「大摩邇」所載の「本山よろづ屋本舗」というブログ記事からの抜粋で、森永卓郎と深田萌絵の対談部分である。非常に面白いが、また「大学受験」と「学歴」への誤解についての啓蒙的意義も大きいので、「政治経済ブログ」としているこちらに載せる。
深田萌絵が言っている「入社試験の実態」など、学校の先生はほとんど知らないだろうし、知っていても絶対に言わない「秘密」だろう。記事中の徽宗が赤字にして強調した部分参照。ちなみに、「天才バカボン」のパパは「バカ田大学」出身だったと思う。だから私は早稲田大学も似たようなものだろう、と大学受験の時も思っていたww
(以下引用)
特権階級を目指し医学部を受験したが……
森永 それで「医者だ!」と思ったんです。よく若い人で「資格さえ取ったら、その資格で一生安泰、食えるぞ」と思い込んでる人がいっぱいいるんですけれど、そんな資格はたった一つしかありません。唯一資格だけで飯が食えるのは、医者だけです。
深田 医者だけ……。
森永 もう医者は絶対的な存在なんです。医療行為は医者にしかできない。
深田 確かに、そうですね。
森永 医師優遇税制で、税金の面でも、ものすごく優遇されているわけ。
深田 えっー! 税金まで安いんですか、お医者さんは……。
森永 そうです。例えば、小規模の診療所は、実際に支出した「実額経費」と一定の方法により計算した「概算経費」のうち、多いほうの金額を経費とすることが認められています。
深田 知らなかったです。
森永 税金も安いし、普通のサラリーマンは上司に反発して喧嘩すると会社を辞めて職探しをしなければいけません。しかし、お医者さんの資格を持っていれば、地方でもよければ、いくらでも仕事があるわけ。
深田 そうですよね。確かに。
森永 自分で開業するのも簡単だし、銀行もお医者さん相手だったら、簡単に貸してくれる。合コンでも……。
深田 合コンで、お医者さんはすごくモテるんですよね。
森永 そうなんです。医者が参加する合コンは、女性のほうが高い会費を払うんですよ。
深田 えーっ! 知らなかった!!
森永 普通の合コンは逆なんです。女性は安いけれど、男性はいっぱい払う。真逆なんです。多くの女性が医者と結婚したがる。女性がいっぱい集まって、医者の人数には限りがあるからだと思うんですが。
だから医者になったら一生安泰だぞと、私は、よこしまな心を持つようになったんです。
深田 今、全く、違うお仕事をされてますけれど。
森永 この夢は、実は、天誅を下されるんです。私は大学受験で、早稲田大学の理工学部と慶應義塾大学の経済学部と、それから東京大学理科二類、東京医科歯科大学と防衛医科大学校、この5つを受けたんです。もう担任の教師が、「おまえは何を考えているんだ。何の整合性も取れてない。こんなばかげた進学希望を出してきたのは、おまえが初めてだ」と、怒っていたんです。
実は、いろいろな事情があったんです。私は、生まれたのが東京都文京区の東大の農学部の前の家で、そこが母の実家だったんです。父親が東大で学んでいて、母の下宿屋に下宿したときに、そこの娘とできちゃったっていう--もう、とっても恥ずかしい経歴の下で生まれて。
深田 いいじゃないですか。ラブストーリー。
森永 いえいえ。だから、母親は自分の家の目の前が東大だし、夫も東大だから、東大への思い入れというのが、普通の人よりも半端じゃなく強かったんですね。で、もう、「東大を受けろ」と聞かないわけですよ。
ところが、私は医者になろうと思っていた。その解決策として、取りあえず東大に合格さえすれば母親は納得するだろうと考えたんです。それで、その裏で、「東京医科歯科大学へ行くぞ」と計画し、一応、滑り止めで防衛医大も受けておこうとしたんです。
代々木ゼミナールの模試では、防衛医大の合格確率は100パーセントでした。100パーセントって、なかなか出ないんですよ。でもその100パーセントの防衛医大に私は落ちたんです。しかも、1次試験で落ちました。
深田 何があったんですか?
森永 分からないです。東京医科歯科大学も一発で落ちました。
深田 合格したのはどこだったんですか?
森永 早稲田大学の理工学部と慶應義塾大学の経済学部と東大の理科二類は合格しました。
深田 普通じゃあり得ないです!
