「逝きし世の面影」から抜粋転載。
この回の記事ははっきり言って長すぎて、特に前半部分は、江戸幕府は正しかった、明治政府は嘘つき政権だ、というプロパガンダ(まあ、かなり真実ではあるが、その偉大な業績は、江戸幕府ではなし得なかっただろう。そういう部分を無視してその一部の悪事だけを見れば、批判されない政府は存在しない。)に終始している上に、引用記事に対する宗純氏の意見が見られないので、何が目的でこういう記事を書いたのか、不明である。まあ、引用された記事同様に、明治政権批判の意図の「為にせんがための」引用だろう。
私は薩長独裁(大久保利通暗殺後は、事実は、長州独裁に近い。おそらく大久保暗殺は長州の手によるものだろう。)による悪は悪として批判していいと思うが、江戸幕府や公武合体政権だと、「四民平等」は無しえなかっただろうと思っている。あれは、明治政府を作った連中の中心層が「下級武士」で、身分社会の悪を骨身に沁みて分かっていたから実行したのだと思っている。つまり、民主主義の芽生えは(第二次大戦後の進駐軍の政策によるものが大きいとはいえ)やはり明治政府にあったと思っている。
とはいえ、下の引用部分は、かなり知的刺激を与える内容で、後日の考察のために抜き書きしておく。
なお、「通商」が国家を滅ぼすのは、現代のグローバリズムと新自由主義が世界を侵略し、欧米の支配下に置いていることから明白である。江戸幕府が通商を恐れたのは実に慧眼だったと言えるし、江戸幕府が長い間鎖国政策をしていた(「鎖国」ではない、という最近の意見は、屁理屈に属するだろう。)のも賢明だったと思う。ただ、その意図はやはり支配層の権益保護という意味合いが大きかったとは思うが、それはある程度、国家全体の保護であり、国民保護にもなっていた、と私は考えている。
(以下引用)
何を恐れて開国(通商条約)に抵抗したのか
当時のロシアやイギリス、フランス、アメリカが日本側に求めた『通商』(開国)とはいったい『何』を意味したのだろうか。
何故、これほどまで徹底的に徳川幕府は外国との自由な通商(開国)を恐れ、拒み続けたのだろうか。
現在における『通商』の意味は、何か喜ばしいもの、有利なものと考えられている。
通商関係を持つことで双方が利益を得ることが出来るし、新しい可能性や視野が生まれて来ると現代人なら思っているので、通商関係(開国)に頑強に抵抗した江戸時代の日本人とは島国根性で視野狭窄、未知の新しいものを恐れてパニック状態に陥ったとも解釈出来る。
現代人は、世界との通商関係とは日本の命綱に近い大事なものと考えていて、世界に広がる貿易(通商)なくして現在の豊かな日本社会は考えられない。
ところが民主主義の今とは大違いで、19世紀中葉の世界は全く別の『危険な構造』になっていた。
自由な通商とは恐ろしい罠であり、特に当時の日本人にとっての『世界』とは、恐ろしい脅威に満ち溢れている弱肉強食の『力』の論理で無法が横行する危険な世界であると考えられていた。
インドの植民地化とアヘン戦争後の中国
(中略)
最初は通商から始まった
当時の日本人が欧米の求める『通商』を恐れた理由は、独自の優れた文明を誇った大国インドが滅んだ最初の出来事が、何でもない普通の『通商』から始まっていたからである。
悲惨で残酷極まるイギリスによるインドの植民地化は、300年前に白人が来て南部の海岸部の幾つかの都市と普通の通商を求めるところから全ては始まった。
最初は慇懃で親切で友好的であったが、少しづつ着実に影響力や権力を持っていきインド内部の争いに介入して対立を煽り、最初の白人商人のインド上陸から300年後の最後には大文明圏である全インドを手に入れ、その時は慇懃でも親切でも友好的でも無くなっていた。
インド人は自分自身に対して自信を持っていて、欧州人を少しも恐れていなかった。
