引用した部分も現代日本人にはあまりピンと来ないかもしれないが、実は大量貧困者を生んだ今の日本では、サプライチェーンの突然の断絶は即座に大量の飢餓者を生み出すのである。それがアメリカ同様に農漁業を軽視し食糧自給率の低下を黙視し続けて来た自公政権の当然の結果だ。それがバブル化した金融資本主義の当然の結果だ。
(以下引用)
日本のような、食糧の多くを海外に依存している国の場合、食糧危機の最大の原因は、不作などによるものより、(最初は)「サプライチェーンの崩壊」によって発生する可能性のほうが高いと想われます。
コロナの最初の頃とか、東北の震災の後の東日本の流通の停滞を思いますと、「あっという間に起きる」ものです。ジャストインシステムという現在の物流システムのせいで、こういうことが起きるのですが、それらの過去の場合は「復活」したわけです。しかし、復活まで長引く、とか、「復活しない」となった場合、どうなるのか。
そういう流れの中で、モノと食料の極端な不足が進行していっても不思議ではありません。
最初のアームストロングさんの言うような「2年分の食糧」を備蓄するのは大変かもしれませんが、申し訳程度であっても、たとえば、「賞味期限が事実上ない」缶詰とか、5年以上は保存できるアルファ米とか、ほんの少しのことならば、どなたにもできるように思います。
ここから、記事「大量飢餓」です。これは、アメリカ人に対しての意見ですが、日本に住む私たち日本人に、より訴えるものです。現在のほぼすべての日本人は、本格的な飢餓を知りません。もちろん、私も知りません。
太字はこちらでの強調です。
大量飢餓:アメリカの大部分がまったく準備ができていない理由がここにある
Mass Starvation: Here’s Why Most Of America Is Completely Unprepared
alt-market.us 2024/05/11
アイルランドのダブリンにある飢餓記念碑。
(1845年から1849年にかけてアイルランドでは、飢餓で約100万人が死亡しました)
集団飢餓という、この概念は、長い間アメリカ社会の最前線にあったわけではない。大恐慌の最中でさえ、米国は大多数が農地であり、ほとんどの人が土地で生計を立てる方法を知っていた。
実際、米国は真の国家的飢餓に一度も苦しんだことがない。地域的に小規模な飢餓の例はあったが(1930年代のダストボウルの時など)、過去 100年間にアジア、東側諸国、アフリカ、中東で見られた種類の飢餓に及ぶようなものはなかった。
西ヨーロッパ人ですら、世界大戦中に大規模な飢餓(オランダの飢餓など)に対処しており、その経験は彼らの集合意識に痕跡を残している。
一方、ほとんどのアメリカ人はそれを理解していない。私たちは長い間、比較的安全で経済的に豊かな環境で暮らしてきたため、食べ物を一切食べずに生活しなければならないという考えは、多くの人にとって「笑い話」のように思えるだろう。
経済崩壊の概念が持ち出されるとき、多くの人々はそれを「陰謀論」と嘲笑する。
大恐慌の時と比較すると、今日のアメリカ国民は農業から完全に離れており、土地で生計を立てること(農業や農作のこと)が何を意味するのかまったく分かっていない。
土地で生計を立てることは本や YouTube ビデオから数か月で学べるものではない。習得するには長年の経験が必要だ。
私がリバティ・メディアに寄稿してきた過去 20年間で、状況は劇的に変わったと言える。私が 2006年に活動を始めたとき、この準備運動は信じられないほど小規模で、人々はそのような話題を公の場で持ち出すことを恐れていた。
過去数年間で、「準備の文化」の人気が爆発的に高まった(プレッパー文化)。現在、何百万人ものアメリカ人が、広範な準備と銃器訓練を受けた熱心なサバイバル専門家となっている。準備と銃器はもはやアルミ箔帽子の「狂人」の領域ではなく、今ではクールだと考えられている。
2008年から 2009年の信用暴落(金融危機)は確かに、米国の経済不安定の現実に人々を目覚めさせるのに役立った。
その後、新型コロナウイルスのパンデミック、ロックダウン、そして医療横暴の試みが、多くのアメリカ人たちを呆然とした状態から抜け出す大きな衝撃を与えた。
私たちのような「陰謀論者」が警告してきたことはすべて、数年の間に突然確認された。グローバリストや政府が危機を引き起こすたびに、実際には、より多くの準備する人々を刺激するだけとなっている。
飢餓に関するより大きな問題は、個々のアメリカ人がその脅威を認識していないことではない。問題は、私たちのインフラと物流システムが失敗するように設計されており、それに対して平均的な国民ができることがあまりないということだ。
ジャストインタイム物流システム(現在主流の「必要なものを必要な時に、必要な量だけ配送する」物流システム)は、おそらく地域社会の冗長性という点でこれまで考案された中で最悪のものの 1つだ。
どんなに小さな混乱でも、町や都市への供給が数日から数週間にわたって途絶える可能性がある。さらに、ほとんどの州外で食品が生産されることに伴う相互依存関係もある。
あなたがたが暮らす州に強固な農業基盤がない場合、危機時には外部の食料源に依存することになる。あなたの地域が他の地域から食料を確保できるという保証はどこにある?
