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徽宗皇帝のブログ

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東海アマ氏の災難
東海アマ氏が危機的状況にあるようだ。
警察の態度は、東海アマ氏の原発村との戦いなどで「危険人物」と警察に見做されているためではないか、と私は想像している。まあ、アマ氏の日常の姿などは知らないから単なる想像だが、文章から分かるとおり、非常に明晰な知性の持主であるのは確かだ。(非常に感情的で短気なようだが、状況次第では誰でもそうなる可能性はある。)それが「精神病だ」とされて精神病院に強制入院させられそうになったわけである。まあ、女性に対して鉈を持ったまま怒鳴りつけるというのは、それだけで犯罪を構成する、と言えるかもしれないが、それならその罪で逮捕すればいいだけだ。警察の権力で一般市民を精神病院に入れることができるなら、これほど恐ろしいことはない。
なお、私は東海アマ氏のファンでも何でもないが、社会の悪(アマ氏のその判断が常に正しいとも思わないにせよ)に孤立無援で堂々と戦う、素晴らしい人物だと高く評価している。今の時代の市井の偉人のひとりだろう。

(以下引用)

カッコーの巣に墜とされかけた

カテゴリ : 未分類
 

 「カッコーの巣の上で」というのは、1975年のアカデミー賞を独占したジャック・ニコルソン主演の米映画。
 主人公のマクマーフィーは、刑務所行きを逃れるため、詐病で精神病院に入院した。病院内で自由にふるまい、他の患者の人気を得るが、婦長に睨まれ、病院に縛り付けられた上、ロボトミー手術を受けさせられる。
 手術によって廃人状態にされたマクマーフィーを見て、友人のインディアン=チーフは気の毒に思い彼を絞殺し、一人で恐ろしい病院を脱出する。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%83%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%81%AE%E5%B7%A3%E3%81%AE%E4%B8%8A%E3%81%A7

 精神病院というのは、国家権力と直接結びつき、「治療」という名目で、権力批判者への弾圧に使われることが多い。
 精神病理学というものは、ほとんど宗教と同じレベルであって、学問的にも曖昧なものであり、論理的に検証され、確立された分野ではないため、権力の都合による恣意的な運用によって、人権圧殺、弾圧に使われるのである。

 それに精神病理学におけるロボトミー手術などは、ほとんど検証も受けずに、関係者の独善によって暴走した挙句、ほとんどなんの効果も得られていないばかりか、被術者の大半が、基本的な人間能力を奪われるという悲惨で残酷な結果が明らかであるにもかかわらず、施術者の一方的自己賛美だけでノーベル賞を獲得した。
 https://style.nikkei.com/article/DGXZZO67992850Y1A100C2000000/

 私は、11月5日朝に、近所に住むAによって、8台設置した監視カメラのうち1台を盗まれ、別の1台のSDカードを持ち去られた。SDを盗られたのは3回目だった。
 Aが犯人という理由は、きわめて辺鄙な位置にある我家は泥棒といえども簡単には入れず、近所の人間でなければ、まず盗む条件がないうえ、たびたびAが未明に、家の周囲にいることを視認していたからだ。

 直接、盗んだ場面を撮影したわけではないが、侵入した姿が写っていたはずの監視カメラが盗まれ、SDカードが持ち去られた。
 
 盗まれる直前に、4台設置してあったセンサーチャイムが2回鳴ったので、数分後に駆け付けたところ、設置したばかりの監視カメラが消えていた。これは隠しカメラで、普通の人には、まずわからない場所にガムテープで貼り付けてあった。
 そこに行くには入口に設置した2台のカメラを通過するので写っているはずだったが、まるで写っていなかった。結局、燐家の垣根を超えてきたと判断できた。
 これを発見するには、暗闇で赤外線眼鏡を使うことで容易だが、こんな芸当ができる人物は、本当に場数を踏んだプロの泥棒だけだ。

 夜が明けてから、中津川警察署に電話して、被害届を出すことにした。
 パトカーと乗用車が二台きて、いろいろ調べていったが、結局残った6台の監視カメラには犯人が写っていなかった。ただし、犯人は、二軒下の住人A以外には考えられなかった。Aが深夜未明に家の前を徘徊する姿を何度も見ていたからだ。

