「シオン長老の議定書」を見れば、なぜ日本社会から論理と倫理が消えたのか、明白に分かる。
下にその一部を追記(補足)しておく。
(徽宗補足)「酔生夢人のブログ」に載せてある「シオン長老の議定書」の一部を載せておく。まさに現代日本の状況だし、西側諸国はすべて似たようなものだろう。
◎この目的(支配)のために我々は始終、「新聞、雑誌」を利用して、この命令に盲目的に信従するように(人々を)鼓舞する。
○我々の仕組んだ「ダーウィン、マルクス、ニーチェ」の教説に注意なさるがよろしい。(注:この部分の説明は長くなるので、最後に補注として説明する。)
○いわゆる「民権」とはただ概念としてのみ存在しえるもので、けっして実際に実現することはできない。実際、我々の命令にもとづき、我々の密使(為政者)を選任する投票にしても、下層民が憲法政治(立憲政治)から得るものは何もない。(注:これと同趣旨のことをルソーも述べている。「イギリス人は選挙で代議士を選ぶが、庶民が支配者であるのは選挙の間だけで、それが終わるとまた彼らは奴隷に戻るのである」と。ただし、日本における2009年衆議院選の「無血革命」によって、日本の立憲政治は変わる可能性がある。)
◎優越を得るための、極度に緊張した闘争と経済生活に対する衝動とは、絶望的な、しかも悲惨極まる「冷酷な社会」を実現するであろう。否、すでに実現したのである。(注:前出の「我々は人間の欲望を利用して支配する」とほぼ同趣旨。ただし、その行く先にあるのが「冷酷な社会」であることを、我々のどれだけが理解しているか。))
○自由主義の社会では、買収と贈賄の汚職が至る所に侵入し、富は「巧妙なる奸策」と「虚偽の駆け引き」によって得られ、徳義(社会道徳)は、ただ「厳罰と酷法」によって維持される。
◎我々の統治の主要任務は、社会的理性を去勢し、反抗を可能ならしめる彼らの思索を奪い、そして一般の知力を空虚なる雄弁の交戦に堕せしめることである。(注:このために利用されるのが公教育とマスコミであることを、今では多くの人が知っているだろう。)
◎異民族諸国民および各個人たちは、あらゆる時代において、「言葉」を「行為」と思ってきた。彼らは単なる外見に満足して、公的世界において「約束が実行されたかどうか」ということには滅多に気がつかなかった。(注:社会生活を営む上での基本の基本が、「相手の言葉ではなく、行為を見よ」であるが、社会の多くの「善人たち」は言葉を行為と区別していない!)
◎世論を掌中に収めるためには、それ(世論そのもの)をして「了解に苦しましめ」ねばならない。すなわち、各方面から互いに矛盾した種々の意見を言わせ、異民族の人民を迷宮に彷徨せしめ、政治的問題に関しては、何等の意見も持たぬ方がましであると断念せしむるべきである。
下にその一部を追記(補足)しておく。
近藤ようこさんがリツイート
安倍政権は問題だが、東京の大手新聞テレビの「明らかにアウトでもアウトと言わない態度」の責任も重い。罪が深い。社会のタガが外れているのに、安倍首相の「これはアウトではありません」という論理性ゼロの言い逃れを「両論併記」することで、ルール無視のエスカレートを助長する役割を担っている。
(徽宗補足)「酔生夢人のブログ」に載せてある「シオン長老の議定書」の一部を載せておく。まさに現代日本の状況だし、西側諸国はすべて似たようなものだろう。
◎この目的(支配)のために我々は始終、「新聞、雑誌」を利用して、この命令に盲目的に信従するように(人々を)鼓舞する。
○我々の仕組んだ「ダーウィン、マルクス、ニーチェ」の教説に注意なさるがよろしい。(注:この部分の説明は長くなるので、最後に補注として説明する。)
○いわゆる「民権」とはただ概念としてのみ存在しえるもので、けっして実際に実現することはできない。実際、我々の命令にもとづき、我々の密使(為政者)を選任する投票にしても、下層民が憲法政治(立憲政治)から得るものは何もない。(注:これと同趣旨のことをルソーも述べている。「イギリス人は選挙で代議士を選ぶが、庶民が支配者であるのは選挙の間だけで、それが終わるとまた彼らは奴隷に戻るのである」と。ただし、日本における2009年衆議院選の「無血革命」によって、日本の立憲政治は変わる可能性がある。)
◎優越を得るための、極度に緊張した闘争と経済生活に対する衝動とは、絶望的な、しかも悲惨極まる「冷酷な社会」を実現するであろう。否、すでに実現したのである。(注:前出の「我々は人間の欲望を利用して支配する」とほぼ同趣旨。ただし、その行く先にあるのが「冷酷な社会」であることを、我々のどれだけが理解しているか。))
○自由主義の社会では、買収と贈賄の汚職が至る所に侵入し、富は「巧妙なる奸策」と「虚偽の駆け引き」によって得られ、徳義(社会道徳)は、ただ「厳罰と酷法」によって維持される。
◎我々の統治の主要任務は、社会的理性を去勢し、反抗を可能ならしめる彼らの思索を奪い、そして一般の知力を空虚なる雄弁の交戦に堕せしめることである。(注:このために利用されるのが公教育とマスコミであることを、今では多くの人が知っているだろう。)
◎異民族諸国民および各個人たちは、あらゆる時代において、「言葉」を「行為」と思ってきた。彼らは単なる外見に満足して、公的世界において「約束が実行されたかどうか」ということには滅多に気がつかなかった。(注:社会生活を営む上での基本の基本が、「相手の言葉ではなく、行為を見よ」であるが、社会の多くの「善人たち」は言葉を行為と区別していない!)
◎世論を掌中に収めるためには、それ(世論そのもの)をして「了解に苦しましめ」ねばならない。すなわち、各方面から互いに矛盾した種々の意見を言わせ、異民族の人民を迷宮に彷徨せしめ、政治的問題に関しては、何等の意見も持たぬ方がましであると断念せしむるべきである。
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