーが全米オープンで優勝したため、米国の左派は日本に多文化主義を受け入れるよう要求し始めた。
メディア「デイリービースト」の記者ジェイク・エーデルスタイン氏は、日本では、移民が限られており、民族的に均質な日本では非常に犯罪率が低く、銃撃事件は毎年一桁のままであると認めたが、これは警察および銃規制法が強いためだと主張している。
エーデルスタイン氏は、日本では「外国人排斥が深まっている」と主張し、少子化を理由に「国として生き残り繁栄するためには、多民族社会を構築する」ことを求めている。
「日本の人口は減少しているが、国際結婚の数はわずかに増加しているため、日本は人種差別と闘い、国として生き残りたいのであれば、多文化主義と寛容を受け入れる方法を決定しなければならない」と彼は結論付け、国を維持するために提案する国連移民計画に注意を向けた。
エーデルスタイン氏は。「生産年齢人口が一定であるため、日本は 1995年から 2050年までに 3350万人の移民を必要とする」と主張している。
日本人は大量移民に強く反対しており、中国人移民に対しても、それは人口のごく一部であるにもかかわらず、敵意を示していると伝えられる。
茂木氏が主張する方法が実現すれば、日本にとっての民族的多様性が、果たして「国家としての強みとなるかどうか」を、茂木氏自らが見出すことになるのかもしれない。
ここまでです。
この中の、
> 1995年から 2050年までに 3350万人の移民を必要とする
という数字にはクラクラするものがありますが、ショッキングなのは、「英語を第二公用語とする」という日本のトップ政治家による談話で、「日本人自らが GHQ みたいなことやってどうする」というようにも思いますけれど、こういう人たちって、
「日本語の特殊性」
というものを考えたことがないのですかね。
おそらく、世界中のあらゆる言語と異なる言語である日本語を使っている日本に、他に公用語なんて必要なわけがない。
※ 参考過去記事 / 地球の人類はみな同じ言語を話している」:国際的研究で判明したこの衝撃の事実から、むしろ浮かび上がる「日本語」という存在の奇妙さ (In Deep 2016/09/14)
英語を使いたい人は自分で勉強すればいいだけで、私なんて、学校の授業に英語が強制的に存在するということ自体に辟易感があるのに(外国語学習は選択制で十分)、「公用語」などという表現を使われると、ちょっと困りますね。
その上で、大量の在日移民に参政権を与えるというのは、もう、それはどこの国なんだかという。
そういえば、メルマガを始めたばかりの頃で、ほぼ 2年前ですが、
《この宇宙は「言葉によって作られる」その仕組み。そして、日本語では戦争ができないということ 2018/11/16》
というタイトルのメルマガを発行したことがありました。
そこで、作家の山本七平さんが、戦争に赴いていた時のことなどを記した著作『ある異常体験者の偏見』(1974年)から、
「日本語は戦争ができない言語」
だと述べていたことを書きました。
この意味は、日本語は一般的に、主語や時系列や目的語さえも曖昧なことが普通である言葉ですが、そういう言葉では「戦争」はできないのです。
「誰が 何日何時何分に どこの場所に 何をするために 何々を行う」
ということを常に言うようなタイプの言語でなければ、その言葉のままでは戦争はできないのです。たとえば、英語で「主語がない」ということはありませんが、日本語の場合、主語がないのが普通です。
買い物に行くときに、家族に「私は買い物に行こうとしているところだ」というのは変です。「買い物行ってくる」という主語と助詞と進行形のない言い回しが日本語の基本です。
ところが、ここまで抽象的な言語だと、近代的な戦争を行うことができないのです。
そのために、日本軍は「軍隊語」という、戦争に特化した言葉を作ったわけです。
つまり、
「日本語という言語そのものが平和を表現している、世界で唯一に近い特殊な言語」
なのです。
その山本七平さんの著作の部分を抜粋して、今回は締めさせていただきたいと思います。
私自身は、大げさに聞こえるかもしれないですが、「日本語」という存在そのものが、この世界の最後の良心を示す存在だと思っています。
山本七平著『ある異常体験者の偏見』より
軍隊語とは、単なる言いまわしや表現の問題ではなく、主語や時制が明確でない日本語では、軍隊の運営も戦争もできないが故に特別に造られた言葉であって、この言葉(軍隊語)を正しく分析すれば、それだけで戦争というものの実体がつかめるのではないかと思われる言葉である。
従って語系が違うと考えた方がよいかも知れない。
「大阪弁では喧嘩はできない」などといわれるが、もっともっと徹底した意味で「日本語では戦争はできない」のである。私自身はこのことを非常に誇りに思っている。
たとえば普通の日本語の「お待ちしております」では戦争はできない。そこで軍隊語では「小官当地ニテ貴官ノ来訪ヲ待ツ」という言い方になるわけであって、この語順が何語に一番近いかは説明するまでもあるまい。(略)
今でも日本語と軍隊語の差はほぼ正確に指摘できると思う。私はいつもこの二つの言葉を比較して、「なるほど、戦争とはこういう言葉を使わないと出来ないものか!そして、こういう言葉を使うことは、戦争を指向する証拠のわけか!」と思っていた。
言葉そのものから体系的に組みかえて行かない限り戦争はできないのだから軍隊語は「戦争語」だといっていい。
なお、ほとんどの欧米の言語は、軍隊語の文法です。
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