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徽宗皇帝のブログ

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「地球収奪社会」から「情報価値社会」へ
コロナ後の日本経済や、ひいては世界経済を考える、という自分で勝手に決めた「宿題」の手がかりのひとつとして、井口和基博士の記事の一部を載せておく。
「物を作る」こと自体が「自然破壊」「地球環境悪化」である、という視点は大事かな、と思う。
そして、「情報」の価値が高まる、ということにも異論は無いが、それは「ゴミ情報」を膨大に垂れ流すだけの現在の情報社会を肯定するわけではなく、「見えないものの価値」や、「これまでカネを払わなかったものの価値」が今後は重視されるのではないか、と思う。たとえば、「哲学」の価値、「古典の価値」などである。資本主義社会では「消費が美徳」だったが、これからは「消費(浪費)は悪」となることは確かだと思う。そこで出てくる哲学は、「我ただ足るを知る」「少欲知足」という古来の知恵ではないかな、というのが今のところの考えだ。

(以下引用)

まあ、大本教の経済学者の藤原直哉さんではないが、今回の武漢風邪のおかげで、お金の配分の方法をこれまでのビジネスモデル、つまり
本質的に何も新しいものは生み出さないが、自然破壊してものを作ってそれを売った量に比例して金が儲かる
というシステムから、もっと情報にシフトした形を構築する必要があるだろう。
つまり、自然を破壊せず、この世界の本来のあり方や理解を深めることに寄与する私のような人間の価値を経済に反映できる
というような新しいシステムを構築していかないといけないということである。
芸術、スポーツ、科学、こういうアカデミックな分野は、普通の経済で考えると、いまのようになってしまう。
つまり、視聴者の人気に比例して、金が支払われるビジネスモデルになる。
そうなれば、人気者塗装ではない人の差が激しくなる。
しかし、どんなスポーツでも一人では出来ないし、成り立たない。
今回の武漢風邪でわかったことは、野球もサッカーもバスケもゴルフも相撲も何もなかったとしても、まったく影響がなかったということであろう。
要するに、こういうスポーツは無くても何も問題なかったのである。
やはり、スポーツは個人個人の健康増進のためのものであるべきで、スポーツビジネスのためにある必要はないのである。
クリスチャンロナウドやメッシを見なくても、何も問題はなかった。
そういうビジネスと取り仕切るディーラーのユダヤ人が儲かっていただけのことだ。



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