まあ、記事コピーは例によって「拡散不可」の仕様になっているとは思うが、読める部分が残ればいいだろう。
当然、斉藤知事の知事職への異常な執着の背後に竹中がいると思うべきである。淡路島と兵庫県政は一体なのだから。
(以下転載)画像と「目隠し」はカットした。
パソナが運営する施設が数多く立地する淡路島は、ときに「パソナ島」と揶揄されることがあります。いったいなぜこの島で、どのような経緯でパソナによる開発が進んだのか。淡路島とパソナの独特の関係を、武蔵大学社会学部専任講師の林凌氏が描きます。
「パソナ島」をゆく
「パソナ島」……しばしば淡路島のことは、ネット上でこう呼ばれる。もちろん、理由がないわけではない。それは淡路島の北部の一角が、人材派遣業を主軸とする、パソナグループ(以下パソナ)の運営する施設に埋めつくされていることに起因している。
2020年9月に発表された、パソナの本社機能移転。人事・財務経理・経営企画などの機能の一部を淡路島に移転するというこの試みは、当時、様々な憶測を生んだが、パソナはこの夏、当初目標である1300人の配置転換が完了したと報告した(『日本経済新聞』2024.7.23)。
実際、今や20以上のパソナ関連施設が立ち並ぶ淡路島北部は、「淡路島西海岸」と名づけられ、面的な観光地化が進んでいる。パソナはさらに、2025年以降に大阪・関西万博のパビリオンを当該地へ移設し、観光拠点にすると発表している。
この22の施設は、淡路島北部の数km四方の地域に集中して立地しており、その意味で冒頭の「パソナ島」という揶揄は必ずしも的外れと言えない。ドライブしていると、あたかもこの地がパソナの企業城下町であるかのような印象を覚える。
なぜ、淡路島はこれほどまでにパソナの経営する施設で埋めつくされる島となったのか。この記事では、パソナが淡路島に進出した経緯を、やや時間の幅を広くとって1990年代ころから見ていきたい。パソナの進出は「新自由主義」などの語で単純化されて評価されることもあるが、以下で紹介する経緯からは、そうしたステレオタイプなイメージとは少し異なった、「官と民」の独特の関係のなかで生まれてきた「パソナ島」の実態が見えてくるはずだ。
コンビニこそ無いが、飲食店も「淡路夢舞台」内には複数併設されており、食事に困ることもない。自家用車が必須であることを除けば、多くのマスコミ記事が指摘する通り、その就労環境は良いものと言っていい。
しかし、このビルは明らかに一般的なオフィスビルではない。施設の中にオフィスフロアが分散して点在しており、そのオフィスの間を、筆者含めた観光客は自由に出入りできる。その構造は、多くの企業にとってセキュリティ上、歓迎されるものではないだろう。
じつは、この「淡路夢舞台」という施設群は、もともと全く異なる目的のもとに作られたものである。もっともこの「目的」は、関西圏にお住いの方であれば、ピンとくる人も多いだろう。それは2000年に行われた「淡路花博(ジャパンフローラ2000)」開催を目的に作られた。
当時兵庫県知事を務めていた貝原俊民は、施設の開発が決まった1994年、以下のように語っている。「明石海峡大橋完成の記念事業」の「中核的事業」として、「ジャパンフローラ」を開催する。そのために当該地を「淡路島国際公園都市」として整備し、「国際的な交流、集客施設」として「淡路夢舞台」を建設する、と。そこは兵庫県肝いりのプロジェクトとして、「眼下に花と緑が輝く公園、その向こうに光る海が続き、まさに夢舞台のような光景が広がる」場所として整備されたのである(貝原 1994: 150-151)。
では、なぜこの「国際的な交流、集客施設」は、パソナの入居するオフィスへと姿を変えたのだろうか。
「淡路夢舞台」の収益構造
パソナがオフィスを構える「淡路夢舞台」は、先述したようにそもそもオフィス需要を見込んでつくられた場所ではない。「パソナグループ夢舞台オフィス」の建物も、コンクリート打ちっぱなしの複雑な回廊を主軸とした構成であり、土地をオフィス需要の観点から効率的に利用させるというよりも、施設の内部を周遊させることが前提されている。
またこの建物の外部にある広大な庭園は、一通り見て回るだけで1時間はかかる。観光客がこの場所を訪れた際に払うコストは、幾ばくかの駐車場代のみである(それすらも売店で少額の買い物をすればタダになる)。なかなか収益を得るのが難しそうな施設だが、では、この施設の管理コストはどのように手当されてきたのか。