森永 多分ですね。私は神様を信じてないんですけれど、こんなヤツを医者にしてはいけないという神のおぼしめしがあったのでは……と思ってしまいます。
深田 ああ、神様ねえ、おぼしめしはありますよね。
森永 実は、東大に入ってからも、医者になるという夢を捨てきれないで、一年生が終わったところで短期退学をして、千葉大学医学部を受けました。
深田 まだ未練があったんですか。
森永 そうです。
深田 東大のほうがいいですよ。
森永 もう未練たらしいヤツなんですよ。
深田 まあ、医者はモテますもんね。
森永 しかし、そこまでして受けた千葉大学医学部も落ちました。3連敗です。だから、やっぱり、こいつは医者にしてはいけないっていうことだったんだと思います。
深田 まあ、でも、東大生も合コンで十分モテますよね。
森永 全然、モテなかったですね。
・・・<抜粋終了>・・・
・・・<『身分社会』、p95~p98から抜粋開始>・・・
森永卓郎のマークシート必勝法
森永 私は、幸か不幸か現役で東大に入れたんですけれども、大学に入ってびっくりしたのは、みんな高校時代に1日10時間以上勉強している人ばかりだったことです。彼らは学歴と身分社会の構造がわかってたから、必死に勉強をしてきたと思うんです。
深田 東大生は全員そうなんじゃないですか。
森永 私は、本当に申し訳ないんですけど、ピークのときでも1日、2、3時間しか勉強してないんですね。
深田 え! それだけで東大に行けるんですか?
森永 私は、すごく要領が良かったんです。なぜ私が東大に入れたのかというと、私は実は、答えが全く分からない問題でも、マークシートだと7、8割の正答をすることができたんですよ。
深田 マークシートだと正答率を高くする方法があったんですか?
森永 どういうことかと説明しますと、例えば、受験問題を出題する人は、問題をつくっているのですから、当然正解が何番かは、分かっているわけですね。
深田 そうですよね。
森永 そこで、こちらとしては、じゃあ、「間違いの選択肢をどうつくるんだろう?」と考えるわけです。例えば、図1は、十二支の絵なんですけれど、正解が「子(ね・ネズミ)」だったとするじゃないですか。私は並びと呼んでいるんですけれど、ネズミの隣に「丑(うし)」とか「亥(い・イノシシ)」という間違いの選択肢を出題者はつくりがちなんです。同時に「子(ね)」と向かい合う位置にいる「午(うま)」を間違いの選択肢に採用することもあります。そこで、選択肢のなかに、ウマとイノシシとウシが並んでたら、この間違いの選択肢をどこから発想したのか」とを考えていくと、「あっ、これが源流だ」というのが分かってくるわけです。
深田 そんな解き方アリですか?
森永 この方法をやり始めた頃は、パズルのように一生懸命に考えていたんです。ところが車の運転をしたり、スマホをいじったりするのと同じで、慣れてくると、いちいち深く考えなくても、自然に正解が見分けられるようになるんです。問題をザアッと眺めただけで、「あっ、これとこれとこれが正解ね」と、すぐに分かる。
深田 そうですか? そんなことできますか。
森永 当時、他の人はそれに気がつかなかったんですね。けれども、私は、この手のことを考えるのが得意中の得意だったんです。実は、私は7科目受験で、世界史と日本史を選択しましたが、直前の代々木ゼミナールの模試で、日本史の偏差値が28、世界史が33でした。
深田 森永先生の成績が、私と大差なかったなんて信じられない!
