「東海アマブログ」記事で、その中の引用記事は、似たような記事(社会のAI化は文明の必然である、という記事)がネットに多いと思うので省略する。アマ氏自身の意見には貴重な指摘があり、その政治的偏見ぶちまけ部分は無視して読むのが精神衛生的にはいいだろう。
私も、氏の主張する「AI依存社会の脆弱性(危険性)」には完全に同意する。基本的に、ライフラインを一本化することほど愚かしいことはない。それは、そのライフラインを支配するもの(電気を支配する者)にすべての権利と権力を与え、社会全体を完全に主人と奴隷にするのである。そして、事故が起こった場合、すべてが回復不可能なレベルで崩壊する。空前絶後の大量死が起こるだろう。
(以下引用)
私は、AIに関するさまざまな論説を見ていて、すべて、決定的に重要な視点が欠落しているように思えた。だから致命的な欠陥がある。
それはAI化社会を支配する勢力と体制の視点がないことだ。
我々の人間社会は、「階級社会」である。強い立場の者が弱い立場の者を利用し、管理する弱肉強食の社会である。
我々が今いる社会体制は、資本主義であり新自由主義である。だから、コンピュータとAIを支配管理する主体は、資本家であり超大金持ちたちであって、決して労働者、市民ではない。
AI化社会は、誰の利益のために作られるのか?
それは、資本家と超大金持ちたちのためであって、決して労働者、市民のためではない。
それは、過去半世紀の機械化労働の進化と同じ意味を持っている。AIは労働機械の延長にすぎず、だから、そこから産み出される合理化による利益は、すべて体制の管理者と支配権を持っている大金持ちの懐に納まることになっている。
私が底辺の労働者だった時代、荷役は「手積み手降ろし」で、50Kgもの梱包を肩に乗せて運搬する、いわゆる「苦力」だった。
それで1970年代にフォークリフトが普及して、トラックから直接、荷物を置き場まで運べるようになり、もの凄く楽になった。
AIも、フォークリフトの延長として考えられているのだが、我々の仕事が直接の苦役から解放されたとはいえ、合理化、利便化によって生じた利益は、我々、現場労働者のものではなく、企業のものであり、企業経営者のものにすぎなかった。
フォークリフトもAIも企業の利益のために導入されているのである。それは労働者の救済のためではない。
冒頭に紹介したような、「AI社会が人類の未来を変える」という類いの論調は、AI社会が、「資本家=企業の儲けを増やすために導入される」という視点が欠落していて、それが、あたかも全人類のライフスタイルを変えてしまうかのように宣伝しているが、実は、AIを導入させる者たちは、自分たちの利権のためにAIを利用するのであって、全人類のライフスタイルを合理化するために利用するのではないという現実をまるで見ていない。
底辺の労働者にとて、AIはフォークリフト以上の意味を持つものではない。雇傭され、搾取され、利用される本質は何一つ変わらないのだ。
AIは、あらゆるシステムを最適化し、合理化するというが、それを望まない人々もいるのだ。
富士山に登るのに、私は自分の足で苦労して登って達成感を味わいたい。だが、山梨県や富士急グループは、「交通機関を作れば簡単に上れるじゃないか!」と、電車とケーブルカーの設置に邁進している。
「余計なお世話だ!」、我々は自然に自然との交流を求めている。人為的手段を利用したって、満足感が得られないのだ。
AI化を求めている人は、富士山ケーブルカー登山を求めている人と同じ発想なのだ。
リニア中央新幹線で、名古屋と品川間が40分で結ばれる。だが、品川駅も名古屋駅も大深度なので、地上との出入りに往復30分かかる。すると現行1時間半の新幹線と、ほとんど実質移動時間が変わらない。
人口減少と所得減少で、利用者が拡大する可能性も少ない。電気代は新幹線の4倍で、原発を増設再稼働しなければ、システム起動電力の確保が不可能だ。
こんな奇っ怪なシステムに数十兆円の血税が投入されている。
私はAI化社会を推進している人の発想と、リニア新幹線推進の発想は似ていると思う。
AI化社会は、合理化で一部の企業には大きな利権をもたらすにちがいない。しかし、それが、本当に労働者の人間解放につながるのかといえば、極めて疑わしい。
AI化社会で最大の恩恵を受けるのが農業だという。田植え、耕耘、種まき、水やり、収穫が完全自動化されるのだという。もう農民が腰を痛めて、かがんで歩かなくとも良くなる。だが、それによる利益は、誰の懐に入るの?
