東海アマのブログさんのサイトより
http://blogs.yahoo.co.jp/tokaiama/28541080.html
<転載開始>
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<転載開始>
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B層の憧れる物質的充足に満ちた豊かな、「ありすぎる人生」、を想像してごらん。
余計な金や荷物を持てば人生の負荷が増して大荷物を抱えた苦しい人生になるだけなのだ。
高級車を何台も保有してると自慢したがる君!
君の肉体は、同時に何台もの車に乗車できるのか?
テレビが30台もあると自慢する人よ、君の目は同時に何台ものテレビを見られるのか?
豪華な食事を10人分も並べる君よ、君の胃袋は一度に10人分も食えるのか?
30部屋の豪邸に住む君よ、君は同時に10の部屋に跨って眠れるのかい?
美しい妻を持ってると自慢する君よ、君の美人妻は君が死にたくなるほど落ち込んだとき、優しく励まして君を地獄から連れ戻してくれるのか?
人生に本当に必要にして充分なものは、生きてゆくために必要とするものだけだ。必要としないものまで持てば、それはすべて邪魔物であり、処分、処理の手間を増やし、人を疲労させるだけだ。
食事は食べる分だけあればいい。ベットは一台あればいい。財産なんて必要なだけあればいい。妻は自分に優しい言葉をかけてくれればいい。友達だってたくさんいらない、信じられる者が少しだけいればいい。
人には「身の丈」という決して超えることのできない制限があって、それを無理に超えようとすれば邪魔な足かせになるだけだ。
股下60センチの君が90センチのズボンを履いてどうする?
Mサイズの君が3Lサイズの衣類を身につけてどうする?
身の丈に合ったものだけが快適だと分からぬか?
これを「ジャストパフォーマンス」と言い、人生にもっとも大切な価値観であって、これを大切にする人々は、無駄のない、身軽な人生ほど気楽で素晴らしいものはないと知っている人々なのである。
ジャストパフォーマンスの思想は、人々が資本主義のもたらした競争や強欲に駆り立てられて無駄な生産活動を繰り返して環境汚染による自滅に至る本質的な欠陥を是正するために、一番大切な思想であることを理解していただきたい。
持続可能な未来は資本主義には不可能だ。資本主義は際限のない競争に晒され、最後は、全人類を道連れに断崖から集団飛び降り自殺するレミングの群れである。
「必要に応じて必要な生産をする」未来を保証する計画経済の原理を理解するために絶対に必要な価値観がジャストパフォーマンスである。
うちの隣に住む一人暮らしのオッサンは、引っ越してきてから、すでに三回も新車を購入してるが、全部クラウン上級車ばかりだ。
当地は急な長い坂があって、雪が降れば四駆しか登れない。道も狭いので軽自動車がぴったりなのだが、どうしてもクラウンでないと納得できないらしい。よほど「上級市民」と思われたいのだろう。
だから雪が降ると、車が動けなくて必死に雪かきをするのだが、それを必要としない軽四駆の私にも、雪かきを強要するから腹が立つ。
近所の別荘地に住む土建屋は道幅以上のハマーに乗ってくる。道が狭いから4トン車なみのハマーなんか走られたら、他の車は大変なことになる。
どこの駐車場でも二台分に跨って駐めている。
自分が特別なエライ人間であることを誇示したくて仕方ないわけだ。
こういうのを「オーバーパフォーマンス」自己陶酔人生と言う。本人は、きっと周囲の人たちを、みんな自分より劣ったアホだと思ってるのだろうが、実は周囲から馬鹿にされてることを理解できない。本人は勘違いして喜んでるわけだ。
他人より、はるかに多くのカネをため込んで、人の羨む豪華な家や、高級車や美人妻を持って、自分は「エライ人」になってるつもりの真性のアホが無数にいる。
無駄な所有を自慢することで優越感を満足させている間に、実は社会の本質を見抜いている賢者たちから軽蔑され、アホ呼ばわりされてることに気づいた方がいい。
大きな家なんか使い心地が悪い。掃除が大変だ。小さな家なら、あちこち動かなくとも何でもできる。住むなら小さな家に限るぞ。
美人は三日で飽きるがブスは三日で慣れるんだぞ。ひとたび愛してしまえば容姿なんか何の関係もない。人の苦しみを思い知ってるブスの方が桁違いに優しくて「良き妻」なんだぞ。心を癒してくれる美人妻なんて聞いたことがない。
人類史を振り返ってみれば、他人より多い所有を自慢し、優越感に浸る馬鹿が絶えた試しがないが、彼らが幸福な人生を送ったという話を聞いたことがない。
いったい、どんなメカニズムで、蓄財や権力を良き人生と勘違いするようになったのか、ちゃんと知っておくべきである。
そもそも金持ちとは何か、君は知ってるか?