 Aが私に嫌がらせを始めたのは、私が2003年に移住した直後からで、最初は、私が落葉を燃しているときや自分で家を建てているとき役所に通報され不快な思いをさせられたことや「お前は誰の許可で、ここに住んでる」などと罵倒されたことくらいだったが、数年前からエスカレートして、10万円近くする無線機を盗まれたり、ハンマーや計測工具類を持ち去られたりした。
 また、この数年で、私の車が普通はパンクしない前輪ばかり、立て続けに7回くらいパンクさせられた。すべて木ねじが入っていた。
 これらは、財産窃取というよりは、私に仕事させない、嫌がらせ目的だと思われた。

 ところが、やってきた警察官は、私が間質性肺炎のせいで、家がゴミ屋敷のように散らかっているのを見て、「こんな状態を放置している人物なら、勝手な思い込みだけだ」と決めつけ、盗まれた事実も認定せず、被害届も受理せずに帰っていった。
 また、80歳近い高齢のAが、私の訴えるような家宅侵入などするはずがないと決めつけていた。つまり、私の主張は一切、聞く耳を持たない。

 そこで、私はイライラが募り、Aが私から盗んだ道具類を近所の山林に隠しているかもしれないと思い、鉈で藪を切り分けながら探し回った。
 11月7日の夕方、探し回った山から下りてきたとき、たまたまAの妻が通りかかり、私は相当にハラワタが煮えくり返っていたので、自分が鉈を持っていることさえ忘れて、「盗んだものを返せ!」と何度も怒鳴った。

 すると、当然だがAの妻は家に逃げ帰り、警察に刃物で脅されていると通報した。
 「しまった」と思ったが遅かった。

 妻は、十数年前、Aとともに、深夜未明に私の敷地に入り、根こそぎ山菜を盗っていったことがあったので、たぶんグルで、Aがやっていることも当然、知っているだろうと思っていた。
 しばらくして、警察が大部隊できて、私は身柄拘束された。

  逮捕を覚悟したのだが、なぜか「保護」という名目で、警察署に連れていかれた。
 問題はそれからだ…。

 取り調べらしい取り調べもないまま取調室で放置され、10時半という遅くに、いきなり「あんたの言ってることはおかしいから、今から病院にいって調べる」と言い渡され、車に乗せられた。それ以上の説明はなかった。
 行先はなんと100キロ近く離れた郡上美並だった。着いた病院は、慈恵中央病院という精神病院だった。すでに深夜の1時半すぎだ。

 そこで、しばらく待たされた挙句、若いが白髪の多い眼鏡の医師がきて、何があったかと聞くので、記憶していることを、すべて説明した。決して嘘などついていない。
 説明すれば、私自身も事情を客観的に再確認できると思ったからだ。診察が終わると、若い医師が言った。「あなたはおかしいから、今夜泊まっていってください」
 自分で何一つおかしいと思っていないのに、いきなり「あんたはおかしい」というので驚いた。

 このとき、一晩泊められるのかと思ったが、後で姉から事情を聞いて、心底恐ろしくなった。私自身に人生最大の危機が迫っていたことを理解したのは、解放されてからのことだった。
 実は、私のスマホを調べ、姉に勝手に電話して、「あなたの弟さんを、三か月間入院させることに同意せよ」と迫っていたのだ。
 
 家族の同意があれば、いかなる事情であっても、本人の意思を無視して、勝手に三か月間、精神病院に拘束できる規定があるのだという。
 だが、姉は、精神病院と拘束の意味を理解していたので、「自分の弟は嘘をつくような人間ではない」と、きっぱりと断った。それで、中津川警察は私を精神病院に送り込めないため、再び中津川に戻した。
 このとき、気の弱い家族なら簡単に同意して、私は拘束されただろう。その後は「カッコーの巣の上で」の世界が待ち構えている。

 どうなるかといえば、どんなに拒否しても強制的に鎮静剤を注射され、意識が朦朧とした状態で、次々に薬を打たれて、積極的な判断力や、活発な活動ができなくさせられる。
 拘束は三か月どころか、半永久的に続いてゆくのだ。薬漬けにされるから判断力も鈍い、最悪は、マクマーフィーの受けたロボトミー手術で、人間性を完全に奪われる。
 今はロボトミーは否定されていても、同じような結果を生む、たくさんの抗精神薬物がある。それも健康を奪い去るには十分だ。

