世界でも、日本でも、富の集中が加速度的に進んでいる。国際NGOオックスファムの2016年1月の発表では、世界の資産保有額の上位62人の総資産は、下位50%(36億人)の人々の総資産に匹敵するということだった。1年を経た今年1月の最新発表では、なんと上位8人だけの総資産で、下位50%(36億人)の人々の総資産に匹敵するほどに富の集中が加速してしまった。
日本においても、野村総合研究所の調べでは、上位2%の富裕層が全体の20%の資産を持つようになったという。アベノミクスが始まってから、特に加速している。
そんな中、2月11日の『中日新聞』に掲載された、社会学者の上野千鶴子さんインタビュー記事「この国のかたち~平等に貧しくなろう」(現在非公開)が炎上した。
「平等に貧しくなろう」や、「日本は単一民族だから多文化共生に耐えられない」という発言はリベラルサイドからも批判の声が挙がった。
そんな中、果たしてあの発言は本当にそこまで批判されるものだったのかと疑義を呈する声もある。オーガニックバーの店主として、執筆活動を行う高坂勝氏が寄稿してくれた。
◆「治安悪化」は移民によるもの?
上野さんは「治安悪化が移民や難民に起因する」というニュアンスであの発言をしたのか? もちろん、多くの批判者がそう読んだから批判の声が上がっているのだろう。しかし、筆者はそうではないと考える。
上野さんの発言を仔細に読めば、彼女の主張は「外国人受け入れへの対応を何もしていない日本の現状(例えば、外国人技能実習生を低賃金で強制労働させている実態と、それを見て見ぬ振りをしている政府など)で移民を受け入れれば、上野さんの言うように社会的不公正と抑圧、治安悪化に苦しむ国になる」ということだ。日本人の職や賃金が減ることを移民のせいにして、米トランプ支持者のように差別的で排外主義的な意識が高まり、治安が悪化する(昨今のヘイトスピーチや関東大震災時の虐殺など)といったことではなのである。
「日本人は単一民族神話を信じているから多文化共生には耐えられない」という趣旨の言説にも、「上野千鶴子が日本は単一民族だと思っているのは勘違い甚だしい」という批判が出ている。しかしよく読めばわかる。
「単一民族神話が信じられてきた」というくだりを読めば、上野さんがそれに賛同していないことは明らかだ。「単一民族と信じている人にとって、多文化共生は耐えられないだろう」という皮肉なのである。
◆日本は人口減少や衰退を受け入れて「成熟」モデルの先進例になるべき
さらに多くの批判を浴びているのが「日本は人口減少と衰退を引き受けるべきです。平和に衰退していく社会のモデルになればいい」という箇所だ。人口減少に関しては広く認識されてきたが、「衰退」という言葉に戸惑う人が多いのだろう。であれば、「衰退」を「成熟」という言葉に置き換えればいい。
マイナスとか、ダウンとか、衰退とか、縮小とか、なぜ、ネガティブに捉えるのだろうか。受け入れるべき現実であるし、避けがたい現実をポジティブにとらえることでむしろやっと、経済成長至上主義から抜け出し、人や環境を大切にする未来設計、制度設計に向かえるのである。安倍政権が言う GDP600兆円を目指して、さらに長時間働けというのだろうか?
