「ギャラリー酔いどれ」から転載。
官僚のセクショナリズムや「組織エゴイズム」の問題というのはどんな組織にもあるのであり、私はそれをひっくるめて「組織悪」と呼んでいるが、いずれ体系化して考察してみたい気持ちも少しある。
下の記事にある陸軍と海軍の争いというのは戦争原因の一つでもあり敗戦原因の大きな要素でもある。もちろん、最初から負けるに決まっている戦争を始めたのが悪いのだが、自分の属するセクションのメンツのために官僚たち(軍人たち)が戦争肯定論しか言えなくなったのが、実は馬鹿な戦争に至った最大の原因ではないか。
なお、昭和天皇の「開戦責任」はもちろん最大の責任だが、天皇にはたして合理的判断が可能な情報が与えられていたかどうか疑わしいと私は思っている。江戸時代の将軍や大名と同じことで、政治の実際は官僚たちが行うのであり、将軍や大名に官僚たちから適切な情報が与えられていたとは私は思わない。さらに言うなら、現代の総理大臣も同じではないか。安倍総理などは悪党というよりただの品性の低い、無知な馬鹿にすぎないような気がする。(言うまでもなく無知と馬鹿はまったく別である。膨大な知識を持った馬鹿が官僚にも学者にもいる。また知恵があっても悪知恵だけならば馬鹿のほうがマシである。)
(以下引用)
鴻上:井上先生は長らく眠っていた当時の資料に光を当て、
内容を詳細に分析して『戦争調査会』にまとめられた。
ここでは、なぜ日本があの戦争に向かっていったのかが
実証的に著されていて面白いのですが、その反面、
読んでいくと腹が立ってくるんですね。
というのも、戦争を回避するチャンスは幾度となくあった
のに結局軍部は勝てる見込みのない戦争に突っ込んでいった。
なぜこんな愚かな決断ばかりしたのかと……。
井上:社会の構造的な変動によって、戦争が避けがたくなっていきました。
戦争への道には実は分岐点がいくつもあって、
そこで違う決断をしていれば回避できる可能性はあった。
一つひとつの決断の積み重ねとして戦争になっていくのです。
一つの判断は、わずかな結果の差異しか生みませんが、
それがいくつも重なることで最終的な結果が
大きく変わってしまったのですね。
鴻上:単純に「東条英機が悪かった」というように、
分かりやすい個人に責任を帰すということではない
ということですね。
井上:ええ。例えば東条一人に責任があるというなら話は簡単ですが、
その背景には東条を支持した国民の存在もありました。
なにしろ東条自身は、必ずしも開戦に積極的ではなかった
のですから。
戦争が避けられない状況になっても、陸軍出身の東条は
責任を海軍に押し付けようとしていました。
「陸軍はやりたくてやっているわけじゃない。
海軍はこういうときのために軍拡していたんだろう?
開戦したなら頑張れよ」という流れに持っていった。
海軍も、合理的に判断すれば戦争をしたら負ける
ということは分かっている。
しかし10年くらい軍拡を続けているのに、いざというときに
「戦えません」とは言えない。
彼らは自分たちの組織を守るために「じゃあ、やります」と
言わざるを得なかったのですね。
鴻上:陸軍と海軍のこの救いようのないセクショナリズムって
何なんですかね。
井上:本当に。一方の東条は、開戦を決断せず、
ぐずぐずしているときには「なんで開戦しないんだ」と
世論から叩かれていたのですが、いざ開戦してみたら、
国民から激励の電話や電報がジャンジャン入ってくる。
そうしたら彼も気持ちよくなりますよね。
戦況が有利なところで講和に持ち込むのが常道だったけれど、
その判断もできなくなっていったのです。
官僚のセクショナリズムや「組織エゴイズム」の問題というのはどんな組織にもあるのであり、私はそれをひっくるめて「組織悪」と呼んでいるが、いずれ体系化して考察してみたい気持ちも少しある。
下の記事にある陸軍と海軍の争いというのは戦争原因の一つでもあり敗戦原因の大きな要素でもある。もちろん、最初から負けるに決まっている戦争を始めたのが悪いのだが、自分の属するセクションのメンツのために官僚たち(軍人たち)が戦争肯定論しか言えなくなったのが、実は馬鹿な戦争に至った最大の原因ではないか。
なお、昭和天皇の「開戦責任」はもちろん最大の責任だが、天皇にはたして合理的判断が可能な情報が与えられていたかどうか疑わしいと私は思っている。江戸時代の将軍や大名と同じことで、政治の実際は官僚たちが行うのであり、将軍や大名に官僚たちから適切な情報が与えられていたとは私は思わない。さらに言うなら、現代の総理大臣も同じではないか。安倍総理などは悪党というよりただの品性の低い、無知な馬鹿にすぎないような気がする。(言うまでもなく無知と馬鹿はまったく別である。膨大な知識を持った馬鹿が官僚にも学者にもいる。また知恵があっても悪知恵だけならば馬鹿のほうがマシである。)
(以下引用)
鴻上:井上先生は長らく眠っていた当時の資料に光を当て、
内容を詳細に分析して『戦争調査会』にまとめられた。
ここでは、なぜ日本があの戦争に向かっていったのかが
実証的に著されていて面白いのですが、その反面、
読んでいくと腹が立ってくるんですね。
というのも、戦争を回避するチャンスは幾度となくあった
のに結局軍部は勝てる見込みのない戦争に突っ込んでいった。
なぜこんな愚かな決断ばかりしたのかと……。
井上:社会の構造的な変動によって、戦争が避けがたくなっていきました。
戦争への道には実は分岐点がいくつもあって、
そこで違う決断をしていれば回避できる可能性はあった。
一つひとつの決断の積み重ねとして戦争になっていくのです。
一つの判断は、わずかな結果の差異しか生みませんが、
それがいくつも重なることで最終的な結果が
大きく変わってしまったのですね。
鴻上:単純に「東条英機が悪かった」というように、
分かりやすい個人に責任を帰すということではない
ということですね。
井上:ええ。例えば東条一人に責任があるというなら話は簡単ですが、
その背景には東条を支持した国民の存在もありました。
なにしろ東条自身は、必ずしも開戦に積極的ではなかった
のですから。
戦争が避けられない状況になっても、陸軍出身の東条は
責任を海軍に押し付けようとしていました。
「陸軍はやりたくてやっているわけじゃない。
海軍はこういうときのために軍拡していたんだろう?
開戦したなら頑張れよ」という流れに持っていった。
海軍も、合理的に判断すれば戦争をしたら負ける
ということは分かっている。
しかし10年くらい軍拡を続けているのに、いざというときに
「戦えません」とは言えない。
彼らは自分たちの組織を守るために「じゃあ、やります」と
言わざるを得なかったのですね。
鴻上:陸軍と海軍のこの救いようのないセクショナリズムって
何なんですかね。
井上:本当に。一方の東条は、開戦を決断せず、
ぐずぐずしているときには「なんで開戦しないんだ」と
世論から叩かれていたのですが、いざ開戦してみたら、
国民から激励の電話や電報がジャンジャン入ってくる。
そうしたら彼も気持ちよくなりますよね。
戦況が有利なところで講和に持ち込むのが常道だったけれど、
その判断もできなくなっていったのです。
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