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徽宗皇帝のブログ

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「暴力革命」と「敵の出方」論
「紙谷研究所」から転載。
餅は餅屋である。「敵の出方」論という、私には初耳の言葉が加藤官房長官が使って以来気になっていたのだが、下の説明でよく分かった。まあ、政権による印象操作でしかないようだ。

(以下引用)


「暴力革命」宣伝のスジの悪さ

 

 “日本共産党は現在も暴力革命を方針とする政党である”という宣伝は、現代では珍しいほどかけらも真実がない純然たるデマである。なんの根も葉もない。大昔は共産党はどうだったとか、何があったとか、そういうことを百歩譲って認めるとしても今現在共産党がそんななんのメリットもない意味不明の方針を1グラムもとっていないことはあまりにも明瞭だからである。


 もし本当に暴力革命をやるつもりでいるなら「最近どこかで武装訓練をしているのをみた」とか「あそこに大量の武器が隠してある」とか、そんな情報が、全国で100や200あっても良さそうなものだが、まるで聞こえてこない。当たり前である。そんな方針も活動も何もないからである。


 だから公安調査庁が60年もかかって日本共産党を「調べて」いるのに、いまだに破防法を適用できない。何も出てこないからである。3年成果が出なければ情け容赦なく事業が終了する世知辛いこの公務渡世で、60年も無成果の事業がよくも続くものである。公安調査庁毎年出している「内外情勢の回顧と展望」の「共産党」の項なんか、ひどいものだ。「しんぶん赤旗」の要約ですらない。公式ホームページを2、3ページ見てコピペするだけの簡単なお仕事です。共産党が暴力革命を企んでいるという「罪状」の証拠が逆さにしても鼻血も出ないので、こんな不良大学生のレポートもどきをつくって遊んでいるのである。そんな公安職員の人件費に多額の税金を長年投じていることの方が公安上の脅威だわ。


 だいたい、共産党員とか共産党議員とかいった存在はいかなる国民の身近にも一人か二人くらいいるものである。その人たちをボワワワワンと頭に思い浮かべた時、あるいはその人と向き合って話した時に、「ああ、こいつらはいかにも格闘技が強そうで、熊を倒しそうだ」とか思うことは微塵もない。どちらかといえば絵手紙教室にでもいそうな感じであるし、ともすればデイサービスやゲートボールが似合う人すら少なくない。


 共産党支部会議の様子を見てみるがいい。どれほど「恐るべき」ものか。


www.jcp-osaka.jp


「○○さんが公園でこけはった」「私らも気ぃつけんと」と、身近で切実な話題も。医療生協の活動をしているAさん(81)は、「捨てるうんこで拾ういのち」と大腸がん検診をみんなに勧めました。


 この人たちが…? 暴力で…? 革命する…? と想像するのは至難であり、無理やり想像すると笑いさえこみあげてくる。デマの中身が目の前の現実や日常の実感とかけ離れすぎているので、デマを流す側に立ってみても、まことにスジのよろしくない、二流、三流、四流、五流のデマである。


 あろうことか、佐藤優までが、なんの因果かこんな粗悪なデマに取り憑かれて、ベラベラとしゃべり散らかして、雑誌対談相手の公安にまでドン引きされる始末である。これのどこが「知の巨人」であろうかと惨状目を覆わしむる事態であった。観察力がゼロである。共産党員が「それを言われると痛い」と思うような攻撃なんかいくらでもあるのに、よりによってこれほどの隙だらけのポンコツデマに飛びついてそれを恥ずかしげもなく口にしてしまうのは、お金とか、脅迫とか、何かそういう「オトナの事情」がある以外には考えにくく、そうでないのに真剣にこのデマを口にしている人がいたら、それはただの「おばかさん」であろう。あまり人のことをそう決めつけたくはないが、事この問題に限ってだけは、そう呼ばせてもらいたい。


 


 繰り返すが、上記のことは現在の日本共産党についてである。


 「数十年前にはいろいろあったじゃないか」というのは、さっきも述べたとおり、共産党側が反論しているし、批判者は再反論もしている。そこはいろいろ議論したらいい。そこを争っているんじゃない。さっきも言った通り、百歩譲って仮に認めたとしようじゃないか。


 だけど、現在そういう方針はどこにもないことは本当に疑いようもないし、動かすことはできない。綱領にもなければ、決定にもないし、活動の実態にもないのだ。


 それなのに、「今でも暴力革命の方針をとっている」という無理筋の横車を押す人がいて、驚くべきことに政権党や政府までがそんなしょうもない理屈立てにどうして必死でしがみついているのかといえば、「立憲民主党はそんな恐ろしい政党と組むんですか!?」というクサビを打ち込みたいがためなのだが、もうちょっとマシなクサビを打ち込めよ、としか言いようがない。もっと合理的で開明的でスマートでリアルなクサビがあると思うんですよぉ。


 

「敵の出方」論

 だから、それでもうすっかりおしまいなのだが、それではあんまりなので、インターネッツにお住いの皆さんのための特別なプレミアムとして「敵の出方」論について書いておく。


 「敵の出方」論がどうだとかなんだとかわざわざそんな面倒くさい、クソ小難しいことなんか知らなくても、上述のとおり「どう考えてもこの人たちは暴力革命なんかしそうにないよね」程度で十分の話なのだが、ヒマなので書いておくだけだ。以下は、たぶん「ゼットンの火球の温度は1兆度」という知識の重要度と同じくらい、日常生活や政治生活にとってはどうでもいい話なのである。クソプレミアム。


 


