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徽宗皇帝のブログ

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明月飛鳥氏の「組織論」
「混沌堂主人雑記」所載の「反戦な家づくり」記事である。
「組織論」というのは、私がルーズな「宿題」にしている問題で、下の記事は「組織論」として簡にして要を得ていると思うからメモしておく。
私自身は「尊皇主義者」だが、昭和天皇の戦争責任は明白であり、昭和天皇が「責任を取らなかった」ことが戦後日本のアモラル(無道徳)な状況の一因だとは思っている。(ただし、資本主義は本質的にアモラルさの極限に突進するのであり、天皇制に現在の日本の「原罪」があるというのは謬見だと私は思っている。)
だが、「最高権力者に責任を取らせる」ことが可能な組織があるだろうか。自分自身の意思で責任を取る、稀少な例以外は、組織外の人間や集団の手によって「責任を取らされる」のではないか。そして日本占領軍とその背後の米国はいろいろと勘案した結果、ヒロヒトを免罪した。そういう意味で、私は下の文章の「ヒロヒト断罪」は物事の一面しか見ていないように思う。
また、かつての天皇制が現在の「象徴天皇制」に変わった以上、現在の天皇を政治的権力者だとか社会的犯罪の温床だとする「天皇憎悪主義者」も私には一種の偏執狂にしか思えない。
まあ、それはともかく、「組織論」として下の記事は私には興味深い。

(以下引用)




反戦な家づくり。 より

上記文抜粋
・・・・・・・・・・・・・・

敗戦の日に「組織」について考える
75回目の敗戦の日です。

もちろん、1回目は1945年8月15日 いわゆる「玉音放送」が流された日です。

こんな記事を見付けました

玉音放送を現代語にすると...「耐え難いことにも耐え、我慢ならないことも我慢して...」【終戦の日】
2019.8.14 Huffington Post 吉川慧

この記事で紹介されている現代語訳から、一文を引用させていただきます。

「アメリカとイギリスに宣戦布告した理由も、日本の自立と東アジアの安定平和を願うからであり、他国の主権を排して、領土を侵すようなことは、もとより私の意志ではない。」

はあ? と感じませんか。
私の意思ではなかったのなら、誰の意思だったの?と。

大日本帝国と日本軍という「組織」の意思だったのでしょうか??

毎年書いていますが、私は戦後日本のアヤマチは、天皇の戦争責任を問えなかったことに尽きると思っています。
そのことが、戦前をちょっと色直ししただけで戦後に持ち込んでしまった原因であり、見せかけの「戦後民主主義」が空虚なものになってしまった原因であったと思います。

あの惨禍を、あっさり「私の意思ではない」とか言われて、誰も彼もが「そうですか」と納得したというのですから、もうこの世に「責任」という2文字は存在しません。

東電の歴代社長が、ふくいち事故の責任を問われないのも、自殺者まで出てしまった森友学園の文書改ざんについて、佐川元理財局長の責任が問われないのも、安倍晋三が「私や妻が関わっていたら国会議員やめる」と言いながら、平然と総理大臣を続けているのも、すべて74年前のあのときに決していたのです。



すこし角度を変えて、組織というものについて考えてみたいと思います。

「組織」という言葉に、多くの人は否定的な印象を多かれ少なかれ持っているのではないでしょうか。
とくにこのブログを読んでくれている方は。

官僚主義、軍隊、硬直的、命令 みたいな言葉が次々と頭に浮かんできます。
しかし、そもそも「組織」というのはそういうものなのでしょうか。

組織は、生命体や物体の内部にも、環境体系にも、人間社会にも、ありとあらゆるところに存在します。
組織とは何か と考え見ると 私は「役割分担」と「コミュニケーション」だろうと思います。

「目的」はいらないのか というと、石や雨に目的はないし、家族だってとくに目的をもって集まったわけではないので、必須項目では無いと思います。
では石に「コミュニケーション」なんてあるのかというと、力の伝達や分子結合があるわけです。

成り立ちは目的があることもあれば、偶然のこともあるけれども、何かしら集まったものが「役割分担」をして、そのための「コミュニケーション」をとっているのが「組織」というものだろう というのが私の説です。
ここまで原点に戻ると、「組織」に対するネガティブイメージはなくなりますよね。

