北林あずみ氏のブログ記事の一部で、あまりにも一回分の記事が長いので、読むのを途中であきらめたが、この部分は現実(事実)だけを書いているので読みやすく、しかも重要なことを言っている。記事の冒頭(ここでは載せていない)に山本太郎が「地球愛」という言葉を言っていると書いてあったが、おそらくこれは東電(自民党)の汚染水海洋投棄に関係して言われた言葉だろう。まさしく、汚染水投棄は地球汚染行為・地球破壊行為なのである。
引用記事末尾の「科学の宗教化」に関して、私の別ブログに「真理(真実)」について書いた部分を載せておく。
まあ、人生はくだらない真実の連続だからこそ自殺する人間があれほど多いのだろう。聖徳太子ではないが、「世間虚仮(こけ)」と思って生きる、つまり我々が生きる人生や社会というのは一種の虚構だと思って生きるほうが人生に押しつぶされることは少ないだろう。言い方を変えれば、「事実はあるが真実というものはない」という哲学である。「真実という思想自体が虚構である」とも言える。あらゆる哲学も、神学や宗教や科学も「完全な虚構」か「当座の事実」でしかないわけだ。生きるための素材であって、「真実」という偉そうなものではない。
記事タイトルの「グローバリズム」については、それは世界的大資本を肥え太らせるだけのものだ、と言っておく。一見、GDPが増えて国民が豊かになったかのように見えても、カネは大資本家だけのものになるのである。プーチンが、オルガリヒ(ロシアのユダ金)を追い出し、西側国家とはほとんど断絶状態で国がどんどん豊かになったのを見るがいい。つまり、金融では国は豊かになどならないのである。(中国のように投資が成功し生産業が向上した場合だけ豊かになる。だが金融だけしかないイギリスは衰退した。)ユダ金の帳簿の数字が増えるだけだ。言うまでもないが、日本人(東洋人)の顔をしたユダヤ人もたくさんいる。ここで言うユダヤ人とはカネの亡者の別称で蔑称だ。そもそも人種としてのユダヤ人など存在しない。
(以下引用)
福島第一原発の核汚染水の海洋投棄という蛮行ほど、「地球愛」のもつ意味とは何か、集合的無意識が日本人の意識に訴えたい「メッセージ」とはどういうものか、そして、その「目的」とは何か、を鮮やかに浮かび上がらせるものはないだろう。
福島第一原発の核汚染水の海洋投棄の是非をめぐっての議論は、安全を担保する「科学的な根拠」に絞られている観がある。
3・11からこれまでの東電をみれば、東電が信用に値しない企業だというのは動かしようがない事実だ。嘘と隠蔽と改竄と捏造が体質として身についている企業であり、それが企業風土であるに違いない。これまでにしてきた隠蔽と捏造行為と、数限りない嘘の事例を挙げるまでもない。
一方の政府自民党も、安倍晋三の長期政権をみれば分かる通り、嘘で国権の最高機関である国会を破壊し、国の基幹統計データの改竄、捏造を日常的に行い、公文書まで改竄する非倫理的な体質が本質としてある。
こうした政府自民党と東電が示す、核汚染水の海洋投棄を正当化する「安全を証明する科学的根拠」を信用しろというのには無理がある。科学的データとは、統計データのマジックと同じく、抽出するデータを意図的に行ったりしたり、測定基準を変えたりすることで、都合が良い数値を生み出すことができる。国民は、数字は嘘は吐かないという思い込みがあるから、コロッと騙されてしまう。
こうした統計データのマジックと数値のマジックは、安倍晋三の長期政権で嫌というほど見せつけられてきたはずだ。ほとんど詐欺同然だ。
あたかもアベノミクスが正しい経済政策であるかのように、都合が良い統計データだけが国民に示され、安倍晋三の自画自賛が一人歩きしてきた。それでもアベノミクスの破綻が隠せなくなると、従来の統計の取り方(基準)を変えるという行為に及んだばかりか、データの捏造までしたのだ。
その結果が、ほんの短期間での、この国の驚くべき衰退の惨状だ。貧困国家にまで転落している。戦後の焼け跡から復興し積み上げてきた国民の財産が、安倍政権によって吹っ飛んでしまったといえる。
間違いなく、福島第一原発の核汚染水の海洋投棄の正当化にも、こうした安倍晋三の長期政権の常套手段が応用されているはずだ。政府自民党と東電が示す「科学的に安全な根拠」など、わたしは端から信用していない。
ところが世論調査によれば、日本国民の大半が、政府自民党と東電のいう「科学的な根拠」を信じているというから、驚きを通り越して、唖然とするしかない。
日本人だけではないが、「科学」という言葉にあまりにも無防備だから、「科学的な根拠」などと示されるとコロッと騙されるのだろう。「科学=真理」というカルト宗教にも似た思い込みの仕業だ。
百歩譲って「科学=真理」だと認めよう。
が、「科学=真理」が、人類に、そして日本人にとって幸福をもたらす源泉である保証はどこにもない。「科学=真理」の追及が、「人類の進歩」だという、これまたカルト宗教のような信仰があるが、「人類の進歩」のはずが、「人類の破滅」にもなり得るのが「科学=真理」だということに、まったく思いが至らなくされている。西欧近代主義が作り上げた科学信仰(その土台にあるのが理性信仰)にどっぷりと浸っているからなのだろう。
