スコットランド独立運動に関係して、英国における「ケルト民族(先住民族)」と「アングロサクソン民族(大陸から渡来した侵略民族)」の関係を書いたウィキペディアの記述を抜粋しておく。ウェールズ、アイルランド、スコットランドが「ケルト同盟」を結んでイングランドと戦争すると面白いwww
(以下引用)
(以下引用)
島のケルト[編集]
ケルト人がいつブリテン諸島に渡来したかははっきりせず、以前は鉄製武器をもつケルト戦士集団によって征服されたとされていたが、遺伝子などの研究から新石器時代の先住民(ケルト以前の巨石文化の担い手)が大陸の文化的影響によって変質したとする説もある。いずれにしてもローマ帝国に征服される以前のブリテン島には戦車に乗り、鉄製武器をもつ部族社会が展開していたがこれらはケルト人とはいえない。
西暦1世紀にイングランドとウェールズはローマの支配を受け、この地方はローマ化するが、5世紀にゲルマン人がガリアに侵入すると、ローマ帝国はブリタンニアの支配を放棄し、ローマ軍団を大陸に引き上げた。この間隙を突いてアングロ・サクソン人が海を渡ってイングランドに侵入し、アングロサクソンの支配の下でローマ文明は忘れ去られた。
しかし、同じブリテン島でも西部のウェールズはアングロサクソンの征服が及ばず、ケルトの言語が残存した。スコットランドやアイルランドはもともとローマの支配すら受けなかった地域であると言われていたが、実は、ローマと直接交流していた形跡が見つかっている。
ギリシャ人とローマ人は、大陸のケルト人を「背が高く金髪あるいは赤みのかかった髪で肌が白い」と表現していた。しかし、現代の島のケルト人はどちらかというと背が低く浅黒い肌の人が多い。これは大陸のケルトと島のケルトが同じ文化と言語を共有しているものの生物学的には同一ではないことを示している[1]。
PR
コメント