それは、労働して正当な対価を得て生活するという人間社会の秩序を無視し、私利私欲だけに突き動かされた蓄財を求め、不当な対価を得て、他者に優越感を抱こうとしている一群の人々のことである。
資本主義社会では、誰でも当然の権利と勘違いしてる人が多いが、本当の正しい社会、持続可能な未来を作り出すために何をすべきか理解している人々にとって、正当な労働対価以外の蓄財と他人に優越する華美贅沢な生活を求める発想は、利己主義による社会破壊者として嫌悪され、排斥されるべき誤った思想なのである。
まだ「金持ち」の発生しない時代、人間社会には差別もなく、自由で平等で博愛の社会であった。すべての交換は正しく行われ、詐欺師も発生せず、人々に大きな不満もなかった。
物々交換の長い歴史の中から、便利さを求めて普遍的交換価値を設けようと考える時代がやってきた。
人間が労働して対価をもらう。その対価は、はじめ必ず1日分の生活費を単位とする物資であった。
最初は、それを麦や葡萄酒のような食料で支払ったが、遠方に持ち運ぶ人たちにとって軽くて便利で融通の利く交換価値として通貨が発生したのである。
旧約聖書に出てくる3500年前の最初の通貨は「シェケル」で、これは銀を意味し、その重さを意味した。
やがて、それが1シェケルという通貨として通用するようになった。
これで一日分の生活のすべてをまかなうことができたから、1シェケルとは一日の労働代名詞ということになった。
まだ、この時代には、通貨はすべて、あらゆる物資と交換可能な兌換通貨であり、あくまでも食料の代替物であった。
シェケルは一日分の労働対価を意味する交換価値であって、そこには、一つのウソもない。
このとき人類社会には実物経済しか存在しなかった。
ところが!
この通貨というヤツが、人類社会にとって便利なようでもありながら恐ろしい悪魔=虚構=「金持ち」を作り出したのだ。
金銀銅や小麦やパンや葡萄酒が通貨の役割を果たしている社会にウソはなかった。
だが、やがて、それらのすべてと交換できる便利な交換価値として発明された「通貨」にはウソが満ちていた。
人々は便利さに飛びついたが、そこに社会の健全性にとって人類史上最大の巨大な罠が待ちかまえていたことに気づいた人は少なかった。
最初、通貨の発行権を握り、兌換価値は同じでも、製造単価を下げることで通貨発行者がボロ儲けできることに気づいた一群の人々がいた。
通貨をより安く大量に作り出す権利を手に入れることで、彼は一日分の対価の何十倍、何百倍という交換価値を不当に手に入れることができるようになったのだ。
この頃、同時に「金貸しと金利」も成立した。
これを始めた悪党どもこそ聖書に出てくるユダヤ教徒=パリサイ人である。イエスは通貨を支配して不労所得を重ねる「最初の金持ちども」=パリサイ人を激しく憎悪し、「マムシの子ら」と呼んだ。
後にフランキスト派と呼ばれるパリサイ人の末裔の中から、世界の富の大半を独占するロスチャイルド一族が登場してくる。
現代におけるユダヤ金融資本の一味は、すべて、ここから派生している。
彼らは聖書の時代から現代に至るまで、通貨を支配することで人類を支配する巨大カルトとなったのである。
イエスの生きたローマ時代に1シェケルが1デナリという名に変わったころ、同じ、一日分の労働対価を意味しながら、貨幣をなす銀の材質と重さが大きく変化してゆく。
ローマ帝国という国家権力が通貨発行権を握り、どんどん改鋳を進め、銀を軽くし、代わりに銅を使ったりして、兌換性を貶めていった。
これは世界中の権力者のやる常套的手口の詐欺である。
さらに紙の発明によって、通貨に究極の欺瞞=詐欺が持ち込まれた。
紙幣の登場である。
最初の紙幣は1000年前の中国に登場したようだ。
紙幣というものは世界共通で、「預かり証文」が原型になり、そのまま交換価値のある通貨として利用され進化を遂げたものである。
それは最初から「貸してやる側」のものであり、高利貸しの証文をイメージすればよい。
それは、たちまち硬貨の上位に置かれる通貨として君臨するようになった。
紙幣の何が問題なのか?
そのコストが硬貨に比べて桁違いに安いから、紙幣発行権さえ手に入れてしまえば、元手がなくともボロ儲けが可能になったのである。
今、我々の社会で流通している硬貨の製造コストと金属価値
1円玉= 14円=0.3円
5円玉=4円=1.6円
10円玉=42円=3円
50円玉= 20円 =3円
100円玉=73円 =3.4円
500円玉=43円=3.6円
紙幣の製造コスト
1万円札が20.0円、5000円札が19.5円、1000円札が13.3円
こうして見れば、紙幣の発行権を握れば、凄まじいボロ儲けが可能であることが分かるだろう。 現在、年間の総発行額は600億円程度であるという。
この発行権を握っているのは各国中央銀行で、日本の場合は日銀である。
紙幣の本質は金融詐欺以外の何ものでもない
紙幣発行権を握った者たち(ほとんどの場合、ユダヤ系カルト集団)は、ただ権利と印刷機だけを持っていれば、無限の富を生み出せる。
正当な労働対価など、どこにも存在しないのである。
紙幣を発行して、中央銀行を名乗って銀行に貸し与える。これには一定の金利がついている。
発行者は印刷機を動かすだけの労働で、無限の富を生み出し、さらに金利でボロ儲けできる仕組みだ。
https://www.youtube.com/watch?v=el5b2IozYXQ
アメリカの紙幣発行権を持つのはFRBで、これはアメリカ政府から独立したユダヤ系巨大銀行6社の共同出資による私的金融機関である。
ところが合衆国憲法1-5では、通貨発行権は連邦議会のみに許された権限であり、私的銀行にすぎないFRBは憲法違反なのである。
これを誤魔化すためにFRB紙幣は「通貨ではなく少額国債証書」という詭弁が用いられてきた。