何故なら当時のインドは欧州諸国に対してほとんどあらゆる点で優れていたからです。
最初の時点では、インドは文化的にも軍事的にも経済的にもヨーロッパよりも数段勝っていた。インドは植民地化される19世紀時点でもGDPで英国を上回っていた。
しかしインドにとって、そんなことは最後には何の役にも立たなかったのである。
本当は怖い貿易・通商。trade(貿易)の意味
150年前にアメリカなど当時の列強が押し付けた『全ての障壁を失くした自由な通商・貿易』(trade)ですが、今の日本語的なイメージでは『自由な貿易』は薔薇色で、少しも『悪い』ところが無い。
ところが、この名詞としての通商(trade)の本来の意味は動詞としての『騙す』であると言われています。
広い大陸での、価値観の違う異民族相手の利害が対立する通商・取引(trade)とは騙し騙されるのが基本で、少しでも油断したら騙されて酷い目に合う危険が潜んでいた。
英語の通商・貿易(trade)には、日本語に無い『怖い意味』が含まれているのです。
tradeは、島国で同じ相手と永久に付き合う必要がある日本人が身上とする商売上の『正直さ』や『公正さ』だけでは成り立たない、彼我の『力関係』がものを言う弱肉強食の厳しい世界なのです。 (trade on には『取引します。』との訳以外に、もう一つの『付け込む。』との恐ろしい意味が含まれている)
大ヒットしたジョージ ルーカス監督の『スター・ウォーズ』の悪役は何故か通商連合だった。
英語圏では『通商連合』(Trade Federation)と言われると『油断するな』と身構えるのでしょう。
『天高く馬肥ゆる秋』の言葉の由来となった万里の長城を越えて中国を脅かした匈奴の昔から、洋の東西を問わず、通商を担う遊牧民は、農耕民にとっては貴重な品々を商う『貿易』だけではなくて、同時に恐ろしい略奪者なのです。
この回の記事ははっきり言って長すぎて、特に前半部分は、江戸幕府は正しかった、明治政府は嘘つき政権だ、というプロパガンダ(まあ、かなり真実ではあるが、その偉大な業績は、江戸幕府ではなし得なかっただろう。そういう部分を無視してその一部の悪事だけを見れば、批判されない政府は存在しない。)に終始している上に、引用記事に対する宗純氏の意見が見られないので、何が目的でこういう記事を書いたのか、不明である。まあ、引用された記事同様に、明治政権批判の意図の「為にせんがための」引用だろう。
私は薩長独裁(大久保利通暗殺後は、事実は、長州独裁に近い。おそらく大久保暗殺は長州の手によるものだろう。)による悪は悪として批判していいと思うが、江戸幕府や公武合体政権だと、「四民平等」は無しえなかっただろうと思っている。あれは、明治政府を作った連中の中心層が「下級武士」で、身分社会の悪を骨身に沁みて分かっていたから実行したのだと思っている。つまり、民主主義の芽生えは(第二次大戦後の進駐軍の政策によるものが大きいとはいえ)やはり明治政府にあったと思っている。
とはいえ、下の引用部分は、かなり知的刺激を与える内容で、後日の考察のために抜き書きしておく。
なお、「通商」が国家を滅ぼすのは、現代のグローバリズムと新自由主義が世界を侵略し、欧米の支配下に置いていることから明白である。江戸幕府が通商を恐れたのは実に慧眼だったと言えるし、江戸幕府が長い間鎖国政策をしていた(「鎖国」ではない、という最近の意見は、屁理屈に属するだろう。)のも賢明だったと思う。ただ、その意図はやはり支配層の権益保護という意味合いが大きかったとは思うが、それはある程度、国家全体の保護であり、国民保護にもなっていた、と私は考えている。
(以下引用)
何を恐れて開国(通商条約)に抵抗したのか
当時のロシアやイギリス、フランス、アメリカが日本側に求めた『通商』(開国)とはいったい『何』を意味したのだろうか。