引用記事末尾の「科学の宗教化」に関して、私の別ブログに「真理(真実)」について書いた部分を載せておく。
まあ、人生はくだらない真実の連続だからこそ自殺する人間があれほど多いのだろう。聖徳太子ではないが、「世間虚仮(こけ)」と思って生きる、つまり我々が生きる人生や社会というのは一種の虚構だと思って生きるほうが人生に押しつぶされることは少ないだろう。言い方を変えれば、「事実はあるが真実というものはない」という哲学である。「真実という思想自体が虚構である」とも言える。あらゆる哲学も、神学や宗教や科学も「完全な虚構」か「当座の事実」でしかないわけだ。生きるための素材であって、「真実」という偉そうなものではない。
記事タイトルの「グローバリズム」については、それは世界的大資本を肥え太らせるだけのものだ、と言っておく。一見、GDPが増えて国民が豊かになったかのように見えても、カネは大資本家だけのものになるのである。プーチンが、オルガリヒ(ロシアのユダ金)を追い出し、西側国家とはほとんど断絶状態で国がどんどん豊かになったのを見るがいい。つまり、金融では国は豊かになどならないのである。(中国のように投資が成功し生産業が向上した場合だけ豊かになる。だが金融だけしかないイギリスは衰退した。)ユダ金の帳簿の数字が増えるだけだ。言うまでもないが、日本人(東洋人)の顔をしたユダヤ人もたくさんいる。ここで言うユダヤ人とはカネの亡者の別称で蔑称だ。そもそも人種としてのユダヤ人など存在しない。
(以下引用)
福島第一原発の核汚染水の海洋投棄という蛮行ほど、「地球愛」のもつ意味とは何か、集合的無意識が日本人の意識に訴えたい「メッセージ」とはどういうものか、そして、その「目的」とは何か、を鮮やかに浮かび上がらせるものはないだろう。
福島第一原発の核汚染水の海洋投棄の是非をめぐっての議論は、安全を担保する「科学的な根拠」に絞られている観がある。
3・11からこれまでの東電をみれば、東電が信用に値しない企業だというのは動かしようがない事実だ。嘘と隠蔽と改竄と捏造が体質として身についている企業であり、それが企業風土であるに違いない。これまでにしてきた隠蔽と捏造行為と、数限りない嘘の事例を挙げるまでもない。
一方の政府自民党も、安倍晋三の長期政権をみれば分かる通り、嘘で国権の最高機関である国会を破壊し、国の基幹統計データの改竄、捏造を日常的に行い、公文書まで改竄する非倫理的な体質が本質としてある。
こうした政府自民党と東電が示す、核汚染水の海洋投棄を正当化する「安全を証明する科学的根拠」を信用しろというのには無理がある。科学的データとは、統計データのマジックと同じく、抽出するデータを意図的に行ったりしたり、測定基準を変えたりすることで、都合が良い数値を生み出すことができる。国民は、数字は嘘は吐かないという思い込みがあるから、コロッと騙されてしまう。
こうした統計データのマジックと数値のマジックは、安倍晋三の長期政権で嫌というほど見せつけられてきたはずだ。ほとんど詐欺同然だ。
あたかもアベノミクスが正しい経済政策であるかのように、都合が良い統計データだけが国民に示され、安倍晋三の自画自賛が一人歩きしてきた。それでもアベノミクスの破綻が隠せなくなると、従来の統計の取り方(基準)を変えるという行為に及んだばかりか、データの捏造までしたのだ。
その結果が、ほんの短期間での、この国の驚くべき衰退の惨状だ。貧困国家にまで転落している。戦後の焼け跡から復興し積み上げてきた国民の財産が、安倍政権によって吹っ飛んでしまったといえる。
間違いなく、福島第一原発の核汚染水の海洋投棄の正当化にも、こうした安倍晋三の長期政権の常套手段が応用されているはずだ。政府自民党と東電が示す「科学的に安全な根拠」など、わたしは端から信用していない。
ところが世論調査によれば、日本国民の大半が、政府自民党と東電のいう「科学的な根拠」を信じているというから、驚きを通り越して、唖然とするしかない。
日本人だけではないが、「科学」という言葉にあまりにも無防備だから、「科学的な根拠」などと示されるとコロッと騙されるのだろう。「科学=真理」というカルト宗教にも似た思い込みの仕業だ。
百歩譲って「科学=真理」だと認めよう。
が、「科学=真理」が、人類に、そして日本人にとって幸福をもたらす源泉である保証はどこにもない。「科学=真理」の追及が、「人類の進歩」だという、これまたカルト宗教のような信仰があるが、「人類の進歩」のはずが、「人類の破滅」にもなり得るのが「科学=真理」だということに、まったく思いが至らなくされている。西欧近代主義が作り上げた科学信仰(その土台にあるのが理性信仰)にどっぷりと浸っているからなのだろう。
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