この欺瞞に注目し、FRBから通貨発行権を取り上げようとした4名の大統領、リンカーン・ガーフィールド・ハーディング・ケネディは、全員、在任中に殺害された。
ドル紙幣には、ピラミッドの上に目玉が描かれた薄気味悪いデザインになってるが、これが有名な「世界を監視するルシファーの眼」で、通貨発行権を死守する世界最強のカルト集団のマークである。
このマークは、「この通貨の使われる国は我々が支配している」という宣言であると言われる。
ちなみに日本の千円札にも同じマークが描かれている。野口英世の気味悪い目玉を透かしてみれば、富士山に見せかけたピラミッドの上に目玉が乗ってる構図が鮮明にわかる。
つまり日本国家も、通貨を支配するカルト集団に支配されてるわけだ。
これに異議を唱えた日本国=経世会所属の総理大臣らは残酷な運命に見舞われ不可解な死に至っている者が多い。
紙幣の本質は、ただの紙くずにすぎない。狸が持ち出した木の葉にすぎない。金貨銀貨銅貨なら、一定の金属価値が保証されるが、紙幣は「額面の金と交換しますよ(金本位制)」という兌換宣言とともに紙屑から通貨に昇進するわけだが、これは、いつでも反古にできるのである。
日本の場合は、1932年、ニューデール大恐慌後、相場大暴落があり、為替レートが欧米に極端に有利になったせいもあって、日本紙幣を持った外国資本家が、それを金に変えて外国に持ち去ったため、兌換廃止を宣言するしかなかった。
1971年、ニクソン大統領は、ドルの金本位制廃止を宣言、兌換を停止したことで、IMFなど世界経済の根底を支えてきた基軸通貨は一夜にして木の葉に変わってしまった。
背景には、ベトナム戦争の出費増大で米政府予算が枯渇し、ドルを金に替えた方がトクな資本家(実はアメリカに住むユダヤ人であるといわれる)が大量に登場し、アメリカにあった金在庫が失われてしまった事情があったといわれる。
以来、米国金資産は回復せず、世界各国がIMFを通じてアメリカに貸与して保管しているはずの純金は、実はほとんど存在していないと言われる。
現在までのアメリカは、国家経済を支えるのに、莫大な米国債を発行し、さらにドルを無制限に印刷して銀行に貸与するという、壮大な詐欺によって成立している。
ウソ、インチキの極地!
架空経済を巨大に膨らませた不動産と株
紙幣というものは貸し付け証文から発展したのだが、紙幣の普及は、物理的な(大きさ重さ)意味で大金の取引を可能にし、詐欺師どもは、より多額、高額の詐欺を次々に編み出した。
その頂点に君臨するインチキ経済を生み出したのが株式である。
株取引こそは一日の労働対価が生み出した実体経済を真正面から破壊するインチキ虚構経済の徒花であった。
企業価値が実体経済で10億円分あったとしても、株式の発行という虚構=詐欺を行うことで、1000億円の実態があるかのように装う虚構経済が成立するようになったのである。
証券という紙屑の人気が上がれば、株価はどんどん吊り上がってゆく。資産価値は膨大に膨れあがってゆくが、それに見合った実体経済の裏打ちはあるのか?
株式総額に見合った、正当な労働対価が存在するのか?
そんなものは存在しない! 何もかもウソに満ちた虚構のカネであって、狸が木の葉で作り出した幻想にすぎないのだ。
なぜ株市場が登場したのか?
それは、紙幣発行権を手にして労働対価、実体経済のないボロ儲けに成功した者たち、汚い銀行屋が、より簡便で大きな金儲けのできる仕組みを生み出した結果なのだ。
株式が登場してからは、もう際限のないインチキ経済が爆発的に世界を制覇した。
先物取引(デリバティブ)は、あの手この手の博打、詐欺商法を開発した。
例えばレバレッジという仕組みは、元手の数倍もの資金を、ろくな担保も必要とせず運用できる正真正銘の詐欺である。失敗したなら逃げるだけでよい。
成功したら博打における親の総取りのようなボロ儲けが可能である。
倒産に対する保証保険まで成立した。ありとあらゆる経済詐欺師を満足させる仕組みが登場してきたのである。
国際経済も詐欺に覆われた。
例えば中国経済が正当な取引の場合、2015年段階で外貨準備高が崩壊していて国家デフォルトを引き起こしているはずなのに、2017年現在さえ、何事もないかのように振る舞っている事情を見れば端的に分かる。
何をやったか? 国家資産の担保に不動産バブルを利用したのである。
もちろん中国不動産市場のバブルなど、とっくに破裂してるが、秘密裏に、それが生き続けているかのような工作で世界を騙し、ありもしないバブル価値を作り出し、それで担保を支えている。
完全な詐欺の世界である。
世界経済は詐欺で成立している。
正当な労働対価で裏打ちされた世界経済の総額は7000兆円にすぎないのに、株式や先物、国債などの虚構経済による総額は、実に数十京円=数十倍を超える。
金持ちとは、この不労所得の分捕り合戦をゲームとして遊んでる連中を指すのだ。
しょせんゲームでしかないのだから、本業に身が入るはずもなく、農林中金、シャープや東芝の経営者たちは先物遊びによって会社を滅ぼしてしまった。
日本政府、安倍政権は国民の大切な年金資金を、ほぼ壊滅させ、外国(ユダヤ金融)に垂れ流してしまった。
翻って「金持ちとは何か?」
正当な労働対価ではなく、通貨発行権や国家権力の利権を使って、ボロ儲けする一群の人々を意味することを上で説明してきた。
そもそも人類はみな平等であり、連帯しなければ生きてゆけないように設計されているのに、自分だけ他人に秀でて蓄財し、ますます自分の資産を増やして、たくさんの他人を見下そうとする連中を「金持ち」というのだ。
こうした連中は、資本主義における教育=競争の強要によって生み出される。「他人を蹴落として利己主義的な蓄財を権力に走ることだけが正義である」と幼いうちから洗脳された者たちの中から登場してくるのである。
彼らは、自分の愚かな人生を正当化し、優越感を抱くために、儲けた金を決して他者に分配せず、自分の人生を飾り、他人を萎縮させるために使うのである。