議会議事録や兵庫県企業庁の資料などを踏まえれば、それは以下のようなものである。
まず、「淡路夢舞台」は、もともと兵庫県傘下の第三セクター(自治体や国と民間の共同出資の法人)である「株式会社夢舞台」が所有していた。だが、減価償却費が膨大であったことから2002年以降企業庁に所有を移転したうえで、企業庁が、周辺のホテルや国際会議場と合わせて、株式会社夢舞台に一括して貸し付けるようになった(企業庁 2024)。つまり、所有は企業庁=兵庫県で、運営が第三セクター=株式会社夢舞台という形式である。
そして株式会社夢舞台は、(施設を所有することなく)淡路夢舞台のなかに設置されたホテルやレストランなどの経営を行うとともに、国際会議場や庭園の維持管理を関連団体(兵庫県国際交流協会、兵庫県園芸・公園協会等)に外部委託している。
つまり「淡路夢舞台」の運営は、付帯施設であるホテルやレストランの売り上げに依存していたのだが、この経営は当初から決して芳しいものではなかった。たとえば、2008年には企業庁が「淡路夢舞台」を131億円で買い上げたにもかかわらず、実質的な賃料が年間1600万円しか回収できていないことが問題化されている。
現在、パソナのオフィスは、株式会社夢舞台にとっては、こうしたホテルやレストラン、商業施設と同じような経営上の役割を担っている。ようするに、株式会社夢舞台に、オフィスの入居費を支払ってくれる「上客」なのである。
パソナの本社機能移転の発表は2020年9月だったが、パソナによる「夢舞台オフィス」の活用は2018年まで遡ることができる(パソナグループ 2023)。兵庫県にとって、「利用客が減って店を閉めたレストラン」の居抜きで入居してくれたパソナは(春川 2022)、当該施設の新たな可能性を提示してくれる存在だった。
パンデミックによって、兵庫県や株式会社夢舞台にとってのパソナの重要性は増していく。2020年に株式会社夢舞台は、新型コロナ感染症の拡大に伴い観光客が大幅に減った影響だろう、約28億8600万円の赤字を計上し、翌2021年には債務超過に陥る(企業庁 2023)。この債務超過状態はとりあえず2022年には解消され、黒字決算を計上するようになったとはいえ、この時期「淡路夢舞台」の運営スキームは明らかに曲がり角にあった。
パソナは段階的に各フロアの旧レストラン部をオフィスへと転換していく。今や「パソナグループ夢舞台オフィス」の展望テラスのフロアのほぼ全てはパソナが利用しているが、兵庫県の所有する巨大公共施設に、パソナがオフィスを構える状況は、このようにして形作られたのである(図3)。
まとめると、1990年代に地方自治体によって開発された「国際的な交流、集客施設」が、当初の計画の甘さゆえに経営上の困難を迎えるなかで、パソナが一種の救世主として現れた。そしてこの構図は、その他のパソナの淡路島における開発にも、概ね通底している。
パソナと兵庫県による「官民連携」
さて、先述したようにパソナの本社機能移転が発表されたのは2020年9月である。だがこの「淡路夢舞台」の顛末からもわかるように、パソナの当該地における活動は、それ以前から活発なものがあった。そしてこれらの活動はパソナの独力というよりも、多くの場合、兵庫県による過去・現在の地域開発計画が介在することで可能になっていた。
たとえば、パソナが淡路島に事業進出した最初の事例は、農業従事者の支援育成を目的とした「チャレンジファーム淡路」なのだが(2008年)、本事業は1960年代から70年代にかけて、国が造成した後放棄された農地を転用する形で行われている。
これは単にパソナが地方自治体の関係する土地を借り受けた、という事実の指摘にとどまらない。この事業は、行政の施策を実現するにあたって「民間セクターを活用する」タイプの取り組みとして、重要な位置付けを与えられている。2011年に提出された、地域活性化総合特別区域指定申請書「あわじ環境未来島特区」にて、「取り組みの実現を支える地域資源」の一つとして明記されていることなどからそれがわかる(兵庫県 2011: 18, 21)。
