昔の漫画、「矢車剣之助」の作者だったと思うが、週刊誌(月刊誌?)漫画の描き方(作り方)をこういう風に言っている。「その回の終わりに、主人公を、考えられる最高の窮地に追い込んで、そこでペンを投げ捨てて飲みに出る」というものだ。つまり、主人公をどうして窮地から救うか、まったく先を考えずに、飲みに出る(笑)のである。その後の成り行きは、次回の締切が近づいたら考えればいい、ということだろう。
私はこの話が大好きで、作者自身が自分の「無意識の力」をうまく利用しているなあ、と思う。
などと、産業にも経済にも縁のない話をしているのは、前回の末尾が、この方式だったからである。
さて、「コンピュータ革命」で中間層(中流階級)がいなくなり、富裕層と貧困層に2極分化した世界で、どんな「金儲け」が可能か、というのが前回提起した問題だった。まあ、「金儲け」というより、この世界の経済構造や産業構造をどういう方向に進めるのが一番賢いか、という問題としてもいい。
もちろん、これまで何度も書いてきたとおり、貧困層にカネを回すのがベストの解決策だろうし、それは必然的にある種の社会主義的政策になるだろうが、ここではそれは論じない。
「これからの産業と経済」の一つの切り口は、社会がどんなに発展しても、個々人は乳児から幼児、子供、少年少女、青年、中年、老人という人生サイクルをたどるしかない、ということだろう。つまり、世界がどのように変わっても、それぞれの年代や性別に必要な品は常に必要だ、ということである。簡単に言えば、乳母車もおしゃぶりもおむつも、形態や素材は変わってもこの先も存在するだろう、ということである。老人に必要な品も同じ。これについては、後で考えてみたい。
その前に、「貧困層を相手に商売をする」ことから考えてみよう。まず、「低価格」であることは絶対条件だ。そして「品質が悪い」こともある意味、必要条件だろう。品質が良いと長持ちして「次のもの」を買ってくれない。だが、買う側は、少しでも安くて品質の良いものを探し選ぶ。であれば、企業は「安くて品質の良いもの」を作れば、少なくとも当面の競争には勝てるわけだ。だが、こんなのは子供でも分かる話だ。品質が悪くても買う例もある。安物のビニール傘の類である。これは、突然の雨降りという「窮地」から逃れる「緊急避難」の事例である。だが、こういうのは特例だろう。
安くても大量に売れれば商売としては成功である。つまり、誰もが本当は必要としていながら、なぜか誰も商品化していない品を発見できれば、商売になる。ユニクロなどが成功した最初は、そういうものだったのではないか。つまり、余計な飾りや模様のない、男でも女でも着られるユニセックスの服で、値段も安い、ということで、これは「誰もが求めていながら、それまでは存在しなかったもの」だったと思う。存在しなかったが大げさなら、マーケットには無かった品、でもいい。で、ここでの盲点は、「飾りや模様は服には絶対に必要」という作り手や売り手側の「思い込み」である。ちゃらちゃらした飾りや模様などついていないシンプルな服がいい、と思っている人間は、業界の人間が想像するより膨大にいたのである。この事実は衣類業界以外にも応用できるのではないか。特に、衰退産業では、この種の「思い込み」が根深くありそうだ。何度も落とし穴に落ちながら、また同じことをやる阿呆ばかりである。映画界とかね。
だが、私は、「日本全体としての産業と経済」を論じるはずであった。書いたものを消すのも癪だから、そのままにしておくが、次回は「日本の産業と経済」を身を入れて論じたい。
私はこの話が大好きで、作者自身が自分の「無意識の力」をうまく利用しているなあ、と思う。
などと、産業にも経済にも縁のない話をしているのは、前回の末尾が、この方式だったからである。
さて、「コンピュータ革命」で中間層(中流階級)がいなくなり、富裕層と貧困層に2極分化した世界で、どんな「金儲け」が可能か、というのが前回提起した問題だった。まあ、「金儲け」というより、この世界の経済構造や産業構造をどういう方向に進めるのが一番賢いか、という問題としてもいい。
もちろん、これまで何度も書いてきたとおり、貧困層にカネを回すのがベストの解決策だろうし、それは必然的にある種の社会主義的政策になるだろうが、ここではそれは論じない。
「これからの産業と経済」の一つの切り口は、社会がどんなに発展しても、個々人は乳児から幼児、子供、少年少女、青年、中年、老人という人生サイクルをたどるしかない、ということだろう。つまり、世界がどのように変わっても、それぞれの年代や性別に必要な品は常に必要だ、ということである。簡単に言えば、乳母車もおしゃぶりもおむつも、形態や素材は変わってもこの先も存在するだろう、ということである。老人に必要な品も同じ。これについては、後で考えてみたい。
その前に、「貧困層を相手に商売をする」ことから考えてみよう。まず、「低価格」であることは絶対条件だ。そして「品質が悪い」こともある意味、必要条件だろう。品質が良いと長持ちして「次のもの」を買ってくれない。だが、買う側は、少しでも安くて品質の良いものを探し選ぶ。であれば、企業は「安くて品質の良いもの」を作れば、少なくとも当面の競争には勝てるわけだ。だが、こんなのは子供でも分かる話だ。品質が悪くても買う例もある。安物のビニール傘の類である。これは、突然の雨降りという「窮地」から逃れる「緊急避難」の事例である。だが、こういうのは特例だろう。
安くても大量に売れれば商売としては成功である。つまり、誰もが本当は必要としていながら、なぜか誰も商品化していない品を発見できれば、商売になる。ユニクロなどが成功した最初は、そういうものだったのではないか。つまり、余計な飾りや模様のない、男でも女でも着られるユニセックスの服で、値段も安い、ということで、これは「誰もが求めていながら、それまでは存在しなかったもの」だったと思う。存在しなかったが大げさなら、マーケットには無かった品、でもいい。で、ここでの盲点は、「飾りや模様は服には絶対に必要」という作り手や売り手側の「思い込み」である。ちゃらちゃらした飾りや模様などついていないシンプルな服がいい、と思っている人間は、業界の人間が想像するより膨大にいたのである。この事実は衣類業界以外にも応用できるのではないか。特に、衰退産業では、この種の「思い込み」が根深くありそうだ。何度も落とし穴に落ちながら、また同じことをやる阿呆ばかりである。映画界とかね。
だが、私は、「日本全体としての産業と経済」を論じるはずであった。書いたものを消すのも癪だから、そのままにしておくが、次回は「日本の産業と経済」を身を入れて論じたい。
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