だから一台しか見られないテレビを30台も保有し、一台しか乗れない車を10台も保有し、一部屋でしか眠れない寝室を10も作り、一食しか食べられない食事を10人前も用意させる。
強欲に導かれて集めた金は、強欲にふさわしい使い道しか残されていない。
それは他人の幸福のためには絶対に使われない。社会の無駄、悪事を作り出すためだけに存在しているのである。
彼らは1の労働で100の対価を受け取る利権を作り出した。
そして、それだけでも飽き足らなくなり、強欲が際限なく膨らんでいった。
彼らは正当な労働対価で生活する大多数の人々を見下し、自分たちの利権がますます拡大するような不当なシステム作りに成功することが自分たちの聖なる使命だと思いこむようになった。
金持ちたちは、大衆が正当な労働対価を与えられる社会が面白くないと感じるようになった。
もっと賃金を安くできるはずだ。もっと、長時間こき使えるはずだ。
もっと自分たちの特権を強固にし、貧乏人を差別し、睥睨し、君臨できる体制のために、社会を改造しなければならないと使命感を抱くようになった。
労働者の権利を高める勢力との戦争に勝利しなければならないと。
文句を言ったり反逆したりする貧乏人どもを徹底的に監視し、反逆の芽を摘み取る強固な国家権力が必要であると考えるようになった。
そうして、金持ちの利権を強固にし、国民を監視し、国家の役に立たない者は殺してしまえと考える超独善政権が成立するようになった。
それが麻生太郎であり安部晋三である。
もうすぐ、安楽死法案が登場してきて、自分たちの利権に役立たない障害者や老人を早く死なせてしまう体制ができることだろう。
だが、金持ちは、とんでもない勘違いをしていた!
「自分たち金持ちの使う金で経済が回ってる」
と彼らは本気で信じていたのだ。
貧乏人など、経済に与える影響はわずかだ。奴らから搾り取れるだけ搾り取っても国家経済は何の影響も受けない。
これが消費増税の考え方であった。
消費税3%を実現したのは1989年竹下内閣であった。
最初に引き上げたのは、社会党を潰すために登場した村山富市内閣で、実質5%に挙げるとともに、財界へのお土産として原発核開発を容認した。この男は経団連のスパイと呼ぶにふさわしい。
それから橋本内閣で正式に5%、鳩山は消費税を上げないと公約して民主党政権成立に成功した。
ところが菅直政権で消費税10%引き上げを提示して民主党政権は完全崩壊した。
ついでに菅は、経団連の代理人としてベトナムへの原発輸出を始めた。事故時の負担は日本国民の負担という条件付きであった。
この男も経団連の代理人として働いただけだった。
後を次いだ野田豚佳彦も戦後最悪の経団連スパイ宰相になり、消費税8%引上げ法案可決。
あまりの馬鹿さ加減、第二自民党であることを表明した民主党は永久に政権を失うことになった。
2014年に登場した憲政史上最悪のアホ内閣と評される安部晋三が8%消費税を実行。さらに10%に上げようとしたが、クルーグマンらに「日本が潰れる」と諭され、腰が引けて延期している。
振り返ってみれば、最初に消費税3%が実施されたのが1989年。
この年から日本経済は未曾有の巨大不況に突入し、28年後の今でも不況から抜け出すどころか溺死寸前で、中国が不動産バブルを演出して担保価値で持っているように、日本経済は日銀による無制限の株と国債の買い上げという真っ赤なウソ経済だけで生き延びてるフリをしているのである。
日本経済の内需低迷は、消費税による購買力弾圧とともに存在するのであり、消費税が廃止されれば、たちまち大規模な経済活性化が起きるとクルーグマンはじめ、たくさんの本当の経済学者が指摘している。
この28年間の巨大不況の正体とは何か?
それは消費税なのである。
「税収は社会福祉に使われる」と調子のいい、ウソに満ちた弁明が繰り返されてきたが、もちろん、口先だけのそれが実現した例は皆無で、得られた税収は官僚たちの遊びカネと議員を含む給料の勝手な増額にしかならなかった。
「消費税を徴収したせいで日本経済は大不況に陥った。」
この真実の意味するところは何なのか?
それは、日本経済を真に支えているものは、消費増税で激しく打撃を受ける経済的弱者であるという真実を意味するのである。
よく考えてみればいい。どんな金持ちだろうが、貧乏人だろうが、一人の人間が生きてゆく上で消費する物資、経済は、決して大きな差があるわけではない。
大金持ちは、総資産が我々の1000倍もあるとしても、生活実費として使われるのは、せいぜい数倍にすぎない。
これが実体経済の本当の意味なのだ。
最初に私は、実体経済の真の意味について、一日の適正な労働対価であると書いた。
日本社会を支えているのは、大金持ちの博打投機ではない。貧しい労働者、生活者たちが日々、使う日用品や食料品の消費によってなのである。
今や、実体経済の数十倍の虚構経済が社会を支配している、というのは名目にすぎず、たった今でも、株式、先物、不動産などの虚構価値を差し引いた真の日本経済は、たぶん50兆円もない。
虚構経済の規模が、どんなに大きくとも、それには実体経済=正当な労働対価が存在しないバブルであり風船にすぎないのである。
それは針で突けば、たちまちこの世から消えてしまう、はかない幻想にすぎない。
真実の経済は、社会的弱者によって支えられている。
これが唯一の真実であり、金持ちの持っている正当な労働対価以外の資産は、すべて虚構であり、儚い幻にすぎないのである。
余分な金は狸のばらまいた木の葉にすぎない。
正当な労働対価だけが経済の真実であり、実体であり、社会の本質である。
社会は弱者によって支えられている。
余計な金や荷物を持てば人生の負荷が増して大荷物を抱えた苦しい人生になるだけなのだ。
高級車を何台も保有してると自慢したがる君!
