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徽宗皇帝のブログ

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人生で大切なものは
関東の大水害で、財産のすべて、あるいはほとんどを失った人もたくさんいるのではないか。そういう人に対しては何の慰めも不可能かもしれないが、命だけは残っているならば、今日この世に新しく生まれた、と思えばいい。しかも、新生児ではなく、知識も知恵もある大人として新しく生まれたのである。無いのは金だけだ。新生児と違って、優しく無条件に養ってくれる親はいないが、もともと大人は自分で自分を養うものだ。世間には、財産どころか、大きな借金を抱えて人生をリスタートさせる人はたくさんいる。そうして再び生活を取り戻した人もたくさんいる。
私は、かならずしも絶望を愚者の結論だとは思わない。それよりも、「絶望の虚妄なること希望に相同じい」(魯迅)と考える。希望も絶望も、その人が勝手に抱く妄想だ。そして、絶望が結論ならば、この人生を自分の手で締めくくるのも、また一つの決断だ。当人の当然の権利である。これまで「十分に生きた」ならば、それもいいのではないか。
しかし、我々の「財産」は、それほど人生にとって決定的な要素なのだろうか。
私は、金の力はよく知っている。金の有無はその人の思考内容すら限定する、と思っている。使える金が数千円の子供と、使える金が数百万の大人と、使える金が数億円(それはもちろん税金から出ている)の官僚や政治家では、思考のスケールが違って当然だ。
だが、下の幸徳秋水氏の言葉は大事だと思う。空気を吸うのに金は不要である。大地を歩くのにも金は不要だ。人間的魅力も金とは無関係だ。金を絶対視するのは「資本主義の神話」と言うべきだろう。
金をすべて失った人は、それこそ生活保護を要請すればいい。憲法の保障する人権(生存権)を堂々と行使すればいいのである。そこから、自力再生の第一歩へ向かえばいいのである。
金の支配力は、支配される人間の主観に応じている。チャップリンの言葉をうろ覚えで書くが、それが一番、正鵠を射ていると思う。

「人生で大切なものは、ユーモアと勇気と、わずかなお金」


(以下引用)


よく考えてみなさい…本当に大切なものや価値あるものは、み~んな”タダ”だ…



(徽宗追記)念のために調べてみたら、チャップリンの言葉は次の通りであった。だが、「想像力」の代わりに「ユーモア」を入れても、そう悪くないと思う。ユーモアとは「人生の不条理や悪を笑い飛ばすこと」だから。なお、お金をdoughと言うのは初めて知ったが、辞書を引くと、本来は「ねり粉、なまパン」の意味で、doughはもちろん俗語だが、おそらく金へのちょっとした軽蔑のニュアンスがあるのではないだろうか。そうした「金へのちょっとした軽蔑」が昔はあったものだが、私にはそれこそが健全な社会の証であったような気がする。


人生は恐れなければ、とても素晴らしいものなんだよ。人生に必要なもの。それは勇気と想像力、そして少しのお金だ。

Life can be wonderful if you’re not afraid of it. All it takes is courage, imagination… and a little dough.



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