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徽宗皇帝のブログ

徽宗皇帝のブログ

江戸時代の面影を残す明治の日本と、現代の日本
毎度毎度「三題噺」的な構成で印象散漫、書かれたことや主張があまり記憶に残らない「逝きし世の面影」ブログだが、現在のブログ世界の大物のひとりであるのは確かだ。
その「三題噺」とは異なり、下に引用する回は、内容に大きな一本の線が通っており、それはまさにブログタイトルの「逝きし世の面影」の具体的内容、その素晴らしさを顕彰するものである。
それは反射的に、今の日本やその政治、社会の現実がいかに悲惨で愚劣なものかをも意味している。
なお、渡辺京二(だったか)の「逝きし世の面影」は文庫本を長年持っているが、未読である。読まなくても内容の想像がつくので、なかなか読む気になれないのである。まあ、滅多に使わなくても辞書を手元に持っておくようなものだ。逆に、好きな本は同じ本を何度も読んだりする。
ついでながら、宗純氏が中国的「社会主義」政治に理解があることは、私の思想的同陣営であるようで、少し嬉しい。

(以下引用)画像は一部省略。


大英帝国全盛時のイザベラ・バードが見た日本

2018年02月22日 | 社会・歴史
特集ワイド 紀行作家・バードが称賛した日本 貧しくとも「豊饒」 「相互扶助」根付いていた時代

『富国強兵と違う明治』
2018年2月19日 毎日新聞

明治維新から10年後(西郷隆盛の西南戦争直後)の1878年、東北地方と北海道を旅した英国の女性紀行作家、イザベラ・バード(1831~1904年)が再注目。水田の広がる山形・米沢盆地を「アジアのアルカディア(桃源郷)」と称賛したエピソードが知られている。

バードはこの後伊勢神宮や京都など関西地方を訪れている

バードが訪れたのは日本の他、中国、朝鮮、チベットなど、19世紀の「未開の地」が多く各地の自然や風俗を記録した著作は学術的に貴重だ。
「日本奥地紀行」は、46歳の時、東北と北海道を約3カ月かけて馬や人力車で旅した記録で、米沢盆地では、豊かな自然や農業の繁栄ぶりを絶賛した。
<米沢平野[盆地]は、まさしくエデンの園である。・・・晴れやかにして豊饒なる大地であり、アジアのアルカディア(理想郷)である
繁栄し、自立している。そして その豊かな土地すべてが耕作する人々の所有に帰している。・・・抑圧とも無縁である。アジア的圧制の下では珍しい美観である>
この本に今、熱い視線が注がれている。
バードは異文化に飛び込み、見たままをつづった体験記としての面白さ。未知の土地での新鮮な驚きや発見こそ旅の原点。ネット上の観光情報に飽き足りない現代人は、そこに魅力を感じるのでは。
日本の称賛ばかりではなく山深い地では<(宿の部屋の)蚊帳は完全に蚤(のみ)の巣だった><男たちは何も着ていないに等しい><女たちも上半身は裸で、腰から下に身につけているもの[腰巻(こしまき)]も非常に汚く>とリアルだ。
富国強兵を掲げ「坂の上の雲」を目指した日本とは違った姿が浮かび上がる。
今年、政府は「明治150年」として記念事業を企画し、NHK大河ドラマ「西郷どん」は明治期を礼賛する高揚感に満ちているが、「大河ドラマの中の明治は、着物も街並みも美しく、人物もイケメン。フィクションだから全てをリアルに描く必要はありませんが、私たちは『現実は違う。暗い部分や汚れた部分もあった』と知らなければいけない。きれいな過去だけを見ていると歴史がゆがんでしまいます」

貧しくとも「豊饒」 「相互扶助」根付いていた時代
赤坂憲雄学習院大学教授(民俗学)「バードを読んでいると、明治以降に私たちが失ったものに思いをはせざるを得なくなります」と言い、「逝きし世の面影」(渡辺京二著)を手に取った。幕末から明治にかけて来日した外国人が、日本文化や日本人をどう捉えたのかを丹念に読み取ったベストセラーだ。
赤坂さんが注目しているのは、そうした外国人の多くが日記や紀行文で「日本には乞食や奴隷がいない」と述べていたことだ。
バードも横浜で<印象的だったのは浮浪者が一人もおらず・・・みな自分の仕事をもっていること>と書いている。「強大な権力が民衆を支配していたアジアの国々では、奴隷や乞食がいるのが当然でしたが、日本は違った。日本が極めて格差の小さい社会に映ったのでしょう」。

バード<子供の顔も、大人の顔も、すべての顔が穏やかで、満ち足りた感じがした!>
人々が笑顔だったことに感銘を受ける「当時の社会は、緩やかな相互扶助の仕組みを持つ、安心感のある社会だったのだと思います。乞食もいたのでしょうが、排除するのではなく、食べ物を分け与えるなど、見えないセーフティーネットに守られていた」。
今、バードが感銘した“風景”は変わった。「長い間、人々の間に根付いていた独自の相互扶助のシステム、それを壊してきたのがこの150年だったのではないでしょうか」。
バードは馬が転ぶほどの峠道の場面で<立派な道路こそはこの日本が何よりも早急に必要とするものだ・・・もし日本政府が英国の装甲艦を購入したり、西欧のくだらない贅沢品にうつつを抜かして国勢をそぐことなどせず・・・この国を富ませるなら、はるかにすばらしい>
「明治150年」事業を行う内閣府は「明治の精神に学び、日本の強みを再認識することは、大変重要」とする。しかし、バードが見た「日本の強み」は、日本人が生活の中で培った文化のように思える。私たちは今、何を「取り戻そう」としているのだろう。
(抜粋)