君の肉体は、同時に何台もの車に乗車できるのか?
テレビが30台もあると自慢する人よ、君の目は同時に何台ものテレビを見られるのか?
豪華な食事を10人分も並べる君よ、君の胃袋は一度に10人分も食えるのか?
30部屋の豪邸に住む君よ、君は同時に10の部屋に跨って眠れるのかい?
美しい妻を持ってると自慢する君よ、君の美人妻は君が死にたくなるほど落ち込んだとき、優しく励まして君を地獄から連れ戻してくれるのか?
人生に本当に必要にして充分なものは、生きてゆくために必要とするものだけだ。必要としないものまで持てば、それはすべて邪魔物であり、処分、処理の手間を増やし、人を疲労させるだけだ。
食事は食べる分だけあればいい。ベットは一台あればいい。財産なんて必要なだけあればいい。妻は自分に優しい言葉をかけてくれればいい。友達だってたくさんいらない、信じられる者が少しだけいればいい。
人には「身の丈」という決して超えることのできない制限があって、それを無理に超えようとすれば邪魔な足かせになるだけだ。
股下60センチの君が90センチのズボンを履いてどうする?
Mサイズの君が3Lサイズの衣類を身につけてどうする?
身の丈に合ったものだけが快適だと分からぬか?
これを「ジャストパフォーマンス」と言い、人生にもっとも大切な価値観であって、これを大切にする人々は、無駄のない、身軽な人生ほど気楽で素晴らしいものはないと知っている人々なのである。
ジャストパフォーマンスの思想は、人々が資本主義のもたらした競争や強欲に駆り立てられて無駄な生産活動を繰り返して環境汚染による自滅に至る本質的な欠陥を是正するために、一番大切な思想であることを理解していただきたい。
持続可能な未来は資本主義には不可能だ。資本主義は際限のない競争に晒され、最後は、全人類を道連れに断崖から集団飛び降り自殺するレミングの群れである。
「必要に応じて必要な生産をする」未来を保証する計画経済の原理を理解するために絶対に必要な価値観がジャストパフォーマンスである。
うちの隣に住む一人暮らしのオッサンは、引っ越してきてから、すでに三回も新車を購入してるが、全部クラウン上級車ばかりだ。
当地は急な長い坂があって、雪が降れば四駆しか登れない。道も狭いので軽自動車がぴったりなのだが、どうしてもクラウンでないと納得できないらしい。よほど「上級市民」と思われたいのだろう。
だから雪が降ると、車が動けなくて必死に雪かきをするのだが、それを必要としない軽四駆の私にも、雪かきを強要するから腹が立つ。
近所の別荘地に住む土建屋は道幅以上のハマーに乗ってくる。道が狭いから4トン車なみのハマーなんか走られたら、他の車は大変なことになる。
どこの駐車場でも二台分に跨って駐めている。
自分が特別なエライ人間であることを誇示したくて仕方ないわけだ。
こういうのを「オーバーパフォーマンス」自己陶酔人生と言う。本人は、きっと周囲の人たちを、みんな自分より劣ったアホだと思ってるのだろうが、実は周囲から馬鹿にされてることを理解できない。本人は勘違いして喜んでるわけだ。
他人より、はるかに多くのカネをため込んで、人の羨む豪華な家や、高級車や美人妻を持って、自分は「エライ人」になってるつもりの真性のアホが無数にいる。
無駄な所有を自慢することで優越感を満足させている間に、実は社会の本質を見抜いている賢者たちから軽蔑され、アホ呼ばわりされてることに気づいた方がいい。
大きな家なんか使い心地が悪い。掃除が大変だ。小さな家なら、あちこち動かなくとも何でもできる。住むなら小さな家に限るぞ。
美人は三日で飽きるがブスは三日で慣れるんだぞ。ひとたび愛してしまえば容姿なんか何の関係もない。人の苦しみを思い知ってるブスの方が桁違いに優しくて「良き妻」なんだぞ。心を癒してくれる美人妻なんて聞いたことがない。
人類史を振り返ってみれば、他人より多い所有を自慢し、優越感に浸る馬鹿が絶えた試しがないが、彼らが幸福な人生を送ったという話を聞いたことがない。
いったい、どんなメカニズムで、蓄財や権力を良き人生と勘違いするようになったのか、ちゃんと知っておくべきである。
そもそも金持ちとは何か、君は知ってるか?
それは、労働して正当な対価を得て生活するという人間社会の秩序を無視し、私利私欲だけに突き動かされた蓄財を求め、不当な対価を得て、他者に優越感を抱こうとしている一群の人々のことである。
資本主義社会では、誰でも当然の権利と勘違いしてる人が多いが、本当の正しい社会、持続可能な未来を作り出すために何をすべきか理解している人々にとって、正当な労働対価以外の蓄財と他人に優越する華美贅沢な生活を求める発想は、利己主義による社会破壊者として嫌悪され、排斥されるべき誤った思想なのである。
まだ「金持ち」の発生しない時代、人間社会には差別もなく、自由で平等で博愛の社会であった。すべての交換は正しく行われ、詐欺師も発生せず、人々に大きな不満もなかった。
物々交換の長い歴史の中から、便利さを求めて普遍的交換価値を設けようと考える時代がやってきた。
人間が労働して対価をもらう。その対価は、はじめ必ず1日分の生活費を単位とする物資であった。
最初は、それを麦や葡萄酒のような食料で支払ったが、遠方に持ち運ぶ人たちにとって軽くて便利で融通の利く交換価値として通貨が発生したのである。
旧約聖書に出てくる3500年前の最初の通貨は「シェケル」で、これは銀を意味し、その重さを意味した。
やがて、それが1シェケルという通貨として通用するようになった。
これで一日分の生活のすべてをまかなうことができたから、1シェケルとは一日の労働代名詞ということになった。
まだ、この時代には、通貨はすべて、あらゆる物資と交換可能な兌換通貨であり、あくまでも食料の代替物であった。
シェケルは一日分の労働対価を意味する交換価値であって、そこには、一つのウソもない。
このとき人類社会には実物経済しか存在しなかった。
ところが!