森永 受験の直前ですよ。結局、試験の前日に日本史と世界史を諦めて、政治経済と地理に受験科目を切り変えて、参考書を数時間読んだだけで東大の1次試験を受けました。その結果、地理は自己採点ですけれど、全問正解でした。
深田 えーっ! すごい。
森永 今でも通用するかどうかわからないですけれど、視点を変えれば、東大入試は、そんなに難しくないんですよ。だから、私は大学に入って凡人だったんですけれど、10時間勉強してきた人も、要領よくできないのだから、凡人なんです。
深田 それなら私たちは、もっと凡人です(笑)。
・・・<抜粋終了>・・・
・・・<『身分社会』、p77~p79から抜粋開始>・・・
あだ名は「宇宙人」へ
深田 私は、森永先生みたいに勉強ができる子でもなくて、高校一年の期末試験で赤点を取りまくったあるときに転機が訪れるんです。三者面談で成績の悪さを先生に指摘されて、帰り道に母から「どうして勉強ができないの? 私はずーっと成績が良かったから理解できないわ」と言われました。私が「先生の話を聞いても分からない」と母に言うと、「先生の話なんか開いても分かるわけないじゃない。テストの答えは全て教科書に書いてあるのよ」と言われて、「ええ! 学校で配っているあの本を読んでいる人がいるんだ!」と驚いたんです。
森永 私ですら高校の教科書は、ざっと読んでいましたよ。
深田 みんなが読んでいるということすら、気付いていなかったんです(笑)。そこで、母の言うとおり教科書を一夜漬けで覚えたら、数学以外は成績が跳ね上がったんです。数学は計算ができないので、教科書と問題集の問題の答えを全部丸暗記しました。答えを覚えておけば、配点が20点の文章題が必ず二間出てくるので最低40点、うまくいくと60点とか取れていました。
みんなに「数学のテスト、めちゃくちゃ早いよね! どれだけ計算が早いの?」と聞かれましたが、「全てを暗記しているから早く書かないと忘れるだけだ」とは言えませんでした。
森永 私が子どもたちに「絶対にやってはいけない」と言い続けている勉強法ですけれど、それが効果を持ったということですね。
深田 そうなんです。点数が上がってくると、一目置かれてマウント女子は嫌がらせしなくなってくるんですよ。私自身は、何も変わってないんですけどね(笑)。
カーストって、やっぱり「ルックス」「運動能力」「頭の良さ」で決まるので、一つでも足元を固めるのは上位カーストからのマウント防衛策としてありなのかもしれません。
森永 それは男子でも同じですね。
深田 おかげで、あだ名は「変子」から「宇宙人」に変わりました。
森永 あはは。
深田 変人だといじめられますが、宇宙人になると、もう誰も近づいてこなくていいんです。
森永 あはは。
深田 ところが、私は根がお調子者なので、「一夜漬けでクラストップ、運次第では学年トップが取れるなら、もう授業中に勉強するのはやめよう!」と決めて、授業中はますます読書に耽(ふけ)りました。
森永 そして早稲田大学に行くんですか?
深田 いえ、美術系のFラン短大に行きました。母が高三の夏に突然「高卒はダメ」と言うので、実力試験の結果を確認しました。出題範囲が限定されている学校の期末試験と違って、実力試験は範囲が広いので一夜漬けでは対応できませんでした。物理、生物、英語などは偏差値60台でしたが、それ以外は全然ダメでした。ただし、高三の夏から受験勉強の準備も面倒だなと思ったので、親友が行きたがっていた美術短大を受けたんです。同じ学校から7人受けて、画塾に通っていた子たちは全員落ちて、画塾に行ったこともない私だけが合格して恨まれました(笑)。
森永 そうなんですね。
・・・<抜粋終了>・・・
・・・<『身分社会』、p90~p94から抜粋開始>・・・
就活の扱いは、学歴により、まるで違う
森永 身分社会を語るうえで、非常に重要というか、大きな鍵を握っているのが、私は、日本でも学歴だと思っています。
深田 そうですよね。
森永 深田さんは美術短大を卒業したあとの就職は大変だったと先ほどお伺いしました。
深田 大変どころか、ちゃんとした就職をする「チャンスがない」んですよ。私は家の都合もあり、就職が遅れたのですが、普通に面接に行っても、「あっ、君の短大の子は採用しないことにしているんだよね。ごめんね」と言われて、「えっ、なんでですか?」と聞いたら、「君の短大出身の子はさ、頭がイタイ子ばっかりだから」と言われるんです。
森永 頭が痛い?
深田 「頭がイタイ」とは関西で、「頭が悪い以上に酷い」って意味なんですよ。短大の評判が悪すぎて就職がなかなか見つかりませんでした。
森永 最初に入った会社に絶望なさったとか。
深田 はい。先ほどお話しをしましたが、1カ月ほど就職が遅れて、連休明けぐらいにやっと東大阪の印刷会社に仕事が決まったんです、手取り12万5000円ぐらいの、ちゃんとしてない会社。社会保険とかそういうのがちゃんとついていないような、そういう中小企業--零細企業で、非正規の経理補助として最初は入りました。
森永 でも、普通はそこで就職すると、その後ずっーと、言い方は悪いですけれど、低賃金労働力として、一生を過ごす人のほうが多いんじゃないですか。
深田 そうなんですよ。しかも、会社に入ったときはもう、失敗ばかり。伝票を1枚書くのに、3枚も4枚も書き直ししないといけないとか、ミスばっかりして、お局様に叱られて、いびられていました。それで、「こんなに威張っているんだったらよっぽど稼いでるのかな」と思って、ある日、腹いせにお局様--30歳の独身女性の給料伝票をちらっと見たんですよ。そのときの衝撃!