私たちは、小さな農園を、自分で耕し、種を蒔き、自然とやりとりしながら植物の生長を見守って、収穫の喜びを味わいたい。楽をすれば、楽しいわけではない。
だが、AI化農業は、それを許さなくなるのだ。
AIなんて偉そうに言うが、それは単にプログラムの延長にすぎない。ホーキンスは、やがてプログラムが自分をプログラムするようになり、自律的存在になると、意味がまったく変わってくるといった。そこには人格が生じるというわけだ。
だが、それを管理し、支配するのもまた、AIを導入した資本家=企業なのだ。
だがら自然的悪人やOSO18のような人間社会に害悪をなす存在に変化する確率は限りなく低い。
AIを導入する意思、計画のなかに、それが秘められていたなら話は別だが。
私がAI化社会を否定する最大の理由が、その脆弱性にある。
それは、まるでEVカーを見ているようだ。EVカーの場合は、充電インフラや、電池の温度特性、電池のエネルギー密度が化石燃料の30分の1しかない決定的脆弱性に加えて、化石燃料自動車が150年の歴史と経験則を持っているのに対し、EVは10年程度の経験則しか持っていない。
AIも同じで、AI化社会の構想が始まって、まだ20年しか経ておらず、実用は10年ほどの経験則しかない。ホーキンスが心配した自律AIなど、どこにも存在しない。
AIの致命的弱点は、それが電気的特性に依存しているということだ。
地球には、電気インフラを壊滅させる可能性のある事象が存在している。
たとえば、太陽黒点活動による強力なフレア、荷電粒子が地球軌道に巻き付くことで、地表のあらゆる金属に誘導電流を発生させ、キャパシティを超えたサージ電流によって、ICチップ回路が破壊される問題だ。
X100級フレアは20年に一度、発生しているとNASAが発表しているが、これまで問題にならなかったのは、その軌道が地球を外れていたからにすぎない。
もしも、地球軌道を直撃すれば、想像を超える被害が出るが、それが人工的に行われる可能性も強い。ロシアや中国、北朝鮮は、EMP核爆弾を実戦配備しているといわれる。
これはアメリカのスターフィッシュ大気圏核実験のなかで、宇宙水爆実験を行い、ハワイジョンストン島周辺の電力インフラを破壊し、修復に3年を要した経験から始まっている。当時はICがなく、変電所の変圧器や電気機器のコイルの修復だけですんだ。
だが、アメリカに敵対する各国が、ハワイの被害をみて、一斉にEMP核爆弾の開発を始めたのだ。
この水爆は、最初死者を出さないので、第三次世界大戦のはじめに使われるといわれている。
このとき、IC回路の塊といえるAIシステムは、真っ先に破壊される。事実上復旧不能くらいまで叩き壊されるだろう。実は、電気水道ガスなど、生活インフラの大半にICチップが使われるようになっていて、その被害は、EMPが爆発すれば、地域住民の9割がインフラ崩壊によって死滅すると米軍が報告しているほどだ。
世界中のコンピュータが二度と使いものにならないほどサージ電流によって回路を焼かれてしまう。
問題は、現在の航空機、兵器、自動車、船舶で、IC回路のお世話にならないものは皆無ということだ。人々はICを使っていない1970年代以前の車を使わねばならなくなるが、そんなものはすでに存在しない。
これらが、一斉に粗大ゴミになることで、人間社会は19世紀に戻らなければならなくなる。
どういうことかというと、まずは食料を生産するために、畑をスコップや鍬で耕さねばならなくなる。そして散水、収穫まで全部手作業になる。
このとき、AIに依存していた人々は悲惨な事態になるだろう。そもそも、ろくに歩かずに無人自動車を喜んでいた人たちが、本当に畑を耕せるのか?
