第二章 乱
乱という人物の人間性があまり他人に信頼されそうなものではない、という事を書いたが、彼の特徴を一言で言えば、「空想家」あるいは「夢想家」ということに尽きる。もっとも、これは業家の兄弟全員に共通する性格で、この話の中の人物の不可解な行動も、彼らの空想的性格に起因するように思われる。ただし、その空想の傾向はそれぞれに異なり、長男は「文学的空想家」、次男は「哲学的空想家」、三男は「宗教的空想家」とでも分類できるかもしれない。
当時は、人間というものは毎日の生活に没頭して生き、余計な空想などしないのがまともな人間だと思われていたから、業家の兄弟のこの性格はあまり好意的には見られなかった。ひどい場合には、「あの家の人間はみな氣違いだ」と言われることもあったのである。念のために言っておくが、この「氣違い」という言葉は当時の人間が言ったので、それを私は(いわば良心的歴史家として)仕方なく記述しているだけである。
父親の度を越した好色は、確かに常軌を逸した部分があり、大地主でもあった彼が自分の小作人の、まだ14歳の小娘にまで手をつけた時には、町中の非難を浴びたものであるが、それよりも非難を浴びたのは当の小娘であった。男に甘く、女に厳しい封建時代とはいえ、「まだ小娘のくせに、男を垂らしこんだ」という、本人にとっては理不尽な非難であるが、その娘の父親は、そのために毎月のお手当てを貰うことになったから、案外と満足したかもしれない。どうせ、同じような水飲み百姓の嫁にやるなら、「旦那様」の妾になってくれたほうが、金銭的には潤うというものである。また、酔余の酔狂から、かつてこの町に住んでいた、汚らしい白痴の浮浪者の女に手を出して身ごもらせたという噂もあり、彼の淫蕩さ、不埒さには際限が無かった。その息子たちであるから、業家の兄弟には皆、異常な面があることは当然かもしれない。
乱の話から脱線したが、乱の性格が空想的であるというのは、彼が計画していた実業の事業内容からも推測できる。彼は、この甲府盆地にワイン工場を作ろうと計画していたのである。ワインを飲む人間もほとんどいない時代に、ワイン工場を作ろうということだけでも、彼の非常識ぶりはわかる。もちろん、それからだいぶ後になって、山梨が葡萄の生産に適していることが知られるようになったが、ワインを飲む人間もいないのに、ワインを作っても商売にはならなかっただろう。それで、彼の話を聞いた人々は、彼を山師的な人間だと考えた。それだけではなく、彼の話し振りそのものが、現代で言えば躁鬱病的なところがあり、熱狂と憂鬱が交互に訪れ、その別々の時期に会う人間には彼が同じ人間とも思えなかった。だが、概して言えば、狂騒的な期間の方が長かったようだ。
彼は大体においては鷹揚な人間であり、またそのことを誇りとしていた。要するに、気前良く人におごるのが好きだったのである。だから、実家からの仕送りが滞り、知人から借金をしなくてはならなくなったりすると、それに非常な屈辱を感じたようだ。本来なら、母親の残した巨額の財産を自由に使えるはずだのに、それがすべて父親に専有されていることを、彼は理不尽だと感じていたのである。そこで、彼は父親から財産の一部を譲ってもらい、それで父親とは永遠に縁を切るつもりで故郷に帰ってきたのだが、その当てが外れたことは先に述べた通りである。
こうした不満がいつか爆発するだろうということは、誰もが感じていた。だから、濫三郎が何者かに殺された時、ほとんどの人が真っ先に彼の顔を思い浮かべたのである。
乱が帰郷してから1週間後に、今度は次男坊の論が帰ってきた。彼は軽い神経衰弱を患って、その療養のために温泉に行こうと思っていたのだが、その前に久しぶりに実家に顔を出し、はからずもここに業家の三人兄弟のすべてがほぼ十年ぶりに揃ったのであった。
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