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徽宗皇帝のブログ

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言論と暴力
まあ、「新書昭和史」筆者の「隠れ右翼」のような、隠然たる軍人(軍部)擁護の印象が強いが、こうした言説が出てくること自体が、近いうちに「戦争を起こす(起こさせる)」ための布石のひとつではないか。
記事に書かれた内容を見ても軍人の無知さや対ソ戦争をしたくてたまらない様子が見えている。それを「やりこめた」当時の政治家はまともだったわけだ。それを「言葉では勝負できないからテロしかない」とした軍部を擁護するのはキチガイではないか。当然、背後には「日本に対中戦争をさせて日中とも滅ぼしたい」宗主国米国の意思がある。それで米国が繁栄するわけはないが、狂信者に理屈は通らない。

(以下引用)引用すると記事がマスクされていたので、その部分をカットする。元記事参照。


2025年は「昭和100年」にあたります。


昭和史のエキスパートである学習院大学教授・井上寿一さんの新刊『新書 昭和史』は、昭和元年から始まって現代に至るまでの100年の歴史を描いたもので、発売後、早くも話題を呼んでいます。


昭和史のプロは、あらためて長いスパンで昭和史を描いてみてなにを感じたか。同書をめぐって、井上さんにインタビューしました。

昭和史を学ぶならここから

——昭和史、とくに戦前は複雑で難しいという印象があります。「まずこの部分を学ぶと面白い」「この部分を学ぶと理解が進みやすい」というポイントはありますか。


井上:やはり満州事変だと思うんですよね。


満州事変は歴史の教科書でも必ず出てきますし、入試でも出てくる。受験生が必ず間違えるのが「柳条湖事件(満州事件のきっかけ)」と「盧溝橋事件(日中戦争のきっかけ)」。昔から入試問題で出てきて、ほんとうによく間違えられる。それくらい重要なんだけれど、満州事変と日中全面戦争の違いがあんまりよくわからないみたいなところがあるんですね。


満州事件とは何なのか。その後に及ぼした影響っていう点でも、ここを起点にして考えてもらいたいと思うんですが、その際に、既存のイメージは一旦脇に置いておいてほしいんです。

それで、幣原も「軍部を追い込みすぎた」「自分もそれに加担して、後の軍部の暴走を引き起こした」と自己批判するんですよね。


たとえば、満州事変が起こる2ヵ月前の7月に、当時外務大臣だった幣原が、陸軍の軍務局長を呼んで、「軍務局長が閣僚に説明したいそうだから」と、閣議の合間に説明させるんですね。そこで軍務局長がソ連の脅威を強調した説明をし、ソ連が大幅に軍事費を増やしているという説明をするのですが、幣原は「ルーブルを円に換算したらどうなんだ」と聞いて、軍人は答えられない。


それも今から考えると、嫌がらせみたいなものですよね。


当時大蔵大臣の井上準之助は幣原のパートナーのような存在ですが、彼もやはりその場で軍部をやり込めている。「こんな多額な軍事費をソ連はどうやって捻出できるんですか、財政的に」と問うんです。すると軍務局長は答えられないんです。そこまでやり込めてしまうというのは、ちょっと意地悪だなと思いますね。


もっと深刻だったのが、その前の年、1930年のロンドン海軍軍縮条約問題。軍縮条約そのものは大事だと思いますが、政府が審議を強行採決してしまうんです。「天皇陛下が『軍縮条約をやっていい』と言っているからやっていいんだ」と。それで余計(軍部を)敵に回してしまうわけで。


軍部は「これでは合法的な手段では軍拡も何もできないんだ」と思い込んで「これは非合法手段に訴えてでも軍部の考えが通るようにしなければいけない」と考えるようになる。それが「外からのクーデター」としての満州事変だし、テロとクーデター未遂としての五・一五事件だし、実際のテロとクーデターとしての二・二六事件だった。こうした事件を引き起こしたのは、実は「協調外交」のほうだったということなんですよね。


そういう部分も含めて、満州事変はとても重要です。満州事変の局面で急に「善玉」がやり込められて「悪玉」が増えていったというよりは、「善玉」のほうにも「悪玉」を暴走させてしまう原因があったんだということも含めて見ていただきたい。



(中略)
満州事変の意味を、単に「軍部の暴走の起点」とするだけでは見誤るものがあると思います。単純に軍部勢力が増えれば事件が起きるというわけではないんです。「外からのクーデターだったんだ」「そういう満州事変なんだ」というようなことも含めて知ってほしいと思います。

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