「混沌堂主人雑記」所載の蚊居肢記事の一部で、柄谷行人の文章を主とする。
私は柄谷行人という「知識人」にはまったく興味が無かったが、この文章でかなり敬意を持った。立派な思想家であり、明晰な文章家だ。
言うまでもなく、私はマスコミ知識人全体を軽蔑していたのである。マスコミに重用されること自体が、その低劣な人格の証明だ、ということだ。しかし、柄谷行人は、マスコミからはさほど重用されていなかったようで、その原因が下のような思想の持主だったからかもしれない。まあ、ネトウヨ的言い方だと「パヨク」扱いだったのだろう。
ひとつ警句を書いておく。私自身の発明だ。
「犯罪を、その犯罪者は簡単に忘れ、その被害者はけっして忘れない」
権力者集団による巨大犯罪(集団犯罪)に関しては、マスコミと教育で隠蔽・美名化・事実捏造されるので、犯罪自体が後世では有耶無耶にされる。
(以下引用)
私は柄谷行人という「知識人」にはまったく興味が無かったが、この文章でかなり敬意を持った。立派な思想家であり、明晰な文章家だ。
言うまでもなく、私はマスコミ知識人全体を軽蔑していたのである。マスコミに重用されること自体が、その低劣な人格の証明だ、ということだ。しかし、柄谷行人は、マスコミからはさほど重用されていなかったようで、その原因が下のような思想の持主だったからかもしれない。まあ、ネトウヨ的言い方だと「パヨク」扱いだったのだろう。
ひとつ警句を書いておく。私自身の発明だ。
「犯罪を、その犯罪者は簡単に忘れ、その被害者はけっして忘れない」
権力者集団による巨大犯罪(集団犯罪)に関しては、マスコミと教育で隠蔽・美名化・事実捏造されるので、犯罪自体が後世では有耶無耶にされる。
(以下引用)
もちろん日本も脱亜入欧により世界の寄生虫の一匹となったのである。
日本の植民地政策はアメリカと同様、ひどくクセが悪いことで知られている。
日本の植民地政策の特徴の一つは、被支配者を支配者である日本人と同一的なものとして見ることである。それは、「日朝同祖論」のように実体的な血の同一性に向かう場合もあれば、「八紘一宇」というような精神的な同一性に向かう場合もある。このことは、イギリスやフランスの植民地政策が、それぞれ違いながらも、あくまで支配者と被支配者の区別を保存したのとは対照的である。日本の帝国主義者は、そうした解釈によって、彼らの支配を、西洋の植民地主義支配と対立しアジアを解放するものであると合理化していた。むろん、やっていることは基本的に同じである。だが、支配を愛とみなすような「同一性」のイデオロギーは、かえって、被支配者に不分明な憎悪を生み出すこと、そして、支配した者に過去を忘却させてしまうことに注意すべきである。
こうした「同一性」イデオロギーの起源を見るには、北海道を見なければならない。日本の植民地政策の原型は北海道にある。いうまでもなく、北海道開拓は、たんに原野の開拓ではなく、抵抗する原住民(アイヌ)を殺戮・同化することによってなされたのである。その場合、アイヌとに日本人の「同祖論」が一方で登場している。〔・・・〕
この点にかんして参照すべきものは、日本と並行して帝国主義に転じたアメリカの植民地政策である。それは、いわば、被統治者を「潜在的なアメリカ人」とみなすもので、英仏のような植民地政策とは異質である。前者においては、それが帝国主義的支配であることが意識されない。彼らは現に支配しながら、「自由」を教えているかのように思っている。それは今日にいたるまで同じである。そして、その起源は、インディアンの抹殺と同化を「愛」と見なしたピューリタニズムにあるといってよい。その意味で、日本の植民地統治に見られる「愛」の思想は、国学的なナショナリズムとは別のものであり、実はアメリカから来ていると、私は思う。岡倉天心の「アジアは一つ」という「愛」の理念でさえ、実は、アメリカを媒介しているのであって、「東洋の理想」ではない。
札幌農学校は、日本における植民地農業の課題をになって設立されたものである。それが模範にしたのは、創設においてクラーク博士が招かれたように、アメリカの農業、というよりも植民地農政学であった。われわれは、これを内村鑑三に代表されるキリスト教の流れの中でのみ見がちである。しかし、そうした宗教改革と農業政策を分離することはできない。事実クラーク博士は宣教師ではなく農学者であったし、また内村鑑三自身もアメリカに水産科学を学びに行ったのであって、神学校に行ったのではない。さらに、内村と並ぶキリスト教徒の新渡戸稲造は、のちに植民地経営の専門家となっている。
北海道は、日本の「新世界」として、何よりもアメリカがモデルにされたのである。そして、ここに、「大東亜共栄圏」に帰結するような原理の端緒があるといえる。〔・・・〕日本の植民地主義は、主観的には、被統治者を「潜在的日本人」として扱うものであり、これは「新世界」に根ざす理念なのである。ついでにいえば、こうした日米の関係は、実際に「日韓併合」にいたるまでつづいている。たとえば、アメリカは、日露戦争において日本を支持し、また戦後に、日本がアメリカのフィリピン統治を承認するのと交換に、日本が朝鮮を統治することを承認した。それによって、「日韓併合」が可能だったのである。アメリカが日本の帝国主義を非難しはじめたのは、そのあと、中国大陸の市場をめぐって、日米の対立が顕在化したからにすぎない。(柄谷行人「日本植民地主義の起源」初出1993年『ヒュ―モアとしての唯物論』所収)
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