大切なことは、車に頼らず歩ける能力、畑を耕せる能力、収穫できる能力なのだ。
AI化を喜ぶよりも、前世紀のこうした人間力を確保してゆくことが、地球で生き延びるために本当に必要なことだ。
AIが人間社会を救うなんてのは、幻想にすぎない。
それは資本家の利益を増すためにのみ必要なものなのだ。
我々、人間解放を求める者は、AIなど見向きもせずに自然力、人間力を確保し、鍛えてゆくことが必要であり。自然的人間の価値観のなかに生きてゆく必要がある。
AIのバックボーンは、あまりにも脆弱である。たかだか70年程度の歴史しかない技術に幻想を抱いてはならない。
AIは人類史のなかで、線香花火のように光って消えてゆく運命なのだ。
私も、氏の主張する「AI依存社会の脆弱性(危険性)」には完全に同意する。基本的に、ライフラインを一本化することほど愚かしいことはない。それは、そのライフラインを支配するもの(電気を支配する者)にすべての権利と権力を与え、社会全体を完全に主人と奴隷にするのである。そして、事故が起こった場合、すべてが回復不可能なレベルで崩壊する。空前絶後の大量死が起こるだろう。
(以下引用)
私は、AIに関するさまざまな論説を見ていて、すべて、決定的に重要な視点が欠落しているように思えた。だから致命的な欠陥がある。
それはAI化社会を支配する勢力と体制の視点がないことだ。
我々の人間社会は、「階級社会」である。強い立場の者が弱い立場の者を利用し、管理する弱肉強食の社会である。
我々が今いる社会体制は、資本主義であり新自由主義である。だから、コンピュータとAIを支配管理する主体は、資本家であり超大金持ちたちであって、決して労働者、市民ではない。
AI化社会は、誰の利益のために作られるのか?
それは、資本家と超大金持ちたちのためであって、決して労働者、市民のためではない。
それは、過去半世紀の機械化労働の進化と同じ意味を持っている。AIは労働機械の延長にすぎず、だから、そこから産み出される合理化による利益は、すべて体制の管理者と支配権を持っている大金持ちの懐に納まることになっている。
私が底辺の労働者だった時代、荷役は「手積み手降ろし」で、50Kgもの梱包を肩に乗せて運搬する、いわゆる「苦力」だった。
それで1970年代にフォークリフトが普及して、トラックから直接、荷物を置き場まで運べるようになり、もの凄く楽になった。
AIも、フォークリフトの延長として考えられているのだが、我々の仕事が直接の苦役から解放されたとはいえ、合理化、利便化によって生じた利益は、我々、現場労働者のものではなく、企業のものであり、企業経営者のものにすぎなかった。
フォークリフトもAIも企業の利益のために導入されているのである。それは労働者の救済のためではない。
冒頭に紹介したような、「AI社会が人類の未来を変える」という類いの論調は、AI社会が、「資本家=企業の儲けを増やすために導入される」という視点が欠落していて、それが、あたかも全人類のライフスタイルを変えてしまうかのように宣伝しているが、実は、AIを導入させる者たちは、自分たちの利権のためにAIを利用するのであって、全人類のライフスタイルを合理化するために利用するのではないという現実をまるで見ていない。
底辺の労働者にとて、AIはフォークリフト以上の意味を持つものではない。雇傭され、搾取され、利用される本質は何一つ変わらないのだ。
AIは、あらゆるシステムを最適化し、合理化するというが、それを望まない人々もいるのだ。
富士山に登るのに、私は自分の足で苦労して登って達成感を味わいたい。だが、山梨県や富士急グループは、「交通機関を作れば簡単に上れるじゃないか!」と、電車とケーブルカーの設置に邁進している。
「余計なお世話だ!」、我々は自然に自然との交流を求めている。人為的手段を利用したって、満足感が得られないのだ。
AI化を求めている人は、富士山ケーブルカー登山を求めている人と同じ発想なのだ。
リニア中央新幹線で、名古屋と品川間が40分で結ばれる。だが、品川駅も名古屋駅も大深度なので、地上との出入りに往復30分かかる。すると現行1時間半の新幹線と、ほとんど実質移動時間が変わらない。
人口減少と所得減少で、利用者が拡大する可能性も少ない。電気代は新幹線の4倍で、原発を増設再稼働しなければ、システム起動電力の確保が不可能だ。
こんな奇っ怪なシステムに数十兆円の血税が投入されている。
私はAI化社会を推進している人の発想と、リニア新幹線推進の発想は似ていると思う。
AI化社会は、合理化で一部の企業には大きな利権をもたらすにちがいない。しかし、それが、本当に労働者の人間解放につながるのかといえば、極めて疑わしい。
AI化社会で最大の恩恵を受けるのが農業だという。田植え、耕耘、種まき、水やり、収穫が完全自動化されるのだという。もう農民が腰を痛めて、かがんで歩かなくとも良くなる。だが、それによる利益は、誰の懐に入るの?
