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徽宗皇帝のブログ

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次回シリーズ「革命者キリスト」の予告
「業家の兄弟」はいかがだったでしょうか。ドストエフスキーの「ド」の匂いくらいは感じていただければ幸いです。
ただし、キリスト教に関しての考えは、ドストエフスキーを読んだ高校生の頃と現在の私は異なる部分があるので、次回からしばらくキリスト教についての私の考えをシリーズでアップします。
私自身は宗教には有益な部分と有害な部分があると思っています。古い宗教については、創始者の教えが年月が経つうちに変形され、権力に取り込まれていくのが宿命であり、新興宗教はその大半が教団自体の利益獲得手段になっているというのがその最大の害悪です。
有益な部分は、もちろん、人々に生きる希望を与えることが多いという点です。人は何かの希望無しで生きられるものではないので、宗教が仮に幻想であっても、それは有益な幻想でしょう。そういう意味では、文学の有益性と同じだと言えます。
ただし、文学は自らが虚構であると謙虚に認めているのに対し、宗教は自らの虚構性を認めることは絶対にしません。それは宗教の土台を破壊することですから。そしてその欺瞞から、宗教のあらゆる害悪も生じてくるのです。
では、「革命者キリスト」をお読みください。

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