さらに、多くの人々が「準備」を進めているとしても、その中に、これまでに大規模な飢餓を経験したことがある人はいない。見たことのない脅威に精神的に適応するのは難しいことだ。
飢餓がどのような感じかを知りたい人たちには、時々実践することをお勧めする。 24時間の絶食を試してから、48時間の絶食を試してみてほしい。何日間何も食べずに過ごせるかを確認してほしい(水は十分に飲むようにすること)。
私の最長期間は 7日間だった。これでも、数か月の練習後の話だ。しかし、3日目以降は空腹感が実際に完全に止まることがわかった。狂気に陥ったり、暴力的になったりはしない。せいぜい疲労を感じる程度かもしれないが、それにより思考力がどれほど高まり、まだどれだけのエネルギーが残っているかに驚くことになるだろう。
人間の体は、一口も食べなくても 3週間以上生き続けることができる。私の懸念は、飢餓の際に最も暴力を引き起こすのは、潜在的な飢餓に対する初期のパニックではないかということだ。
人々は飢餓に遭遇し、最初の 3日以内に正気を失う。第一段階の胃の痛みや霧により、彼らは考えずに反応し、これが食糧不足の際に歴史の中で見慣れた広範囲にわたる暴動やその他の危機的な出来事につながる。
断食は、飢えが何を意味するのかを学ぶための方法だ。体内に脂肪が蓄積されている限り、見た目ほど悪くはない。しかし、筋肉の減少と臓器の喪失の地点に達すると、状況が変化し、死の可能性が生じる。本当の空腹感をある程度知っておくと、将来実際の空腹感が起こった場合でもパニックを避けることができる。
しかし、より大きな問題は、あなた自身が耐えられない問題についてだ。家族など大切な人たちが飢えていく姿を見ることは、自分自身が飢えることより、もっとつらいことだ。これは練習できるものではなく、混乱の際の略奪や犯罪に関しては、このようなことが、はるかに強力な動機となる可能性がある。 (※ 家族や子どもなどを飢えている状態から救いたいとして略奪などに走るということ)
もちろん、目標は飢餓を完全に回避することだ。 食料備蓄はあらゆる生存計画の基礎となる。農業や狩猟、野生の食用動物により飢餓が解決すると主張する人たちは、実際には、これまでの人生で、そのようにしてまで生き延びる必要があったことは一度もない。現実には、平時であっても、ほとんどの人にとって、生きていくのに十分な食料を見つけ、十分な食料を栽培することは困難なことなのだ。
混乱中は、作物を安全に植えることが困難になることがよくある。さらには、これら(自分で栽培している作物など)は簡単に盗まれたり破壊されたりする可能性があり、維持して保護するには大規模な人々のコミュニティが必要だ。たとえ小さな庭であっても、望ましくない人々の注目を集める可能性があり、隠すのは困難だ。
田舎に住んでいる場合、最初は狩猟が役立つかもしれないが、考えているのはあなただけではない。毎日のように狩猟されている場合、動物たちはすぐにその地域から移動してしまう。それらを見つけるためにはさらに遠くまで行かなければならないが、危機の際には、遠出は危険だ。
野生の食用植物は、豊富に採れる春や夏には良いものだが、これらの植物から得られるカロリーをより多く消費してハイキングをしているのであれば、その運動全体が無意味になってしまう。(※ 野生の植物をとるための移動や運動のカロリーが、食事からとるカロリーを上回ってしまうのは意味がない)
私は、野生の食用食品の支持者たちが、生存のための手段に関して最も妄想的であることに気づく傾向がある。森に逃げて、見つけたランダムな植物を食べて生きていこうと考えているサバイバル主義者たちは、おそらくすぐ死ぬだろう。
食料の栽培、狩猟用の食料、採集用の食料はすべて、特に危機的出来事が発生した最初の数年間は、すべて補助的な対策だ。一次緊急物資がなければ、 ほとんどの人は生きていけない。
食料備蓄が何千年間も文明の根幹であったのには理由がある。それは、歴史で機能してきた。より大きな安全なコミュニティが確立されれば、農業が復活し、自立した生産が可能になり、食料備蓄の重要性が低くなる。それまでは、地下室やガレージにあるもの(備蓄した食料)だけがあなたを生かしてくれる唯一のものとなる。
他の人から物資を受け取るつもりなので、自分で物資を保管する必要はないと考える人たちもいる。これを自分のプランA (基本戦略)にする人たちはおそらくサイコパスであり、私は彼らにまったく共感できない。
そして、そのような人たちは長くは生きられない。暴力的な出会いがあるたびに、負傷や死亡のリスクが高まる。
一方、略奪者や襲撃者は、資源を自ら守る人々によって狙われるため、比較的早く駆逐されるだろう (※ 略奪者や襲撃者などは、準備している人々に殺されていくというような意味だと思います)。
これは映画ではない。略奪者たちは混乱時に早い段階で消える。最初の 1年が経過しても、これら略奪者たちの個人やグループがまだ存在しているとしたら、私は驚くだろう。
その間、崩壊の初期段階は多くのアメリカ人にとってショックとなるだろう。それは送電網の停止、経済崩壊、サプライチェーンの崩壊などの可能性があるが、飢餓に伴うパニックは今後も存在する。
飢餓の性質を理解している人はパニックを避け、安全のために組織することができる。彼らは生き残り、繁栄できる可能性がある。飢餓を理解していない人たちは、最初の 1週間、食べ物がないとパニックになり、有害な間違いを犯す可能性が高い。
精神的な準備は身体的な準備と同じくらい重要だ。私たちが不確実な時代に進む中で、このことを心に留めておいてほしい。
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