私たちは、小さな農園を、自分で耕し、種を蒔き、自然とやりとりしながら植物の生長を見守って、収穫の喜びを味わいたい。楽をすれば、楽しいわけではない。
だが、AI化農業は、それを許さなくなるのだ。
AIなんて偉そうに言うが、それは単にプログラムの延長にすぎない。ホーキンスは、やがてプログラムが自分をプログラムするようになり、自律的存在になると、意味がまったく変わってくるといった。そこには人格が生じるというわけだ。
だが、それを管理し、支配するのもまた、AIを導入した資本家=企業なのだ。
だがら自然的悪人やOSO18のような人間社会に害悪をなす存在に変化する確率は限りなく低い。
AIを導入する意思、計画のなかに、それが秘められていたなら話は別だが。
私がAI化社会を否定する最大の理由が、その脆弱性にある。
それは、まるでEVカーを見ているようだ。EVカーの場合は、充電インフラや、電池の温度特性、電池のエネルギー密度が化石燃料の30分の1しかない決定的脆弱性に加えて、化石燃料自動車が150年の歴史と経験則を持っているのに対し、EVは10年程度の経験則しか持っていない。
AIも同じで、AI化社会の構想が始まって、まだ20年しか経ておらず、実用は10年ほどの経験則しかない。ホーキンスが心配した自律AIなど、どこにも存在しない。
AIの致命的弱点は、それが電気的特性に依存しているということだ。
地球には、電気インフラを壊滅させる可能性のある事象が存在している。
たとえば、太陽黒点活動による強力なフレア、荷電粒子が地球軌道に巻き付くことで、地表のあらゆる金属に誘導電流を発生させ、キャパシティを超えたサージ電流によって、ICチップ回路が破壊される問題だ。
X100級フレアは20年に一度、発生しているとNASAが発表しているが、これまで問題にならなかったのは、その軌道が地球を外れていたからにすぎない。
もしも、地球軌道を直撃すれば、想像を超える被害が出るが、それが人工的に行われる可能性も強い。ロシアや中国、北朝鮮は、EMP核爆弾を実戦配備しているといわれる。
これはアメリカのスターフィッシュ大気圏核実験のなかで、宇宙水爆実験を行い、ハワイジョンストン島周辺の電力インフラを破壊し、修復に3年を要した経験から始まっている。当時はICがなく、変電所の変圧器や電気機器のコイルの修復だけですんだ。
だが、アメリカに敵対する各国が、ハワイの被害をみて、一斉にEMP核爆弾の開発を始めたのだ。
この水爆は、最初死者を出さないので、第三次世界大戦のはじめに使われるといわれている。
このとき、IC回路の塊といえるAIシステムは、真っ先に破壊される。事実上復旧不能くらいまで叩き壊されるだろう。実は、電気水道ガスなど、生活インフラの大半にICチップが使われるようになっていて、その被害は、EMPが爆発すれば、地域住民の9割がインフラ崩壊によって死滅すると米軍が報告しているほどだ。
世界中のコンピュータが二度と使いものにならないほどサージ電流によって回路を焼かれてしまう。
問題は、現在の航空機、兵器、自動車、船舶で、IC回路のお世話にならないものは皆無ということだ。人々はICを使っていない1970年代以前の車を使わねばならなくなるが、そんなものはすでに存在しない。
これらが、一斉に粗大ゴミになることで、人間社会は19世紀に戻らなければならなくなる。
どういうことかというと、まずは食料を生産するために、畑をスコップや鍬で耕さねばならなくなる。そして散水、収穫まで全部手作業になる。
このとき、AIに依存していた人々は悲惨な事態になるだろう。そもそも、ろくに歩かずに無人自動車を喜んでいた人たちが、本当に畑を耕せるのか?
大切なことは、車に頼らず歩ける能力、畑を耕せる能力、収穫できる能力なのだ。
AI化を喜ぶよりも、前世紀のこうした人間力を確保してゆくことが、地球で生き延びるために本当に必要なことだ。
AIが人間社会を救うなんてのは、幻想にすぎない。
それは資本家の利益を増すためにのみ必要なものなのだ。
我々、人間解放を求める者は、AIなど見向きもせずに自然力、人間力を確保し、鍛えてゆくことが必要であり。自然的人間の価値観のなかに生きてゆく必要がある。
AIのバックボーンは、あまりにも脆弱である。たかだか70年程度の歴史しかない技術に幻想を抱いてはならない。
AIは人類史のなかで、線香花火のように光って消えてゆく運命なのだ。
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