 姉が「弟のどこがおかしいのですか?」と聞いたところ、医者は、姉に「短い診察では病状がわからない」と答えているにもかかわらず、警察と一緒になって「三か月入院に同意せよ」と姉に迫っていたのだ。
 なぜ、そんなことをするかといえば、病院側は金になる患者が欲しい。犯罪で検挙された被疑者なら、いくらでも薬を注射できるし、拘束期間を引き延ばすのも自由自在だ。警察側は、犯罪の動機を追及すると、自分たちが被害届を受理しなかったことが問題になるので、「異常者」に仕立てるのが一番手っ取り早いのだ。

 それから午前4時近くに警察に戻され、姉が兵庫県から迎えにくるまで「保護室」に拘束された。
 保護室は留置場とは少し違うらしいが、ほとんど同じだ。入口には頑丈な鉄骨製檻で、1センチ角の金網が張ってある。隅に20センチ角の差入口がある。
 3メートル×1.8メートルのポリ畳三畳の房で、トイレがあるが、なんと水が封鎖してある。つまり大小便を垂れ流せるが、流すことも手を洗うこともできない。

 私は前日の昼から飲まず食わずだったが、拘置されて朝9時過ぎるまで、食事はおろか、コップ一杯の水も供給されず、のどが渇いて眠るどころでなかった。
 それから警官が何回か、水をコップで差し入れた。
 それから、午後2時に姉がやってきて、やっと解放されたのだが、驚いたのは、それから自宅に帰ることが許されなかったことだ。

 自宅には、着替えや現金、パソコンなどすべて置いてある。私の恰好といえば、確保された午前中、玉ねぎの苗植えをした作業着と長靴姿のままだった。
 そのままの汚い姿で、警察官が駅まで送り、私と姉が兵庫県に向かうのを見届けた。
 私は、抵抗して自宅に帰りたかったが、姉が必死になって連れ帰ろうと説得したのと、私自身も煮えくり返った感情が収まらず、もしかしてAとかちあったなら、今度は我を忘れて殺害してしまう可能性も自分で分かっていたので、そこは、姉の説得に従うことにした。

 かくして、私は兵庫県の姉の家で、これを書いている。だが、いつ自宅に帰るのかというと、姉は「向こう三か月、姉が責任をもって面倒を見てくれ」といわれたらしい。
 冗談じゃない。法的根拠もないのに、なんで自分の家に帰れないのだ。
 それに、家には冷蔵庫のなかに腐るものや、ベランダの屋根の下に、たくさんの野菜が植わっているから、水やりをしなければ枯れてしまう。

 そこで、どうしたらいいか考えているのだが、結局、高い金を払って弁護士を雇い、①なぜ私の被害の訴えを聞かず、被害届を受理しなかったのか? ②事前に本人に説明もせずに、勝手に私の健保を使い、承諾もなしに精神科に連れてゆき、その費用まで支払わせた。 ③その後、経過観察で、自分の家に帰さない法的根拠があるのか? などを明らかにさせたい。

 私の確保時、身体検査で護身用催涙スプレーが出てきたが、これはAに家の中にまで侵入されたことから、危険を感じて持っていたものだが、確保時は自宅前であり、公的な場所で所持していたものではない。
 しかし、警察は立件してくる可能性があり、裁判になれば高額の罰金刑が下される可能性がある。しかし、立件は覚悟するしかないだろう。

 今後、私は早く家に帰宅しないと困る事情があるので、帰るつもりだが、そのときは弁護士を同席させて警察と対話するつもりだ。
 この間の法律的事情について、あまり詳しくなかったので、自宅に帰ることを規制する法的根拠について詳しく知りたい・

 私としては、救援センターなどに登録している人権派弁護士を依頼したいので、中津川市に近い、そんな弁護士を紹介していただけると幸いです。

 なお、スマホを警察車両に落としてしまったので、取りに帰れないので、今はスマホの連絡がつかないのであしからず。
 

iwasekouta2@outlook.jp


 
 

 

 
 



 

 



 

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