何故、これほどまで徹底的に徳川幕府は外国との自由な通商(開国)を恐れ、拒み続けたのだろうか。
現在における『通商』の意味は、何か喜ばしいもの、有利なものと考えられている。
通商関係を持つことで双方が利益を得ることが出来るし、新しい可能性や視野が生まれて来ると現代人なら思っているので、通商関係(開国)に頑強に抵抗した江戸時代の日本人とは島国根性で視野狭窄、未知の新しいものを恐れてパニック状態に陥ったとも解釈出来る。
現代人は、世界との通商関係とは日本の命綱に近い大事なものと考えていて、世界に広がる貿易(通商)なくして現在の豊かな日本社会は考えられない。
ところが民主主義の今とは大違いで、19世紀中葉の世界は全く別の『危険な構造』になっていた。
自由な通商とは恐ろしい罠であり、特に当時の日本人にとっての『世界』とは、恐ろしい脅威に満ち溢れている弱肉強食の『力』の論理で無法が横行する危険な世界であると考えられていた。
インドの植民地化とアヘン戦争後の中国
(中略)
最初は通商から始まった
当時の日本人が欧米の求める『通商』を恐れた理由は、独自の優れた文明を誇った大国インドが滅んだ最初の出来事が、何でもない普通の『通商』から始まっていたからである。
悲惨で残酷極まるイギリスによるインドの植民地化は、300年前に白人が来て南部の海岸部の幾つかの都市と普通の通商を求めるところから全ては始まった。
最初は慇懃で親切で友好的であったが、少しづつ着実に影響力や権力を持っていきインド内部の争いに介入して対立を煽り、最初の白人商人のインド上陸から300年後の最後には大文明圏である全インドを手に入れ、その時は慇懃でも親切でも友好的でも無くなっていた。
インド人は自分自身に対して自信を持っていて、欧州人を少しも恐れていなかった。
何故なら当時のインドは欧州諸国に対してほとんどあらゆる点で優れていたからです。
最初の時点では、インドは文化的にも軍事的にも経済的にもヨーロッパよりも数段勝っていた。インドは植民地化される19世紀時点でもGDPで英国を上回っていた。
しかしインドにとって、そんなことは最後には何の役にも立たなかったのである。
本当は怖い貿易・通商。trade(貿易)の意味
150年前にアメリカなど当時の列強が押し付けた『全ての障壁を失くした自由な通商・貿易』(trade)ですが、今の日本語的なイメージでは『自由な貿易』は薔薇色で、少しも『悪い』ところが無い。
ところが、この名詞としての通商(trade)の本来の意味は動詞としての『騙す』であると言われています。
広い大陸での、価値観の違う異民族相手の利害が対立する通商・取引(trade)とは騙し騙されるのが基本で、少しでも油断したら騙されて酷い目に合う危険が潜んでいた。
英語の通商・貿易(trade)には、日本語に無い『怖い意味』が含まれているのです。
tradeは、島国で同じ相手と永久に付き合う必要がある日本人が身上とする商売上の『正直さ』や『公正さ』だけでは成り立たない、彼我の『力関係』がものを言う弱肉強食の厳しい世界なのです。 (trade on には『取引します。』との訳以外に、もう一つの『付け込む。』との恐ろしい意味が含まれている)
大ヒットしたジョージ ルーカス監督の『スター・ウォーズ』の悪役は何故か通商連合だった。
英語圏では『通商連合』(Trade Federation)と言われると『油断するな』と身構えるのでしょう。
『天高く馬肥ゆる秋』の言葉の由来となった万里の長城を越えて中国を脅かした匈奴の昔から、洋の東西を問わず、通商を担う遊牧民は、農耕民にとっては貴重な品々を商う『貿易』だけではなくて、同時に恐ろしい略奪者なのです。
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