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徽宗皇帝のブログ

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「同一労働・同一賃金」の罠
「逝きし世の面影」記事だが、「同一労働・同一賃金」の罠を指摘した文章としては私には初めてのものだ。私自身「同一労働・同一賃金」は公正さや公平さを担保する概念だと錯覚していたのである。だが、これは皮相的な見方であり、仕事における熟練や質を無視した(そして結局は熟練労働者を初心者と同一賃金のレベルに一生縛り付ける)悪魔の罠だったようだ。
たとえば、黒澤明と河瀨直美を「監督という仕事は同一だし、カンヌ映画祭で何かの賞を獲ったという点では同一だから、同じ評価(報酬)でいい」と言ったらキチガイだろう。あるいはアマチュア映画監督を比較の対象にしてもいい。「同一労働・同一賃金」には、「仕事の質」という、芸術では一番大事な要素が捨象されているのである。
芸術には限らない。ベテラン技術者の給与が新人と同じであり続けたら(今の日本はそうなりつつあるが)、不正義そのものだろう。他の会社に移ればいい、と言っても、すべての会社が同じく「同一労働・同一賃金」なら逃げ場は無い。「出口なし」である。
つまり、労働者の立場から見たら「年功序列(キャリアによる賃金上昇)」は正解だったのである。

(以下引用)「同一労働・同一賃金」を「資本主義的カースト制」と言っているのが分かりにくいが、おそらく「資本家」と「労働者」のカーストだろう。(最後を読むと、職業や職種自体にカーストがあり、そのカーストで給与は決まっているということのようだ。まあ、インド的なカースト制であり、イギリスも実は本質はそうであるらしい。貴族が体面を保てる「やっていい」仕事と、そうでない仕事は峻別されていたようだが、今はどうだろうか。)


日本は世界基準の「同一労働・同一賃金」の資本主義的カースト制(悪魔の碾き臼「新自由主義」)とは正反対の「年功序列賃金・終身雇用」の独自の「絆社会」の疑似共同体(★注、社会主義ならぬ「会社主義」)を採用して繁栄していたが今は見る影もない。
2020年01月27日 | 経済 
輪転機をグルグル回し給与を2倍にする


年功序列賃金』(職能給)と終身雇用とは二つでセット。『一つのコインの裏表』の関係なので、決して別々には切り離せないのである。
いわゆる『同一労働、同一賃金』(職務給。あるいは成果主義の賃金体系)とは強者必勝、弱者必敗の悪魔の碾き臼「新自由主義」の一番大成功したスローガン(危険な罠)だった。
記述式試験では受験生よりも採点者の能力が問われるように、成果主義では余計に管理能力が問われる。(手間や経費がかかる)
このため職能給の日本以外の外国(職務給)では20年間も働いている超ベテランの中年熟練工も今日から仕事を始めた素人の若者も「同一労働」なら同一賃金。職業(職種)と収入(貧富)が一体構造。職業に貴賤がある厳しいの階級社会だった、程度は誰でも気が付くが何故か左翼リベラル知識人は180度逆に絶対に分からない不思議な構造になっていた。

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