この通貨というヤツが、人類社会にとって便利なようでもありながら恐ろしい悪魔=虚構=「金持ち」を作り出したのだ。
金銀銅や小麦やパンや葡萄酒が通貨の役割を果たしている社会にウソはなかった。
だが、やがて、それらのすべてと交換できる便利な交換価値として発明された「通貨」にはウソが満ちていた。
人々は便利さに飛びついたが、そこに社会の健全性にとって人類史上最大の巨大な罠が待ちかまえていたことに気づいた人は少なかった。
最初、通貨の発行権を握り、兌換価値は同じでも、製造単価を下げることで通貨発行者がボロ儲けできることに気づいた一群の人々がいた。
通貨をより安く大量に作り出す権利を手に入れることで、彼は一日分の対価の何十倍、何百倍という交換価値を不当に手に入れることができるようになったのだ。
この頃、同時に「金貸しと金利」も成立した。
これを始めた悪党どもこそ聖書に出てくるユダヤ教徒=パリサイ人である。イエスは通貨を支配して不労所得を重ねる「最初の金持ちども」=パリサイ人を激しく憎悪し、「マムシの子ら」と呼んだ。
後にフランキスト派と呼ばれるパリサイ人の末裔の中から、世界の富の大半を独占するロスチャイルド一族が登場してくる。
現代におけるユダヤ金融資本の一味は、すべて、ここから派生している。
彼らは聖書の時代から現代に至るまで、通貨を支配することで人類を支配する巨大カルトとなったのである。
イエスの生きたローマ時代に1シェケルが1デナリという名に変わったころ、同じ、一日分の労働対価を意味しながら、貨幣をなす銀の材質と重さが大きく変化してゆく。
ローマ帝国という国家権力が通貨発行権を握り、どんどん改鋳を進め、銀を軽くし、代わりに銅を使ったりして、兌換性を貶めていった。
これは世界中の権力者のやる常套的手口の詐欺である。
さらに紙の発明によって、通貨に究極の欺瞞=詐欺が持ち込まれた。
紙幣の登場である。
最初の紙幣は1000年前の中国に登場したようだ。
紙幣というものは世界共通で、「預かり証文」が原型になり、そのまま交換価値のある通貨として利用され進化を遂げたものである。
それは最初から「貸してやる側」のものであり、高利貸しの証文をイメージすればよい。
それは、たちまち硬貨の上位に置かれる通貨として君臨するようになった。
紙幣の何が問題なのか?
そのコストが硬貨に比べて桁違いに安いから、紙幣発行権さえ手に入れてしまえば、元手がなくともボロ儲けが可能になったのである。
今、我々の社会で流通している硬貨の製造コストと金属価値
1円玉= 14円=0.3円
5円玉=4円=1.6円
10円玉=42円=3円
50円玉= 20円 =3円
100円玉=73円 =3.4円
500円玉=43円=3.6円
紙幣の製造コスト
1万円札が20.0円、5000円札が19.5円、1000円札が13.3円
こうして見れば、紙幣の発行権を握れば、凄まじいボロ儲けが可能であることが分かるだろう。 現在、年間の総発行額は600億円程度であるという。
この発行権を握っているのは各国中央銀行で、日本の場合は日銀である。
紙幣の本質は金融詐欺以外の何ものでもない
紙幣発行権を握った者たち(ほとんどの場合、ユダヤ系カルト集団)は、ただ権利と印刷機だけを持っていれば、無限の富を生み出せる。
正当な労働対価など、どこにも存在しないのである。
紙幣を発行して、中央銀行を名乗って銀行に貸し与える。これには一定の金利がついている。
発行者は印刷機を動かすだけの労働で、無限の富を生み出し、さらに金利でボロ儲けできる仕組みだ。
https://www.youtube.com/watch?v=el5b2IozYXQ
アメリカの紙幣発行権を持つのはFRBで、これはアメリカ政府から独立したユダヤ系巨大銀行6社の共同出資による私的金融機関である。
ところが合衆国憲法1-5では、通貨発行権は連邦議会のみに許された権限であり、私的銀行にすぎないFRBは憲法違反なのである。
これを誤魔化すためにFRB紙幣は「通貨ではなく少額国債証書」という詭弁が用いられてきた。
この欺瞞に注目し、FRBから通貨発行権を取り上げようとした4名の大統領、リンカーン・ガーフィールド・ハーディング・ケネディは、全員、在任中に殺害された。
ドル紙幣には、ピラミッドの上に目玉が描かれた薄気味悪いデザインになってるが、これが有名な「世界を監視するルシファーの眼」で、通貨発行権を死守する世界最強のカルト集団のマークである。
このマークは、「この通貨の使われる国は我々が支配している」という宣言であると言われる。
ちなみに日本の千円札にも同じマークが描かれている。野口英世の気味悪い目玉を透かしてみれば、富士山に見せかけたピラミッドの上に目玉が乗ってる構図が鮮明にわかる。
つまり日本国家も、通貨を支配するカルト集団に支配されてるわけだ。
これに異議を唱えた日本国=経世会所属の総理大臣らは残酷な運命に見舞われ不可解な死に至っている者が多い。
紙幣の本質は、ただの紙くずにすぎない。狸が持ち出した木の葉にすぎない。金貨銀貨銅貨なら、一定の金属価値が保証されるが、紙幣は「額面の金と交換しますよ(金本位制)」という兌換宣言とともに紙屑から通貨に昇進するわけだが、これは、いつでも反古にできるのである。
日本の場合は、1932年、ニューデール大恐慌後、相場大暴落があり、為替レートが欧米に極端に有利になったせいもあって、日本紙幣を持った外国資本家が、それを金に変えて外国に持ち去ったため、兌換廃止を宣言するしかなかった。
1971年、ニクソン大統領は、ドルの金本位制廃止を宣言、兌換を停止したことで、IMFなど世界経済の根底を支えてきた基軸通貨は一夜にして木の葉に変わってしまった。
背景には、ベトナム戦争の出費増大で米政府予算が枯渇し、ドルを金に替えた方がトクな資本家(実はアメリカに住むユダヤ人であるといわれる)が大量に登場し、アメリカにあった金在庫が失われてしまった事情があったといわれる。
