第四章 誰が濫三郎を殺したか
乱が温泉街に伴った女は、名を黒卯紫苑と言い、下の名は「しおん」ではなく「しえん」と読む。この女が、例の14歳で濫三郎の情婦になった女で、この事件の時には20歳だったがまだ見かけはまったくの小娘だった。もっとも、濫三郎のような人間の妾を6年もやっていれば相応に鍛えられてあばずれにはなっていただろうが。
この女は、2年前から軽魔町の遊楽街で飲み屋をやっており、そこには町の名士たちも結構集まっていた。中には、華族様までもいたらしく、彼女はいわばこの小さな町のサロンの「椿姫」的存在だったようだ。その客たちからの収入もあって今では濫三郎だけに頼ってもいなかったが、金貸しなどもしていて、結構強欲な女だという評判もあった。
父親の妾である女をなぜ乱が温泉街に連れていったのかというと、簡単な話、乱は父親を攻略する手がかりを求めてこの女の飲み屋に行き、一目ぼれしてしまったようなのである。確かに、美しい女だし、一見はかなげな容姿だから、男なら誰でも心を惹かれるだろうが、所詮は水商売の女である。手練手管にかけては、世間知らずの大学生がかなう相手ではない。その女が、どういうわけか、300円、今で言えば300万円くらいの金が緊急に必要だとか何だとか言って、乱をそそのかし、父親との再交渉に赴かせたというわけである。女とすれば、駄目でもともと、男から幾らか金を絞ることができればいいくらいの気持ちで吹っかけてみただけだろう。
恋に落ちた男は仕方の無いもので、その足で乱は父親の所に行き、どうやら口論の果てに父親を殴り殺して金を奪ったらしいというのが、当時の世間の評判であった。
当の乱自体、父親に手をかけたことは認めていた。つまり、父親を殴って気絶させたのは事実らしい。ということは、彼が殺したことはほぼ確実であり、この事件の興味は、後はこの珍しい尊属殺人に対して裁判でどのような判決が出るかに移った。何しろ、尊属殺人の量刑が通常の殺人よりはるかに重かった時代の話であるから、悪ければ死刑、うまく行っても無期懲役か長期の徒刑は免れないだろうというのが大方の予測である。
当日、濫三郎は珍しく一人で家にいた。彼の呑み仲間がこの日に限ってその場にいなかったのには何かの理由があったのだろうが、例の語り手はそれを知らないと言っている。とにかく、濫三郎は一人で家にいて、論と憐は外出していた。だから、この屋敷には主人の濫三郎と使用人たち以外にはいなかったのである。そして、使用人たちは表座敷の方には滅多に顔を出さないから、殺人者にとっては(偶然の機会ではあるが)絶好の機会だったわけである。
午後2時ごろ、乱が屋敷に現れ、濫三郎との会談を求めた。濫三郎はしぶしぶ承知して、応接間で彼と面談した。
その20分後くらいに、興奮した顔で応接間から出てきた乱は、そこで顔を合わせた下男にぎょっと驚いたような顔をしたが、そのまま何も言わず、屋敷を出て行ったそうである。
その下男は不審に思ったが、それ以上は気に留めず、他の用事をし、やがて夕食の支度ができて主人を呼びにいった時に主人の他殺死体を発見したわけである。
乱が温泉街に伴った女は、名を黒卯紫苑と言い、下の名は「しおん」ではなく「しえん」と読む。この女が、例の14歳で濫三郎の情婦になった女で、この事件の時には20歳だったがまだ見かけはまったくの小娘だった。もっとも、濫三郎のような人間の妾を6年もやっていれば相応に鍛えられてあばずれにはなっていただろうが。
この女は、2年前から軽魔町の遊楽街で飲み屋をやっており、そこには町の名士たちも結構集まっていた。中には、華族様までもいたらしく、彼女はいわばこの小さな町のサロンの「椿姫」的存在だったようだ。その客たちからの収入もあって今では濫三郎だけに頼ってもいなかったが、金貸しなどもしていて、結構強欲な女だという評判もあった。
父親の妾である女をなぜ乱が温泉街に連れていったのかというと、簡単な話、乱は父親を攻略する手がかりを求めてこの女の飲み屋に行き、一目ぼれしてしまったようなのである。確かに、美しい女だし、一見はかなげな容姿だから、男なら誰でも心を惹かれるだろうが、所詮は水商売の女である。手練手管にかけては、世間知らずの大学生がかなう相手ではない。その女が、どういうわけか、300円、今で言えば300万円くらいの金が緊急に必要だとか何だとか言って、乱をそそのかし、父親との再交渉に赴かせたというわけである。女とすれば、駄目でもともと、男から幾らか金を絞ることができればいいくらいの気持ちで吹っかけてみただけだろう。
恋に落ちた男は仕方の無いもので、その足で乱は父親の所に行き、どうやら口論の果てに父親を殴り殺して金を奪ったらしいというのが、当時の世間の評判であった。
当の乱自体、父親に手をかけたことは認めていた。つまり、父親を殴って気絶させたのは事実らしい。ということは、彼が殺したことはほぼ確実であり、この事件の興味は、後はこの珍しい尊属殺人に対して裁判でどのような判決が出るかに移った。何しろ、尊属殺人の量刑が通常の殺人よりはるかに重かった時代の話であるから、悪ければ死刑、うまく行っても無期懲役か長期の徒刑は免れないだろうというのが大方の予測である。
当日、濫三郎は珍しく一人で家にいた。彼の呑み仲間がこの日に限ってその場にいなかったのには何かの理由があったのだろうが、例の語り手はそれを知らないと言っている。とにかく、濫三郎は一人で家にいて、論と憐は外出していた。だから、この屋敷には主人の濫三郎と使用人たち以外にはいなかったのである。そして、使用人たちは表座敷の方には滅多に顔を出さないから、殺人者にとっては(偶然の機会ではあるが)絶好の機会だったわけである。
午後2時ごろ、乱が屋敷に現れ、濫三郎との会談を求めた。濫三郎はしぶしぶ承知して、応接間で彼と面談した。
その20分後くらいに、興奮した顔で応接間から出てきた乱は、そこで顔を合わせた下男にぎょっと驚いたような顔をしたが、そのまま何も言わず、屋敷を出て行ったそうである。
その下男は不審に思ったが、それ以上は気に留めず、他の用事をし、やがて夕食の支度ができて主人を呼びにいった時に主人の他殺死体を発見したわけである。
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