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徽宗皇帝のブログ

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言語破壊と理性の喪失
新約聖書の「ヨハネによる福音書」の冒頭は

「初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった」

で始まる。
で、その「言葉」と訳されているのはギリシャ語の「ロゴス」であるのだが、実はこれが恐ろしく多義的な言葉で、これを「言葉」と訳したのはルター(ルーテル)らしい。

何が言いたいかというと、言葉の軽視は理性の軽視であり、それは世界全体の理性喪失になる、ということだ。



(以下「ウィキペディア」より引用)


ロゴス(logos)とは、古典ギリシア語の λόγος の音写で、

  1. 言葉言語真理真実理性、 概念意味論理命題事実説明理由定義理論思想議論論証整合言論言表発言説教教義教説演説普遍不変構造質問伝達文字ダイモーンイデア名声理法(法則)、原因根拠秩序原理自然物質本性事柄そのもの人間精神思考内容思考能力知性分別弁別熱意計算比例尺度比率類比算定考慮などの意味[1][2][3]
    • 転じて「論理的に語られたもの」「語りうるもの」という意味で用いられることもある。
  2. 万物の流転のあいだに存する、調和・統一ある理性法則。
  3. キリスト教では、神のことば、世界を構成する論理としてのイエス・キリストを意味する。

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