「えっ! 30歳になって、手取り20万円もないの!」と驚いたんですよ。ということは、「いま20歳だから、十年働いても20万円になる日が来ないなら、一生貧乏なんだということに気がつきました。それがきっかけで、そのときから、「キャリアアップとか何か資格を取らなきゃいけないのかな」ということを考え始めたんです。
森永 そのあと、早稲田大学に行かれるんですよね。
深田 そうなんですよ。そんなとき、先生の著書『年収300万円時代を生き抜く経済学 給料半減が現実化する社会で「豊かな」ライフスタイルを確立する!』(光文社・2003年2月25日発売)という本を読んだんです。そして、非正規雇用の格差をもっと世に知らしめたいと考えてジャーナリストになろうと考えて、25歳でたまたま東京へ旅行に行ったときに、いろいろな出版社とか、あとメディア関係を回りました。そのときに「ジャーナリストというのはね、君、早稲田大学政治経済学部を卒業した頭が良い人がやる仕事で、君みたいな女はキャバクラでバイトでもしとけよ」と言われました。
森永 あはは。ひどい差別ですね。
深田 そう。すごいでしょ! でもそのときに私は、「ああっ!」と閃いたんですよ。
小学校のときに、「人間は学歴じゃない」というリベラル教育を受けていたんで、「学歴なんてどうでもいいんだ」と思って生きてきたんです。でも、その彼の一言、ひどい面接の人の一言で、「あっ、学歴がないと駄目なんだ」と分かった。それで、「ジャーナリストになるために、早稲田の政治経済学部を受けよう!」と考えたんですよ。
森永 でも、早稲田の政経って偏差値70とかで、大変な難関ではないですか?
深田 ところが、少し易しい試験で、AO入試っていうのがあるんですよ。
森永 一芸入試みたいな。
深田 一芸入試に近いですよね。国語と英語の論文試験があるんです。英語の論文を読んで、ちょっと日本語で返す。日本語の論文を読んで、日本語で論文で返すという、そういった論文形式なので、英語が読めて日本語が書ければ勝てる入試だったんですよ。
森永 ほおう。
深田 それで私、「あっ、これはチャンスがある」と思ったので、すぐに仕事を辞めて、2カ月かけて、英語と国語の勉強をして、受験したら受かったんですよ。
森永 その2カ月の間って、どのぐらい、1日に勉強しましたか?
深田 1日に11、12時間勉強しました。そうすると月間300時間ぐらいは勉強できるんですよね。詰め込むじゃないですか。「詰め込むと予習と復習の時間がいらないので、ひたすら前に進むだけで全部覚えていける」という効率のいい勉強の仕方ができたんですよ。
森永 やっぱりそこで本気出したっていうのが大きかったわけですね。
深田 大きかったです。
森永 早稲田を卒業して、就職面での環境って変わりました?
