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徽宗皇帝のブログ

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「思いつき」と「学説」
私は「現在の主流学説」に異を立てる姿勢は好きだが、そこには合理的な筋が通っていての話だ。
下のツィートは政治の中心が経済の中心と一致しなければならない、という偏頗な思想であり、そもそも、安土城ではなく、近江という土地自体が当時の経済の要地だったのではないか。坂本に馬借が発展したのはそのためだろう。
安土城がどうこうというのは、まるで「霞が関を経済の中心にしなければならない」というようなものだ。江戸時代に江戸城は経済の中心だったか? いや、大阪が経済の中心であり、それも大阪城は無関係だっただろう。
楽市楽座が安土城周辺だけのものだったか、覚えていないが、仮にそうだとしても、自分の城を新開地に立てるなら、城内の生活の便宜のために城の周囲に人が集まるようにするのは合理的そのものの思想であり、まさに生きた経済であるだろう。


(以下、某ツィートより引用)現在のツィッターはそのまま全体を引用できない仕様のようだ。


織田信長は経済センスがあり商業流通を重視したなんて言われがちなのですが、個人的にはホンマかいなと思っていて、例えば信長の安土楽市楽座令なんて城下町を商業流通の中心とする施策で云々とか説明されがちですが、そもそも安土城は当時の商業ルートから外れた場所に建設されており、そのままでは→


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