また2012年に兵庫県は農林水産省に対し、民間事業者が「農業経営基盤強化促進法」に基づいて、「農地利用集積円滑化団体」になることを認めるよう再三再四提案している。これは「チャレンジファーム」における活動を、土地集約の観点からより円滑にすることを目的としたものであった(農林水産省 2012)。
これだけではない。2017年に開業した「ニジゲンノモリ」は、漫画、アニメなどのIPを利用した屋外アトラクション施設なのだが、この施設は県立淡路島公園内に立地している。
これは、本事業が2013年に兵庫県から公示された『県立淡路島公園における民間事業提案募集』に、パソナの提案が採択されたことにより始まったものであるからに他ならない(兵庫県 2013)。つまりそれは、県立公園のリニューアルのために、民間活力の導入を企図した兵庫県の試みが結実したものとして解釈できる。
またこの「ニジゲンノモリ」と同様、パソナは県立淡路島公園内に、高級グランピング施設「グランシャリオ北斗七星135°」を2018年にオープンさせている。
この敷地はもともとただの原っぱだったのだが、それは当該地が「淡路島国際公園都市」(「淡路島夢舞台」を含む開発エリアの名称)のランドマークとなる「日仏モニュメント」の建設予定地だったからにほかならない(淡路町 1995: 29)。本モニュメントは震災の影響に伴い建設が凍結された後,2016年に正式に事業中止が決定しているが(永田 2016)、これは「ニジゲンノモリ」整備が本格化していた時期に当たる。
さらに、現在パソナは2025年の大阪・関西万博を背景として、「淡路夢舞台」近隣地である「淡路市夢舞台サスティナブル・パーク」の開発に乗り出すなど積極的に事業を展開しているが(兵庫県 2022)、この土地はもともと県と市の所有物であり、当該地の利用は2021年度に実施された公募プロポーザルによって決定されたものであった(兵庫県 2022)。
そして本公募においてパソナが提出した、「2025 年大阪・関西万博など大規模国際イベントのサテライトエリア」として当該地を位置づけるという提案は、兵庫県(2021: 20)や淡路市(2021: 27-33)が発表した、地域開発構想の青写真をそのままなぞるものとなっている。
なぜパソナは淡路島北部を開発するのか
このような事例を踏まえればわかるように、淡路島におけるパソナの取り組みは、兵庫県が過去積み重ねてきた開発の遺産(負債)の上に立脚していると同時に、現在進行している地域開発計画とも不可分の関係をなしている。
それは2025年に開催される大阪・関西万博を背景に湧き上がりつつある、淡路島の過去の開発の「失敗」を精算し、その価値を向上させようとする官民の動きの一環を構成している。「パソナ島」は、パソナと兵庫県の「官民連携」により生じている現象なのである。
このような状況を、私たちはいかなる視座のもと捉えるべきなのだろうか。この点について本稿は、現在の激動する兵庫県政の情勢もあり、明確な答えを出すことができていない。
ただ、少なくともそれは、この現象を評価するさいにしばしば用いられる「新自由主義」化や「ポピュリズム」といった、単一の政治経済的指標に回収して説明することは困難なものだろう。紙幅の都合上、本稿では十分に触れることができていないが、淡路島北部における兵庫県の開発行政が、少なくとも1960年代まで遡れることを踏まえるのなら、それは現代特有の文脈のみに回収して説明することは困難だからだ。
言い換えると、パソナが兵庫県と手を組みながら淡路島において地域開発を進めているという事実そのものが、戦後日本における開発行政の流れの中に埋め込まれることで、説明されなければならない。
だが、そうだとしてもまだ一つの問いが残っている。私たちはパソナが淡路島において大々的に開発を進めることができている理由、あるいは、環境的な条件の一端を描き出した。
しかし、それはパソナが積極的に当該地にて開発を進める理由の説明にはなっていない。なぜパソナは淡路島を開発するのか。そしてそれは、現代における「地域社会」と「開発行政」の関係を再考する上でどのような示唆をもたらすのか。
次稿「なぜ「人材派遣の会社・パソナ」が、「淡路島」で事業を始めたのか…? 背後で起きている「社会の大きな変化」」では、この観点からある一つの小説を取り上げる。
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