今より鬱や自殺が増えるのは必至だ。もっと生産効率を上げろというのだろうか? 生産効率をあげれば、労働時間を減らすのでなく、雇用を減らすのが経営者側の常套手段であることは歴史が証明している。イノベーションで経済成長を、という机上の空論的な学者が多いが、例えば人工知能が進む20年後には職業の半分が消滅するという予測が現実になるのだとしたら、経済栄えて人は滅びる、企業栄えて人は滅びる、という近未来になるわけだ。
日本は人口減少や衰退を受け入れて、成熟モデルの先進例になるべきだ。
こう言うと、「途上国のようになるのではないか?」とか「江戸時代や石器時代のようになるのではないか?」といった想像力の乏しい発言を耳にすることが多い。
例えば、成熟社会になったからといって新幹線がなくなるわけではない。新幹線の便数が減るだけだ。それは人口減少なのだから当然のこと。新幹線の便数が減ることが、不便な原始時代に戻ることだろうか? むしろ人口減少を前にしているというのに、「経済成長のため」と言って、リニア中央新幹線を東海道新幹線と並列して走らせる思考こそが、どう考えてもオカシイのである。
◆税金を払って、配分をもらう
そして上野さんは「日本の場合、みんな平等に、緩やかに貧しくなっていけばいい。国民負担率を増やし、再分配機能を強化する」と言う。「みんな平等に貧しくなる」とは、上野さん流のシュールでユーモアのある発言だと思う。
まずは「国民負担率を増やし、再分配機能を強化する」という箇所。税金を高く払っても、自分や家族や、状況が厳しい方々に還元される税制、教育費や老後にお金がかからず生きて行ける北欧モデルのようなイメージを述べているのだろう。
いざ困った時に助けてもらえる制度が安定していれば、人々は何度でもチャレンジし、何度でも失敗できる。それこそが活性化する社会であり、経済の拡大が活性化とは限らない。むしろ現在、経済成長できないのに成長を目指すゆえに、働く人々の多くが萎縮してしまっている。
資産や収入の多い人、資産や利益が多い企業はより多く税金を払って社会貢献する。そうでない人や企業も当然、それ相応の税金を払う。それが目に見える形で社会的公正に使われていることがわかれば、痛税感(税金を払うのが苦痛だと感じること)は小さくなる。
税金を高く払うのが嫌なのは、何に使われているかわからなかったり、あまりに無駄なものに使われたり、既得権益のある人や企業に還元されてしまったり、賄賂や汚職に繋がったり、納得いかないことが多いからだ。そして何より、自分や家族が困った時に還元してもらえるとは思えないからである。
◆貧しくなると、豊かになる!?
「平等に、緩やかに貧しくなる」というのは語弊があるものの、あながち間違いではないし、そのほうが自由度、満足度、幸福度が上がるのだ。低収入でも、安心で幸せな働き方と暮らし方を出来る例が増えてきているし、様々なデータでも示されている。
例えば、上野さんの記事が掲載された同日の『日本経済新聞』には「フリーランス、週平均32時間労働、年収最多は300万円台」という記事がある。断片的な調査なので多極的に見ることができないが、フリーランスの約87%は、以前は大手企業勤務だったが、その約51%が「自分のやりたい仕事を自由に選べる」と答えた。
平均の週の労働時間は就業者全体の平均(38.9時間)より7時間少なかった。週の休みが1日増えるほど労働時間を短縮できていることになる。収入面は300万円台が約19%で最も多く、200万円台が約15%と次いで多かった。日本人の平均年収が415万円前後なので、概して低いのだが、労働時間は短く自由度が高いのである。
◆低収入でも安心できる制度設計へ
しかし「収入が安定している」と答えた人は10%だけだった。すでに迎えつつある成熟社会と低収入社会を見越した時、さまざまな新しい制度設計が必要になってくるだろう。日本全国において、空き家、空きビル、遊休農地、休耕田、手入れの届かない山林などがますます有り余ってくる。それらを希望者につなぐことができれば、家や食べ物や燃料を低コストで入手できるので、収入は小さくとも健康で文化的な暮らしができるのだ。
