私は、自己防衛は動物の最大の本能だと思っているので、人が自分自身の醜さを直視しないのは当然だろうとは思う。
私など、鏡で自分の顔を見てさえ、「(爺ぃだが)いい男だなあ」と思ってしまうwww 写真や動画で見ると、思わず顔をそむけたくなる醜い顔なのだが、なぜか鏡だと良く見えるのである。昔から「自惚れ鏡」と言われる不思議な現象だが、これは、鏡を見るというほんの一瞬の間さえ、自分の見たくない部分は見ないで、「見たいもの」を現実の上にかぶせて見ているのだろう。
そんなものだから、若者(だけには限らないが)が自分の醜い事大主義や卑怯な保身を直視しないで、「現状をあるがままに肯定している俺ってクール」と考えたがるのは、いわば生物的・動物的本能に従っているわけで、あながち頭から否定はできないが、それは人間としての美意識(人類が何千年もかけて獲得してきたものだ。)を失った、残念な生き方だ、ということを自覚したほうがいいと思う。
つまり、「長いものには巻かれろ」式の生き方を捨て、自分の身や自分の人生を犠牲にしても権力の腐敗や社会的不公正と戦ってきた有名無名の人々のおかげで今の文化や文明、特に民主主義や人権というものがあるのであり、その恩恵を図々しく享受しながら、そういう闘争を今もしている人々や闘争行為をかえって蔑むというのは、実に「恩知らず」で「ゲス」ではないか、ということである。
「阿諛クール」や「追従クール」は、説明されないと意味が分からない造語だから、何か別の言葉を作ったほうがいい。あるいは、「自惚れ鏡」という言葉で既にその半分は言われているか。それが「阿諛」や「追従」とどうしても結び付けられる必要性があるかどうか、今ひとつ分からない。要するに、実態は「阿諛」や「追従」というゲス行為だのに、それを「クール」という言葉で自分自身を美化し、騙している、という偽善性や欺瞞性に本質的部分があるわけだ。
「新自由主義」に倣って「新事大主義」でどうか。まあ、耳で聞くと「新時代・主義」に聞こえるのが難点か。どうでもいいが、「阿諛クール」と聞くと「アジャンクール」を連想する。
(以下引用)
小田嶋隆 @tako_ashi 8時間前
- 「どうせたいした独自性もありゃしない自分のアタマで考える前に、まず世間がどう言っているのかを観察して、その世間の常識とどう折り合いをつけるのかを考えろ」といったあたりが、おそらくあの全員が喪服を着て臨む就職活動を通じて学生に暗示されているスタンダードなのであろうな。
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- うちの国の社会で「一般人」と見なされるためには「宗教」や「政治」から距離を置く必要があるわけだが、最近では「思想」や「趣味」あたりも、危険視されるようになっているようで、もしかして大多数の他人とそっくりでない人間はすでにヤバいということなのかもしれない。
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- 「現状をあるがままに肯定してるオレってクール」的な思い込みに、名前が与えられるべき時期が来ていると思う。
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- 語呂の良さや用語としてのわかりやすさはともかくとして、たしかにそっちの言い方の方が、「上位者に阿諛追従している人間がクールなつもりでふるまっている」感じを正確に描写している感じはしますねhttps://twitter.com/count_de_crayon/status/874856077103333376 …
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- 「反逆クール」みたいな言葉を振り回して、ふつうの人間のあたりまえな市民意識を嘲笑する態度に名前をつけるのだとしたら、「傍観クール」ぐらいが適当なところかな。
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- 高校のサッカー部の体罰映像を見て「部活ってこういうもんだろ? 何を騒いでるんだ?」と思う人々と、現状の国会のありさまを見て「政治ってそもそもこういうもんだろ? 何を騒いでるんだ?」と思う人々は、たぶん同じ集合に属していて、しかもその彼らは自分たちをクールな人間だと思っている。
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