深田 もう全然違うんですよ。今まで、就職の願書を20歳のときは100通出して1通か2通返ってくる感じだったのが、早稲田を出ると、ほぼ全て面接まで行けるんです。
森永 そうですよねえ。
深田 しかも、就職説明会も違うんです。第1会場には様々な大学から来た学生さんたちがいるんです。そこで話を聞いたあと、「第2次会場へどうぞ」と言われて、番号を呼ばれて行くんです。そっちの部屋に行くと、豪華な立食パーティーみたいな部屋に通されて、そこには東大、京大、早慶、一橋の学生ぐらいしか残ってないんです。MARCH(管理人注)すら残してもらえていませんでした。
森永 ははあ。
深田 そのときに、「ああ! 学歴があるかないかでこんな違うんだ」と初めて理解したんですよ。Fランの短大を出たときの体験もあるので、ちゃんとした大学とFラン短大の、この身分の差をはっきりと体験したわけです。だから、「人間は学歴じゃない、それは人間性には言えるんだけれども、社会では通用しない」と身にしみて感じました。
深田萌絵が言っている「入社試験の実態」など、学校の先生はほとんど知らないだろうし、知っていても絶対に言わない「秘密」だろう。記事中の徽宗が赤字にして強調した部分参照。ちなみに、「天才バカボン」のパパは「バカ田大学」出身だったと思う。だから私は早稲田大学も似たようなものだろう、と大学受験の時も思っていたww
(以下引用)
特権階級を目指し医学部を受験したが……
森永 それで「医者だ!」と思ったんです。よく若い人で「資格さえ取ったら、その資格で一生安泰、食えるぞ」と思い込んでる人がいっぱいいるんですけれど、そんな資格はたった一つしかありません。唯一資格だけで飯が食えるのは、医者だけです。
深田 医者だけ……。
森永 もう医者は絶対的な存在なんです。医療行為は医者にしかできない。
深田 確かに、そうですね。
森永 医師優遇税制で、税金の面でも、ものすごく優遇されているわけ。
深田 えっー! 税金まで安いんですか、お医者さんは……。
森永 そうです。例えば、小規模の診療所は、実際に支出した「実額経費」と一定の方法により計算した「概算経費」のうち、多いほうの金額を経費とすることが認められています。
深田 知らなかったです。
森永 税金も安いし、普通のサラリーマンは上司に反発して喧嘩すると会社を辞めて職探しをしなければいけません。しかし、お医者さんの資格を持っていれば、地方でもよければ、いくらでも仕事があるわけ。
深田 そうですよね。確かに。
森永 自分で開業するのも簡単だし、銀行もお医者さん相手だったら、簡単に貸してくれる。合コンでも……。
深田 合コンで、お医者さんはすごくモテるんですよね。
森永 そうなんです。医者が参加する合コンは、女性のほうが高い会費を払うんですよ。
深田 えーっ! 知らなかった!!
森永 普通の合コンは逆なんです。女性は安いけれど、男性はいっぱい払う。真逆なんです。多くの女性が医者と結婚したがる。女性がいっぱい集まって、医者の人数には限りがあるからだと思うんですが。
だから医者になったら一生安泰だぞと、私は、よこしまな心を持つようになったんです。
深田 今、全く、違うお仕事をされてますけれど。
森永 この夢は、実は、天誅を下されるんです。私は大学受験で、早稲田大学の理工学部と慶應義塾大学の経済学部と、それから東京大学理科二類、東京医科歯科大学と防衛医科大学校、この5つを受けたんです。もう担任の教師が、「おまえは何を考えているんだ。何の整合性も取れてない。こんなばかげた進学希望を出してきたのは、おまえが初めてだ」と、怒っていたんです。
実は、いろいろな事情があったんです。私は、生まれたのが東京都文京区の東大の農学部の前の家で、そこが母の実家だったんです。父親が東大で学んでいて、母の下宿屋に下宿したときに、そこの娘とできちゃったっていう--もう、とっても恥ずかしい経歴の下で生まれて。
深田 いいじゃないですか。ラブストーリー。
森永 いえいえ。だから、母親は自分の家の目の前が東大だし、夫も東大だから、東大への思い入れというのが、普通の人よりも半端じゃなく強かったんですね。で、もう、「東大を受けろ」と聞かないわけですよ。
ところが、私は医者になろうと思っていた。その解決策として、取りあえず東大に合格さえすれば母親は納得するだろうと考えたんです。それで、その裏で、「東京医科歯科大学へ行くぞ」と計画し、一応、滑り止めで防衛医大も受けておこうとしたんです。
代々木ゼミナールの模試では、防衛医大の合格確率は100パーセントでした。100パーセントって、なかなか出ないんですよ。でもその100パーセントの防衛医大に私は落ちたんです。しかも、1次試験で落ちました。
深田 何があったんですか?
森永 分からないです。東京医科歯科大学も一発で落ちました。
深田 合格したのはどこだったんですか?
森永 早稲田大学の理工学部と慶應義塾大学の経済学部と東大の理科二類は合格しました。
深田 普通じゃあり得ないです!