 2021年9月16日現在のウィキペディアなどでは、「敵の出方論」という項目に、


革命が平和的か暴力的かは敵の出方による。現在の国家権力がたやすく権力を人民に譲渡するとは考えられない。


という共産党第8回大会の政治報告の一文が引用されたり、


わが党は革命への移行が最後的には敵の出方にかかるという立場をとっている。


という不破哲三の『人民的議会主義』の一文が引用されたりしている。


 今の感覚から考えると、「政権を獲得してそれをきちんと動かすためにはどうしたらいいか?」という問いが出たとしたら、その答えは「選挙で国会の多数をとれば政権が取れますし、ちゃんと作動させられます」で話は終わりなのだが、共産党が1950年代の混乱をようやく終えて新綱領を採択した1961年当時、これは「平和革命唯一論」などと呼ばれて、問題にする左翼が少なくなかった。議会だけしか見ていないような社会変革は、甘すぎるというのだ。


 「じゃあ、軍隊や官僚が反乱起こして、せっかくできた新しい政権の閣僚を拘束したり、殺したり、新政権の業務をサボタージュしたりし始めたらどうすんの?」「そういうことをなんも想定せずに、備えもせず、議会で多数とれば世の中変わるというのは能天気すぎない?」という批判が左翼陣営内から、カジュアルに出てきていた。


 それはいちゃもんじゃなくて、実際に東南アジア最大の党勢を誇り政権入りをしたインドネシア共産党が軍の大量虐殺によって一瞬で消滅したり、チリで政権を握った社会党共産党の連合政権がアメリカの後ろ盾を受けた軍のクーデターで政権を崩壊させられ、首相のアジェンデは殺害されるという事件などがフツーに起きていたからである。


 共産党は「あくまで平和的移行を貫きます」とするのだが、「でも軍隊がクーデターを起こすかもしれない危険性は見過ごすわけ?」としつこく言ってくる人がいたのである。


 そこで初めて共産党としては、「いや、そこまでいうなら確かに絶対にないわけじゃない。それは反乱を起こそうとする相手側の次第ではそうなることもあるよ」と認めるわけだ。これが「革命が平和的か暴力的かは敵の出方による。現在の国家権力がたやすく権力を人民に譲渡するとは考えられない」とか「革命への移行が最後的には敵の出方にかかる」とかの表現となる。


 ではそういう際に、軍隊のクーデターなどに備えて、「選挙で政権を取るオモテの顔」と「非合法の秘密の暴力部隊を育成するウラの顔」を使い分け、軍隊の反乱には自前の武装組織で戦う…というそんな方針を日本共産党が立てたのかといえば、そうしなかったのである。


 「そんときは、新政権として国民に団結を訴えるし、警察を使って取り締まったりしますよ」という答えを共産党はしたのである。


 


 だから、不破哲三は、ウィキペディアで引用されている部分に続いて、実はこう述べている。ウィキペディアの引用はわざとそこを落としているのだ。紹介する。


 


わが党が、革命への移行が最後的には「敵の出方」にかかるという立場をとっているウィキペディアの引用はここまで。そして原文にはない句点が打ってある〕のは、党と革命勢力が国会の多数を基礎に、人民の政府をつくり、革命への平和的、合法的な前進をめざして活動しても、その過程で、反動勢力が不法な暴力を行使する場合、そのかぎりで情勢の「非平和的な局面」がうまれる可能性をまったく否定してしまうわけにはゆかないからである。〔…中略…〕国民の多数の意思に挑戦するこの種の暴力に直面して、政府が国民とともに秩序維持のための必要な措置をとることは、国民主権と議会制民主主義をまもる当然の態度であって、だれも、民主主義の名においてこれを非難することは、できないであろう。(不破『人民的議会主義』新日本出版社、1970年、p.244、強調等は引用者による)


 


 これは政権を取った後の反乱への対処であるが、政権を取るの対処も付け加わえて、志位和夫は最近の講演でその二つをまとめてこう紹介している。


日本共産党は、社会変革の道すじにかかわって、過去の一時期に、「敵の出方」論という説明をしてきましたが、その内容は、(1)選挙で多数の支持を得て誕生した民主的政権に対して、反動勢力があれこれの不法な暴挙に出たさいには、国民とともに秩序維持のために必要な合法的措置をとる。(2)民主的政権ができる以前に反動勢力が民主主義を暴力的に破壊しようとした場合には、広範な国民世論を結集してこれを許さないというものです。それは、どんな場合でも、平和的・合法的に、社会変革の事業を進めるという日本共産党の一貫した立場を説明したものにほかなりません。


 ぼくが学生の頃「広範な国民世論を結集してこれを許さない」って何? って質問したことがあって、その時「デモとかストみたいなので世論に訴えかけるんだよ」と説明している共産党員の人がいた。世論が固まればそんな反乱はそうそうできない、という立場を言いたかったわけである。


 それが効果的かどうか、そんなの役に立つのかよ、はこれを読んだ皆さんが勝手に判断してもらえばいいんだけど、ここで大事なことは、要するにどこまでいっても日本共産党は、少なくとも1961年綱領の確定以後は、「秘密軍事組織を作って対抗する」なんていう「武力闘争」路線をやろうとしていなかったし、今もしていないということである。


 


 そして、今や「軍隊がクーデターを起こすかもしれない危険性は見過ごすわけ?」「ミャンマーみたいなことが日本でも起きると思うよ!?」と詰問してくるような左翼は(そして右翼も)いなくなった。だから、まあもう「敵の出方」論なんていう誤解受けかねない表現はもうやめますわ、と共産党は宣言したのである。そういう誤解の誤爆を引き起こすような、あまり現代では現実性のない仮定をくどくどいうのではなくストレートに「選挙で議会の多数を占めるという革命をやります」と素直に表現することにしたのである。


 


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