『キリスト教の宣教師が辻説法をしていた明治時代の日本』

イエズス会の創設メンバーの1人で1549年(天文18年)に日本に初めてキリスト教を伝えたことで有名なフランシスコ・デ・ザビエルのように、300年遅れで明治期の日本ではキリスト教の宣教師が辻説法を行っていたが、左翼の私の父親は無神論の立場から『神はインチキだ』『科学とは矛盾する嘘だ』と問答を吹っかけては論破する『嫌がらせ』を行っていたらしい。
(★注、当時の欧米人宣教師たちですが、日本人がキリスト教でない理由とは、キリストの正しい教えを一度も聞いたことが無いからだと解釈していたことから、キリスト教伝道を目的とした辻説法を盛んに行っていたらしいのですが、この事実を指摘した書物が無いのは何とも不思議である。普通なら宣教師の辻説法は目立つので必ず気が付く)
バードの旅行先ですが伊勢神宮とか日光のような観光地よりも僻地が中心なのですが、アジアアフリカなど宗教的未開地のキリスト教宣教師の足跡と重なるのである。ビクトリア朝の英国夫人としてのバードは(当時は一般人でも)非常に宗教的価値観を持っていたことは間違いない。
(バードは日本に5回も訪問し安全で清潔なアルカディア(理想郷)として大いに気に入っいるが、朝鮮には少し遅れて日清戦争前後に4回訪問して暗殺された閔妃に謁見し『優れている』と称賛する一方、思いっきり朝鮮の状態が『汚い』『野蛮』非効率で非文明だと罵倒する言説を残しているのでバードの朝鮮旅行記は嫌韓ネットウヨのバイブル扱いになっている)

『中国共産党(毛沢東)が採用した?日本の徳川幕府の最も優れた社会主義政策』

日本がアジアのアルカディア(理想郷)だと最大限称賛した19世紀の帝国主義全盛期の覇権国イギリス人女性のイザベラ・バードですが、そもそも中国(清)に阿片戦争を仕掛け、麻薬の蔓延で社会をボロボロにした張本人こそイギリスだった。
阿片戦争は1840年6月28日1842年8月29日で、第二次阿片戦争(アロー戦争)は、1856年から1860年なので、バードが東北地方と北海道を旅した1878年と時間的に非常に近い。今では歴史的事実の一齣程度だが当時は生の現実だったのである。
日本がアジアで最も安定していて平和、人々は穏やかで満ち足りた『アルカディア』(理想郷)だと記したバードですが、その理由としているのが『自作農』の存在であることは、今回の毎日新聞記事では『その豊かな土地すべてが耕作する人々の所有』と1行あるだけで説明が一切ない不親切。江戸幕府は少数の商業地以外の土地の売買を原則禁止していたので、明治初期に東北地方でバードが見たように自作農によるアルカディア(理想郷)が出来あがっていた。(今の中国では土地の使用権『建物』の売買は出来るが、土地自体は公共物として個人所有が認められていないが、世界的に珍しいこの方式は日本の江戸時代とそっくり同じ構造だった)
対して文明開化の明治維新政府が最初に行ったのが農地の売買の解禁だったので、稲が実らない『寒さの夏』(やませによる不作)で飢饉が定期的に起きる東北地方では自作農が短期間で少数の地主と大多数の小作農に二分化して仕舞う。生活できない貧農が流出、都市の貧しい労働者階級が新しく生まれている。東北地方ではその後も飢饉が続き娘の身売りなど悲惨な状態は1932年(昭和7年)の五・一五事件、1936年(昭和11年)の二・二六事件と日本は軍国主義の暴走から1945年の玉音放送まで一直線に突っ走るが、そもそもの始まりは150年前の薩長による王政復古のクーデターだった。(積極的に文明開化を進めた江戸幕府と、テロで妨害した薩長の『王政復興』では反革命のイメージになると考えられて不適当、印象的に良い『明治維新』の名称は後から付けられたもの)


『地獄の朝鮮戦争とマッカーサー(GHQ)による日本の農地解放』

第二次大戦後の1947年(昭和22年)から1950年にかけて GHQ(マッカーサー)の指令によって行われた日本農業の改革(農地解放)とは、小作農と地主に分断した社会(王政復古から敗戦までの77年間の大日本帝国)を自作農中心で平和だった江戸時代に戻す一大革命でもあったのですが、明らかに朝鮮戦争(1950年6月25日 ~ 1953年7月27日)の推移と連動していた。農地解放は、小作農争議に熱心だった(1949年衆議院選挙で35議席を獲得した)日本共産党対策(レッドハージ)でもあったのです。世界でも日本でも同じで、最も保守的な階級とは、自作農であった。ある意味では今に続く自民党による長期政権とは農地解放のマッカーサー(GHQ)のお蔭であり、朝鮮戦争(休戦)レジームであったのです。(アメリカの植民地だったフィリピンでは日本のGHQのような農地解放を行わなかったので今でも大地主制度が残っている)

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