幸徳秋水の「社会主義神髄」から抜粋して、一部だけ現代語訳しておく。色字部分が幸徳秋水の文章に基づく部分である。
この社会主義解釈がベストのものとは限らないが、社会主義そのものを誤解あるいはわざと曲解した文章を書く筆者が世間には多いので、社会主義理解の一助にはなるだろう。
まず、社会主義の要件を彼は次の4点とする。これはイリー教授という人物の説のようだが、私はイリーという名は知らない。また、この要件が社会主義一般に該当するかどうかも私は知らない。言うまでもなく、ソ連や中国、北朝鮮など、社会主義を標榜する(した)現実の国家では、これらの要件はほとんど実現していない。(キューバだけがややこれに近いか。)
要件1)物質的生産機関、すなわち土地資本の公有
要件2)生産の公共的経営
要件3)社会的収入の(公正な)分配
要件4)社会の収入の大半を個人の私有にすること
そして、社会主義に投げかけられる非難について、幸徳秋水は次のように弁駁する。理解のために、訳文は行分けを多くし、括弧して補足をしている。
もし世界のすべての国に地主資本家の階級が無く、貿易市場の競争が無く、財富の生産が豊かで、その分配が公平で、人々がその生を楽しむようになれば、誰のために軍備を拡張し、誰のために戦争を為す必要があろうか。これらの悲惨な災厄罪過は(社会改革の)為に一掃されて四海兄弟の理想はここにおいて初めて実現することができるのである。社会主義は一面においては民主主義であるとともに、他面においては偉大な世界平和の主義を意味する。
故に、私はここに再言する。
社会主義をもって競争を廃止するものとしてはならない。社会主義は衣食の競争を廃止する。これは、さらに高尚な智徳の競争を開始させるためにすぎない。
(社会主義をもって)勤勉活動を阻害すると言ってはならない。社会主義が除去しようとするものは勤勉活動ではなく人生の苦悩悲惨だけである。
(社会主義をもって)個人を没却すると言ってはならない。社会主義はかえって万人のために経済の桎梏を脱却して、十分にその個性を発展させようと望むものではないか。
(社会主義をもって)奴隷制度であると言ってはならない。社会主義の国家は階級的国家ではなく、平等の社会である。専制国家ではなく博愛の社会である。人民全体の協同の組織を為して、地方から国家に及び、四海平和の恵福を享受しようとするものではないか。
(社会主義が)実際にこのようなものであるならば、誰がまた、社会主義的制度の下にあって人間品性の向上、道徳の興隆、学芸の発達、社会の進歩が今日より幾層倍になることを疑うことがあろうか。
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