森永 多分ですね。私は神様を信じてないんですけれど、こんなヤツを医者にしてはいけないという神のおぼしめしがあったのでは……と思ってしまいます。
深田 ああ、神様ねえ、おぼしめしはありますよね。
森永 実は、東大に入ってからも、医者になるという夢を捨てきれないで、一年生が終わったところで短期退学をして、千葉大学医学部を受けました。
深田 まだ未練があったんですか。
森永 そうです。
深田 東大のほうがいいですよ。
森永 もう未練たらしいヤツなんですよ。
深田 まあ、医者はモテますもんね。
森永 しかし、そこまでして受けた千葉大学医学部も落ちました。3連敗です。だから、やっぱり、こいつは医者にしてはいけないっていうことだったんだと思います。
深田 まあ、でも、東大生も合コンで十分モテますよね。
森永 全然、モテなかったですね。
・・・<抜粋終了>・・・
・・・<『身分社会』、p95~p98から抜粋開始>・・・
森永卓郎のマークシート必勝法
森永 私は、幸か不幸か現役で東大に入れたんですけれども、大学に入ってびっくりしたのは、みんな高校時代に1日10時間以上勉強している人ばかりだったことです。彼らは学歴と身分社会の構造がわかってたから、必死に勉強をしてきたと思うんです。
深田 東大生は全員そうなんじゃないですか。
森永 私は、本当に申し訳ないんですけど、ピークのときでも1日、2、3時間しか勉強してないんですね。
深田 え! それだけで東大に行けるんですか?
森永 私は、すごく要領が良かったんです。なぜ私が東大に入れたのかというと、私は実は、答えが全く分からない問題でも、マークシートだと7、8割の正答をすることができたんですよ。
深田 マークシートだと正答率を高くする方法があったんですか?
森永 どういうことかと説明しますと、例えば、受験問題を出題する人は、問題をつくっているのですから、当然正解が何番かは、分かっているわけですね。
深田 そうですよね。
森永 そこで、こちらとしては、じゃあ、「間違いの選択肢をどうつくるんだろう?」と考えるわけです。例えば、図1は、十二支の絵なんですけれど、正解が「子(ね・ネズミ)」だったとするじゃないですか。私は並びと呼んでいるんですけれど、ネズミの隣に「丑(うし)」とか「亥(い・イノシシ)」という間違いの選択肢を出題者はつくりがちなんです。同時に「子(ね)」と向かい合う位置にいる「午(うま)」を間違いの選択肢に採用することもあります。そこで、選択肢のなかに、ウマとイノシシとウシが並んでたら、この間違いの選択肢をどこから発想したのか」とを考えていくと、「あっ、これが源流だ」というのが分かってくるわけです。
深田 そんな解き方アリですか?
森永 この方法をやり始めた頃は、パズルのように一生懸命に考えていたんです。ところが車の運転をしたり、スマホをいじったりするのと同じで、慣れてくると、いちいち深く考えなくても、自然に正解が見分けられるようになるんです。問題をザアッと眺めただけで、「あっ、これとこれとこれが正解ね」と、すぐに分かる。
深田 そうですか? そんなことできますか。
森永 当時、他の人はそれに気がつかなかったんですね。けれども、私は、この手のことを考えるのが得意中の得意だったんです。実は、私は7科目受験で、世界史と日本史を選択しましたが、直前の代々木ゼミナールの模試で、日本史の偏差値が28、世界史が33でした。
深田 森永先生の成績が、私と大差なかったなんて信じられない!
