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徽宗皇帝のブログ

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「国家」という存在
「国家」というのは実に奇妙なもので、抽象概念でありながら、我々の生を雁字搦めに縛り付けている実体である。そういう存在への反発からアナーキズム(無政府主義の意味であり、別に暴力的な国家破壊を意味するものではない。陶淵明の「桃源郷」の話などもアナーキズムの一種だろう。)という思想を支持する人間も絶えないわけだが、国家が破壊された後には暴力の支配しか無いのが現実である。私は未見だが「マッドマックス3」とか「北斗の拳」などの世界がそうしたものだろう。
では、その巨大な悪である国家というものを良い方向にどう変えていけるか、というのは私自身が自分のブログの中で常に模索しているものだが、それは丸山健二の言うように「いつか訪れる良き日を蜃気楼として眺める」行為であり、おそらく私が生きている間には実現しない。ひとつふたつの小国家は消滅しても、国家という概念そのものが否定され、個人が自立し、かつ自律して、しかも幸福に生きるという世界はあと数世紀は無理だろうし、あるいは永遠に来ないかもしれないとは思っている。
まあ、国家というシステム自体が悪いのではなく、それを悪用する連中が常に国家を支配する、というのが悪いわけだから、それを縛る新しいシステムを考察していくしかないだろう。


丸山健二 @maruyamakenji 11月9日

とはいえ、幻想であろうとなんであろうと、より良き世界をめざさなくてはならないと考え、戦争や、不平等や、差別や、虐待や、嫉妬心や、傲慢といった悪条件に闘いを挑む者がまったくいないというわけではなく、ために、希望の灯がときおり眼前にちらついて、いつか訪れる良き日を蜃気楼として眺める。


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  • 11月9日

    人間性の劣化は、何も今に始まったことではなく、人間という存在そのものが、ほかの存在と同様、劣化の宿命を背負っており、堕落こそが生きる証しとさえ言えるほどで、それに抵抗する理知の力はあまりにも弱く、ほとんど幻想と思えてしまい、あるいは人間自体にその限界が植え付けられているのかも。


    取り消す
  • 11月9日

    国家というあまりに抽象的に過ぎる概念にくるまれた、そのくせそれ以上はあり得ないほどの実在がのさばり返っている限り、この奇跡の惑星に、いい意味における奇跡は絶対に起きないはずで、さりとて、世界から国家が消滅する気配は微塵もなく、あったとしても、天変地異や大戦がもたらす原因のみだ。


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