以来、米国金資産は回復せず、世界各国がIMFを通じてアメリカに貸与して保管しているはずの純金は、実はほとんど存在していないと言われる。
現在までのアメリカは、国家経済を支えるのに、莫大な米国債を発行し、さらにドルを無制限に印刷して銀行に貸与するという、壮大な詐欺によって成立している。
ウソ、インチキの極地!
架空経済を巨大に膨らませた不動産と株
紙幣というものは貸し付け証文から発展したのだが、紙幣の普及は、物理的な(大きさ重さ)意味で大金の取引を可能にし、詐欺師どもは、より多額、高額の詐欺を次々に編み出した。
その頂点に君臨するインチキ経済を生み出したのが株式である。
株取引こそは一日の労働対価が生み出した実体経済を真正面から破壊するインチキ虚構経済の徒花であった。
企業価値が実体経済で10億円分あったとしても、株式の発行という虚構=詐欺を行うことで、1000億円の実態があるかのように装う虚構経済が成立するようになったのである。
証券という紙屑の人気が上がれば、株価はどんどん吊り上がってゆく。資産価値は膨大に膨れあがってゆくが、それに見合った実体経済の裏打ちはあるのか?
株式総額に見合った、正当な労働対価が存在するのか?
そんなものは存在しない! 何もかもウソに満ちた虚構のカネであって、狸が木の葉で作り出した幻想にすぎないのだ。
なぜ株市場が登場したのか?
それは、紙幣発行権を手にして労働対価、実体経済のないボロ儲けに成功した者たち、汚い銀行屋が、より簡便で大きな金儲けのできる仕組みを生み出した結果なのだ。
株式が登場してからは、もう際限のないインチキ経済が爆発的に世界を制覇した。
先物取引(デリバティブ)は、あの手この手の博打、詐欺商法を開発した。
例えばレバレッジという仕組みは、元手の数倍もの資金を、ろくな担保も必要とせず運用できる正真正銘の詐欺である。失敗したなら逃げるだけでよい。
成功したら博打における親の総取りのようなボロ儲けが可能である。
倒産に対する保証保険まで成立した。ありとあらゆる経済詐欺師を満足させる仕組みが登場してきたのである。
国際経済も詐欺に覆われた。
例えば中国経済が正当な取引の場合、2015年段階で外貨準備高が崩壊していて国家デフォルトを引き起こしているはずなのに、2017年現在さえ、何事もないかのように振る舞っている事情を見れば端的に分かる。
何をやったか? 国家資産の担保に不動産バブルを利用したのである。
もちろん中国不動産市場のバブルなど、とっくに破裂してるが、秘密裏に、それが生き続けているかのような工作で世界を騙し、ありもしないバブル価値を作り出し、それで担保を支えている。
完全な詐欺の世界である。
世界経済は詐欺で成立している。
正当な労働対価で裏打ちされた世界経済の総額は7000兆円にすぎないのに、株式や先物、国債などの虚構経済による総額は、実に数十京円=数十倍を超える。
金持ちとは、この不労所得の分捕り合戦をゲームとして遊んでる連中を指すのだ。
しょせんゲームでしかないのだから、本業に身が入るはずもなく、農林中金、シャープや東芝の経営者たちは先物遊びによって会社を滅ぼしてしまった。
日本政府、安倍政権は国民の大切な年金資金を、ほぼ壊滅させ、外国(ユダヤ金融)に垂れ流してしまった。
翻って「金持ちとは何か?」
正当な労働対価ではなく、通貨発行権や国家権力の利権を使って、ボロ儲けする一群の人々を意味することを上で説明してきた。
そもそも人類はみな平等であり、連帯しなければ生きてゆけないように設計されているのに、自分だけ他人に秀でて蓄財し、ますます自分の資産を増やして、たくさんの他人を見下そうとする連中を「金持ち」というのだ。
こうした連中は、資本主義における教育=競争の強要によって生み出される。「他人を蹴落として利己主義的な蓄財を権力に走ることだけが正義である」と幼いうちから洗脳された者たちの中から登場してくるのである。
彼らは、自分の愚かな人生を正当化し、優越感を抱くために、儲けた金を決して他者に分配せず、自分の人生を飾り、他人を萎縮させるために使うのである。
だから一台しか見られないテレビを30台も保有し、一台しか乗れない車を10台も保有し、一部屋でしか眠れない寝室を10も作り、一食しか食べられない食事を10人前も用意させる。
強欲に導かれて集めた金は、強欲にふさわしい使い道しか残されていない。
それは他人の幸福のためには絶対に使われない。社会の無駄、悪事を作り出すためだけに存在しているのである。
彼らは1の労働で100の対価を受け取る利権を作り出した。
そして、それだけでも飽き足らなくなり、強欲が際限なく膨らんでいった。
彼らは正当な労働対価で生活する大多数の人々を見下し、自分たちの利権がますます拡大するような不当なシステム作りに成功することが自分たちの聖なる使命だと思いこむようになった。
金持ちたちは、大衆が正当な労働対価を与えられる社会が面白くないと感じるようになった。
もっと賃金を安くできるはずだ。もっと、長時間こき使えるはずだ。
もっと自分たちの特権を強固にし、貧乏人を差別し、睥睨し、君臨できる体制のために、社会を改造しなければならないと使命感を抱くようになった。
労働者の権利を高める勢力との戦争に勝利しなければならないと。
文句を言ったり反逆したりする貧乏人どもを徹底的に監視し、反逆の芽を摘み取る強固な国家権力が必要であると考えるようになった。
そうして、金持ちの利権を強固にし、国民を監視し、国家の役に立たない者は殺してしまえと考える超独善政権が成立するようになった。
それが麻生太郎であり安部晋三である。
もうすぐ、安楽死法案が登場してきて、自分たちの利権に役立たない障害者や老人を早く死なせてしまう体制ができることだろう。
だが、金持ちは、とんでもない勘違いをしていた!