森永 受験の直前ですよ。結局、試験の前日に日本史と世界史を諦めて、政治経済と地理に受験科目を切り変えて、参考書を数時間読んだだけで東大の1次試験を受けました。その結果、地理は自己採点ですけれど、全問正解でした。
深田 えーっ! すごい。
森永 今でも通用するかどうかわからないですけれど、視点を変えれば、東大入試は、そんなに難しくないんですよ。だから、私は大学に入って凡人だったんですけれど、10時間勉強してきた人も、要領よくできないのだから、凡人なんです。
深田 それなら私たちは、もっと凡人です(笑)。
・・・<抜粋終了>・・・
・・・<『身分社会』、p77~p79から抜粋開始>・・・
あだ名は「宇宙人」へ
深田 私は、森永先生みたいに勉強ができる子でもなくて、高校一年の期末試験で赤点を取りまくったあるときに転機が訪れるんです。三者面談で成績の悪さを先生に指摘されて、帰り道に母から「どうして勉強ができないの? 私はずーっと成績が良かったから理解できないわ」と言われました。私が「先生の話を聞いても分からない」と母に言うと、「先生の話なんか開いても分かるわけないじゃない。テストの答えは全て教科書に書いてあるのよ」と言われて、「ええ! 学校で配っているあの本を読んでいる人がいるんだ!」と驚いたんです。
森永 私ですら高校の教科書は、ざっと読んでいましたよ。
深田 みんなが読んでいるということすら、気付いていなかったんです(笑)。そこで、母の言うとおり教科書を一夜漬けで覚えたら、数学以外は成績が跳ね上がったんです。数学は計算ができないので、教科書と問題集の問題の答えを全部丸暗記しました。答えを覚えておけば、配点が20点の文章題が必ず二間出てくるので最低40点、うまくいくと60点とか取れていました。
みんなに「数学のテスト、めちゃくちゃ早いよね! どれだけ計算が早いの?」と聞かれましたが、「全てを暗記しているから早く書かないと忘れるだけだ」とは言えませんでした。
森永 私が子どもたちに「絶対にやってはいけない」と言い続けている勉強法ですけれど、それが効果を持ったということですね。
深田 そうなんです。点数が上がってくると、一目置かれてマウント女子は嫌がらせしなくなってくるんですよ。私自身は、何も変わってないんですけどね(笑)。
カーストって、やっぱり「ルックス」「運動能力」「頭の良さ」で決まるので、一つでも足元を固めるのは上位カーストからのマウント防衛策としてありなのかもしれません。
森永 それは男子でも同じですね。
深田 おかげで、あだ名は「変子」から「宇宙人」に変わりました。
森永 あはは。
深田 変人だといじめられますが、宇宙人になると、もう誰も近づいてこなくていいんです。
森永 あはは。
深田 ところが、私は根がお調子者なので、「一夜漬けでクラストップ、運次第では学年トップが取れるなら、もう授業中に勉強するのはやめよう!」と決めて、授業中はますます読書に耽(ふけ)りました。
森永 そして早稲田大学に行くんですか?
深田 いえ、美術系のFラン短大に行きました。母が高三の夏に突然「高卒はダメ」と言うので、実力試験の結果を確認しました。出題範囲が限定されている学校の期末試験と違って、実力試験は範囲が広いので一夜漬けでは対応できませんでした。物理、生物、英語などは偏差値60台でしたが、それ以外は全然ダメでした。ただし、高三の夏から受験勉強の準備も面倒だなと思ったので、親友が行きたがっていた美術短大を受けたんです。同じ学校から7人受けて、画塾に通っていた子たちは全員落ちて、画塾に行ったこともない私だけが合格して恨まれました(笑)。
森永 そうなんですね。
・・・<抜粋終了>・・・
・・・<『身分社会』、p90~p94から抜粋開始>・・・
就活の扱いは、学歴により、まるで違う
森永 身分社会を語るうえで、非常に重要というか、大きな鍵を握っているのが、私は、日本でも学歴だと思っています。
深田 そうですよね。
森永 深田さんは美術短大を卒業したあとの就職は大変だったと先ほどお伺いしました。
深田 大変どころか、ちゃんとした就職をする「チャンスがない」んですよ。私は家の都合もあり、就職が遅れたのですが、普通に面接に行っても、「あっ、君の短大の子は採用しないことにしているんだよね。ごめんね」と言われて、「えっ、なんでですか?」と聞いたら、「君の短大出身の子はさ、頭がイタイ子ばっかりだから」と言われるんです。
森永 頭が痛い?
深田 「頭がイタイ」とは関西で、「頭が悪い以上に酷い」って意味なんですよ。短大の評判が悪すぎて就職がなかなか見つかりませんでした。
森永 最初に入った会社に絶望なさったとか。
深田 はい。先ほどお話しをしましたが、1カ月ほど就職が遅れて、連休明けぐらいにやっと東大阪の印刷会社に仕事が決まったんです、手取り12万5000円ぐらいの、ちゃんとしてない会社。社会保険とかそういうのがちゃんとついていないような、そういう中小企業--零細企業で、非正規の経理補助として最初は入りました。
森永 でも、普通はそこで就職すると、その後ずっーと、言い方は悪いですけれど、低賃金労働力として、一生を過ごす人のほうが多いんじゃないですか。
深田 そうなんですよ。しかも、会社に入ったときはもう、失敗ばかり。伝票を1枚書くのに、3枚も4枚も書き直ししないといけないとか、ミスばっかりして、お局様に叱られて、いびられていました。それで、「こんなに威張っているんだったらよっぽど稼いでるのかな」と思って、ある日、腹いせにお局様--30歳の独身女性の給料伝票をちらっと見たんですよ。そのときの衝撃!