では、どこから「組織」がネガティブな正確を帯びてくるのかというと、たぶん「上下関係」でしょう。
石ころの組織に上下はないですけど、生命体になると脳と心臓がエラそうにし始めます。
自然環境では人間がイバッテいて、人間社会では社長や官僚がふんぞり返る。

ほとんどの人が深く関わらざるをえない組織は 学校、会社、自治体、国 です。
どれもこれも、エラそうな人が私たちを見下していて、そりゃあ「組織」と聞いただけでネガティブになるのも無理はありません。



なんで上下関係ができてしまうのかというと、効率的に役割分担をするためです。
ほとんどの組織は初めから上下関係がありますが、最初は偶然集まった住民組織なんかでも、要領のいい人や声のデカい人がだんだんリーダーになっていくというのは、よく見かける光景です。
だれも計画せず、指令も出さないと、膨大な試行錯誤が必要で、そんなことしてられない、というのが共通の利害だから、生じる上下関係を承認するのです。

自然環境なんかは、昔々は膨大な試行錯誤を繰り返して、今の組織を作ってきたわけですが、人間がエラそうにしてからは開発にしても保護にしても、人間が計画を立てて指令を出しています。
自然がそれを承認しているとは思えませんが。

軍隊などは、効率化による上下関係の典型です。
なにせ、試行錯誤はすなわち「死」ですから、大日本帝国陸軍からゲリラやパルチザンにいたるまで、性格は違えど上下関係のない軍隊というのは聞いたことがありません。

軍隊は特別としても、私たちの日常を眺めると、効率化のために生じた上下関係を全否定してしまうと、どうも生きていられないような気がします。
問題は、上下関係そのものではないところにあるのではないでしょうか。

それが、あの玉音放送にあります。
すなわち、「上の無責任」です。
上下関係の「上」に立った者が責任をとらない。問われない。
ここにこそ、組織の疎外があると思えます。

上下関係を承認する代わりに、上は失敗の責任を必ずとる。
ここが徹底していれば、組織はそんなにイヤなものではないと思います。

最初に私は「役割分担」と「コミュニケーション」と書きました。
「コミュニケーション」は双方向です。必ずしも常に合議制であることを意味しません。もし「命令」があれば、かならず「問責」とセットでなければならないということです。
コミュニケーションが機能しなくなった組織は、すでに腐っており、役割分担も機能しなくなっていきます。

これが、今圧倒的の多くの「組織」と呼ばれているもので生じていることです。
皆さんが「組織」と聞いて鼻をつまむのは、組織自体の問題と言うよりは、組織が腐った腐臭なのです。

特攻隊を作り多くの若者に自爆テロを強いた上層部が、のうのうと戦後を生き延び、あろうことか国会議員にまでなる。
沖縄守備隊と言いながら、沖縄の住民をガマから追い出し、集団自決をさせる。
ソ連が参戦した途端に、開拓民を置き去りにしてわれ先に逃亡した関東軍。
731部隊という悪魔の飽食をやりながら、研究成果をアメリカに貢いで戦犯にすらならなかった石井四郎たち。

このウルトラ無責任組織の頂点が、まさに「私の意思でない」と言ってのけ、体よく象徴様におさまった裕仁天皇です。

戦後日本のほとんどの「組織」が、「エラい人は責任取らない」ようになったのは、このような見事なお手本があったからです。



組織嫌いのもう一つの歴史的な理由は 「共産主義」 の失敗でしょう。

スターリンが象徴的なように もともとは人民の味方のはずだった共産主義が究極の腐敗組織になる。
日本でも、共産党はもちろん、それに反発したはずの新左翼のなれの果て、総括という名の壮絶なリンチ殺人、どれを見ても「組織は腐敗する」と思わざるを得なかったわけです。

正義を盾に責任をとらない。これが共産主義の失敗の根本です。
組織の腐敗に 目的は関係ありません。
役割分担とコミュニケーションが機能しなくなったとき、もう腐っているのです。

そんなわけで、とくにリベラルとか反体制的な考えの人が、「組織」に対して非常にネガティブなのは、やはりこの経験が大きいのだと思います。
気持ちはよ~~~~くわかります。
今でこそ、やや記憶も薄れて総括という言葉を普通に使えますが、少し昔は「ソウカツ」なんて非常に口にしにくかったものです。