「自分たち金持ちの使う金で経済が回ってる」
と彼らは本気で信じていたのだ。
貧乏人など、経済に与える影響はわずかだ。奴らから搾り取れるだけ搾り取っても国家経済は何の影響も受けない。
これが消費増税の考え方であった。
消費税3%を実現したのは1989年竹下内閣であった。
最初に引き上げたのは、社会党を潰すために登場した村山富市内閣で、実質5%に挙げるとともに、財界へのお土産として原発核開発を容認した。この男は経団連のスパイと呼ぶにふさわしい。
それから橋本内閣で正式に5%、鳩山は消費税を上げないと公約して民主党政権成立に成功した。
ところが菅直政権で消費税10%引き上げを提示して民主党政権は完全崩壊した。
ついでに菅は、経団連の代理人としてベトナムへの原発輸出を始めた。事故時の負担は日本国民の負担という条件付きであった。
この男も経団連の代理人として働いただけだった。
後を次いだ野田豚佳彦も戦後最悪の経団連スパイ宰相になり、消費税8%引上げ法案可決。
あまりの馬鹿さ加減、第二自民党であることを表明した民主党は永久に政権を失うことになった。
2014年に登場した憲政史上最悪のアホ内閣と評される安部晋三が8%消費税を実行。さらに10%に上げようとしたが、クルーグマンらに「日本が潰れる」と諭され、腰が引けて延期している。
振り返ってみれば、最初に消費税3%が実施されたのが1989年。
この年から日本経済は未曾有の巨大不況に突入し、28年後の今でも不況から抜け出すどころか溺死寸前で、中国が不動産バブルを演出して担保価値で持っているように、日本経済は日銀による無制限の株と国債の買い上げという真っ赤なウソ経済だけで生き延びてるフリをしているのである。
日本経済の内需低迷は、消費税による購買力弾圧とともに存在するのであり、消費税が廃止されれば、たちまち大規模な経済活性化が起きるとクルーグマンはじめ、たくさんの本当の経済学者が指摘している。
この28年間の巨大不況の正体とは何か?
それは消費税なのである。
「税収は社会福祉に使われる」と調子のいい、ウソに満ちた弁明が繰り返されてきたが、もちろん、口先だけのそれが実現した例は皆無で、得られた税収は官僚たちの遊びカネと議員を含む給料の勝手な増額にしかならなかった。
「消費税を徴収したせいで日本経済は大不況に陥った。」
この真実の意味するところは何なのか?
それは、日本経済を真に支えているものは、消費増税で激しく打撃を受ける経済的弱者であるという真実を意味するのである。
よく考えてみればいい。どんな金持ちだろうが、貧乏人だろうが、一人の人間が生きてゆく上で消費する物資、経済は、決して大きな差があるわけではない。
大金持ちは、総資産が我々の1000倍もあるとしても、生活実費として使われるのは、せいぜい数倍にすぎない。
これが実体経済の本当の意味なのだ。
最初に私は、実体経済の真の意味について、一日の適正な労働対価であると書いた。
日本社会を支えているのは、大金持ちの博打投機ではない。貧しい労働者、生活者たちが日々、使う日用品や食料品の消費によってなのである。
今や、実体経済の数十倍の虚構経済が社会を支配している、というのは名目にすぎず、たった今でも、株式、先物、不動産などの虚構価値を差し引いた真の日本経済は、たぶん50兆円もない。
虚構経済の規模が、どんなに大きくとも、それには実体経済=正当な労働対価が存在しないバブルであり風船にすぎないのである。
それは針で突けば、たちまちこの世から消えてしまう、はかない幻想にすぎない。
真実の経済は、社会的弱者によって支えられている。
これが唯一の真実であり、金持ちの持っている正当な労働対価以外の資産は、すべて虚構であり、儚い幻にすぎないのである。
余分な金は狸のばらまいた木の葉にすぎない。
正当な労働対価だけが経済の真実であり、実体であり、社会の本質である。
社会は弱者によって支えられている。
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