「えっ! 30歳になって、手取り20万円もないの!」と驚いたんですよ。ということは、「いま20歳だから、十年働いても20万円になる日が来ないなら、一生貧乏なんだということに気がつきました。それがきっかけで、そのときから、「キャリアアップとか何か資格を取らなきゃいけないのかな」ということを考え始めたんです。
森永 そのあと、早稲田大学に行かれるんですよね。
深田 そうなんですよ。そんなとき、先生の著書『年収300万円時代を生き抜く経済学 給料半減が現実化する社会で「豊かな」ライフスタイルを確立する!』(光文社・2003年2月25日発売)という本を読んだんです。そして、非正規雇用の格差をもっと世に知らしめたいと考えてジャーナリストになろうと考えて、25歳でたまたま東京へ旅行に行ったときに、いろいろな出版社とか、あとメディア関係を回りました。そのときに「ジャーナリストというのはね、君、早稲田大学政治経済学部を卒業した頭が良い人がやる仕事で、君みたいな女はキャバクラでバイトでもしとけよ」と言われました。
森永 あはは。ひどい差別ですね。
深田 そう。すごいでしょ! でもそのときに私は、「ああっ!」と閃いたんですよ。
小学校のときに、「人間は学歴じゃない」というリベラル教育を受けていたんで、「学歴なんてどうでもいいんだ」と思って生きてきたんです。でも、その彼の一言、ひどい面接の人の一言で、「あっ、学歴がないと駄目なんだ」と分かった。それで、「ジャーナリストになるために、早稲田の政治経済学部を受けよう!」と考えたんですよ。
森永 でも、早稲田の政経って偏差値70とかで、大変な難関ではないですか?
深田 ところが、少し易しい試験で、AO入試っていうのがあるんですよ。
森永 一芸入試みたいな。
深田 一芸入試に近いですよね。国語と英語の論文試験があるんです。英語の論文を読んで、ちょっと日本語で返す。日本語の論文を読んで、日本語で論文で返すという、そういった論文形式なので、英語が読めて日本語が書ければ勝てる入試だったんですよ。
森永 ほおう。
深田 それで私、「あっ、これはチャンスがある」と思ったので、すぐに仕事を辞めて、2カ月かけて、英語と国語の勉強をして、受験したら受かったんですよ。
森永 その2カ月の間って、どのぐらい、1日に勉強しましたか?
深田 1日に11、12時間勉強しました。そうすると月間300時間ぐらいは勉強できるんですよね。詰め込むじゃないですか。「詰め込むと予習と復習の時間がいらないので、ひたすら前に進むだけで全部覚えていける」という効率のいい勉強の仕方ができたんですよ。
森永 やっぱりそこで本気出したっていうのが大きかったわけですね。
深田 大きかったです。
森永 早稲田を卒業して、就職面での環境って変わりました?
深田 もう全然違うんですよ。今まで、就職の願書を20歳のときは100通出して1通か2通返ってくる感じだったのが、早稲田を出ると、ほぼ全て面接まで行けるんです。
森永 そうですよねえ。
深田 しかも、就職説明会も違うんです。第1会場には様々な大学から来た学生さんたちがいるんです。そこで話を聞いたあと、「第2次会場へどうぞ」と言われて、番号を呼ばれて行くんです。そっちの部屋に行くと、豪華な立食パーティーみたいな部屋に通されて、そこには東大、京大、早慶、一橋の学生ぐらいしか残ってないんです。MARCH(管理人注)すら残してもらえていませんでした。
森永 ははあ。
深田 そのときに、「ああ! 学歴があるかないかでこんな違うんだ」と初めて理解したんですよ。Fランの短大を出たときの体験もあるので、ちゃんとした大学とFラン短大の、この身分の差をはっきりと体験したわけです。だから、「人間は学歴じゃない、それは人間性には言えるんだけれども、社会では通用しない」と身にしみて感じました。
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