しかし

しかし、と思うのです。

浅間山荘事件が1973年 その後、政治に対する「組織」的な反抗は影を潜め、「マイホーム主義」とか「ジャパンアズナンバーワン」とか言われる平穏な70年代が過ぎました。
そしてふと気が付くと、第二次臨調なるものが国を引き回し初め、民営化の波が押し寄せ、労働組合は解体されていきました。
今から振り返ってみれば、1980年代は新自由主義という名の国際資本に日本中が浸食されていったのです。

組織的な抵抗に躊躇している間に、日本はネオリベに侵略されたネオ日本になってしまったのです。
国鉄分割民営化にたいする国労の闘いなどはありましたが、多くの国民は冷たく眺めていました。
世界第2位の経済を乗っ取るのに、抵抗らしい抵抗もなかったのですから、新自由主義もさぞやウハウハだったことでしょう。

こうした静かな侵略の総仕上げが、1989年の総評解体と、1991年のバブル崩壊です。
労働組合の全国組織だった総評は、もともとは第二組合(組合潰しのための組合)だった同盟に吸収されて、現在の連合になってしまいます。
そして、人為的なバブルとその崩壊は、膨大な国富を外資にタダ同然で提供し、超長期のデフレが始まり、日本は米国のATMとなってしまいました。

「組織」に怯え、抵抗することに怯えている間に、日本は取り返しがつかない姿にされてしまったのです。



2年前の衆議院選挙で、そんな長い長い苦境からの脱出を目指す声が、立憲民主党という目新しい政党への期待となって1100万票という得票になりました。
その立憲民主党のスローガンは 「立憲民主党はあなたです。」

しかし、あなたが立憲民主党になりたい、と思っても、それはかないません。
なぜなら、立憲民主党は議員と候補者以外 党員になれないからです。
ボランティアのパートナーにはなれますが、党の中には入れません。

これは「役割分担」と「コミュニケーション」という原則に照らして 大丈夫なのかな? と感じていました。
双方向のコミュニケーション、上の者が責任をとる ということが徹底していれば、党員になれるかどうかは問題ではありませんが、でも、党員募集しない党というのは、ちょっと大丈夫かな?と気になってしまいます。

そして案の定、今回の参院選では790万票まで、30%も減らしてしまいました。
ハッキリした原因はわかりませんが、私の目からは「野党共闘で政権交代目指せ」という声と、「反緊縮で経済成長を」という要望を、執行部がほぼ無視した結果ではないかと見ています。

ここで言いたいのは、立憲批判ではなく、「組織」のあり方論です。
その意味で、立憲民主党には今回の選挙結果に責任をとってもらいたいところですが、とくにそういう話しはないようですね。

この立憲に失望した人たちが、れいわ新選組に投票したのではないかという分析もあるようです。
たしかに、そうかもしれません。
山本太郎さんは、立憲など既成の野党支持者を削ぐことよりも、投票に行かない人たちにフォーカスしてはいましたが、投票率を見ると、残念ながら今回はそこまでは声が届かなかったのが実情でしょう。

すでに次の衆院選に100人擁立!とぶち上げているので、投票に行かない4000万人に声を届けるのはこれからの課題です。

ただ、衆院選を戦うのであれば、れいわ新選組も「組織」の問題にぶつからざるを得ません。
全国比例とはたたかい方がまったく違い、小さな地域で動くには、今回のようなザックリしたボランティアでは難しいでしょう。

しかし、れいわ新選組は「地方組織は作らない」という方針だそうです。
私もくわしくは知りませんが、聞き及ぶ限りでは

「党員は国会議員及び国会議員予定候補」
「全国のボランティアとゆるやかにつながる」
「地方組織は作らない」

という感じらしいです。
う~ん、立憲と似てますねえ。
もちろん、内実が違えばいいので、似ていてもそれ自体は問題ではありませんが、正直ちょっと心配はしてしまいます。
「ゆるやか」が、かえって双方向性を損ねないことを願います。

形式はどうであれ、全国のボランティアをふくめての「れいわ新選組」という「組織」であることはまちがいありません。
いくら「ゆるく」であっても、役割分担とコミュニケーションが成立しないと、良からぬことになりかねません。
そこは、これから形をつくっていく太郎さんや事務局の皆さんに、ぜひとも気をつけていただきたいと思います。



私自身も、一度大きく状況を俯瞰してみて、何をすることがいいのか、限られた時間とささやかな力をどこに投じるべきなのか、少し落ち着いて考えてみます。

ともあれ、敗戦の日の今日、日本独立と絶対反戦 この誓いを新たにしたいと思います。






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