支え合う文化、分かち合う文化は、若者ほど成就しつつある。過疎化する村や町に新しく懐かしいコミュニティーが創造されてゆく。現に昨今知られてきている地方の活性化は、これなのだ。人口減少と、モノへの執着の減少化(例:ミニマリストという、モノを少なくして豊か暮らす人が増えている)の時代に入った中では、需要も消費も増えることはない。
それでも生活と仕事の質を高めるニーズは当然あるから、経済成長はなくとも、お金や経済がニーズの中で循環していればいい。定常化社会とか、定常経済という。雑で無駄な消費が減る分、収入が小さくても暮らしが充実するのだ。よって、自由度、満足度、幸福度が上がる。コミュニティーデザインの第一人者である山崎亮さんは「縮充」という言葉を使い、社会的参加が伴う人口減少は希望になると説いている。日本中に蔓延する様々な社会問題が、解決と創造の糸口に向かうのである。
◆電通を辞めて過疎地に移住したHさん「私の決断は正しかった」
私のナリワイは東京の街の片隅で、一人で営むBARである。巷では「退職者量産BAR」と呼ぶ。私を通り過ぎて価値観と生き方を変えた方々は、低収入でも多くが幸福感を得ている。
上野千鶴子さんの言い方は乱暴な面や語弊があるものの、低収入を積極的に捉えている先進的な人々の視点からしたら間違いのない表現なのだ。ほんの一部の富裕層と、中間層がますます減って低収入層が増大する、歪な二極化時代はまだ続いてしまうに違いない。時間軸のグラデーションはあるにせよ、多くの人が低収入化してゆく現実。そんな中でも、しなやかに生活の質を高めて豊かに暮らし直す人々が増えているし、ますますそうした生き方が可視化されてくるだろう。
過当競争を勝ち抜くためにハードワークとストレスを抱え込み、ライバルを蹴落とすような生き方より、緩やかに貧しくなって、他者をなるべく犠牲にせず、仕事を分かち合う低収入な生き方のほうが、自由時間を有して幸せになれる可能性がある。有した時間で食べ物の自給やDIY(Do It Yourself=自分でモノを作ったりリフォームしたりすること)を行うなどして、充実した暮らしとともに“生きる力”も身につけられるのである。
新入社員の自殺で長時間労働が明るみに出た電通。その電通に30年間勤めていたHさんは、売ってはいけないモノ、売るべきではないモノを売る手伝いをする仕事に誇りが持てなくなっていたという。そんな時、私の著書や塩見直紀さんの著書『半農半X』を読んだことがキッカケで、会社を辞めて家族で過疎地の古い民家に移住。今は田んぼや畑をやりながら、週に3日だけ地元のローカル新聞社に勤めている。先日、そんなHさんから「私の選択、決断は正しかったのだと確信しています」とのメールをいただいた。
◆何が本当の問題なのか?
ただし今、本当に生活が苦しい人がたくさん増えている。「収入が低くていいじゃないか」とは簡単に言えることではない。貧困化が進んでいるのは、経済成長モデルを諦められない、政官財の愚策からだ。
「経済成長の上昇分を社会保障に回そう」などと言っていたら、経済成長がずっと来ないままでは、貧しい人はますます貧しくなってしまう。経済成長を前提としない成熟社会(定常型社会)を見越した制度設計に変えていくしかない。
企業や国民の負担率を増やし、再分配機能を強化する。困っていない人から困っている人への配分強化である。税金や保険料でお金を移転して、誰もがそれなりの生活ができるようにすることだ。
◆経済成長モデルのおかしさに気づいた人たちが増えている
上野さんは以下のように締めている。
「NPOはさまざまな分野で問題解決の事業モデルをつくってきました。私は“制度を動かすのは人”が持論ですが、人材が育ってきています」
その通り。経済成長モデルのおかしさに気づいた人たちが、各地各分野で実績と成果を積み上げて政治や社会を動かす時代に、やっとたどり着きつつある。
GDP600兆円という妄想を目指して必死に頑張りますか? 収入はほどほどでも、自由に暮らし、分かち支え合うシステムを創る側にシフトしますか? どちらが豊かで楽しいですか? あなたはどう考え、どう行動しますか?
<文/髙坂 勝>
1970年生まれ。30歳で大手企業を退社、1人で営む小さなオーガニックバーを12年前に開店。『次の時代を、先に生きる~まだ成長しなければ、ダメだと思っている君へ』(ワニブックス)を10月26日に上梓。
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